うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

357 「東の変電所」





「西の原爆ドーム 東の変電所」
お隣りの東大和市の都立東大和南公園には、戦災遺跡の変電所の建物が保存されており、この度内部公開の日があるのを知り、見に行ってきました。




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 ● 戦災遺産 「旧 日立航空機株式会社変電所」(東大和市指定文化財)  都立東大和南公園

公園の一角に、戦争の傷跡を残す旧日立航空機株式会社変電所が建っている。

昭和13年(1938)に、この地に戦闘機のエンジンを製造する大規模な軍需工場が建設される。
工場の敷地北西部に存在した変電所は、高圧線で送られてきた66,000ボルトの電気を減圧(3,300ボルト)し工場へと送る重要な施設だった。
戦禍の進む昭和20年(1945)には、ここも米軍による3度にわたる空撃を受け、工場の8割方が壊滅する。
変電所は、窓枠や扉などは爆風で吹き飛び、壁面には機銃掃射や爆弾の破片により無数の穴が開いたが、頑強な鉄筋コンクリートの建物本体は、致命的な損壊にはならず。
戦後は工場が、スレート編み機、空気ポンプ、鍋の製造などの平和産業に転換して生き残りを図り、この変電所も主要設備機をの更新をしながらも、被災当時の痕跡を残したまま現役<平成5年(1993)まで>で操業した。

平成5年、都立公園の整備のため、変電所を含む工場の敷地の一部を東京都が買い上げることになる。
その際、一旦は取り壊される運命でもあったこの変電所だが、戦災史跡としての重要性を問う市民の要望により、平成7年(1995)に東大和市指定文化財(戦災遺産)となる。
無数の弾痕が残る変電所の外壁は、当時の攻撃の凄まじさを教え、同時に戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に問いかける。



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 ● 変電所内部の展示

変電所までの交通は、「玉川上水」駅(西武拝島線、多摩モノレール)より徒歩5分、都立東大和南公園内。
通常は柵に囲われた外部からのみの見学だが。
昨年度より、毎月第2日曜日(午後1時から4時まで)に限り、「文化財ボランティア」の協力のもと、変電所の内部見学が出来るようになった。(予約は不要)

変電所の内部見学は、現在は建物の安全面を考慮して1階部分のみ。
パネル展示により、軍需工場として被災にあった当時の状況や、変電所が戦災遺産として東大和市指定を受けるまでの歩みを詳細に解説している。
市史資料「軍需工場と基地と人びと」などの関連刊行物も併せて販売されていた。

またVTRとして、戦後70周年東大和戦争体験映像記録「沈黙の証言者-わたしたちのまちは戦場だった-」 (5章構成、全48分、2015年製作)が上映されている。
当時はまだ10数歳の幼い労働者として、この軍需工場に駆り出された方々の語る被災時の証言に、度々胸を刺される。

変電所は市の文化財指定に際し、土台部、柱の補強、地中配水管の敷設、屋根の修復、爆撃痕やひび割れの接着などの補強工事を施されたが。
築後80年を迎えた変電所は、雨漏りが激しくなり、コンクリートの中性化により、粉状化・鉄筋の腐食で剥落するなどの老築化も進行している。
また市では、常時公開するには、より強固な耐震工事の必要があり、文化財を保存することの矛盾が大きな課題となっている。
そのため東大和市では、変電所の修復・保存の対策として、その資金を「ふるさと納税」を活用して全国から募っている(目標額2億円、募集は来年3月末まで)。
寄付金は下限上限は設けておらず、返礼品はないが厚意を形に残そうと希望者には変電所内や市のウェブサイトで氏名の公開をしている。



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 ● 展示パネルと慰霊碑など

米軍による工場施設空撮写真。
破戒された第一工場の窓から見える変電所。
機銃掃射の痕が残る階段の手摺り。
近年発見された不発弾撤去作業の様子(平成2年12月)。
戦後50周年記念(平成7年)に作られた「太平洋戦争戦災犠牲者慰霊碑」(工場にあったものを変電所に移動)。
昭和20年、グラマンF6F戦闘機(2月17日)、マスタングP-51戦闘機(4月19日)、B-29爆撃機(4月24日)による3回の空撃により、死亡による犠牲者は111名に及んだ。



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 ● 変電所のあちらこちらに機銃掃射や爆弾炸裂の痕跡が残る。



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 ● 内部階段と二階部分

現在二階へは、安全のため立ち入り禁止となっている。
展示パネル(赤枠内)より、二階部分には変電用の機械が残されている様子が確認できる。
窓越しには、そんな機械の一部が見れる。



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 ● 解体された給水塔は、一部分をモニュメントとして残す。

空撃を受けながらも、変電所とともに、戦後も現役で使われていたのが、この給水塔。
高さ25メートルのこの給水塔は、変電所より西南西方向に230メートルに位置し、戦時中に施された迷彩が退色しつつも確認できたという。
個人所有の土地に属しており、市では変電所と同様の史跡としての保存ができず。
給水塔の解体(平成13年,2001、左上)に際し、爆撃の痕跡を顕著に残す一部を切り取り、モニュメントとして変電所敷地に置いている。
右上写真は解体前の給水塔の様子。(1988年ころ)



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 ● 本年刊行された『 西の原爆ドーム、東の変電所 戦災変電所の奇跡 』 東大和・戦災変電所を保存する会 編。

調査や保存活動を続ける地元の保存会が記録したのが、自費出版による本書。
軍需工場の中に建設され、戦中3度の空撃を受けながらも、市民の声を受けて、市指定文化財として取り壊されることなく残された変電所。
なぜ変電所が作られたのか、なぜ市民は保存に向けて立ち上がったのか、などの疑問に本書は迫り、その変遷を詳細に紹介する。



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 ● 変電所北側部分

変電所北側の外部にあったトランスなどの変電設備(赤枠内は当時の写真)は、工場の移転と共に解体されてしまい、現在はみられない。
取り外された部材の一部などが変電所の周囲にオブジェ風に置かれている。
なかには庭木を囲むように配置した碍子(がいし)もある。
室内に並べられた碍子は戦後に使われたもの。



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 ● 外壁に残る生々しい弾痕。

おもえば、初めてこの建物を見たのはいつのことだったのだろうか?
なにかの折に道に迷い、ある道を通り抜けようとして偶然遭遇したのではなかったか。
はかない記憶ながらも、給水塔もその時に見たように思う。
当時はこのような公園もまだ整備されておらず、当然ながら変電所にも解説看板や外柵がなかったはず。
まるで爆撃を受けたようなボロボロのこの建物は、いったいなんなのだろうと、とても不気味で不思議に思った。

その後史跡指定となってからも、この変電所を幾度か見る機会を得たけど。
今回は、その内部も見学でき、また解説パネルや文化財ボランティアの方のお話しを伺え、とても勉強になった。

史跡資料でも、どうしてもこのようなジャンルの、先の戦争に類するものは<江戸時代などに起きた事変などとは異なり、まだ当時の体験を共する人々が身内などに存命しているからなのか>
負の遺産として、どうしても目を背けがちとなってしまう。
新宿のビルの上階にある「平和記念資料展示室」や、昨年偶然行った猿島の旧日本軍の要塞遺構、江戸東京博物館近くの横網公園にある、東京慰霊堂に属す復興記念館などは、一見に値する貴重な施設だと思う。
ヒロシマの原爆ドームや資料館も、随分昔に一度観たはずながら、恥ずかしながらも資料として何を見たか、まるで記憶にない。
毎年巡ってくる、先祖の霊を供養する盆の季節は、恒例的に先の戦争の犠牲者を弔う行事や催事も多く。
少なくとも、国民行事的に誰もが年に一度は、戦争と平和について向き合うよい時期だ。
しかしながら、日常的に人々が身を寄せるこのような都立公園において、戦争が何であったかを常に考えさせる、このような戦災遺跡が残されたのは、とても意義があることと思う。

変電所のある、都立東大和南公園は、市の体育館やプールの施設があり、広い芝生の空間がありピクニックに集う人びともみられる美しい公園です。
行楽がてらこの公園を訪れることがあれば、この変電所も是非見て貰いたいと思う。



変電所、毎月第2日曜日の内部見学可能日が、特にお勧めです!! ('_')  



  1. 2017/06/13(火) 14:05:20|
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