うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

372 熊川宿






先日の三方の調査の帰り際、寄ってみたのが熊川宿です。



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 ● 熊川宿    福井県三方上中郡若狭町

熊川宿は、若狭より機内をつなぐ「鯖街道」 にある、昔ながらの町並みを残す宿場町。
そのエリアは、上ノ町(かみんちょ)、中ノ町(なかんちょ)、下ノ町(しもんちょ)と長く、街路の脇には水路である前川が勢いよく流れ、道幅は車が交れるほどの広さがある。
国の重伝建<重要伝統的建造物保存地域>選定地区であり、同時に若狭鯖街道として日本遺産認定されている。
宿の交流館に貼られたポスターは「第18回 熊川いっぷく時代村」なる催事のもの。
来月10月1日に開催で「ゆるキャラと山車をひこう」というイヴェントで、近在の奇っ怪なゆるキャラが勢揃いしたその写真に、ついついわけもなく見入ってしまう。
赤いベンガラ塗りと白い漆喰壁の対比、木造の美しい町家の細部はよくみると、卯建や虫籠窓、駒繋ぎや折り畳み式の縁台「がったり」などがみられ、この宿場町の伝統的な建築にすっかり魅せられる。
資料館でみた古い写真には山車を曳く祭礼のものがあり。
また近年のイヴェントでしょうか、ブガッティのオールドカーがこの宿に勢揃いしたスナップも置いてあり、さまざまな催事が催されているようだ。
国は違えど、熊川宿の美しい町並みにばっちりお洒落に決めたオールドカー、実に絵になる一枚だった。



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 ● 細部もいろいろな熊川宿。

重伝建指定区域では、ある基準をもとに町並みと建物を当時の様子に近く再現したり保存したりの政策上、実際にその地域で日々の生活を営む住民の人々にとってはなにかと制約も多く、かならずしも良いことばかりじゃないとおもう。
ただ、不謹慎にも観光気分で訪れる自分たちにとっては、宿場町が醸し出すちょっとしたディテールが結構面白かったりする。
かってはタバコ屋であったろう民家の出窓には、招き猫が飾られ出迎えていたり。
レトロな琺瑯看板が掛かった洋品店の店内を窓越しに覗いてみたら、商品が昭和まんまの様相だったりと、ある時代の物品が好きな自分としては、何気ない生活道具のなかに随分楽しませてくれるものがある。
しかし、平成に重伝建指定されたこの熊川宿も、すでに長きの年月を経て、人々の観光のありかたの意識や、建物自体の保存の面で、次なる第2のステップに直面しているのかもしれない。
交流館の休憩所には、保存建築の改築の経緯をパネル化し展示もされているが、このような解説にどれほどの観光客が目をむけることだろうか。
隣接した道の駅はかなりの賑わいをみせてはいたけれど、平日の熊川宿はほとんどの店が閉められており、いたって閑散としたたたずまいだった。
ドライブの休憩として利用する道の駅では、物産品などの購入も気楽にできるけど、隣りにあるとはいえ、さらに一歩足をのばし、この熊川宿の長い街道を歩き地区にお金を落とす人がどれだけいることだろうか。
観光バスなどのツアー客は、この道の駅の駐車場でバスを待機させ、せいぜい小一時間のタイトな宿場見学で済ませてしまうのではないだろうか。
熊川宿には「宿場館」(若狭街道資料館)、「旧逸見甚兵衛家住宅」などの少額料金ながら素晴らしい有料見学施設もあるけれど、どれほどの月利用がされているのだろうか。
日本の北から南まで、重伝建指定地区は数あるけれど、土地の活性化と観光事業との兼合いを長期にわたり維持していくのはとても困難で大変なことに感じる。
これまで自分も幾度か重伝建指定地区を訪ねはしたけれど、どの地区にも今後の活性化を図る面で、似たような問題が山積みされていたようにおもう。
・・・・・・・・・・・・と、そんなことをおもいつつ一団で進んでいたら、先を歩いていた先生がひょっこりと自宅から出てきた土地の人と、初めて会ったのにまるで旧知の仲ように立ち話をしながら歩いていく。
さすがに学校で民俗学を教えている先生だけあって、人受けするお得意の気さくさでもって、いつのまにやらその方を先導者としてバトンタッチして、あれやこれやと案内して貰うことになってしまった。
それにしても、なんだかあまりにも詳しすぎるその方の解説に、あきらかにただの町並みボランティアの方とは違う雰囲気を感じる、訊くとこの地区のまとめ役をなさってる方で、重伝建の会議にも幾度も列席されているという。
道理で! あたらしい指南役に導かれながら、さらに資料館へと向かうのだった。



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 ● 元役場の建物が麗しい「宿場館」(若狭鯖街道資料館)

昭和15年に建設された熊川村役場を、平成10年に歴史資料館としてオープン。
シックなたたずまいのその建築は、トスカーナ風の柱頭をもつ円柱や、中央に越屋根が付いた寄棟瓦葺。
内部を貫く大黒柱は、よく見ると八角に面取されたとても凝った代物、伊藤忠2代目社長を務めた熊川宿出身の伊藤竹之助がこの村役場の建設に貢献したこともあり、建築のそんな細部にも贅を凝らした作りになっている。
また資料館になった現在では、一族の顕彰展示もされている。
入口の扉には「日本遺産認定 海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 -御食国若狭と鯖街道-」のシールがばっちりと貼られている。
熊川宿の様子や、天秤棒で振り分けて荷運びしていた魚売りの写真などで、活気のあった当時の宿の様子が偲ばれる。
展示ケースには、ぷりぷりと肥えた鯖が三匹、竹籠に納まっていた。
貢ぎ物用の輸送籠なのでしょう、本体よりさらにベロ状に簡易的な蓋部分も編だして工夫している。
これとまったく同じ籠を以前から見てはいたが、簡易籠の類と知ってはいても何用なのか用途は知らなかったので、そうだったのかとつい嬉しくなった。
多摩川の献上用の鮎籠同様に、基本的に使い切りで使い回さない土産籠や捨籠などの簡易籠は、籠の文化の一端を支えているようでとても興味をそそられる。



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 ● 住民が仕掛けたこの水車は!?

街道脇を流れる細い水路とはいえ、この前川は流れも速い。
その豊富な水量とたたずまいで、平成の名水百選にも選ばれている。
家ごとに「かわと」と呼ばれる水利施設が設けられている。
街路を歩いていたら、ガラクタのなかにこの水車(左上、50年前のもの)を見つけ、しめしめ「やった」と思っていたら、後でそれと同じ真新しい水車を担いで来る人がいる。
以前水車の展示をした際に、こんなものもあると写真を見ながらレプリカを作ったことがあり懐かしい。
しかしながら実物と、その使用例を見るのは、今回が初めて。
その展覧会を企画された先生のほうは、すでに舞い上がっておられ「さて、これは何でしょう」と学生に問い掛けている。
答えは、中に里芋などを入れて泥など落とす洗いもの水車。
容器の入口はどこになるのか。側面の円盤部分にはその箇所が見られないから、羽付きの側の一箇所が蝶番で開くのかもしれない。
羽の全体に金属ベルトを周しているのも、そのための固定の工夫か?
側は、竹材の皮付き部分が外を向くようにしてあり、それに木製の6枚羽が付く。
軸にあたる芯棒は竹材で、その棒の先端を水路の石積の小穴に差し込み、棒の元は「かわと」の段差の端の窪みに押し入れ、小石(右下、オレンジの矢印部分)で固定するというちょっとした小技に感心する。
芯材としての竹の弾力もよく活かされて、ぐわんぐわんとしたたわみをみせながらも水車が勢いよく高速回転しだす。
これだけ勢いのある流れだからこそ6枚羽で可能で、流れがなければさらに羽数を増さなければならないという。
先のブログ №369 便利生活への欲望 にも書いた、手回し洗濯機のなかにもこの水車と似たようなドラム型タイプのものがあったけど、洗濯機の場合は洗濯水などの洗液供給が洗濯物にとって必要となるので、これとまったく同じというわけにはいかない。
そんなことを考えつつ悠長に水車をながめていたのだけれ。
かくいう先生のほうは、這い蹲る体勢でもって一分の隙も見逃さないように、回る水車にカメラを構え連写の嵐を送って記録しておられた、 流石だ!



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 ● 前川利用 その2

前川の豊かな流れの利用は、昔より洗い水車によって実践されていたが、
水車効果か、こんどはつい回るものモードになってしまう。
この写真は、人目のつかない宿場館裏手の流れを利用した小水力発電の様子。
水の中で流れを受けて、スクリュー状の羽が高速回転している。
確かに住人の方に先導されなければ、漠然と見えてはいてもなかなか気付かないシステムだ。
かんたん設置・維持管理を目標に開発された優れたピコ分散電源システムで、静寂性に優れ、高耐久というもの。
発電機とコントロールBOXで昼間蓄電を行い、夜間のみの点灯。
LEDが開発された現在だからこそ省エネルギーでも可能となったシステムで、5~10Wの夜間照明が常時まかなえる優れもの。
宿場館では、2基のLED照明が活躍中で、道の駅、西口駐車場にも利用されている。



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 ● 「宿場館」での民具展示の様子。

200円の入場を払い入館する。
目の覚める鮮やかな黄色のポロシャツにバンダナ姿の係りのお婆あちゃんが、懇切丁寧に資料の解説をして下さる。
小さな館ながらも、よくまとめられた展示コーナーで。
そんな解説をよそに、「ははぁ~!なるほど~!」と碌にお話しも聞かずに、つい先走って物に目が入ってしまっている自分がいていけない。
展示されている橇など、むかしの古い写真に照らし合わせながら、かって使われた民具の様子を知ることができる点もよい。



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 ● 「熊川葛」

民具はいずれも結構覚えのあるものばかりだと思いきや、あららこんな珍しい道具も展示されている。
葛(くず) といえばやはり吉野葛しか思い浮かべなかったものの、ここ熊川は葛の生産地としても有名だったことを知る。
ガラスケースには、紙箱に収められた100年前に作られた葛(上)が展示してあった。
なんだかモースがアメリカに持ち帰った、明治時代の日本の食材に出会ったようで楽しいかぎりだ。
元禄年間の記録にはすでに「葛粉」として「熊川村並ニ河内村ヨリ出ス、多ク京師(みやこ)ニ売ル」とあり、厳冬の最中に、熊川の美しく豊かな水を用いて精製されていたようだ。
しかし100㎏の葛根より精製されるのは、本当に僅かの分量という具合らしく。
葛づくりは洗っては上澄みを捨て晒す、根気のいる作業の連続のようだ。
展示されていた民具はいずれも簡素なものばかりで、葛根叩解用の木槌(葛バイ)、大小の桶や諸蓋、ならし鏝、金篦、搾り網などの道具が並んでいた。

野山にはびこり、手入れのされない荒れ地のイメージの象徴であるようなクズながらも、マメ科特有のかたちをした紫色の花はとても美しい。
近年では国内にすっかり帰化した外来植物の被害で大変なことになっているが、クズはその逆輸出的な存在らしく、日本よりすっかりハリウッド(の野山)に進出して根付き、すでに当地でも大問題を引き起こしているという話しを聞いたことがある。
ゴボウ同様にたんなる草の根ということではなく、クズも貴重な食品(葛粉)のひとつとして認識されてさえいれば、アメリカ人にとっても一役勝ったハリウッド・スターになっていたかも知れない。
現在熊川では、原料の葛根は既に地元産では賄いきれず、余所より入荷となっているが、多分その精製プロセス自体は、依然として変わっていないのではないかと思う。
つい嬉しくなって、ここでも珍しい民具ということで先生と共にバシャバシャ写真を撮っていたら、 「あれっ、写真禁止のマークがあるよ!」と誰かの一言。
「ははは・・・・・・・、またやってしまった」
はなはだしい勘違いの顛末ながらも、無事事後承諾を得て、折角ですので製造工程パネルを並べてみます。



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● 葛粉製造工程

<左上より>
山掘り、葛根、葛打ち、
葛殻・葛洗い・葛絞り、かね、振こし、
よね、葛さらし、寒晒し、
玉干し、



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 ● 職人絵図にみる「葛作り」の様子。

和菓子や日本料理に、もっちりとした独特のとろみをつけ、食材として欠かすことのできない、とても上品な澱粉質をもつ葛粉は、このような根気強い工程によって生まれてくる。
大学の先輩で、現在ではほとんど製造されていない従来ながらの方法でもって、蕨(わらび)粉製造のプロジェクトを立ち上げられた方がおられるが、お話しを伺うだけでも大変な労力の積み重ねのようで、ついついこの葛粉作りにもどこか同じような苦労が偲ばれる。
むかしのパネルの写真には、どうやら子供までもが動員されて家人の手伝いをしている様子が写っている。
泥のように汚れた液体から純白な澱粉として幾度も晒していく、大寒の中で行う水仕事は、きっと忍耐の連続で想像を絶するほど大変な労働だったにちがいない。




時間が許せばもっと滞在したかった熊川宿、それでも皆と一緒に複数の目を通じて見えてくる世界が新鮮で面白く、とても勉強になりました。 (~o~) 



  1. 2017/09/06(水) 20:57:07|
  2. 雑 閑
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