うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

299 余市再訪




このところすっかり秋めいてきた東京です。
さて、余市探訪と申しても、すっかり遅れログで丁度一ヶ月前(9月16日)の帰省の記録です。

この日は北海道も夏日をおもわせる晴天でした。
実は余市行きは今回でたったの3回目。
札幌から近くても、小樽同様ほとんど遊びに行かない場所です。

初めて余市へ行ったのは、なんと学生時代のはるか昔のこと。
考古学のレポート対策で、消去法で選んでみたのが、余市にある「フゴッペ洞窟」という続縄文時代前期・後北文化の遺構でした。
ここには、日本では小樽の手宮洞窟と並び、とても珍しい一連の線刻壁画がみられるのです。<日本では先史岩面画が認められるのはこの2遺跡のみ>
4年前2度目の再訪のときは、残念ながら閉館日で、結局、ニッカウヰスキーでお茶(ウイスキーで喉)を濁して(潤して)お終いでした。

今回は、フゴッペ洞窟へのリベンジ戦、気合いを入れての再訪です。
朝、小樽より長万部行きのローカル列車に乗り換えていざ出発。
平日の朝の時間帯なのに、観光客で結構賑あう車内です。
レトロな車種のワンマン列車は、鉄男受けしそうな、なかなか趣あるたたずまいです。


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 ● 余市行きといいながら、ひとつ手前の「蘭島」で下車してみる。

地図を見てみると、余市からバスに乗り換えて洞窟へ行くよりは、どうも一つ手前の蘭島から行くほうがはるかに近そうです。
一応歩ける距離ですし、余市でのバス待ちを考えると、結構賢い選択かなと自分を褒めてみたのですが・・・・・・・・。
蘭島駅で下りたのは、自分一人だけ。
最近新築されたばかりの小さな無人駅舎に、階段の段の木がすっかりすり減ったなんとも風格のある渡橋があるのみ。
駅舎に掲げられる時刻表をみると、運行される列車の余りの少なさに驚かされます。
まったくもってなんにもない場所です、誰もいないし。
バスを待つにも時間があり過ぎ 、「天気が良いからまあいいか」と、ともかく歩き出すことに。


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 ● 海岸線の道路をひたすら歩く。

田舎にあっては車移動が鉄則か、道路を歩く人の姿が一切みられない。
軽やかな散策気分で歩き始めたけれど、ガチャピンの工事柵(左中)の近辺から、いつのまにか歩道も無くなってしまった。
歩く傍から、トラックがビューンビューンとすごい速度で追い抜いて行く。
結構怖い。
自棄になって歩いていると、歩く人の姿が珍しいのか、何故か仔犬が沢山寄って来た。(左下)
どうやらブリーディング施設らしく、奥の小屋からキャンキャンとすごいダッシュで駆けてくる。
全犬1メートルほど跳躍して、お迎え反応している。
これってあまりにも「可愛い過ぎる!!」。
道に停まっていたおもちゃのような消防車、窓から覗くとキッチュな人形がたくさん置かれていた(太陽電池で手をゆらゆら動している)。(右下)
思わぬ元気づけ?ありがとう、歩くこと半時間フゴッペ洞窟に到着です。


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 ● フゴッペ洞窟     北海道余市町。

昭和25年(1950)に発見されたフゴッペ洞窟は、間口6m、奥行7mの水中火砕岩(ハイアロクラスタイト)の海蝕洞窟。
敲打法、削磨法、彫線法、穿孔法で刻まれた800点ほどの岩面彫刻がみられる。
その刻画は実にさまざまで、人物像、動物の仮装した人物像、舟、四足獣、魚を表したものからなり。
豊猟・豊漁の祈願を込めて、1~4世紀ころ描かれたものとされている。
第二次発掘調査(1971)を経て、翌年ガラス越しに刻画を観察できるカプセル方式の施設(旧施設、1972-2001 以前おとずれたのがこの旧館です)が完成(右下写真)。
当時は洞窟を外部環境から遮断し、内部温度を一定に保つことにより湿度も安定させるという、とても画期的な施設でしたが。
1970年代半ばから、壁面に緑色微生物が繁殖し、内部への水の侵入が顕著となり、
その後現在の建物(2004)にリニューアルされる。(左写真)
洞窟内は、保存のため照明も最小限に落としていて、けっこう薄暗いながら。
ボタンを押すと発光ダイオードの照明が点灯し、スポット的に壁画の細部を浮かび上がらせる方式を採用している。
また入口部分に、新たに壁画の縮尺模型を置き、洞窟内にどのような壁画が描かれているか、一目瞭然に理解できるよう展示も工夫されている。
そして、今後岩盤が動いて貴重な刻画が崩落しないように、コンピューターの測定データーを収集中です。
この日はからりと晴れた夏日ではあったけど、カプセルのガラス面は水滴により白く曇っていて、湿度計は75パーセントを示しています。
雨の日の湿度はほとんど絶望的な飽和状態となるらしく、係りのかたもその保存管理の大変さを嘆いておられた。
それぞれの刻画が持つ意味の解釈は様々だが、多分に北方系のシャーマニズムの影響が大きく、大陸との関係をしめす面でも貴重な遺跡の一つとして、国の史跡に指定されている。


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 ● 人物像など実にさまざまな刻画がみられるフゴッペ洞窟。

学生時代のレポートで孫引きしたのが、 『謎の刻画 フゴッペ洞窟』峰山 巌 著、掛川源一郎 写真 六興出版 1983
有角人や有翼人など、これらの不思議な形象の刻画はシベリアのシャーマニズムの影響が強く反映されていて、ベニテングタケを用いたシャーマンのトランスの場面の記憶が強く残っています。
確かにこの刻画の写真をみると、様々な要素を彷彿とされる古代のロマンを秘めている。
あの時のレポートは、いったい何をこじつけて書いたのやら、いま思うと点を得るには余りに杜撰な出来だったように思う。

現在「そんなこともあったよな」と懐かしくブログを書いていて。
「最近どこかで見たような?」と余念が横切り、押入を掘り返す。
すると発掘の遺物が現れるような具合で、すっかり埋もれたままの本書が○○年ぶりに見つかりました。 (感涙する!)

本に挟まれていた千切れた帯の、帯文には。
「 フゴッペ洞窟は古代人の聖地であった! 石狩湾岸の洞窟で発掘された不思議な刻画・・・・・・・・・・・・・・フゴッペ人の生活を通じて古代北方文化の源流を解く」 とあり。
これはいったい学術書なのだろうか、それとも推理小説的な読み物なのだろうか、判断に迷う強烈さだけど(笑)。
スピリチャル・マガジン『ムー』世代にとっては、本書を手に誇大な空想を展開させたレポートに仕上げたであろう自分を想像し、そんなお莫迦な自分を少しばかり褒めてあげたい気分です。 <考古学の先生は四角四面な方だったんで>

フゴッペ洞窟リベンジ戦は、空想癖もともなって結局2時間余りも費やしてしまった。
館内には参考資料として、世界各地の先史壁画に関する書籍なども置いてある。
ロマンチストなあなたには、ちいさな洞窟ながらも一人遊びが出来る、世界へと繋がる古代人の夢を現代に繋げてくれる素晴らしいスポットといえます。
余市への興楽の際は、フゴッペ洞窟も是非ルートに組み込むことをお勧めします!!

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 ● やっとこさ余市の町に。

余市行き、洞窟前のバス停では丁度バスが発ったところ。
仕方ないさらに5㎞歩いて余市の町に着く。
地元のスーパーを覗いてみたら、果物や地魚がどれも美味しそう。
もうすっかり秋味(サケ)の季節なんですね。
時間も押してきたので、お昼はとらずニッカウヰスキーへ直行する。


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 ● ニッカウヰスキー余市蒸留所

今回はガイド付き見学はパスしての自由見学で、施設内をさっと一巡する。

ウイスキーの故郷、スコットランドのシャトーのような雰囲気の工場正門は、2004年に北海道遺産に登録。(左上)
キルン塔。(右上)
蒸留棟。ストレートヘッド型ポットスチルで石炭直火蒸留を採っているのは、国内でも随一ここだけです。(左中)
リタハウス。(右中)
樽職人の工具展示(左下)
貯蔵倉(右下)


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 ● なにかとリタづくしの余市の町

駅前から役場へ向かう目抜き通りの1.3㎞は、通称リタ・ロードと呼ばれる。
余市町は、1988年、リタの故郷であるスコットランドのイーストン・ダンバートンシャイアとの姉妹都市提携を機に、リタの町へと整備が進められていく。
「マッサン」の、朝ドラ波及効果の影響は、観光客の増員ばかりに留まらず。
番組放映に際しマッサン町民講座が開講されたり、ホワイトイルミネーションなどの各種催しがあり、リタロードの環境整備も更新され、町掲げていまだリタったままの余市です。
偶然通りかかった幼稚園の看板にも「リタ幼稚園」の文字を発見。
ただし、こちらはさらに古く1962年に余市幼稚園から名称変更されたものでした。
ニッカのお膝元余市の町は、ドラマの影響でブームとなるはるか以前から、住民がマッサン(竹鶴政孝)とリタの二人に親しみを感じていたことがうかがい知れます。
また、ニッカの「ニッカ館」には、創業者である竹鶴とリタ夫妻に関する資料が豊富に展示されており。
アルバムにみる夫妻の写真からは、当時としてはとてもモダンでハイカラな生活の様子。
そして二人の強い絆と深い愛情が篤く伝わってきます。
館内にはリタが暮らした英国の生家を再現した空間があり、そちらに置かれた調度がどれも素敵でした。


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 ● 一応”正しき醸造所見学”と称するも、やはり最初から目的はこちらです。

見学後のお愉しみといえば、お決まりの試飲です。
窓の外には北国の長閑な風景が広がっています。
カウンターに用意されたものを各自自由に選べる方式で、試飲時間としての制限はありませんので、お酒好きにはゆっくり楽しめるのがなんともよいです。
用意されているのが、 「竹鶴ピュアモルト」「スーパーニッカ」「アップルワイン」の3種類。
一応、酒・水・氷の割合のベストバランスも紹介してますが、カウンターにある水や氷を自由方式で組合わせて楽しめるシステムというのが嬉しいです。
アップルワインは甘めながらも度数は22度と通常のワインよりもかなり高めです。
グラスは、酒の香りをよく楽しめるように若干口すぼまりのかたちです。
お酒の香りを保つために、グラスに載せた紙蓋は、試飲時にはペーパー・コースターとして転用できる、なかなかのアイディア品です。
口が寂しい向きには、ナッツ類の販売もあります。 (食品の持ち込みは一切禁止です)
先ずはお酒にチェイサーで、一往復二往復・・・・、そして三往復を過ぎた辺りから流石に少し酔いも回ってきました。
ほかにも有料のバーやレストランがあり、バーではヴィンテージ・クラスのウイスキーも味合えます。
ディスティリーショップでは、自社製品のウイスキーやお土産物のほか、ここだけでしか手に入らない蒸留所限定グッズも数多く取りそろえられています。
そんななかから選んでみたのが、 ”PEATY &SALTY ”、”SHERRY& SWEET”の2種類のシングルモルト
ピートと潮の香り、シェリー樽に詰めて長らく熟成させた風味、それぞれどんな味なのか?
相反する二つの個性のシングルモルト、飲み比べが楽しみです。
そしてこれから迎える寒い季節、北国育ちのウイスキーを小分けにフラスコに入れて持ち歩き、 英国紳士風 (英国のおっさんの酔っぱらいと微妙な距離感ながら ) に旅の道中でちびちび粋に飲りたいものです。


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● よいち水産博物館展示より。


ウイスキー蒸留所では、喉に潤いを与えた一時でしたが、そんなにうかうかはしておられません。
宇宙記念館のある橋を越え、役場前の小山へ向かいます。
目指すは「よいち水産博物館」
ニッカ蒸留所で酩酊し、もたつく歩みの20分、最後の小山の坂ではすっかり息切れしての到着です。
よいち水産博物館は北海道百年地域記念事業の一環として1969年に開館。
時を経て、さすがに昔の博物館らしい少々古びた外観ながら。
建物には、望遠鏡ドームと北前舟らしき舳先が突きでた造りで、当時としてはかなりユニークで斬新な建築だったことと思います。
そして中に入って、これまたビックリ。
地域の基礎をつくったニシン漁などの漁労具、生活用具、郷土資料、ほかにもアイヌ関連の資料、考古資料などが豊富にみられ、とても充実した展示です。

特に目を見張ったのが、
江戸時代から明治期まで物流の主役はなんといっても海上運輸、船の航海の安全祈願を祈して神社に奉納された船絵馬の数々です。
船主や船乗りらが大阪の絵馬屋で購入して郷里や目的地の神社に奉納したものです。
北前船(弁財船)の細かな造りや、船上での人々の様子が克明に描かれています。
北前船による運輸形態のためか、余市に残る船絵馬の多くは北陸地方を母港とする船らしく、船名・奉納者・奉納年などがはっきり読み取れます。
江戸期の船絵馬に随一混じっていた大正期の船絵馬は、既に西洋式の帆船で、絵馬も絵画風ではなくレリーフによる貼付細工で仕上げた、地元による奉納品でした。

また、海に縁のある土地柄か、アイヌ資料のなかにも、これまで目にしたことのない「カムイギリ」と呼ばれるシャチの木彫りが展示されています。(左上)
これは海の神であるシャチを家に祀って豊漁を祈念したもので。
大きなシャチ(カムイフンベ)に、小さな、ニシン(ヘロキ)、サケ(カムイチェプ)、マグロ(シピ)、サメ(カルマ)、アザラシ(トッカリ)、イルカ(タンヌ)、クジラ(フンベ)などの魚が、削り掛けで結ばれ垂れ下っています。
海で生活するアイヌが、海の生きものとどのように接していたかを識る貴重な資料です。

ほかにも、北海道の果樹栽培の草分け的な産地である余市らしく、地場産業として栄えたリンゴの出荷関連の資料も展示されています。
木箱のなかに一個ずつ丁寧にリンゴを並べ、籾殻を緩衝材として敷き詰め、物流として使われていたリンゴ箱。
そんな昔懐かしいリンゴ箱に貼られたラベルが、幾種類も並んでいてとても綺麗でした。


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 ● ニシン漁に関する資料も豊富です。 よいち水産博物館にて。

ニシン漁の活況は江戸時代から昭和30年頃までつづきます。
館には「湯内漁場盛業鳥瞰図」などの絵図や浜の様子を模したジオラマ模型があり、明治時代の賑やかな漁の様子が偲ばれます。
また、ニシンを陸まで背負って運ぶ、荷役の「モッコ」や。
ニシンを煮る大釜、角胴・丸胴とよばれた絞り機など、獲ったニシンを肥料として加工するための道具も多く展示されています。
館内に流されている、 ソーラン節の絶妙なこぶしが効いた労働歌を聴きながら 、そんな漁具の数々を観ていくと。
余市のニシン漁の最盛期だった大正時代に、瞬時連れ戻されてしまったような錯覚におちいります。


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 ● 館内の一室、「余市町民俗資料館」(1979年開室)には主に考古資料が展示されています。

町内には60以上の遺跡が確認され、なかには大谷地貝塚など国指定を受けた遺跡もあります。
「フゴッペ洞窟遺跡」では保存壁画をはじめ参考資料として出土品の一部が展示されてておりましたが、
こちらの資料館にはフゴッペ遺跡出土の土器資料などが、少いながらも展示されていると聞きました。(左上)
そんな資料が観たく、こちらに寄ってみたのです。
この部屋にはほかにも、手形付土版、板状土偶(左下)、琥珀の平玉など珍しい資料もあります。
そんな中で一番目を惹いたのが、このなんとも細長い徳利形土器 <沢町遺跡、縄文時代後期> (右)です。
表面には細かな模様も確認でき、これまで目にしたことのない珍しいかたちをしています。
いったい何に使ったものなのでしょうか?
北海道島には縄文時代の後は、続縄文時代(弥生・古墳時代に該当)といった本州とはまるで異なった時代を迎えます。
当然ながら、この土地に住んでいた人も(地質プレートも別ですし)まったく異っていたのでしょう。
土器なども一風変わったものが多く、観ていて一向に飽きません。


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 ● 博物館もそろそろタイムリミット。

閉館間際まで粘って観ていた博物館(左上)でしたが、すっかりタイムアウト。
列車に間に合うのだろうか、ともかくショートカットということで、受付で教えていただいた獣道(右上)を慌てて駆け下ります。
どうにかセーフ、やれやれです。
小樽から札幌へ向かう帰路では、列車は海岸線ギリギリの箇所を走ります。(左下)
「銭函」付近でしょうか、こんなに海に近かったんだなぁと改めて感心。
実家に戻り、祖母の使っていた飾り棚 (お土産もんで溢れた強烈なコーナー) を覗いてみると、 「ありゃりゃ、居るじゃないですかリンゴ娘」 。(右下)
手にはしっかりリンゴ収穫の手籠を構え、前掛には白抜きで「ヨイチリンゴ」の6文字、頬被り姿で愛らしく微笑んでいます。
結構むかしの人形そうだけど、今回は余市再訪も果たせたことですし、最後に特別出演させてみました。
こんな素朴な人形がお土産物として持てはやされていた時代が、なんとも懐かしい限りですね。
最後に (結局行き着くところは酒なのかい)  ニッカのアップル・ワインもやはり買っておけばよかったと、いまさらながら後悔した自分です。


余市再訪、よく観てよく歩いた一日となりました。お終い! (^_^)v  



  1. 2016/10/18(火) 21:45:22|
  2. 雑 閑
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