うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

364 帰省日誌 札幌





帰省3日目(6月23日)、今日は晴れたので、札幌のまちの中心にある緑のオアシス、久しぶりに北大植物園へ行ってみました。



B364_01.jpg

 ● 北海道大学植物園、園内には北海道最古の博物館がある。

北大植物園の歴史は、明治9年(1876)に設立された札幌農学校(現北海道大学の前身)のクラーク博士が、植物学の教育には植物園が必要と進言したことに始まる。
同年、農学校校内に小さな樹木園と灌木園が造られた。
一方、開拓使は北海道道庁西側の原始林を牧羊場とし、明治15年(1882)に博物館を建設。
明治17年(1884)、植物園用地が博物館とともに札幌農学校に移管され、のちに初代園長となる宮部金吾が計画・設計をし、明治19年(1886)に植物園が開館する。
近代的植物園としては日本で初めて造られたもので、日本で2番目に古い植物園である。

大正時代の終わり頃までは各所で泉が湧き出る地味豊かな場所で、開園以前の自然地形とともに、原生林の面影を残すハルニレやイタヤカエデ、ミズナラ、ハンノキ、ドロノキなどからなる落葉広葉樹林が残っている。

博物館(左上)は、北海道で最古の博物館で、建物やガラスケース(中央)は重要文化財に指定されている。
博物館が札幌農学校(現在の北海道大学)に移管された後、動物学を中心とする博物館へと変化する。
レトロな館内には、世界で唯一のエゾオオカミの剥製(下中)や、南極観測で活躍した樺太犬タロの剥製、鳥類標本、考古資料などが展示されている。

クラカケアザラシ(左中)、ヒグマ(右中)、湿性園(左下)、ヤマボウシ(右下)




B364_02.jpg

 ● タロ(右上)と、樺太犬関連の展示写真。

昭和31年(1956)に国際地球観測年プロジェクトの一環として、日本から南極観測隊が派遣されることになる。
この活動の一部として、犬ぞりの研究準備が開始される。
博物館で助手をしていた芳賀良一が中心となり、稚内の公園内に設立された訓練所に道内各地の優秀な樺太犬が集められ、訓練が開始された。
博物館には「南極物語」で知られるタロ(右上写真の黒い犬)は、この植物園で余生を過ごし剥製として展示されている(ちなみにジロは東京国立科学博物館に展示されている)。

南極派遣犬であったタロの剥製は犬ぞりとともに館内に常設展示されているが、今回は企画展示として、南極観測用の樺太犬に関する資料が展示されていた。

写真(左上4枚); そんな樺太犬の訓練所の様子。
写真(左中4枚); 参考資料として当時撮られた「輓曳犬」。橇やリヤカーを曳く。
写真(左下)  ; 犬ぞり。
写真(右下)  ; 南極に派遣された犬。シロ(利尻)、リキ(旭川)、クマ(紋別)。
犬外哲夫・芳賀良一 「日本南極地域観測隊犬橇関係報告(1)」 『南極資料』4、1958年より。





B364_03.jpg

 ● 「北方民族資料室」

管理棟2階には「北方民族資料室」があり、北海道の先住民族(アイヌ・ウィルタなど)の生活文化資料が展示されている。


これらの資料は、明治初期に開拓使が博物館に展示するために収集したものと、昭和初期に大学での研究のために収集されたものが中心となっている。
古い時代に収集されたものとしては、いつ・だれが・どこで収集されたかが、ある程度明確な履歴をもつ資料が多く、研究や文化の復元のうえで貴重な情報を提供できる重要な資料となっている。
しかし一方で、収集された時代背景から考慮すると、先住民族であるアイヌ民族の文化についての知識も現在よりははるかに浅く、ある意味特殊なもののみが選択されているとも考えられる。
昭和初期の研究においては、当時のアイヌ民族観に留意する必要がある。
当時アイヌ民族やその文化は「失われてゆくもの」という、現在では考えられないような意識が存在していた。
そのため当時の研究者にとっては「失われつつあった」事柄を記録・保存することに主眼を置き、明治時代と同様にその特殊な部分のみに注目したきらいがある。
また植物園内には北方民族が生活の中で利用した植物を栽培展示した、北方民族植物標本園が設置されている。   <パネル文より略載>



B364_04.jpg

 ● 北方民俗資料室展示より。

会場に流れるVTRはアイヌの「熊祭」の映像<旭川市近文アイヌコタン、昭和10(1935)年1月13日、13分>

この映像の主催者である川村カ子トの、川村カ子トアイヌ記念館は、通っていた高校のすぐ裏手にあった、小学校の社会科見学の遠足で行った当時にして、とても古くさい印象があった。
近文にはストーン・サークルなどアイヌの遺構もあったけれど、近年になるまでは、灯台もと暗しで、アイヌ関連の資料には特に関心を持たなかった。
その後、帰省の際など、折に触れできるだけアイヌ関連の資料も観るように心がけている。
民族のアイデンティティーは一体どこにあるのか、民族の純血度としては、アイヌ民族にも既に和人の血が混じり純血のパーセンテージは、現代では相当低いのではないかと思う。
沖縄では過去に琉球王朝が日本の傘下に統合されるにあたり、近年まで人頭税などの重税が課せられた暗い歴史があるが、現在みる沖縄では、独自の言葉や食文化、住居スタイルが、変容しながらもまだ日常的に残されている。
アイヌ民族の場合は、明治32年(1899)の「北海道旧土人保護法」<アイヌ民族の農工化と教育による同化を内容とし「保護」する>発令以来、アイヌ民族としての尊厳を半ば強制的に剥奪封印した政策が強行的になされてきた。

以前訪れた、沖縄の八重山の竹富島では、琉球人とアイヌの南北交流親睦会に居合わせたことがあった。
上川アイヌ、旭川アイヌのグループが参加し、アイヌからはエゾシカが、竹富側では隣の黒島の豚が、それぞれ一匹分提供された会食となった。
両者互いにもたらされた肉料理の味を褒め合い、 「云ってくれたら、いつでも鹿持って来るよ・・・・・・・・」というその人の言葉にちょっとだけ胸が切なくなった。
交流会の演目では、互いに民族衣装や祭りの衣裳を纏った芸能大会となった。
竹富側では有名な種取り祭りの演目や古典的な琉球舞踊の披露、アイヌ側でも民族衣装に正装し、鶴の舞など様々な踊りが披露されたが、自分は子供の頃観光で訪れた洞爺湖畔のアイヌ村の観光ショーのイメージとすっかりオーバーラップしてしまい、どこか素直にみれなかった。
南と北の人々の交流は、互いを認め盛り上がってはいたけれど、竹富の人は、自ずと口笛で囃すほどには、アイヌの舞踊に反応してはいなかった。
そんななか、アイヌの一人のお婆さんによるムックリ(口琴)の演奏がはじまった。
横隔膜を共振しながら増幅されるその独特な口琴の音色が会場に響き渡ると、やっと陽気な沖縄人の血が爆発したのか、この場に居合わせた全員が堰を切って一勢に乱舞する盛り上がりとなった。
気付くと自分の体も自然にうずき出し、確かに理屈ではないのだと口琴の音色に悟った瞬間だった。

また、川村カ子トアイヌ記念館の近くにある北門中学校には、郷土研究会によるアイヌ資料展示室があり、盆の帰省の際に見せて頂いたことがあった。
資料はよくまとめられており、民話を描いた布絵本なども見られるようになっており、中学生にも、アイヌのこころの一端に触れられるような工夫がなされていた。
郷土研究会所属の生徒がアイヌの方の指導のもと、実際に自分たちで丸木舟を仕上げ試乗実験する場面の写真なども掲られており、中学生が実体を通じてアイヌの人々と交流し互いに理解し合う姿に触れ、感激した。


中学校の後に、近所の共同墓地にアイヌの墓標が見られると知り寄ってみた。

**ブログ№059 戸棚に押込めて 祭壇 
http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-59.html

墓の多くは、どこにでも見られるような御影石製の普通の墓が多く、また既に佛教に帰依して経文が刻まれた墓も結構見かけた。
ただ、家紋については、よくみるとマキリなどの意匠を上手く取り入れたアイヌが独自に編み出した紋様もあった。
丁度盆の墓参りと重なり、多くの家族が先祖のお詣りに来ていた。
そんななかには、あきらかに濃い容貌のアイヌと判るひとも確認はできるが、意識しなければまるで気づかないようにいたって普通の墓参だった。
特に特別な儀礼があるわけだはなく、線香を焚き献花お供えし、先祖に手を合わせ誰もが黙々と祈っていた。
アイヌの人には面識はないが、高校の時に個展で観た「砂澤ビッキ」作品展では、当人であるビッキが会場にいて、彼が一木を削んで産みだした木彫作品や、彼自身の豪快さ、眼力の強い相貌のなかに、どこか自分たちとは異なるアイヌ民族のもつ造形と気質に触れた思いがした。
ここの墓地では、そんなビッキの砂澤家の墓をはじめとした、アイヌの伝統的なスタイルの一木を刻んだ墓標も数墓みかけた。
しかし自然木の墓標は、そのままだと必然的に風化して朽ちてしまうため、いずれもそれほど古いものではなさそうだった。
整然と整備された近代的な墓園にあっては、そんな自然木の墓標も、どこかビッキの彫刻作品のように見えてしまうから不思議だ。
いわゆるアイヌの御幣的な、カミの依り代であるイナウ(削り掛け)に見るように、アイヌの墓標にも、そんな木のなかに潜む魂を引き出すような造形の一刀彫がなされていて興味深い。
アイヌは、かれらの暮らす環境に関わる、植物や動物などの自然に通じており、彼ら独自の豊かな世界観があるようだ。



B364_05.jpg

 ● 展示資料のクローズアップ     北方民族資料室。

ヨードプ <ガラガラ> 樺太; 儀礼用楽器。
獣皮衣(女性用) ニブフ(サハリン); クラカケアザラシの皮製。
カニクフ <金帯> 樺太; 樺太アイヌの女性用。
ストゥケリ <草履> 旭川・近文; ブドウ樹皮製、。

レタルペ(「白いもの」の意) 樺太; イラクサ繊維製。
筬(おさ) ; 樹皮布(アットゥシ)織り具。
サンペ、イナウル <冠> ; 儀礼用冠。
タマサイ <飾玉> 北海道; 女性用。


テンキ <小物入れ> 千島; テンキグサ(ハマニンニク)の葉茎製。
シポプ <塩入れ> 日高・沙流; がま製。
ペラ <へら> 北海道。
ペラパスイ <さじ> 北海道; 主として小児が使用。


アエオク ペ(「衣類を干す竿」の意) 日高・新冠; 手拭い掛け。
ラッチャコ <燭台> 千歳; 貝製、魚油を使用。
カサ <笠> 樺太; 木皮とイラクサなどの繊維製。
イカムハハカ <頭巾> 樺太; 防寒具、頭頂部に十字型の突起飾り(キタイヘ)がつく。

コンチ <頭巾> 北海道; 男性用。
マタンブシ <鉢巻> 石狩; 前頭部にあたる部分に刺繍を刺す。
ルウンペ <色裂置文衣> ; 和人から入手した木綿布に刺繍した晴れ着。
イチャピパ <貝庖丁> 日高・沙流;稗・粟などの穂摘み具。



B364_06.jpg

 ● 「北海道立アイヌ総合センター」

アイヌ民族の歴史認識を深めることや文化の伝承、保存の促進を図るなどを目的に設立され、民族資料展示室、図書情報資料室、保存実習室の三つの機能をもつ「北海道立アイヌ総合センター」は、北大植物園(入口側)の通りを挟んで真向かいの”かでる2・7ビル”の7階にある。
展示内容については、文化内容にもとづいたアイヌ史独自の時代区分により、隣接地域の歴史、文化との関連性と移り変わりを考えてもらうことに重点が置かれている。

アイヌ文化史では、<近現代>・<前近代古層期>・<前近代変容期>別に展示されている。
またアイヌ文化の諸相として、北海道島域・サハリン島南部域・クリル列島域のアイヌの物質文化のほか、本州域およびサハリン島北部域等の近類民族の比較資料を紹介している。



B364_07.jpg

 ● 「北海道立アイヌ総合センター」

国際先住民族年<国連による『先住民族の権利に関する国際連合宣言』(2007)>以降、『アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議』(2008)が選択され、『アイヌ製作の在り方に関する有議者懇談会』報告書を受けて、政府によって『アイヌ政策推進会議』(2009)が設置された。
行政による、アイヌ民族に対する対応や理解も、その後徐々に変化が問われている。
この施設もそんな流れの影響を受けてか、どうやらパンフレットの印刷された2010年に開室したようだ。
センターに隣接して、(社)北海道アイヌ協会、北海道アイヌ古式舞踏連合保存会の事務所が入っている。
近年各地にみられる資料館などでも、新設された展示では、先住民族であるアイヌ民族の伝統文化にスポットを照てた紹介が多く見られるようになった。
アイヌ模様を作ってみよう、地名や動植物にみられるアイヌ語の謎あてなど簡単な子供向けの企画から、大人向けの本格的なアイヌ語講座、さらにはアイヌ料理の紹介など
事務所の廊下にある掲示板には、そんな様々なアイヌ関連のイヴェントのチラシやポスターがところ狭しと貼られていた。

資料展示室にはアイヌの生活民具などの実物資料も展示はされているが比較的新しいものが多く、ここでは博物館が実物資料(一次資料)に重点を置くのとは異なり、むしろ協会の特殊性もあるのか、アイヌ民族の近現代史としての流れや、その運動を解説する内容に重点が置かれているように感じさせられた。
図書資料室は覗かなかったが、どちらかというと専門家が利用する施設のような感じだ。
一時間ほど見学したが、展示室の見学はほとんどないのか、資料展示室は閑散として誰も来なかった。
見学というと物質資料好きの自分ながら、ここでは展示されている写真パネルや、アイヌ民族関連の広報誌の表紙をながめながら、アイヌ民族が歩んできたその歴史に想いを馳せた。
北大植物園の北方民俗資料室とは、ある意味対極的な見学ではあったが、現代に連なるアイヌ民族の伝統文化を感じる点でとても参考になった。



B364_08.jpg

 ● 「北海道大学埋蔵文化財センター」   北海道大学キャンパス内

「北海道立アイヌ総合センター」の後は、北大札幌キャンパスへ移動して博物館見学とする。
お昼を学食で手早く済ませ、その向かいにある「北海道大学埋蔵文化財センター」へ向かう。
昨年は折り悪く閉室日にあたってしまい見学できず残念だったが、今回は開室していた。
北大札幌キャンパスは全域が遺跡であることから、キャンパス内で工事が行われる際には遺跡を保護するために発掘調査を実施する。小さなワンフローアーには、北大構内の遺構から出土した土器や石器などの考古資料を修復し、常時公開展示している。
構内には続縄文・擦文・アイヌ文化期の遺構が確認されている。

センターでは特別展として「サケの考古学」が開催されていて、二連のガラスケースに関連資料が展示されていた。(右中、下段)
北大構内を流れていたサクシュコトニ川、及びセロンベツ川(市街化により現在は埋没枯渇)の両川は、かつてはサケの産卵床として好条件を備え、サケが遡上していたとみられ、これらの地域の遺構からサケの骨が出土しサケ漁が行われていたと考えられている。
サケ科の骨が出土した地点や、その骨格標本、サケ科の系統分類、骨の同定、遺跡から出土したサケ科の解釈、北太平洋沿岸地域におけるサケの加工・保存・調理、などといった簡潔な展示となっていた。
サケは日本列島のみならず北洋沿岸では、重要な食料品として広く用いられ、その加工・保存・調理方法は多様で、サケの種類や生態、植生の環境、文化歴史的要因に合わせ発展した。

左下; 白老アイヌの干鮭、新潟村上の干鮭、カナダのベニザケの干鮭や薫製鮭の事例。
右下; アイヌのサケ料理、サケあらのたたき(チタタプ)と、チェプオハウ。




B364_09.jpg

 ● 「北海道大学総合文化博物館」

全学的な学術標本の集約と学内外への情報発信のために、1999年に設置された大学博物館。
札幌農学校時代から収集・保存・研究されてきた400万点にものぼる学術標本・資料が蓄積されている。
煉瓦造りの重厚な博物館の建物は、理学部設置の際に建設した旧本館(1929)で、札幌では数少ない大規模RC建築。
連続アーチ、素焼の装飾、6種類のスクラッチタイル、中央階段のアインシュタイン・ドームなど見所が多い。<学内歴史的建造物>
昨年夏のリニューアル時に、 北海道大学の12学部を紹介する展示(中下)や、博物館活動のバックヤードを見れるミュージアムラボ(左中、考古ラボ)が新設され、多目的スペースやカフェ、ショップが設けられた。

季節柄か各学部の紹介展示コーナーでは、修学旅行の団体や、受験生の姿が目立っていた。

今回はあまり時間がとれず、おのずと目指すのは3階お収蔵標本展示の見学となった。

まるで海苔巻きのような不思議な歯を持つ「束柱類(ちゅうそくるい)」のデスモスチルスは中新世時代に絶滅した水性哺乳類で。海牛やゾウに近い、あるいはウマやサイに近い等、類縁関係はまだ謎に包まれている。このデスモスチルスは北海道帝国時代に、長尾巧教授が当時の樺太、毛屯(けとん)から世界で初めて全身骨格を発見し、ウシをモデルに骨格組立したもの。世界的に見ても数少ない貴重な全身骨格標本で、ミュージアムショップでも、この一風変わった”デスモスチルスの歯”のフィギァ(税込み515円、今回は完売)は一押しの売れ筋商品となっている。<昨年は「感じる展示室」でデスモスチルスの乳歯化石の実物を手にとり見せて頂き感激でした!> (左中)

実物と見間違えるほどリアルなムラージュ(ロウ製皮膚病模型)の仕上がりに感心してしまう。 (左下)



B364_10.jpg

 ● 「北海道大学総合文化博物館」

土器、骨格標本、昆虫標本、液漬け標本、民具や音具・・・・・、こうやって写真を並べてみると好きなタイプの資料には、自ずとその傾向が表れます。

学部研究の展示コーナーでは、人類学や言語学などのコーナーで北大と交流があるのか、現代のサハ共和国(極北アジア、旧ソ連領)の生活用品が多く展示されています。
白樺樹皮製の曲木の裁縫箱(上中) 、ホムス<金属製口琴>、 ヨードプ<ウィルタのガラガラ、白樺で枠を作り中に石や骨を入れて魚皮を張る>(右中)などには、道具のなかに日本のアイヌなどと共通する北方少数民族の文化がみられ興味深い。

展示会場では、ホムス<口琴>の演奏の映像も上映されていました。
アイヌのムックリ同様に、自分も一度ホムスの演奏を聴いたことがあります。
こちらの口琴はアイヌのムックリと異なり金属製で、口琴のフレーム枠を軽く歯に押し当てて、弁の端を弾き、舌<ぜつ>を振動させる奏法です。
中央アジア、南アジア、ヨーロッパにみられる金属製口琴と同じ構造で。
長らく演奏するとその振動が脳下垂体を微妙に振動させα波が生じ、酔うがごとく心地よくなるといいます。
口琴は数ある音具のなかでも、人体そのものを共鳴体として音を拡張させる一風変わった不思議な楽器です。
ホムスの音色は、ときに馬が陰鳴くように、或いは馬が疾走するように音態模写も変幻自在に自由に変えられ、その超絶技法の演奏ぶりにすっかり驚かされたものです。
日本でも江戸時代には、ガラス製の音具であるポッピンなどと同じく、庶民に流行した口琴に対して御上が「びやぼん禁止令」(口琴禁止令)というお触れを出したことがあります。
また武蔵一宮、埼玉県大宮の氷川神社の出土遺物からは、どうやら金属製口琴の舌<ぜつ>がとれたような不思議な金属片も出土しています。
古い時代から、このような音具を通じた文化交流があった様子が偲ばれてとても興味深くおもいます。
写真にあるヨードプなどのガラガラも、実際にはどのような状況で鳴らされる音具なのかその場を是非見てみたいものです。




札幌でも一日びったり博物館、これまた全部お勧めしてしまうようでいけません。 (^_^)v  




  1. 2017/07/14(金) 20:28:05|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0
<<365 帰省日誌 旭川 | ホーム | 363 帰省日誌 小樽>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する