うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

335 関口さんのかご






久しぶりに関口さんのバスケタリー作品を観てきました。(2017年3月15日)



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 ● 『 - 自然を飾る - 』 関口千鶴 Basketry 展  2017年3月14日-19日  ギャラリースペース パウゼ  東京都新宿区船河原町



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 ● 会場風景

関口さんといえば、なんといってもシュロの葉を余すことなく編んだ作品です。
今回の個展では、そんなシュロの葉の作品と、様々な素材と要素のかごが混在しており、とても賑やかで楽しい展示でした。



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 ● 「鳥の巣籠」など。

あたかも鳥が作ったような、様々な素材の草木の混合で編まれたかご。
「鳥の巣籠」 (写真下)の中には、鳥の卵に見立て、小石が納められていて、掌に丁度載るような大きさで、とても愛らしいもの。



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 ● 「鳥の巣籠」(左上)、「枝トゲのいのしし」(右上)、「鳥の籠」(中)、「桜ビーズ」(下)

「鳥の籠」 は、シュロ葉を主骨にツヅラフジなどの別材を、もじり編みで編んだ作品。
かごの真ん中を膨らませ両端を締めることにより、かごのかたちもバイキングの船のように船形に反り上がります。
棕櫚の葉は掌形をしているので、葉先のほうだけ締めればよい。
茎髄は鳥の嘴や頭に見立て、葉先は末広がりの鳥の尾となります。
シュロの葉と、異なる素材の組み合わせにより、さまざまな表情の「鳥の籠」が並んでいます。
似たような編みのかごがアフリカにあるといいます。

「桜ビーズ」 はシュロの葉のかごの要所に、桜の小枝皮がビーズ状に通されたかご。
しなやかな桜皮は樺細工や、木製の曲物の綴じ皮として用いられます。
採集するのは、丁度桜の花の開花間近の水揚げの季節がよいらしい。
水分を多量に含んでいるので、小枝の芯を根気よく木槌で叩いていくと、芯の部分がするりと抜けて、外皮がそのまま管状に残り、桜ビーズが生まれます。
関口さんは、花の満開の季節は遠慮して、花が終わった後の材を使用しています。

「枝トゲのいのしし」 (右上)は、ムクゲ(槿)の小枝の皮の一部を剥ぎ組み合わせたものです。

樹木の剪定で、ゴミとして出された小枝なども、時に活用されて新たなかごが生まれていきます。



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 ● 人工物の廃材を素材として編んだかご 「漂着端片」(上)、「キッチンバスケット」(下)。

昨年秋の山脇ギャラリーのバスケタリー展で、久しぶりに接した関口さんの作品は、流木や漂着ロープなどの素材が加味された一風かわったものでした。
ともかく植物自体の自然素材を活用したイメージが強い関口さんの作品にあって、今回の展示でも色鮮やかに結構目立っていたのが、人工素材の廃材をつかったこれらの作品です。

一見プラスチックウールの束子のように見えた作品「漂着端片」 (写真上)は、
よく観ると漁具に用いるナイロンロープの端片と確認できます。
波による自然の力で洗い流され、すっかり解きほぐされて絡み合った繊維はまるでフエルトのようです。
要所をちくちくと縫い合わせてまとめていますが、一本のロープを人為的にほぐした場合は、このような複雑な具合にはならないのだとか。

ところで、これらの人工素材はビーチコミングの対象としては認識されても、素材的にもいつまでも分解されることなく、微細なプラスチックビーズとなり恒久的に残存し、海洋の生態系の複合汚染を引き起こす迷惑な厄介ものです。
キャンディダ・ブラディ監督による『 TRASHED - ゴミ地球の代償 - 』 という環境ドキュメンタリー映画では、プラスチックスープの海が引き起こす絶望的なまでの自然破壊を、緊急問題として警告していましたが。
これらの人工素材を端迷惑なゴミとして吐唾するのではなく、自然がつくった(二次加工した)素材として再度見直している、関口さんのそんな視点が面白いと思いました。

今回の会場に演示的に置かれていた流木片などは、波の作用で独自の滑面が生まれ、確かに誰が見てもきれいに感じられるものの、これらのプラスチック片だけを完璧なゴミとして、ひと絡げに目の敵にしてしまうのは間違っているのかもしれません。

ロープも繊維を綯ってつくる織物と考えれば、この状態に変形した漂着片は、いわばかごの末路といえるものです。
関口さんの作品では、素材を綯ってから一度ばらし、その縒りがついた状態のかたちを活かし、再度組み直し編み込むといったプロセスもみられるので。
一見単純にみえながらも、この作品も再構築プロセスに連らなる一環した制作の流れといえそうです。


ラミネートパックの銀紙をコイリングした作品 「キッチンバスケット」 (写真下)は、藁かごや円座などの民具でもよくみかける巻き上げ編みです。
リングノートから取り去ったようなカラフルな針金を、端の部分ではコンビーフの缶開け金具でもって、更にくるくるとかしめ、仕上げています。
主素材をぐるぐると蜷巻きにする”渦巻きの”巻き  <形態> と、かしめ金具でもって”巻き上げる”巻き  <動作> が呼応していて、よく観ると結構面白いです。

リングノートの針金は、ゴミを分別出しするときの除去で、いつも難儀しており。
強く螺旋状の縒りが残ったままの針金を、再度伸ばして、資材としてわざわざ貯っておくことまではしません。
同様に、コンビーフの缶開け金具の場合も、一回きりの使い捨てで、いつももったいないと思いながらも、金具に巻き付いた缶材片を外し取り置くには、指を切るリスクがあり(実際に幾度か切った)いまはしていません。

食品保存の瓶詰めから、さらなる利便性を追求して誕生した缶詰ですが。
缶詰誕生のころは、専用の缶切りはまだなく、ナイフなどで無理矢理開けていたといいます。
コンビーフの缶開け式着想も、当時としては多大な発明だったわけですが、いまではリングプル式で、缶切りいらずの便利なタイプが広く流通しています。
しかしながらコンビーフ缶は現在でも、コンビーフの食品としての粘性のゆえか、台形の山形であり、例の缶の側面を切り開けて中身をとり出す方式を採用しています。
缶に付く巻き舌を、金具の穴に確実に差し込んで、竹の子巻きとならないように確実に巻き上げて開けるには、このサイズの使い捨ての金具が一番なのでしょうか?

イタリアで買った缶切りのおまけに付いていた、コンビーフ缶開けらしきものは、割りピン形で栓抜きも兼ねた特大のものでした。

**<ブログ№149 缶切り>
http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-149.html

これだと、巻き取られた片材を、後で引っ張ればすんなり除去出来るのでしょうが、頻度の問題でわざわざ試すことのないままです。


以前、浦和の埼玉近代美術館でアフリカのファイバー・アート作品展を観たことがありました。
巨大なテキスタイル作品は、遠目では布製のカーテンのように見えますが、近づくと総てが空き缶のリングプルや王冠を数珠繋ぎに仕上げられていて、度肝を抜かれました。
それはアートとして作られた作品でしたが、廃材の素材を転用して実用の生活道具に仕上げてしまう流れは、物資の枯渇した地域にあっては日常的にみられる現象といえます。
展覧会では、参考資料として ”みんぱく”(国立民族学博物館) 所蔵の、廃材や人工素材を上手く活用した、アフリカの現代の民具が同時に展示されていました。
かごの世界でも、本来自然素材が使われていたものが、後に新素材に移行してからも、もとのかたちを写す現象がときにみられます。
従来の製品のかたちを出来るだけ踏襲し再製しようとする現象は、同時に、もとからある道具を「大切にしたい」という人の敬意が込められているようで、観ていて実に面白いものです。


自分は、やはり自然素材のものが好みながらも、今回はこのような人工素材のリサイクルユーズを、改めて会場で拝見し面白く感じました。
関口さんの廃材再構成作品に触れ、話しがあらぬ方向に脱線してしまいましたが。
自然素材、人工素材の区別にとらわれることなく、かごの素材を追求し、真摯に向き合う関口さんの姿勢が素敵でした。

バスケタリー作家がとらえる”かごの世界”の発想の自由さと論理は、まずは第一に機能としての役割が足枷となる”実用のかご”とは異なり、かごの世界の可能性をさらに幅広いものとして捉えており、いつも感心させられます。



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 ● 「重なり」 棕櫚の葉5枚。

掌状のシュロの葉の形態を利用して余すことなく編んだ作品。
関口さんの作品というと、やはりこのようなシュロの葉をフルに活用したものが真っ先に思い浮かびます。
平らなままの葉ではなく、螺旋状に縒りをつけた葉を組んでいる。
編み目が安定し強度も増す構造で、自身が思い描くかたちとともに、葉の長さ、硬さなどのシュロの葉自体の特性が要因となり、最終的に作品としてのかたちがまとめられる。

関口さんは、最初から、このような縒りをつけた葉を利用して作品を作ろうと試みたのではなく。
あらかじめ葉を互いに綯っていたものを作っておき、そこからかたちを仕上げようと加工していたものが、ある時偶然解けてしまい。
そのとき残された、螺旋状に縒りがついたまま定着し、もう二度と元には戻らないそのかたちが発想となって、
この要素を利用した、螺旋状に縒りをつけた作品の「よりあとシリーズ」が生まれたといいます。

今回の展示では、作品以外にも植物の種子や流木などの演示小物でさりげない演出がなされており、そちらにもつい目が入ってしまいましたが。
そんななかで置かれていた、 「フジの豆の莢」なんかは、花が終わって結実した若い莢は平たく真っ直ぐなかたちながら、終いには強く螺旋状に捻れていき、その変形に耐えきれなくなって、なかの種を外部へ弾き飛ばします。
強度を増す螺旋のかたちは、植物のなかにもしばし観察できます。

植物素材は、まったく同じ場所の同じ種類であっても、採集時期や保管条件によってまるで違ってきますから、バスケタリー制作でもそれぞれの部材のもつ特性を見極め、かたちに反映していくその工程が、とても興味深く感じます。



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 ● 「籠の穴」(左下)、「よりあと」(右上)。

こちらも同じく、螺旋状に縒りをかけた葉を組んだ作品です。
「籠の穴」では、細竹が輪状に留められています。


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 ● 「葉を組む」

近ごろでは、手の調子が芳しくないという関口さん。
今回の近作では、シュロの葉にあえて縒りをつける加工はせず、平たいままの状態で組んだものです。
シュロの生育状況や、若葉、古い葉など、それぞれの感触がまるで異なっているのだとか。
仕上げの最後、最終的な口(穴)のかたちは、それぞれの葉の特性により大きく左右されます。


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 ● 「葉を組む」

こちらもシュロの葉を平状のまま組んだ作品。
すっと立ち上がったかたちが美しいです。


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 ● 卓上にもかごが。

お茶を出すテーブルの上にも、さりげなくシュロで編まれたかごが置かれていました。
こちらのかごには、蜜柑や糸玉が入れられていたこともあってか、関口さんの作品というよりは、より実用性に依った親しみを覚えました。
同じシュロの葉のかたちを上手く使いながらも、その主軸の方向を変えて編むだけで、まるで異なったかたちに仕上げています。
蜜柑のほうのかごは、オーストラリアあたりによく似た編みの民具のかごがあるらしいです。
糸玉のほうのかごも、ニューギニアの、ヤシの葉を利用して編む簡易かごによく似ています。

シュロの鬼皮は箒にしたり、あるいは一部の地方ではそのまま幾枚も繋ぎ縫い、蓑にします。
鬼毛のほうは繊維を綯ってシュロ縄に加工します。
自分の住む武蔵野の農家の庭先には、シュロの木が植えられているをよく見かけます。
もともとはシュロ縄を得るための移植と聞きました。
鬼皮をほぐすと塵が落ちやすく、シュロ箒は一年ほど土間掃きで用い、後に塵落ちがおさまってから、ぬるま湯で洗い座敷用に下ろします。
沖縄ではシュロとよく似たクロツグの鬼毛(マーニ)で綯った縄を民具に用いていましたが、そちらは強靱ながらもともかく塵が落ちやすく、後伝の塵落ちのより少ないシュロ縄が、食品などを扱うメシカゴなどの吊り縄として定着していったという経緯があります。

利便性の高いシュロながら、葉の活用としては団扇や蠅叩きぐらいしか思いだせません。
蝿叩きは、シュロの葉元を数カ所、紐で締め合わせ仕上げるとても簡素なものですが。
三角形の茎髄をしたシュロの葉は、よくしなりながらも適度な強度があり、蝿叩きの柄としては最適な素材です。
誰もがシュロの葉を手折っただけで、簡単に作れてしまう蝿叩きは、シュロの葉を利用した最も原初的な加工品(かご)といえそうです。


最後に随分と脱線してしまいましたが。
関口さんのシュロの葉でつくる作品が魅力的なのは、シュロの葉のもつ素材の特性を、素直に十分に引き出している点だと思います。
自然界の造形は、実に揺るぎない完成されたかたちをしていますが、そこに更なる手技が加味されることによって、より美しいものとして生みだされた、今回の関口さんのバスケタリー作品でした。


 *<このブログでは民具のかごも一部紹介しています。 よろしければそちらも是非ご覧下さい。 「民具」か「うつわ」 のカテゴリーでブログ内検索して下さい。> 



かごのヒントはあちらこちらに観られます、関口さんのバスケタリー作品に触れた有意義な一日でした。 (^o^)   




  1. 2017/03/21(火) 20:43:49|
  2. うつわ
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