うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

363 帰省日誌 小樽





余市のあとは、バスで雨降る海岸線を見ながら小樽へむかいます。(2017年6月22日)


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 ● 小樽の町を訪れるのも数年ぶり。

北海道の交易の要であった小樽の町は、運河沿いの倉庫群や、古い石蔵など、杜氏の繁栄の時代を偲ばせる趣ある建物が残っている。
運河の周辺や町の大規模な整備がなされたのが、丁度バブルの頃。
駅舎もすっかり新しくはなってはいるものの、どこか周囲の景色に馴染んでおり良い感じです。
旧銀行や、旧日本郵船などの建物の立ち並ぶ目抜き通りを避け、裏路地に残る古い建物を見ながら、手宮線(北海道で一番最初に開通した鉄道)の廃線跡の遊歩道を歩く。
遊歩道の突きあたりが、手宮駅があった地点で、小樽市総合博物館本館<旧小樽市交通記念館に科学技術館を統合>があり、煉瓦造りの重厚な建物が建ち並んび、懐かしのSL(蒸気機関車)や列車、ラッセル車などが並んでいる。
構内には、試乗できるSLも走行しているという、次回は是非見学したい施設だ。

今回めざすのは、そのお隣の手宮洞窟、昨年訪れた余市のフゴッペ洞窟同様に、ここには古代の陰刻壁画が見られる。 (国内でみられる陰刻壁画は、フゴッペ洞窟と手宮洞窟の2箇所のみで、貴重な遺跡である)



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 ● 三角市場

駅前のすぐ隣りにある小さな市場が、三角市場。
かって早朝にフェリーで小樽に着いた際、この市場の食堂(早朝過ぎて昔はここしか開いていなかった)で幾度か海鮮定食に潮汁で腹を満たしたことがある。
市場でもアジアからの観光客の姿が目立つ、食堂も数軒増えており、誰もが一目瞭然で分かるよう、新しい店の入り口には海鮮丼など海の幸の定食写真を一堂写に並べ、メニューを選択する方式を採っている。
タラバガニはすべてロシア産。
ハッカクは比較的近年市場で売り出されるようになったという。



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 ● 古代の陰刻壁画が見られる手宮洞窟。  小樽市手宮洞窟保存館。

手宮洞窟は1886年(慶應2)相模小田原からニシン番家の建設に来ていた石工の長兵衛によって発見される。
小樽軟石(凝灰岩)が露出しているところで、建築用石材を捜している途中で偶然に、洞窟内の岩壁に様々な文様が刻まれているのに遭遇した。
この彫刻は、1878年(明治11)に榎本武揚によって学会に紹介され、ジョン・ミルン(英国人、地震・地質学者)によって初めて学術的な観察と報告がなされた。
また開拓使の渡瀬荘三郎などにより調査され、その後1921年(大正10)に、国指定史跡となった。
発見以来120年以上たち、進行する風化・剥落を防止すべく、保存修復事業がなされ、平成7年に、この「手宮洞窟保存館」が完成した。

彫刻が刻まれた時代は、今からおよそ1,600年前頃の続縄文時代中頃~後半(弥生時代終期より古墳時代初期)とされ。
北海道では、豊かな自然を背景とし、縄文文化をさらに発展させた狩猟採集文化の時期で、その文化は新潟県からサハリンまで及んでいた。

同時代の陰刻壁画が余市のフゴッペ洞窟にあり、フゴッペでは舟、魚、人などと考えられ、手宮洞窟の壁画にもそれと良く似たものがみられる。
かっては、この陰刻を巡って様々な解釈がなされ、これを「文字」とみなす件もあった。
しかし、フゴッペ洞窟の発見以来、アムール川(シベリア域)周辺に見られる、岩壁壁画とよく似た古代の彫刻であることがわかってきた。
このような岩壁画は日本海を囲むロシア、中国、朝鮮半島に見られ、手宮洞窟もこのような日本海を囲む大きな文化の流れを表すものと考えられている。
角をもつ人画は、シベリアなど北東アジア全域でかって広く見られた、シャーマン(祈祷師)を表した説があり。
手宮洞窟の4~5世紀の続縄文文化の人々が、日本海をはさみ北東アジアの交流を示した貴重な遺跡とみなされる。

真っ暗洞窟内は、保存のためか入館者が入ると自動的にあかりが点灯するしくみ。
高湿度のなか、保存カプセルのガラス越しに点灯された、陰刻壁画はライティングがあまり成功しておらず、うすぼんやりとしか壁画の形態が確認できないのが辛い。
さらに年表や関連展示物のスィッチを押してしまうと(10分ほどは点灯したまんま)、そのあかりが強すぎてガラス面に乱反射して、まったく壁画が見えなくなってしまうのが難点だ。
このレイアウトは誰が考えたものか、かなり気になってしまう。
しばし空想の時間が持ててお勧め度は三つ星なのに、壁画が素晴らしい分余計もったいなく思った。

入館料大人100円(博物館共通券(500円)だと無料)、総合博物館本館より徒歩2分。
左下は、大正時代の手宮洞窟の写真。



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 ● 小樽市総合博物館 運河館

小樽は江戸時代後半にはじまるニシン漁業と、明治時代以降の港湾整備によって発展する。
明治から大正にかけては、北海道の玄関として、また北海道随一の経済都市としてその名を轟かせた。
小樽運河は、その繁栄の象徴する存在だった。
運河館では、「近世から近代の小樽のあゆみ」を様々な角度から紹介している。
北前船や、ニシン漁業に関する資料がかなり充実している。
小樽の町が最も華やかであった、大正時代の町並みの再現コーナーの展示もある。


運河館入口。

繁栄時の小樽の写真。

消防犬「文公(ぶんこう)」、消防組に飼われていた雑種犬。
消防車の出動時では、一番に車に乗り込み、火災現場では野次馬を追い払ったり、ホースのもつれを直したりと大活躍の、小樽市民のアイドル犬。
葬儀には文公の好物キャラメルが供えられた。

船絵馬。

オタモイ遊園の絵葉書。

再現された町並み展示。

ニシン漁の漁業具など。

小樽の市街地の西側「オタモイ」地区の断崖上にあった龍宮城のような料亭がオタモイ遊園の「龍宮閣」(1933-1952)。そこで使われていた豪華な赤絵八角皿。



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 ● ニシン漁業のむかしの写真より

この作業写真と陳列されている漁労民具を比較して観ると、ニシン漁がさらに良く理解できる。



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  ● 「鰊盛業屏風」(部分)ほか

日本画家によるこの屏風も、漁労の流れを詳細に描写している。
人の動きや道具の細部など写真と見比べてみるものたのしい。



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 ● 第2展示室  自然展示より。

マイマイカブリ(オサムシ科)は地域によって変異体が多くみられる。

雪の上の虫の写真はセッケイカワゲラ。0℃前後の気温で最も活発になる昆虫。真冬にしか活動しない変わった昆虫で、小樽では、ユキクロカワゲラ(翅のない種類)とオカモトクロカワゲラ(翅のある種類)が確認される。

小樽に生息する動植物を中心に、複雑で多様な小樽の自然を紹介している。
展示室中央にあるトドの骨格標本は、銭函海岸に漂着した野生個体。



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 ● 第2展示室  考古展示より。

小樽市西部にある忍路土場遺跡(縄文時代後期・約3,500年前)の発掘土器が一堂に並ぶ。
その量に圧巻。土器に刻まれた文様など、様々なパターンがみられ、細部を見比べていくと時間がいくらあっても足りないほどの情報が含まれている。
発火具や漆製品など当時を知る貴重な資料も公開されている。


余市のあとに寄った小樽では、博物館資料を観るだけで時間を費やしてしまったけど、ふるくから残る町並みや建物などを、いまいちどじっくりと見学したいものだ。




観光客に人気があるのも納得、小樽はなんとも風情のある町でした! 




  1. 2017/07/13(木) 23:12:47|
  2. 雑 閑
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