うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

344 ひとり語り





連休の5月5日の 子供の日、 『 宮沢賢治の世界 -野口田鶴子ひとり語り- 』 の朗読会へ行ってきました。

語りや朗読会は、自分にとってはあまり馴染みのないジャンルながら。
今回の”ひとり語り”は、ゲストによる朗読と、さらに音も加わるそうで、いろいろ楽しい雰囲気があり、馴染みのない場所ながら、まずは気軽に出かけてみることに。


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 ● 会場の、ギャラリー カオル&カフェ    横浜市神奈川区高島台

東横線反町駅より徒歩5分、閑静な住宅街のなかに現れる、小じんまりとしたコンクリートのモダンなたてもの。
ギャラリーでの展示・販売と併せ、音楽会・朗読会・手芸等など様々なイヴェントが開催される多目的空間。
喫茶では軽食、庭でのティータイム、ワインも楽しめます。
コーヒー用のカップは、青磁の鎬で、なかなか素敵でした。


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 ● 宮沢賢治作品朗読 野口田鶴子(上)、ゲストの現代詩朗読 村野美優(下)、間奏 Sally Lunn

野口さんは、宮沢賢治にも馴染みの深い盛岡出身。
イタリア留学でのオペラ研鑽中に、方言で語られるイタリア古詩の美しさに魅せられ朗読を始める。
宮沢賢治の「なめとこ山の熊」に魅せられて、
以来、その”こころ”に挑み、「なめとこ山の熊」と賢治の小品とによるロングランな朗読会を開催。
 (毎月第一金曜日開催)
故郷の先輩である賢治の作品を語る、野口さんの土地の言葉は篤く、賢治が紡ぎだす自然やいきものの世界観を、さらに身近なものとして拡げさせてくれる。
2016年、第26回イーハトーブ賞奨励賞を受賞。


この日の演目は、まずは小品の童話 『やまなし』(写真上)。
「クラムボン(みずすまし、あめんぼう)はわらったよ。」と始まる、二疋の蟹の子供らが青じろい水底より、 ”蟹の目線”で追った情景の美しいはなし。
水銀のような泡粒、刻々と鉄色や銀色へと変化をみせる魚の俊敏な泳ぎ。
鉄砲玉のように突然飛び込んできた、目をみはるカワセミの様子。
波の泡と一緒くたに流されていくごみのなかには、白い樺の花、石ころ、小さな錐のような水晶の粒、金雲母のかけらなど、その土地の環境を察する多くの自然物が混じり。
後半部では、月光と月にかかる虹の、青い幻燈のなか、蟹の子供らが競う、泡の大きさくらべがはじまります。
そして、最後にぽつんと落ちて流れ着く”やまなし”の円く黒い実。
以前住んでいた山梨で、自製の「やまなしの薬酒」を頂いたことがありましたが。
このはなしの最後でも、水中に漂着したやまなしは、あと二日も待てば熟して酒ができると、父蟹が結びます。
プサルテリウムや鉄琴の、澄んだ涼やかな音も加わって、水中でのはなしをより一層魅力的に感じさせる語りとなりました。


次に、ゲストによる現代詩朗読、この日は朗読者と奏者による各々の自作詩集を朗読。
賢治の童話の世界とはまるで異なった世界観ながらも、多数の小篇で構成され。
音とのヴァリエーションも相まって、メリハリがつきなかなか面白かったです。
特に最後に読まれた一作は、一聴、音痴の歌いのような韻を逸した発声ながら、よく聞けば言葉としての音の面白さが強調され、その微妙な響きの構成に不思議と興味を惹かれます。
奏者の自詩を、どたんばで朗読者がアレンジしたものだそうで、その音痴風発声の言葉部分はカタカナ表記であったとか。
詩集を読むと、書かれた文字を追って、つい自分のなかで自然と音化してしまうけれど。
確かに、日本語特有の、漢字、ひらがな、カタカナの、どの字種を選ぶかによって、音声化も微細に異なるように思え、そんなところがえらく納得しました。


朗読は読詩とは異なり、声色としての”こころの音”を愉しむ効果も加味されて、なかなか奥の深い世界で新鮮でした。


そして〆が、再び野口さんに戻り、賢治の『なめとこ山の熊』の朗読。
今回は奏音はひかえて、野口さんの土地の言葉による完全なひとり語り。
なめとこ山での熊と、熊捕り名人の淵沢小十郎のはなし。
未知なるマタギの世界ながら、目蓋裏に熊と向かい合う小十郎の姿が焼きつきます。
自然と対起する人間と、熊を通して観た、いきものとの微妙なこころの距離間が魅力的な作品です。
いたどり、ひきざくら(コブシ)、きささげ、まゆみ、くろもじ・・・・・・・。
先読『やまなし』同様に、とても豊かな自然観溢れた世界とともに、この作品ではさらに、小十郎関わる人間の世界の心象描写があらたに加味されています。
このはなしの時代、当地の山村の人びとの暮らしは、いったいどのようなものだったのか。

小十郎の住む山では栗は採れるが、わずかな畑での収穫は稗のみといった有様。
麻も育たないので、衣服は籠の素材ともなる藤蔓の繊維を織った粗い太布であり。
子どもらは稗の藁で ”ふじつき” (藤の枝を地面に置き、枝と枝の間を手に持った枝でついて競う遊び)をするような環境。
一家に必要な米や味噌を、わずかに換金によって得るような、実に貧朴な暮らしです。

反面、射止めた熊の毛皮と胆を卸しに小十郎が訪れた、町の大きな荒物屋には、
笊(竹製か?)、砂糖、砥石、煙草(金天狗、カメレオン印)、硝子の蠅捕り器などの豊富な商品が置かれ、主人の坐す居間には高価な唐金(青銅)製の火鉢が置いてあります。
豪儀な小十郎ながらも、卸しの交渉では「狐拳」を喩えるまでもなく、店の主人にすっかりいいように値踏みされ、言い含めさせられてしまう始末。
それでも交渉成立で出された、酒と酒肴<塩引きの鮭、いかの切り込み(塩辛)>が載った小さな膳は、小十郎にとっては、普段は口にすることも叶わないハレのご馳走にあやかれた稀有なひととき。
いかの切り込みを手の甲にのせべろりと舐め、黄いろな酒(幾分古くなったものか!?)を小さな猪口でうやうやしく飲む様子が、不服な交渉の最中にあって、随一贅沢な時間を過ごしたような所作がとても印象的です。

このはなしには、ほかにも多くの生活道具が登場します。
小十郎が身につける着衣のなかにはは、東北地方の民具方言である、マダ(菩提樹の皮)で編まれたケラ<背蓑>や、ハンバキ<脚絆>。
生藩(台湾の高砂族)の使うような山刀や、ポルトガル伝来のような重い鉄砲が狩猟の装備として用いられ。
作品的にマタギのくらしの様子が、しっかり思い浮かぶような道具も多く、その点も大きな魅力を感じます。

「なめとこやまの熊のことならおもしろい・・・・・・」と始まるこのはなし。
人間界の勝手でもって、その毛皮と胆が必要で射られる熊と、小十郎との立ち位置が、ラストシーンではすっかり逆転し、冬の澄んだ夜空のなか黒いシルエットとなって冴え冴えと浮かび上がる小十郎の亡骸。
その情景がとても印象的なはなしです。


初参加ながら、野口さんが魅せられた、賢治語りの醍醐味に触れられ、共有できた、素晴らしい朗読会でした。


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 ● 朗読会で奏でられた、音色やさしい楽器たち。

朗読に併せ音を担当したSally Lunn さんは、西洋中世音楽の演奏家。
昔の絵画に描かれた復元楽器や、現代の民族音楽にみるようなもの、オリジナルの楽器なども合わせ、発せられた肉色と楽器の音色が絶妙に相まって、朗読会では独特の世界が紡ぎ出されました。
鋭三角形型のとんがったプサルテリウム (右下)は、爪弾いて撥弦させるばかりか、竪琴のように構えて、弓で弓奏<擦弦>できるという優れもの。
オリジナル楽器の一銘 「タッケリーナ」 (左下)は、竹筒を筐体としたずんぐりむっくりとした笛。
そのかたちと竹という素材からか、まるでフクロウの夜鳴きのような、とてもやわらかな音色が魅惑的でした。
楽器に穿たれた薔薇窓の、どこかアラベスク風な装飾模様も綺麗です。
そして、楽器の生音を聴く歓びと同時に、楽器自体をしげしげとみる愉しみも加味された、よい一時となりました。


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 ● プサルテリウム(上)、ハンマーダルシマー(下)

台形型のプサルテリウムは、演奏頻度が高いのか、楽器もすっかり奏灼けして、すっかり育った感があります。
今回が初演奏だったという、 ハンマーダルシマーは、イランのサントゥールや、カヌーンのように、もともとはイスラム起源の、バチを用いて演奏する叩弦楽器。
それがアイルランドに伝わり、現代のアメリカのカントリーミュージックの演奏にも使われるように、様々にかたちを変えて世界広範囲に伝搬したものだとか。
中国にも似たような、バチで叩く楽器、揚琴 (Yangqin)がありますね。
ハンマーダルシマーといえば、てっきりハンガリー辺りの中欧のロマ楽団がつかう楽器というイメージばかりでしたので、意外でした。
ワラビ型をしたバチの頭の片面は皮張りになっていて、そちらで叩くととてもソフトな軟音、反面の木部の素面で叩けばシャープな硬音と、二つの音色を自在に使い分けられる即音性が凄いです。
ハンマーダルシマーはいわば、鍵盤楽器であるチェンバロやピアノ以前の、古い時代の叩弦楽器ながらも、その単純な構造に似合わず、とても自由な即興演奏が可能でなかなか奥の深い楽器でした。
会場では、彼女のプサルテリウムと、ハンマーダルシマー奏者の小松崎健さんと合奏した、西洋中世音楽のオリジナル音盤「鍛冶屋と糸つむぎ」も販売されていました。

語りに合わせた詩文には、楽器のイラストなどが描かれた独自の譜面となっていて、そんな点も面白く拝見させていただきました。


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 ● 同時開催中の「 今井郁子 ガラス工芸展 」

ギャラリー展示は、ガラス工芸。
さまざまなヴァリェーションのユーモラスなお面、猫や鯉のぼりなど愛らしい作品が、パートドヴェール!?による、色ガラスを溶かし融わせ成形する技法で作られていました。
白い壁面に花が咲いたような感じで、本日の朗読会を盛り上げてくれていました。


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 ● カウンターの片隅に設けられた端午の節句飾り、併せて粽もご馳走になりました。

兜櫃に日本武尊、鍾馗、幟は鍾馗と浪千鳥。
鍾馗の顔はよく見ると、豊富な髭をたくわえなかなか怖い、子供の頃マグマ大師のゴアが恐く泣かされた苦い記憶が蘇ります。

御相伴にあやかった粽には、端午の節句にちなんだ菖蒲の造花で飾られています。
横浜の菓子屋のものですが、品名には「京ちまき」の表記。
たしかに、京都の祇園祭の際に鉾から撒かれる鉾粽(白黒写真)は、厄除けとして門口に飾られているのを見かけますが、よく似たかたちをしています。

菖蒲の「しょうぶ」の音は、勝負に繋がり勝ち気で縁起が良く。
菖蒲が意匠化して有職の勝負文として、勇壮な武士の具足のなかや、粋な旦那衆の持つ小物のなかに散りばめられていたり。
かっては、宮中で二手に分かれ、菖蒲の根の長短を比較して、歌を詠んで競った「菖蒲合せ」。
そして、こどもの遊びには、菖蒲で作った刀で斬り合ったり、菖蒲の束で地面を叩いたりと、切れ具合や音の大小で勝負する節句遊戯の「菖蒲打ち」、といったような民間行事もあった模様。
また、菖蒲の強く匂い立つ香りには、邪気を祓う依代の意味合が強いのか、
節句のこの日には、菖蒲を軒に葺いたり、身近なところでは菖蒲酒を造り、菖蒲湯をたてる習俗が多くみられます。
現代でもそんな名残りか、銭湯での5月5日のサービスデーで、菖蒲湯が楽しめますね。

自分の場合粽といえば、せいぜいが竹皮で包み仕上げた中華粽の五目おこわぐらいのものですし。
近年は端午の節句のこどもの日といえども、GWの連休のなかのただの一日といった感じで、特に意識することもなく一環として過ぎるのみ。
今回頂いた節句粽は、瑞々しいチマキザサで包まれ、藺草?でもってぐるぐる巻きされた箇所を紐解くと、中から現れたのが、粳粉が蒸された美肌の白餅でした。
ほのかな竹葉の香りが移った淡い甘味が、とても口に優しく、節句気分も段然とアップ。
菖蒲で飾られた粽を頂きながら、ささやかな一時に感謝です。

新緑の萌ぐ眩いばかりの美しい季節、野口さんによる宮沢賢治の世界のひとり語りに出会い、すっかり満喫させて頂いた素敵な一日となりました。


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 ● 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」

賢治といえば、自分としてはやはり 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」 でしょうか。
旅行中に腸チフスにやられ入院した際に、図書コーナーに偶然置かれていた「宮沢賢治詩集」の一冊。
病身にあっては、賢治の紡ぎ出す詩の世界に随分と励まされたものです。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」(写真上、別冊太陽宮沢賢治特集)は、どうやら小さな手帳に綴られていたものらしく。
近年、鉛筆で書かれた賢治の文字に出会い、更に好感を覚えた次第です。



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 ● 友達の描いたイラスト 「なめとこ山の熊」

今回朗読された『なめとこ山の熊』、
頭の片隅にどこかでこの画を観た記憶が残ってます。
古いDM葉書の綴じ帳を、さぐってみて、この度目出度く再見できました(左写真)。
ときは2001年、場所は当時中野にあった古い倉庫(民家)を改装したユニークな空間、ギャラリー無寸草。
まるで会場であるギャラリーの名前のように、根無し草で飄々とした彼が描く『なめとこ山の熊』、
今回の朗読会を経て改めて観直してみたら、実になんとも良い作品です。
このとき彼は、傾倒していた宮沢賢治とともに、ボッサノバにも凝っていて。
個展のイヴェントでは、自らカルロス・ジョビンを弾き歌ったことも、思い出しました。
個展ではどんな絵が出品されていたのか、ほかにも賢治の童話の作品もあったのか、いまとなってはまるで記憶になく残念です。

彼とは学生時代の自主ゼミで一緒でしたが、今回おなじ綴じ帳のなかに、ゼミの顧問でもあったK先生の葉書(右写真)を発見しました。
K先生は、賢治が学んだ学校の席に着き、生物学を修めたかた。

K先生担当の生物学での最初の授業は、  カンパネラ・プンクタータ(オオイヌノフグリ) のはなしより、宮沢賢治の世界へと大きく脱線したし。
ある日の授業では、井戸掘り職人が井戸の底から見上げた世界観などのはなしだけで終わってしまった。(今回朗読の賢治小品「やまなし」の蟹の目線にも通じる世界か?)
生物学の先生というには、時には詩を朗じたり踊ったりと、余りにも破天荒ではあったけれども。
同時に先生の独特な視点でもって、海の潮の満ち引きのように常に揺れ動く、いきもののはざまの関係を重視した「なぎさ論」を展開されており、分子生物学レベルの狭義な生物の世界ではなく、いきものと自然との微妙な繋がりを、常に意識して、真摯に追求し愛しておられた。
そんな面もいま思うと、学者としての枠を越えて”いきものとは何たるか” を、皆に深く知ってもらいたかったのだと感じる。

戦時中、 陸軍の練習機「通称・赤とんぼ」 (右下写真)で、満州の空を飛んでいると、風に運ばれ、どこからともなく匂い立つアカシアの香りが印象的だったはなしを聴いた。
太字の万年筆で書かれた先生の文字がなんとも味わい深く、 ”赤とんぼ” の箇所はそこだけ赤色に代えたりと、返信の葉書がとてもお洒落です。
手書きで書かれた文字は、その心情と時間とを併せて封印し、一枚の葉書に綴られた言葉が、いまの自分にとっては大変貴重な糧となって残ります。
いまは亡き先生を偲び献杯!

賢治繋がりで、今回も最後は朗読会のはなしから、大きく脱線してしまいましたが。
やはり時を経て、はじめて理解できる物事も多く、今回参加の朗読会は自分のなかのそんなスィッチを、一押してくれたようです。
次回も出来れば参加してみたいと思います。どんな出会いがおこるのか期待の度合いも高まります。



宮沢賢治ひとり語りの世界、素晴らしかったです!! (*^_^*)  






 
  1. 2017/05/08(月) 21:51:37|
  2. 雑 閑
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