うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

300 「残したい技、ひき継ぎたい心」





土地の言葉でシタミと呼ばれる魚籠、添えられた言葉は「残したい技、ひき継ぎたい心」。
そんな葉書を手にして、「日之影の竹細工職人 廣島一夫さんの仕事」展へ行ってみました。


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 ● 「日之影の竹細工職人 廣島一夫さんの仕事」展      文京区白山 gallery KEIAN にて

廣島一夫(大正4年生)は、宮崎県の日之影の集落で地方(じかた)巡りをしながら、生涯土地から離れることなく青竹細工<農具・漁具・台所道具など生活道具としての青物(竹細工)>をされた、一介の竹細工職人です。
会場に並べられたカゴは、すべてが日常の道具として作られたカゴながら、そのどれもが凛としていてとても美しい。
この展覧会は、いわゆる花籠や茶籠などの鑑賞性の高い工芸作品のカゴではないものの、
生活のなかで培われ、必要の具として生まれたかたちは、何故これほどまでに美しく魅力的なのでしょうか。
廣島さんが、ひとつひとつ心をこめて端正に編みげたカゴは、
職人として裏付けられた確かな技術と、使い手に応える独自の工夫が随所に盛られ、その繊細な仕事に、こころ打たれるかぎりです。


KEIANは個人ギャラリーというこで、残念ながら、廣島さんの公共的コレクションの作品の借用が叶わず、それらの作品は展示されてはいませんが。
この度展覧会の一環として廣島さんのカタログが刊行されました。
今回展示されなかった作品も含め、廣島さんの主要作品と豊富な取材記事、職人として・人としての廣島さんを識ることが出来る一冊です。
展覧会と併せてカタログを参照されると、廣島作品の鑑賞も一層深まることと思います。


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 ●  展覧会会場の様子、棚にはカゴ作りの製作道具もみられる。


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 ● テゴ(ナバトリホゴ)<背負籠>、イリコカゴ<煮干籠>、アブラメヒビ<アブラメ用筌>、イダヒビ<ウグイ用筌>。

ナバトリホゴ = ナバは椎茸。宇納間カゴの上部に開口部を広げ編み加えている。容量を増やし、背負ったままでもナバを放り込みやすく工夫してある。

イリコカゴ = たっぷりと一貫目の容量の入る大きなカゴ。出汁にかかせないイリコを猫から守るため吊げて使う。重さに耐えるよう二重になった提げ手。

イダヒビ = 魚を呼び込む口を大きくたりし、取り出し口を上部に持ってきたりと、従来あるカゴのかたちに更なる工夫を加えている。


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 ●  黒く使い込まれたトオシ<篩>の類

ナバトオシ、チャトオシ、コザネトオシ・・・・・・、トオシ(篩)だけでもナバ(椎茸)、茶、コザネ(トウモロコシの粉砕したもの)などの種類があって、篩目の大きさもかたちも様々。
廣島さんが若い頃一度出逢い、生涯心の師として仰いだ「丑どん」(平岡丑松、廣島さんより二世代前の明治の竹細工職人)作の、使い込まれたショウケ(笊)やナバトオシなども併せて展示されていました。
いったい作られてからどれだけ時を経てきたのでしょうか。
昔の生活の、煤に燻されるような環境の中で黒く飴色に変色したカゴは、修繕されながらも大切に扱われ、道具として本来あるべき姿を全うしていて素晴らしいです。


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 ●  廣島さんのVTR

3歳で股関節脱臼を病み足が不自由となった廣島さんは、15歳で弟子入りして、座仕事である竹細工職人としての道を歩みます。
地方巡りの諸職のなかでも、土地においては竹細工は古くから差別(同和、サンカ、足の不具者など)との関わりが深い職業とみなされており。
幼少の頃足を悪くして小学校にも行っていない廣島さんの「ことばを書けなんもんが字を書かなくてはいけないという寂しさ」という件。
「お前はチンバ(跛;あしなえ、差別語)だから黙っていろ」と言われたときは、どんなに寂しい思いをされたことでしょうか。

カゴ製作の様子が詳細に記録された映像の合間には、カレンダーの裏に自由律詩を書く廣島さんの姿があり、とても印象的なシーンでした。


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 ●  ザル編みの当て型、チャトオシ<茶篩>、シオカゴ<塩籠>、カタクチジョウケ<片口笊>、メシカゴ<飯籠>、シタミ<魚籠>。

シオカゴ = 未精製の海塩をこのカゴに入れて吊り水分(ニガリ)をとる。漏斗形のカゴから滴ったニガリは自家製の豆腐作りに使用した。

カタクチジョウケ = 注ぎ口のつくこの笊は、穀類を容器に揚げるのに使われた。

メシジョウケ = 夏の盛りでも、このカゴに飯を入れて涼しいところに吊っておけば、飯がすえることなくおいしく食べられた。冷蔵庫普及以前は台所の必需品だった。

シタミ = 釣り用の腰魚籠。角張った肩の編みは粗く内部に空気を入れる工夫。首にタガ輪を肩の両側に力竹を加えて強化している。魚籠は難しく、ほかのものと違うぐらい最高の材料を厳選しなくてはならず、廣島さんの一番のお気に入りだったカゴといわれる。



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 ● 会場の一画には廣島さんと交流のあった職人の作品も置かれている。
カイモノカゴ<買物籠>、小川鉄平。 カルイ<背負籠>、飯干五男。 ガニテゴ<川蟹筌>、モミトオシ<籾篩> 、 井上克彦。

宮崎県伝統工芸士の飯干さんは、地元日之影町出身でカルイ作り一筋60余年で有名な方。
飯干さんのカルイは昭和44年日本民藝公募展で伝統技術優秀賞を受賞、民藝協会の月刊誌の表紙も飾った。

小川さんは、飯干さんのカルイ作りを習うために2001年に日之影町に移住し、独立後も日之影で竹細工を続けながら、地元の伝統的なカゴを習得製作している。晩年の廣島さんとは身近で最も深く交流された。

井上さんは、廣島さんの元を訪ね弟子入を願うもかなわず、平成11年、熊本県水俣市の竹細工職人、淵上康弘氏に弟子入して独立。地元水俣に残り青物を製作している。独立後は廣島さんの元にも度々通い、作品の手ほどきをうけている。


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 ● カルイ<背負籠>作りの様子。

宮崎県北部山間部のみで作られ使われる背負籠、カルイ。
「カルイ」は、日向方言の「カルウ」(背負う)が転じた呼称といわれる。
底が小さく、上部に向けて大きく開いた独自の編み<平たく整えた六ツ目編みに、胴部に回しヒゴを数本差し入れ、この回しヒゴの締め具合でかたちを整える、上まで編み上げられたヒゴは再び底に向かって編み返される>のかたちは、国内の余所の背負籠には類例のないこの地方のみの独特なもの。
傾斜のきつい地形と、荷重を上にして運搬を楽にさせる知恵から生まれたといわれる。
椎茸採り、町場への買い出し、山仕事、弁当や道具入れ、行商などに多用された。
回しヒゴが7本入った「七ッ輪カルイ」は目の詰まった緻密な作りの上製で、町への買物へ・・・・といったときに。
牧草、藁、枯れ葉運搬などの荒仕事には「三ッ輪カルイ」「肥カルイ」などがあった。
写真(左下)の小型のカルイは、1960年代に子供用のランドセルとして作られたもの。
肩紐は藁編みで、その固定の仕方も一風変わっています。
むかし、世田谷のボロ市で、茶色く古びた余りにも小さいカルイが花入れとして売られていたのを目にしたことがあります。
その時は、普通にあるカルイのサイズとはかけ離れた大きさであり、肩紐も欠損していたため、本当にこれが背負籠なのか疑問にも思いもしましたが。
今回の展示をみて、改めて、小さな子供用にもこういったカゴがあてがわれていた生活があったことを知りました。
今回の展示のように、廣島さんや飯干さんなどの専門の職人が作る完成されたかっちりした出来のカルイ以外にも。
案外、職人さんそれぞれで、そのかたちにも随分幅があるものだったのではないかと思います。

また 、 「カルイとよく似た背負籠が東南アジア辺にある」と聞いたことがあります。
中国の雲南省やラオスの山間部で、旅の最中で目にした背負籠は、一見側面の編みの具合はよく似ていても、底の作りなど細部はかなり違ったカゴでした。
やはりカルイはこの地方の生活から生まれた独自のカゴなのか、そんな点も含めて興味深く拝見しました。


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 ● 井上克彦・稲垣尚友 両氏を囲んでの「おはなし会」   10月9日 gallery KEIAN にて。


井上さんは、手仕事を模索していた1999年(30歳)に訪れた丹後の職人のところで、偶然にも廣島さんを取材した竹細工のVTR「 竹と遊ぶ ~職人・廣島一夫84歳~ 」を観ることになる。
その生き方に感銘を受けて、丹後より2日間かけて日之影へ向かい、廣島さんを訪ね弟子入りを頼むも叶わなかったという、そんな廣島さんとの最初の辛い出会いがある。
その後、更なる師を求め平成11年、熊本県水俣市の竹細工職人、淵上康弘氏(昭和7年生)に弟子入し3年の年季を開けて独立し、その後も水俣に残り地元の人が使う青物のカゴを編み続けている。

今回のトークでは、そんな井上さん自身の竹細工職人としての歩みと体験談。
自分の師匠である淵上氏の話。
独立後には廣島さんの元に度々通うようになった井上さんが見た、廣島さんの人柄や職人としてのこだわりの話し、廣島さんが残した作品を参考とし更にカゴにまつわる様々な話しへと展開しました。

聞き手は、井上さんとは二回り上の世代で、かって(昭和52年)人吉の竹細工職人に弟子入りし修行した竹細工職人である稲垣尚友氏。

「竹は竹で収めるもの」という言葉にあるように、縁巻きがカゴ作りでは最も要となる部分。
特に蓋物でかっちり正確にはまらなくてはならない飯籠などはその最たるもので。
廣島さんが作った、時を経て飴色になったメシカゴを手に、その縁巻きの方法や、それに対して相反する言葉を使って仕舞いの方法を説く廣島さんの人柄を語られた。

廣島さんは自由自在であり、また遊びの好きな人であり。
同時に、人に対してとても気遣いされ、エネルギーに溢れた人だった。

竹細工は用途としては同じカゴであっても、廣島さんの日之影と、井上さんの水俣では地域によってその編みの好みや性格がカゴのかたちとして反映される面も多いという。
そんな一例として、井上さんは自作のモミトオシ(八角籾通し)やガニカゴ(川蟹用筌)を例に説明された。


写真は、井上さんが廣島さんが作ったウナギ採りの筌である「ウナギポッポ」と、筌口である「コシタ」を手にとり説明している場面です。
ぬるぬると一度筌に入ったウナギが二度と逃げてしまわないように、コシタの逆口はしっかりと作るものですが。
廣島さんが作るコシタは、更に部材に一手間かけて、骨ヒゴの一本一本に切れ込みを作り、鳥の羽根のように並べていく方式で、こんなにも念入りに手が込んだ作りのコシタは、他の職人には見られないという。

廣島さんは2013年98歳で亡くなる前年まで、現役でカゴを作っておられ、
職人として最後まで自身のなかで、使う人を中心にとらえた「正直な仕事」を追求された方でした。

今回のトークでは、一度お会いしたことのある岩手の桶職人のOさんと偶然に再会でき、また彼の奥さん(初対面)ともいろいろカゴにまつわる話しが出来た楽しい一時でもありました。

このトーク、会場に集まっている人は、すべてカゴ好きな人たちで、そんな接点のもとどこかで繋がっていると思うと、嬉しい気分となります。


廣島さんが亡くなられ、井上さんの住む水俣においても、生活の中で従来通りにカゴを使われている世代は戦前生まれのお爺ちゃんやお婆ちゃんが中心となっています。

いまや、昔ながらの職人や、それを支える使い手も、今後の10年ですっかり消え失せてしまう危機に直面しています。
使うために生まれた道具は、芸術作品とは異なり、その道具本来の利用が一番理にもかない健全ですが。
残された世代の自分たちは、それらの道具とどのように向き合い、接していかなくてはいけないか、作り手のみならず、使う側にも深刻な問題を啓示される時代を迎えました。

カゴをただ鑑賞するものとしてではなく、ともかく身の回りで使える道具として扱える、そんな生活を取り入れられればと願います。

カゴが好きと安易に言いながらも、同時に自分に対する戒めで反省する一時でもありました。
最後にそんな点も踏まえ、なかなか感慨深く、とても有意義な「おはなし会」でした。


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 ● チャベロ <茶焙炉籠>
** 左; 日本民家集落博物館 大阪 / 右; 井上克彦HP 「かご屋雑感」より。


2007年に大阪の日本民家集落博物館へ寄った際、民家の片隅に無造作に置かれていたのが、メキシコの鍔広の帽子ソンブレロのような、山形のかたちをした大きな籠(左写真、横に倒した状態で少し見づらいですが)。
九州南部には、 「茶ベロ」と呼ばれるこのような不思議なかたちをした製茶用具の大籠があり。
用途は確か、台となる輪のなかで炭を熾し、上部に設置したこの山形の籠に摘んだ茶をのせ、茶葉を殺青させるための焙炉だったはず。
この籠が置かれていたのは九州地方の民家ではなかったため、「はて?」なぜこんな場所にあるのか<丁度、宮崎県椎葉村の民家が改修工事中だったから、この場に避難させたものか>とても不思議に思ったのです。
しかも記憶にある茶ベロの側(台)は、このようなゴザ目編みでなく網代編みだったはず。
当然ながら網代編みは目をかっちり詰めて稠密に編めるので、ベトナムの田んぼで使う水入れ籠なんか(水を吸うと網代目が更に膨張して詰まり、瞬時には水も漏らさない)に、こういった網代編みの利点が採られています。
焙炉の助炭としては、ゴザ目では通風性があり、熱も逃げて余りにも非効率ではないかと思い、その点がなんとも気になった次第。
しかも使い込まれた茶ベロの山形部分と比べ、側は最近新調された感じでしっくり馴染まずどこか頼りない。
博物館の受付で訊くも、どうも要点を得ない。
そんな疑問で茶ベロの側(台部分)について調べていて、出会ったのが井上さんのホーム・ページ『かご屋雑感』 (右写真)でした。
見ると、井上さんは水俣で青竹細工をされている若き職人です。
地元で長らく使われていた茶ベロの部分がすっかりダメになってしい、その訴えに応じて新しく茶ベロを誂えるまでの製作行程、土地のかたが実際に茶ベロを使って製茶する様子が詳しく書かれています。
そして、その行程を追った写真も鮮明で、どれもがとても解り易い構成です。
また茶ベロ以外にも、井上さんがこれまで手掛けられた製品、ほかにも、竹籠やそれに関わる人や文化全般について、実に詳細な記述がなされたホーム・ページです。

井上さんの、使い手を思い道具を提供する職人としての探求心、移住した地元に根ざして一切ぶれないその歩み。
真摯な視点でもって、カゴ作りを篤く語られる言葉のひとつひとつが、こころのツボに強く響きます。
失礼を承知で茶ベロについての疑問を手紙にすると、丁寧な返信を頂きました。
そんな縁で、井上さんとは、この間幾度か手紙のやりとりはありましたが、実際にご本人にお会いするのは今回がはじめてです。
初対面にもかかわらず、どこか旧知の友のような親しみを覚え、想像通りのとても素敵な方でした。

井上さんは小川さん共々、余所から移住し、現役の竹細工職人に弟子入りし、年季明けの独立後もその土地にしがみつき、時には土地の人が大切に使ってきた道具なども修繕もしつつ、廣島さんがいた頃と同じように青竹細工を真摯に受け止め、黙々と製作を続けられています。
当然ながら廣島さんがおられた時代とは、人々の生活のスタイルも大きく変わり、青物としての竹細工の需要も先細りで、風前の灯し火状態となりました。
まさに現代にあっては、希有な若手の竹細工職人で、その存在は貴重で微妙な位置に置かれています。
廣島さんが残した手技と意志を継承されてきた、井上さんと小川さんのお二人には、今後も益々活躍して頂きたいものです。


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 ● 廣島さんの作品展示の様子。
上; サックラー・ギャラリー、 アメリカ ワシントン 1994-1995年。  
下; 日之影町竹細工資料館、 宮崎県日之影町。


サックラー・ギャラリー展で、中央のガラスケースに見えるのが、 「アマとアマダイ」 (右上写真、今回は出展されていません)。
生椎茸を乾燥させるためドーム状のカゴの皿を載せ、炭火を台の内側で焚いて使用する。
このカゴの皿の形は、炭火の高温から椎茸を守るためのもの。

茶ベロとはかたちが瓜二つながら、よく見ると台であるアマダイ部分の編みはゴザ目です。
だとしたら、自分が日本民家集落博物館でみたカゴは茶ベロではなく、この「アマとアマダイ」だったのかもしれません。
廣島さんは茶ベロを製作されなかったようですので、このアマと茶ベロの山形部分が、椎茸用とお茶用とでは、編みの細かさや山形のかたちの傾斜がどういった違いがあるのか定かではありませんが、そんな面も比較的れば一層興味深いと思いました。


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 ● 籤(ヒゴ)とりの様子。



**今回は以下冊子の解説・写真を一部参考とし掲載しました。

■ 季刊銀花第122号『竹の未来』 文化出版局 2000。
■ 『 竹細工 廣島一夫 』   かたりべ文庫 職人の手仕事Vol.5 2009。
■ 『 残したい技、ひき継ぎたい心 暮らしのなかで息づく竹の道具たち「現代の名工 廣島一夫の手仕事」展示会記録集 』 2013。
 ( * 2012年 ボーダレス・アートミュージアムNO-MA、滋賀県近江八幡市にての記録集
■ 『 日之影の竹細工職人 廣島一夫の仕事 』 gallery KEIAN 2016。
    



「 日之影の竹細工職人 廣島一夫さんの仕事 」展 gallery KEIAN
11月13日(日)まで、木・金・土・日のみ開催。 11:00~18:00 。
期間中には各種催事もあります。
詳しくはKEIAN ホームページ、 http://gallery-keian.tumblr.com を参照下さい。


興味のある方は是非お出かけ下さい!! (^-^)  



  1. 2016/10/20(木) 20:18:47|
  2. 雑 閑
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