うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

323 愛の詩節




このところすっかりとマンスリー・ブログと化してしまい、皆様には失礼しております。

今回のお題目、 『カーマスートラ』といえば、その名を一度は耳にしたことがあるかもしれません。
しかしながら、その性の本質と技法を真摯に探求したインドの性典『カーマスートラ』の内容に触れることは、現代の日本人にとってはまるで縁がない世界でしょうか。

自分の場合もさにあらず、そのイメージは、むかしビデオでミーラ・ナイル監督の『 カーマスートラ 愛の教科書 』(1996年)という映画を観た印象だけです。
その仕上がりは、多分に『カーマスートラ』の性典の性戯の美味しいところのみを、ドラマ仕立てに抽出しアレンジした内容に始終しており。
どこかハリウッド的な堪能的な安易な恋愛映画となっており、ちっとも面白くなかった覚えがあります。
『カーマスートラ』といってもねぇ、やはりどうしてもこの映画しか思い浮かばず、イメージがそのときの時点のまま完全に固定化されていていけません。

この度、市の図書館の民俗本コーナーで何気なく手にした『カーマスートラ』本。
”ビジュアル版”と謳っているごとく、開いてみたら奔放な性戯図がいきなり飛び出してきました。
受付で堂々と借りるには、やはりどこか心許なく憚れる恥ずかしい図版の数々。
それでも豊富な図版と文章とのバランスがほど良く、『カーマスートラ』の概要を掴むには実に手っ取り早く手頃な感じがします。
「安易ながらもこれならいけるかも。」
少し迷ったものの、やはり思いきって借りてみることにしました。


B323_01.jpg

 ● 『 ビジュアル版 カーマスートラの世界 』   ランス・デイン著 山下博司 訳  東洋書林 2009年

「愛は心を魅了するものであり、つねに転変を遂げてやまない。
人の心は、現れたり消えたりを繰り返す感覚、夢想、想像に満ちている。
実際に経験していないことであっても、心の中であれば、誰の干渉もなしに想像を自由に駆けめぐらすことができるのである。
人間は、その度の中で自分の夢や思いを叶えようとする。
愛と情熱は、しばしば心の奥深くに秘められ、表に顕れる瞬間に備えている。
そして、もっとも現世的な行為である男女の抱擁と結合の中で、はじめてその姿を垣間見せるのである。」
                  ・・・・・・・・・・・・・・本書「序」より

愛の箴言集『カーマスートラ』は、感情を歓喜に身を委ねさせてくれる魅惑的な作品で、
グプタ王朝の黄金時代(紀元後4~5世紀)に実在した聖者・ヴァーツヤーヤナが、難解な『カーマ・シャースートラ』文献群の意図するところを汲み、要約し編纂したものです。
『カーマ・シャースートラ』とは、医学、音楽、錬金術、性愛、美術、工芸に関する実用書の補助文献の一部であり、知識と技術の一大宝庫で、タブーのない愛の技法を究める学問の入口とされる。
『カーマスートラ』は、性愛の経験の疎い人々に、それにまつわるあらゆる事柄について指南を与え、「教養のある人々」を中心に受け入れられた。
ヴァーツヤーヤナは、性愛の未知の大海に漕ぎ出し、「性」という神話的で魅惑的な世界へと大きな一歩を踏み出す。
ヴァーツヤーヤナによる性典『カーマスートラ』は、それぞれ サーダーラナム(総説)、サーンプラヨーギカム(性的結合)、カニヤープラユクタカム(処女との交接)、バーリヤディカーリカム(自身の妻)、パーラーダーリカム(人妻との性関係)、ヴァイシカム(売淫)、アウパニシャディカム(奥義 )と題された七篇から成る。

序文を読み進めるも、やはり馴染みのない言葉や表現が多く、自分としてはかなり難解です。
どちらかというとビジュアル思考なもので、口絵を見ながら絵本感覚で読み進めていくことにしました。


B323_02.jpg

 ●  ビジュアル版 開いてみると。

本書に掲載された図版。
誇大なまでにデフォルメされた日本の浮世絵に見る春画などとは方向性は幾分異なりますが、ある点別な面で活き活きと描かれたインドの性表現。
見開き図版には、男女が睦みあう大胆な交接姿が描かれています。
(ボカシをいれてみたら余計猥雑な感じとなってしまって大失敗。)
裸体の写真や画像が巷には当たり前のように溢れている時代ですが、通いの電車のなかで本書を開くには、やはりどこか憚れる感じが強いです。

「カーマスートラはポルノグラフィではなく、性には本道も邪道もなく完全に自然の営みであり。エロティシズムとは、あらゆる歓喜をあますことなく享受することを意味し、それこそが、ウパニッシャド文献に述べられた究極の目標として『聖なる境地』に至る道である」と、ヴァーツヤーヤナは説いていますが。

彩色鮮やかに緻密な構図で描かれた性戯、このような多彩な表現を一堂に目にすると、実際のヌード写真以上によりリアルで、インド思想に疎い自分としては、きわどすぎる箇所も少なくありません。

本書を手に通いの電車内で小さくなって読むものの 、周囲の眼にはきっと色惚けしたかなりの好き者に写っているはず。
きわどいページが来ると、浅く開き隠すようにしながら読み進めるなど、ちょっとした具合の調整が結構しんどかった車中読書でした。


B323_03.jpg

 ● ミニアチュールなどにみる豊富な絵画表現。

男女の愛(カーマ)をテーマに描かれた精緻な絵画の数々。
私蔵版として製作されたミニアチュールを、実際に手にとり間近で観てみたい気持ちに誘われます。


B323_04.jpg

 ● 寺院建築や祭典の山車にみられる塑像類。

器体を飾る装飾として塑られた交接像にも、変わらずデフォルメされたアクロバティックな性戯は見られるものの、絵画にくらべると素材感が強調され現状では色彩に乏しい点もあり、どことなくおもちゃの人形が戯れているようで、滑稽に感じてしまいます。


B323_05.jpg

 ● 写実・抽象と、多彩な愛の実践表現。

座位の一種で交わる男女像。家具に施された愛の芸術表現。(左上)
カーマ神を祝う春の祭り。貴賤のの別なく夜通し歌や踊りに興じる。羽目を外して性を満喫する場面の細密画。(右上)
タントラ的な性の修行に勤しむ行者。中央の女性は大女神の顕れ。タントリズムは、性を含む深い心理の体系であり、この絵はそれを表現した宗教画。(左下)
女陰を疑えた台座(ヨーニ)から屹立するリンガは、陰陽のパワーの合体の象徴。女たちはリンガに水をかけ、白檀ペーストを塗り、花を捧げる。(右下)

・・・・・・・・・・・・・・と、ここまでが『カーマスートラ』の本書の図版です。
性愛のシンボルというべき、リンガが出てきたところで、ついでながら少しばかり関連写真を探ってみますね。


B323_06.jpg

 ● 陰陽の合致、宇宙原理を体現させたリンガ。

御神体、石臼の台状のものに円柱が立ったかたちをしたシバの「リンガ」。(左上図、本書図版より)
これはヨーニ(女性器)に勃ったリンガ(男性器)が挿入された状態を、女胎内から覗いた場面を具現化したもの。
ヒンズー教圏では、おなじみの造形です。

初めての旅で訪れたネパールで、有名な聖地とされるパシュパティナート寺院。
ヒンズー教徒オンリーでありながら、内部にいったい何があるのかと院内に密入してみたところ、そこで見たのは、まるでチェスの盤の駒のように、整然と並ぶリンガの数々に群れ、篤く祈祷する信徒達の姿でした。
リンガといえば、後に「このかたち」とお馴染み度がしっかり定着するのですが。
初めて目にしたリンガは、極端に精削され抽象化された形態と、宗教の相違のためもあってか、この造形がカミかと認識する上では随分齟齬があり、かなり戸惑ったものでした。

むかしの写真でリンガを撮ったものを探してみても、意外や、このもっともスタンダードで基本のものが撮られておりません。
この基本形のリンガを、加飾によりさらに発展させたかたちのリンガも、ときに目にします。
そちらは、かたちが変わっているので折に触れ撮っていたようです。
右上;仏塔形のリンガ(ネパール、カトマンドゥ)<基部には釈迦像が鎮座>、
右下;神面付リンガ(ネパール、パノウチ)などがそれにあたります。
同じようなタイプの装飾リンガは、タイヤカンボジアのモン・クメールの遺跡や、ヴェトナムのチャンパの遺跡でも結構見かけたものです。

また篤い祈祷(プジャ)の対象とされ、麗しき布で覆われ供花で飾られて、実体そのものが確認できない状態となっているリンガもあります。
それらは、まるで日本の東北地方にみるオシラサマのように、完全に裂でもって覆い隠されたタイプであったりします。(左下;ネパール、ブタニールカンタ)

カトマンドゥ盆地の古都などでは、辻を歩けばカミに当たるといった具合に、路傍の何気ない石ころまでがカミであったりと。
日本の八百万のカミに匹敵するほどの、知らないところに様々なカミが祀られており、とても興味深く散策したものです。


B323_07.jpg

 ● 私製版艶本 写真帙。

こちらはネパール、バクタプールのダッタトラヤ寺院(左上)で撮った性戯レリーフ(5葉)を収めた自製の写真帙です。

『秘の美術・ネパール』G.トゥッチ著には、このような性戯画や塑像などが多数紹介されていました。
この寺院も幾度も訪れたとはいえ、これまではまるで気がつかなかった。
注意深く探してみると、寺院の背後の壁面(子どもの目線に合うような低い位置)に性戯レリーフが確認できます。
そんなきわどいレリーフがある寺院では、あたりまえのごとく裸の子ども達が遊んでいて。
寺院の性戯の写真を撮っていたら、「ジキジキ、ジキジキ(交接)」と、子どもたちがすり寄ってきて親切に教えてくれます。
ここの子どもたちにとっては、男女の交接はきっと自然な光景の一部として捉えられているのでしょう。

日本の神社仏閣では、金精神に豊穣を祈願して男性自身であるリアルな陽物を祀ったりと、ときに公の場において、そのような造形物がみられますが。
西欧の人たちにとっては、社会秩序上かなり奇異な感覚にとらわれることと思います。
近代以降に導入された、西欧的な道徳観念でもって、性的なものをどこか後ろめたいものとして隠蔽するのに反し、東洋にあっては、性とは、本来はもっと自由闊達でおおらかなものであったはずです。

ネパールは、世界で随一、ヒンズー教が国教となっている国ですが。
ヒンズー教の宗教観もあってか、ここでも建造物の装飾などに『カーマスートラ』的な性の歓合表現された造形物をよく見かけました。


B323_08.jpg

 ● ダッタトラヤ寺院にみる性戯レリーフ  ネパール。

写真帙の性戯レリーフは、まるで子どものような五頭身体型の男女が滑稽に交接に励む姿です。

ついでながら、本書に掲載された『カーマスートラ』に典拠を持つオリヤ語の貝葉写本には、64種類の性交の体位を解説したものがみられ。
さすがにインドらしいというか、ヨーガの様々なポーズよろしく、日本の性体位をはるかに凌ぐ交歓で溢れています。
『カーマスートラ』にある、愛と性的享楽の極みを経験するには、身体を美しくし、アーユル・ヴェーダ、鉱物学、気象学、ヨーガについての古典テクストに説かれた様々な技術の実践が求められます。
なんとも一筋縄ではいかない『カーマスートラ』の世界観です。

今回は崇高で完全なる、愛の体系『カーマスートラ』をビジュアル面で軽く流してみてきたわけですが。
艶物ネタに関しては「うちのガラクタ」での物品は、まるで思い浮かばず。
はてどうしたものかと探ってみたら、ややっ、どうにか1点みつけることができました。
なぜこんなものがうちにあるのか、入手のいきさつはまるで不明ですが、折角なので『カーマスートラ』とはまるで関係ありませんが、載せてみますね。


B323_09.jpg

 ● アイヌの貞操帯 「チャチャンキ」   布製    80×85ミリ。

いかにもアイヌ風の模様が刺繍された、一見ポシェット風で腰紐が付いたとても小さな前垂れ。
栞にある製造元は網走原始工芸研究会。
アイヌ関連の資料は折に触れ博物館などで観てはいますが、これまでこういった貞操帯は一見しておりません。
まったくもって怪しい眉唾ものかもしれませんが、どうやら栞では、戦後引き揚げてきた樺太アイヌのものを考証により造ったとあります。
そしてギリヤークやオロッコ(ウイルタ)の手法の影響もあるとのこと。
ちなみにこの貞操帯は直接局部の防御用というのではなく、まじない的に下腹部に締め他人には決して見せないものという。
性に関するモノは秘めモノが多いので、現存資料がなかなかみられないのも頷けます。
思春期が近づくと母とか祖母がカミに代わって造り締めてくれ、自分で勝手に取り外すことは出来ないことになっている。
製品は化学染料染めの鮮やかな木綿でつくられ、腰紐は安易に寒令紗の晒し紐ですが、箱にあるイラストには縁取りや腰紐部分は撚り紐風ですので、素材的にはハマニンニクやイラクサの繊維などが使われていたのかもしれません。
洋の東西問わず、身体に直に施す入れ墨、装着する装身具には、その起源が魔除け的な意味合いのものが多いですから、結界としての貞操帯には納得できます。


B323_10.jpg

 ● 貞操帯        明治大学博物館蔵。

貞操帯ついでのおまけとして。
こちらは博物館資料でみた、実用としての貞操帯。
西洋のものでしょうか、これでもかといった感じで、装着後には錠をかけて絶対外れないように仕上げた、剛健な鉄パンツ
良家の妻娘用に、主人が鍵を握り強制的に管理したものではないかとおもわれます。
肌に直に触れるため装着感は快適とは言い難い雰囲気ですが、局所の孔は、三つ葉、ハート、花形と飾り模様になっている点が、せめての御愛嬌といったところでしょうか。
股間やお尻の臀部の形状など、微妙な曲線の形状となっていて、まるで吸い付くようにピッタリ密着する意匠は、どこか現在のボンデージ・ファッションに通じる流れを連想させて、少々エッチです。
奔放なる性の開放も、過ぎれば大きな問題ながら。
足枷、首枷、そしてこのような下枷の背後には、管理する側の強固な意志が見え見えで、人間を所有物としてその自由を拘束し、囚われの奴隷の身に堕しめ、未来を断ち切らせ消沈に至らせるようで、いただけません。
しかしながら、このような拘束具のシャ-プな造形を一方で美しく感じてしまう、もう一人の自分もいるようで。
やばいながらも、性癖とは、個人の内面で各々微妙に異なるものなのかもしれません。



崇高なる愛の性典『カーマスートラ』から大きく逸脱し。しまいには艶物の紹介で終わりとなり失礼しました。 _(_^_)_  




  1. 2017/01/29(日) 09:21:56|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0
<<324 端冷 | ホーム | 322 新年>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する