うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

377 ぶらり





知人の企画のフリマを見に、千駄木へと出向く。



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 ● まずは日暮里で降りて、てくてくと歩き出す。



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 ● 朝倉彫塑館では「猫百態」が開催中。



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 ● 空中庭園では、なぜか下界を見おろす青年像が独り佇んでいた。



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 ● フリマは谷根千記憶の蔵にて開催。



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 ● アンティークのシェブロン玉が美しい。



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 ● 千駄木のあとは根津でお湿り、鯖の一本鮨は酢の〆具合が絶妙で絶品。



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 ● さらに御徒町へと流れ、焼豚で一杯、バイス割りは初めて飲む庶民の味だ。




ぶらり、ぶらぶらと知らない路地歩きが面白い!   (^^) 



  1. 2017/10/08(日) 17:59:13|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

374 こないだの その2





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 ● 実家の庭の花

トルコギキョウ、鉄泉、菊、そして満開の紫色の花をつけた木蓮は、春とともにこの夏の季節に二度咲きするというのだから、まったくもって驚かされる。

実は、つい6月に帰省したばかりだけれど、帰京して直ぐに、実家のほうが水害で家の修繕をすることになった。
昨年貼り換えたたばかりの壁紙も貼り直し、今回は更に屋根や天井を付けたりと大事になっているようで、その手伝いで再び8月に帰省することになる。
いわば濡れてしまった布団などの物品を運び出してのサポート、乾し要員なのだけど、北海道も今年の夏は天候が一向に安定せず、からりと晴れた日が少なかった。
作業のほうは、お日様の具合に影響される毎日で、まるではかどらなかったけれど。
ただ、ちょうど盆を挟んでの帰省だったので、計らずしも墓参をしたり、久しぶりに旧友とも会うことができた。



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 ● 甥とも久しぶりに再会

すっかり社会人となった甥は盆休み、内地から岡越えで車でやってきた。
なんとも変わったタイプのハーフトラックと思いきや、運転席を覗くとハンドルが左についている。
スバルが米国へ輸出向につくった特別車で、窓ガラスには1987年のアメリカの認票が残されていた。
アクセル、ブレーキの配置は日本車と同じ配置だけど、ウィンカーやワイパーの配列は逆となっているので、道を曲がろうとしたらうっかりワイパーを出してしまったりしたりと、甥が笑っていた。
ルーフウィンドウより、身体を突っ込み逆立ちさせた脚をばたつかせるその様子は、どうやら犬神家の一族のスケキヨを真似たおとぼけらしい。



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 ● 墓参など。

お盆の8月15日は、聖母マリアの被昇天の祝日にあたり、神居の共同墓地や納骨堂に墓参してきた。
ミサに預かるのも久しぶりで、かってお世話になった神父や修道士は、どなたもすっかり高齢となられていた。
また既になくなられた方も多く、センターの墓標には歴代の名前が刻まれていた。
現代は日本教区としてすっかり統一されているが、ミュンヘン近郊の中世からつづく宗教都市フルダ出身の、フランシスコ会のドイツ人神父が多い地区だった。
盆の翌週に催された地区の共同ミサでは、札幌から司教が来られ堅信式があった。
初期の教会の成り立ちや地区での活動など、昔の様子を紹介した写真パネルが目を惹いた。
ドミニコ神父は、戦争中は少年兵として戦車に乗っていたという話しを最近聞いた。
そういえば、むかし教会の公教要理の勉強のさいに、爆撃を逃れるために防空壕に避難したはなしなど、神父の子供の時代の戦争体験のはなしを聞いたことがあった。
どんな体験が彼らを聖職者として歩まさせたのであろうか、そして本国を遙か離れた日本が彼らにとっての終焉の地となっている。



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 ● JR旭川四条駅

かっては路面電車のステーションがあった場所が、現在の高架となった旭川四条駅。
ワンマン列車の1両車両が運行する。
次のJR旭川駅までは、おそらく2キロの距離もない近さだけど、車両調整のため途中で停止しながらも数分かけてちんたらと運行する。
実家から街へ出るには自転車のほうがはるかに便利で一切利用することもない、今回は折角だからローカルごっこを楽しむ時間潰しで乗ってみた。
料金はバスの初乗りより安い170円。



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 ● お盆が過ぎたら秋風が。

盆までは予約が満員だったけど、盆が開けてから気を利かせD君がネット予約してくれたOKUNOビルの屋上仮設ビアホール。
ジンギスカン+海鮮+ドリンク飲み放題、七厘焼きのセルフ方式 3000円(90分)
蛸のぶつ切り、コマイの干物、鶏肉味付き、ジンギスカン、漬け物いずれもプラスチックに入ったものを人数分冷蔵庫から出して用意してくれる。
客は盛り上がりをみせる若者が数名の1グループ以外<じつは後で、この店のバイト店員の宴会と判明>、D君夫妻と自分との3人だけで誰もいない。
ビアホールのビの字も感じさせない盛り上がりのなさ、荒涼とした寂寞感に場末の悲しみで打ちひしがされる。
おまけにポツポツと雨も降り出して、しかも幌なしなので、半袖半ズボンというお気軽な格好で来てしまったのが仇となり、すっかり寒さに耐える格好での飲み会となってしまった。
北海道は盆が過ぎれば、もう秋風が吹く地なのを忘れていました。
七厘でおにぎりを焼くも、冷蔵庫に長らく入れられていた内部はコメがα化せず、ぼそんぼそしたまんま。
「ああ地ビール館のクラフトビールが良かったのに・・・・・・・・・・・」と、今回もD君と別な面で記憶に焼きつく苦笑しながらも印象深いビアホール体験となってしまった。


高校時代の美術部のメンバーの数名で集まる、いつもの焼肉店のあと、二次会はI君がザッハトルテが絶品なバー(!?、下写真)があるというので行ってみる。
マスターはカクテルチャンピオンのバーテンダーでも有名いうことながら、この日は生憎の不在。
店を切り盛りしていた女性バーテンダーが、各人に合わせ自分に出してくれたのが、ボンベイサファイアをベースにグレープフルーツの絞り汁でスクィズした甘めのカクテル。
ちょっと気分じゃないということで、酒棚で目に付いたペルノー(アブサン)や、ピート香の強いアルヴェイクなど癖の強い酒を、水チェイサーと共にちびちび飲む。
ザッハトルテは、スウィートとビターの2種類があるけど、自分としてはやはりビターが好みかな。
確かに、ウィスキーとチョコレートの組み合わせは悪くはない。
レトロなジュークボックスからはアメリカンな曲が流れ、今回神居に酒の肴の総菜屋もオープンさせたということで、燻煙したウズラの卵などのつまみも美味だった。
その後I君と二人、彼の馴染みの店に替えながら明け方まで飲み明かす。
I君にはすっかりご馳走になってしまい恐縮ながら、このような深酒も年齢的に少しきつくなってしまったことに気付かされる。
それでもこのような痛飲は、地元の友達とならではの楽しみだ。
皆の心遣いに感謝します。



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 ● 市内の川で

旭川は、石狩川、忠別川、牛朱別川、美瑛川などの川に囲まれた川の町だ。
実家からも自転車でわずか10分ほどで忠別川の釣りが楽しめて、とても便利な立地だ。
6月の時に較べて、川はすっかり干上がっていて中州が現れるなど流れもポイントも随分と変化している。
忠別川に掛かる鉄橋付近の蛇籠は、どうやら河岸に新しく作った池のある公園の吸水管の押さえの重石となっているようで、その箇所に若干ながらニジマスやヤマメが潜んでいる。
ポイントを攻めるも、度々蛇籠の網に鉤を奪われて悪戦する。
この季節ウグイも肥えたものが多く、釣り上げると精子を放出させるものはよく見かけたけれど。
今回はメスの個体で排卵させたものもあった、初めて見たウグイの卵は直径が2ミリ程度でとても粘性に富んだ塊だった。
自分のような、ぼんくら釣りではどうしてもウグイばかりが多く掛かるが、ウグイも泳がせ釣りする分には引きも結構あり、それなりに楽しめる。
家にある普通の長靴を引っ掛けて、朝な夕なに近場で釣りをしていたが、それでは次第に飽きてしまい自転車で少し走りポイントを探しに赴く。
足さえあれば、本格的な渓流釣りでイワナやアメマス、オショロコマの棲む地点まで行けるのだろうけど、それも適わぬために、ママチャリで小1時間圏内の場所を設定とする。
釣り人を見かける場所や装備、藪を踏みつけた形跡、落ちていたりひかかっている仕掛けより考察して学ぶ点も大きい。
相変わらず短竿で素人の提灯釣りながら、父の遺した股下までのウェーダー(釣り長)でじゃぶじゃぶと川に入りポイントに近づく、渓流魚籠もはじめて使ってみて、魚の取り込みにとても便利だった。

結局ツィンハープ近辺の側流、ポン川筋、動物園に近い倉沼川の水門付近、米飯川、愛宕新川など、いずれも清流だけれど、ニジマスやヤマメがいる場所があるようだ。
朝4時過ぎに起きて庭で餌のミミズをほじくり準備して、釣り場には5時頃の朝まずめに到着できるように調整する。
なんだか早起きに度がかかり、すっかり老人力が高まってしまった。



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 ● 日々、ぼんくら釣果が蓄積されていく。

釣りはやはり、釣れぬより釣れたほうが俄然楽しい。
逃がした魚は大きいというごとく、幾度かバラした大物(のつもり?)もあったけれど。
記録としては、結局は尺欠け(32㎝)のニジマスどまり。
仕掛けはいろいろだったけど、このときは軽装備でヤマメ鉤7号、ハリス0.8号、ミチイト1.5号、錘はガンダマ2B一個だったので、結構な引きが楽しめた。
餌はミミズじゃ駄目だよ、イタドリやブドウ虫、イクラなどじゃないとというはなしだったけど、ミミズでも案外釣れたりする。
20㎝ほどのニジマスを釣り上げてみたら、シラウオのように白化した5㎝ほどのフクドジョウを丸飲みしていた。
地形や流れで想像する水中の様子、天気状況や微妙な時間帯での変化。
昨日は釣れても、今日はまるで駄目だったりもするから面白い。
雨に打たれたれ震えたり、川の流れに足をとられ怯えたり、川の流れの音に耳をすませてみたりと、そんな生活も普段していないことばかりだから、逆に結構新鮮に癒されて面白い。
ぼんくらながらも、釣りの醍醐味は、ただの偶然的な運ばかりじゃなく考察による点も多いから、我流ながらもそんな自然考察が持てる時間が得れてとても嬉しい。
これじゃ「釣りキチ三平」を愛読していた中坊の頃とまるで変わっていなく、まったくもっての子供返りだ。
しかも今回使った竿なんかもその頃に買ったもの<グラスファイバー・ロッド>だから笑える。
先に帰省したときに、カーボン・ロッドの渓流竿も買っておいたのに、そのまま使わず終いのまんま。
少量ながらも蓄積されて、冷蔵庫のチルドケース内は日に日に魚が増えていく。
そのため母との二人で囲む食卓には、すっかり魚が定番となってしまった。
失う鉤代だけで、釣餌など経費が一切かからないお気軽な釣りのため、どうやらその支出状況もトントンの範囲内に上手く納まっているようだ。



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 ● ときにはこんな生きものも。

アメリカミンク<写真は動物園で撮ったもの>は、本来毛皮用としての飼育で逃げたものがすっかり野生化して定着しているらしく、釣りをしていて度々見かけた。
藪や、テトラの下穴に巣を作り、キキキキキと鳴く黒い姿が克明に見られた。
人里に下りてきたキツネほどじゃないものの、釣った魚をそちらへ放つと、距離間を見合わせて餌として食わえて去っていく。
岸から突然現れ悠々と川を渡る様子や、番で睦み合いカップリングする姿もみかけて、現れるとついつい釣りをそっち抜けで見入ってしまう。

食いの下がった雨の日の釣りで、よく見ると水中の小石に褐色に同化した生きものがいる。
「あれれザリガニじゃない」結構な大きさがあるけれど、大きなハサミは平たくしかもアメリカザリガニのように赤くもなくギザギザしたトゲもみられないし、これまでこの地域にアメリカザリガニが自生している様子を見かけたことがない。
むかしはヤマトザリガニは居たけど、こんな清流の川の流れには生息しないし、それに余りに大型すぎる。
こんなものもいるのかと、水中より取りあげてみたら、ハサミの裏側は赤と青の対比が派手でまったく違った種類のザリガニのようだ。
この日の釣果はボウズだったので、家に持ち帰って図鑑で調べてみることにした。
図鑑「北海道の淡水魚」北海道新聞社刊にはウチダザリガニ(写真中央)として、しっかり紹介されていた。
ウチダザリガニ(Pacifastacus trorebridgii)は、1926年(大正15年)アメリカから食用として移植されたのが始まりで、1930年に摩周湖に500尾、翌年には475尾が放流されたとある。
摩周湖では自然繁殖し、摩周湖から阿寒湖や屈斜路湖へ持ち込まれ、釧路川をはじめ流出河川域に生息域を広げているという。
原産地は米オレゴン州のコロンビア川。
この川から滋賀県淡海池に移植されたタンカイザリガニがいるが両者の区別は難しいという。
それにしても道東のものが、いったいどういった経緯で流入したものか。
ザリガニなど、手に取ってしげしげと見つめたのは子供の時以来のことだ、腹の形状からみてどうやらメスの個体のようだ。
夜行性で雑食性、気性が荒く大型のハサミを後方まで振ることができるとあり。
確かにその記述通り、なかなか激しい動きをみせるウチダザリガニ。
こんな大きなハサミで指を挟まれたら、ひとたまりもない激痛となるに違いない
子供のようにすっかり家飼いしてみたい気を興させはしたが、数日観察して採集した場所にそっと放してみた。
無事難を避けて元気に育ってくれや!

環境の変化は、植物ばかりじゃなく動物にも様々な影響を及ぼしているようだ。



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 ● やはり食すにはこのサイズのヤマメが一番。

小さなヤマメは、腸をとってみるとこんな大きさであっても立派な白子を持ったオスがほとんどで驚かされる。
よく天ぷらにして食べるのが一番というが、フライパンに油を敷かず低温でこんがり焼いてみても、そのまま頭から丸かじりできて実に美味だ。
川魚特有の野趣に富んだ独特の匂いも感じられ、朝釣り上げたばかりの新鮮なものがそのまま食卓の一品として並ぶなんて、なんて贅沢なことだろうか。
既にこの段階で酒の肴として一杯飲みたい自分がいるが、母の目が戒めているのでじっと我慢する。



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 ● カリンズ(赤スグリ)のジャム。

子供のころの野外遊びでおやつとして摘んだ、オンコ(イチイ)やグスベリ(グース・ベリー)、カリンズなどは、いまとなっては何だかとても懐かしく、そして素朴で希少な自然の味だ。
庭にあったグスベリの木はすっかり枯れてしまったけれど、カリンズの一株はどうにか健在で、母に、丁度小瓶一杯ほどのジャムを作ってもらった。
カリンズの酸味を楽しむにはやはり生で摘むのが一番だけど、ワイルドベリーに近い種類なのかカリンズの種は粗く、ジャムにするさいの種取り作業にすっかり手を煩わさせてしまった。
グスベリのジャムは大好きだけど、カリンズのジャムは種を取って作るのが、いちいち面倒くさいのか市販のものは見かけたことがない。

キッチンウェアの新しもの買いが好きな母だったが、もう随分と昔、自分が子供の頃に購入したアメリカ製のオスターライザーのジューサーは、いまでは仕舞い込まれておりほとんど使われていないようだ。
このミニ容器は、コーヒー豆などを挽くミル容器としてのアタッチメントで、容量が200cc(80×100×高さ95ミリ)、ガラス製ではなくABS樹脂製のものだ。
黄色い蓋に描かれたイラストも、どことなくある時代のアメリカ製品の雰囲気を漂わせており、懐かしいのでこの瓶にジャムを詰めてもらうことにした。
これからしばしの間、カリンズジャムの酸味が、北海道の実家での思い出となって食卓に潤いを与えてくれることだろう。

釣りの藪漕ぎのさいに服にひっかかったトゲトゲの草は、赤い実をつけた木イチゴで、気づくと夢中になって採集してしまった。
食卓に並べたこのイチゴを見た義兄は「実が上を向いて成っていただろ」と、一発でそれが木イチゴじゃなくてヘビイチゴであると見当てた。
確かにカリンズのように粗い種が口に残るが、義兄も自分同様に、このようなワイルドベリー系のもつ独特の酸味がまんざら嫌いじゃないらしく、口に含みながらもそんな早とちりに笑ってくれた。

実家に戻ってみても特にやることのない、中途半端な田舎町だけれど。
三つ児の魂百までも、それでも子供の時以来培ってきたことや体験した遊びが、既に現在の自分の基幹的な部分形成にしっかりと影響しているようで、改めて子供っぽい自然遊びが面白いとおもうのだった。



今月末には、そろそろマス類の遡上もみられる季節です、あああ、帰ってきたばかりだけど早くもまた釣りに帰省したい気分となりいけません!   (^^)  




  1. 2017/09/10(日) 10:31:26|
  2. 雑 閑
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373 こないだの その1





またしても、ブログとしてはまるでタイムリーでない先月帰省した北海道日記ですみません。
ちょこっとだけど、小樽と札幌の紹介です。
今回は、月寒に住む高校時代の友人が車を出してくれたので、お任せで観光気分で小樽にいってみました。
ここんところ小樽なんかは、博物館を観にしか寄っていなかったから、メインの堺町の観光通りはこんなにも人でごった返し、凄いことになっていたのかと驚くばかり。
それにしても、小金を持った中国人などのアジアの観光客のなんとも多いことか。



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 ● 小樽オルゴール堂本館     小樽市

お昼を食べたレストランの裏手にあったのがこのオルゴール館。
北一硝子のように、市内に数店舗の支店を有する大店。
この本館は明治45年に北海道有数の米殻商が本社家屋として建てたもので、木骨軸煉瓦造りの威風堂々とした洋風建築です。
シックなその外見に似合わず、扉を開けて一歩踏み込むと、そこに出現するのは観光客でごった返した余りにもファンシーな世界でした。
そのメルヘンチックさに、一瞬くらくらと目眩をおこしそうになりながらも、よく見ると西洋アンティークの小物もアクセント的に結構置かれていて、そちらのほうはなかなか面白い。
オルゴールの金属弁が紡ぎだすその音色は、やはり愛らしく相乗的にファンタジーの世界に誘うけど、歴史的な逸品や高級品は格調も高く、メカとしての精度も素晴らしい。
それにしても全てがオルゴール一色で、常に流れているスーパーマーケット・ソングが耳につくように、ここで働く店員は音害できつくないのかと、ついつい余計なことを考えてしまう。
なかには”握り寿司”のオルゴールなどと、かなり珍奇なものもあるけれど、25,000点もあるというオルゴールのどれか1点ぐらいは、あなたのハートを掴む製品もあるかも知れません。
可愛すぎるその世界、自分独りではまず寄りつかないような空間を満喫できて面白かったです。



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 ● 北一硝子      小樽市

明治時代にランプの火屋や、漁業用の浮き玉製造から出発した北一硝子の前身の浅原硝子。
現代ではその製品の多くはテーブルウェアとなっている。
北一硝子には、切り子のグラスなどの和のイメージを一切持っていなかったのだけど、今回見ていて面白いと思ったのがこの和物ガラスのコーナー。
切り子ガラスのカットの具合によって、万華鏡のようにコップの底に花火や花模様が浮かび上がって見える製品や。
透明の素地ではなく、あらかじめ黄色の素地に色付きガラスを上着せして仕上げた切り子のシリーズなど、好みはどうかは別としてアイディアの面白い製品に興味を惹かれます。
冷たい飲み物や熱い飲み物、淹れる液体の温度によって色味が変幻自在に変わるガラスのコップなども実演販売されており、中国人の観光客などが熱心に商品に見入っています。
北一硝子三号館の倉庫として改装した当時、オープンしたてのレストランで飲んだクラフトビールが実に味わい深かく、贅沢な一時を感じた思い出があります。
しかしここでも、人・人・人でガラスを手に取り向き合うような雰囲気も失せてしまい、天井から吊られたシャンデリアのランプの火屋に、随一北一硝子らしい安心感を覚えます。



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 ● ドライブで市街地散策も    小樽市

喧噪とした市内より岬方向へ車で少し走ると、そこで一変して静かな自然の情景が迎えてくれる。
灯台の裏手の丘に建った豪邸はかっての鰊御殿(左下)、小さな入り江の海水浴場(右上)は、どうやら近在の人が訪れる格好のスポットになっています。
海の色も、磯の匂いも関東辺りとはまるで異なっている北国の海。
そんな海の様子をただ漠然と眺めているだけで、心もなごみ癒された気分となります。



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 ● 「札幌農学校第2農場」    北海道大学 札幌市

6月に帰省の際は、北大植物園へ行ってきましたが、今回はキャンパスの北側に接する、旧農場の建物を見てきました。
陽に灼かれ銀化した木肌が美しい木造舎には赤いトタン屋根が映えます。
大型の牧牛舎、種牛舎、穀物庫(コーンバーン)、耕馬舎、秤量場、釜場、製乳所、などいずれも風格のある明治時代の建物の内部は、その一分が改装されて資料展示がなされています。



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 ● 「札幌農学校第2農場」、内部の展示の様子。

明治時代の開拓とともに、一気に西洋的な近代農業を取り入れた北海道では、ここでも資料として並んだ農具にも、馬耕などによる大型のものが多いです。
旧式のトラクターがずらりと並んでいたりもしていて、それらの車に付いたエンブレムなども、新しい時代の農業を背負う花形として凝った意匠で美しいです。
日本の農具などでは、ほとんど道具として加飾されていませんが、このような機械農具にみるちょっとした商標の意匠や銘々など(たとえば足踏み脱穀機に琺瑯製の看板が付いているなど)注視してみるのも面白いです。

北海道特有の蛸脚型播種機(左下)も変わっています。
またブログで書いた手回し型洗濯機以来どこか気になっていた、樽型のバター製造器(左上)もここで展示されており、その蓋部分の閉じ金具の凝った作りにおもわず注視してしまいました。



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 ● 埋葬文化財調査センターでみた皮鞣し具   北海道大学

土器などの考古遺物が展示されているこの部屋の一室に、木柄に石器が装着された掻器をみつけました。
過去の考古資料としての掻器の使用対象や操作方法を明らかにするために、使用痕分析の比較推定資料としてのサンプルのようです。
桶屋が用いる銑(セン)のようなかたちの道具ですが、これはカムチャッカ半島のトナカイ遊牧民が使う道具らしく、日本のように手前に器体を引き寄せて使うのとは真逆に、押し出して掻き出しているようです。
写真では、金属製の刃を付けたものが確認できます。
まったく同じ内容の作業でも、身に慣れた身体の動きが道具の分化にまで繋がり、両者の関係性を踏まえて道具を見ていくのは面白いかぎりです。



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 ● 百合が原公園      札幌市

太美にいる姉と一緒に、丘珠空港にほど近い百合が原公園へ行ってみました。
ポプラやモミの林に囲まれた広大な敷地をもつこの公園は、1986年の「さっぽろ花と緑の博覧会」会場となった場所で、北区歴史と文化の八十八選となっています。
花博の名残か、ポートランドガーデン(バラ園)、ムンヒェナーガルテン(沈床式庭園)、瀋芳園(中国式の自然山水庭園)、日本庭園(池泉回遊式庭園)など、世界の庭園や温室、リリー・トレインなど有料コーナーもありますが、その他のスペースは無料で開放。
園には湿地があったり、あまり花壇花壇化しておらず、節度を保ち自然とうまく調和した雰囲気のこの公園は多くの市民の憩いの場となっています。



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 ● 様々な種類の百合の花が      札幌市、百合が原公園

百合が原の名前のごとく「世界の百合の広場」には、こんなにもいろいろな種類の百合があるのかと見応え感満載です。
それでもやはりお気に入りは清楚な白百合でしょうか。
白いギボシの群生も美しかったです。



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 ● 彩りにあふれた公園     札幌市、百合が原公園

以前花屋に勤めていたこともある姉と、公園の花に触れながら散策。
お互い渋目の花好みだったり、葉が起毛していたり、ふわふわした綿毛に覆われた草を見て、盛り上がる。
近場にこれだけの公園があるとは、なんとも羨ましいかぎりです。



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 ● ガラスのコップ2種 <左;コップ、径75×奥行95×高さ90ミリ。 右;北一硝子のコップ、径72×高さ98ミリ。>

今回は散策した小樽にあやかり、家にある小樽のコップです。
いずれも手吹きの硝子のコップ、底部にはボッチの跡がみられます。
左の手付きのコップは厚さ2ミリほど、それに対して右のコップは厚さも5ミリ弱ととても厚く寸胴でずっしりと重い、下部は氷結仕上げとなっています。
右のコップは、はるかむかし札幌に住んでいた予備校時代に知人から誕生日祝いに頂いたものです。
ただ手に余る大きさなので、薄手のコップが好みとなっている現在ではほとんど使うことがないです。
左のコップは、同じ時代に小樽のレストランでウェイトレスのバイトをしていたAちゃんから、難あり品を貰ったものです。
店では数種類の大きさのコップを使い分けていて、確かこのコップは小樽のグラススタジオ製で特注品だったはずです。
繊細なコップなので、皿洗い時にちょっとぶつけるとヒビが入ってしまう。
このコップも持ち手部分にニュウがあるのと、後にできたホツはパテ埋めして直し、使っています。
いずれも質朴といえるようなコップだけど、近年の北一硝子などでの商品の流行は、どこか観光客を意識した余計に凝りすぎた加飾があるものが多く、お土産としてはまったく求める気にはなりません。
アウトレット品にも、廉価でお得感があるような製品がみられません。
ランプの火屋や、硝子の浮き球を量産していた当時の、素っ気なくも当たり前の意匠の素朴なたたずまいのコップがあれば、是非求めてみたいものだけど、どうしてなのかなぁ。




わずかに数日の滞在でしたが、札幌近辺も楽しかったでした。 (~o~)  



  1. 2017/09/09(土) 15:19:59|
  2. 雑 閑
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372 熊川宿






先日の三方の調査の帰り際、寄ってみたのが熊川宿です。



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 ● 熊川宿    福井県三方上中郡若狭町

熊川宿は、若狭より機内をつなぐ「鯖街道」 にある、昔ながらの町並みを残す宿場町。
そのエリアは、上ノ町(かみんちょ)、中ノ町(なかんちょ)、下ノ町(しもんちょ)と長く、街路の脇には水路である前川が勢いよく流れ、道幅は車が交れるほどの広さがある。
国の重伝建<重要伝統的建造物保存地域>選定地区であり、同時に若狭鯖街道として日本遺産認定されている。
宿の交流館に貼られたポスターは「第18回 熊川いっぷく時代村」なる催事のもの。
来月10月1日に開催で「ゆるキャラと山車をひこう」というイヴェントで、近在の奇っ怪なゆるキャラが勢揃いしたその写真に、ついついわけもなく見入ってしまう。
赤いベンガラ塗りと白い漆喰壁の対比、木造の美しい町家の細部はよくみると、卯建や虫籠窓、駒繋ぎや折り畳み式の縁台「がったり」などがみられ、この宿場町の伝統的な建築にすっかり魅せられる。
資料館でみた古い写真には山車を曳く祭礼のものがあり。
また近年のイヴェントでしょうか、ブガッティのオールドカーがこの宿に勢揃いしたスナップも置いてあり、さまざまな催事が催されているようだ。
国は違えど、熊川宿の美しい町並みにばっちりお洒落に決めたオールドカー、実に絵になる一枚だった。



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 ● 細部もいろいろな熊川宿。

重伝建指定区域では、ある基準をもとに町並みと建物を当時の様子に近く再現したり保存したりの政策上、実際にその地域で日々の生活を営む住民の人々にとってはなにかと制約も多く、かならずしも良いことばかりじゃないとおもう。
ただ、不謹慎にも観光気分で訪れる自分たちにとっては、宿場町が醸し出すちょっとしたディテールが結構面白かったりする。
かってはタバコ屋であったろう民家の出窓には、招き猫が飾られ出迎えていたり。
レトロな琺瑯看板が掛かった洋品店の店内を窓越しに覗いてみたら、商品が昭和まんまの様相だったりと、ある時代の物品が好きな自分としては、何気ない生活道具のなかに随分楽しませてくれるものがある。
しかし、平成に重伝建指定されたこの熊川宿も、すでに長きの年月を経て、人々の観光のありかたの意識や、建物自体の保存の面で、次なる第2のステップに直面しているのかもしれない。
交流館の休憩所には、保存建築の改築の経緯をパネル化し展示もされているが、このような解説にどれほどの観光客が目をむけることだろうか。
隣接した道の駅はかなりの賑わいをみせてはいたけれど、平日の熊川宿はほとんどの店が閉められており、いたって閑散としたたたずまいだった。
ドライブの休憩として利用する道の駅では、物産品などの購入も気楽にできるけど、隣りにあるとはいえ、さらに一歩足をのばし、この熊川宿の長い街道を歩き地区にお金を落とす人がどれだけいることだろうか。
観光バスなどのツアー客は、この道の駅の駐車場でバスを待機させ、せいぜい小一時間のタイトな宿場見学で済ませてしまうのではないだろうか。
熊川宿には「宿場館」(若狭街道資料館)、「旧逸見甚兵衛家住宅」などの少額料金ながら素晴らしい有料見学施設もあるけれど、どれほどの月利用がされているのだろうか。
日本の北から南まで、重伝建指定地区は数あるけれど、土地の活性化と観光事業との兼合いを長期にわたり維持していくのはとても困難で大変なことに感じる。
これまで自分も幾度か重伝建指定地区を訪ねはしたけれど、どの地区にも今後の活性化を図る面で、似たような問題が山積みされていたようにおもう。
・・・・・・・・・・・・と、そんなことをおもいつつ一団で進んでいたら、先を歩いていた先生がひょっこりと自宅から出てきた土地の人と、初めて会ったのにまるで旧知の仲ように立ち話をしながら歩いていく。
さすがに学校で民俗学を教えている先生だけあって、人受けするお得意の気さくさでもって、いつのまにやらその方を先導者としてバトンタッチして、あれやこれやと案内して貰うことになってしまった。
それにしても、なんだかあまりにも詳しすぎるその方の解説に、あきらかにただの町並みボランティアの方とは違う雰囲気を感じる、訊くとこの地区のまとめ役をなさってる方で、重伝建の会議にも幾度も列席されているという。
道理で! あたらしい指南役に導かれながら、さらに資料館へと向かうのだった。



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 ● 元役場の建物が麗しい「宿場館」(若狭鯖街道資料館)

昭和15年に建設された熊川村役場を、平成10年に歴史資料館としてオープン。
シックなたたずまいのその建築は、トスカーナ風の柱頭をもつ円柱や、中央に越屋根が付いた寄棟瓦葺。
内部を貫く大黒柱は、よく見ると八角に面取されたとても凝った代物、伊藤忠2代目社長を務めた熊川宿出身の伊藤竹之助がこの村役場の建設に貢献したこともあり、建築のそんな細部にも贅を凝らした作りになっている。
また資料館になった現在では、一族の顕彰展示もされている。
入口の扉には「日本遺産認定 海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 -御食国若狭と鯖街道-」のシールがばっちりと貼られている。
熊川宿の様子や、天秤棒で振り分けて荷運びしていた魚売りの写真などで、活気のあった当時の宿の様子が偲ばれる。
展示ケースには、ぷりぷりと肥えた鯖が三匹、竹籠に納まっていた。
貢ぎ物用の輸送籠なのでしょう、本体よりさらにベロ状に簡易的な蓋部分も編だして工夫している。
これとまったく同じ籠を以前から見てはいたが、簡易籠の類と知ってはいても何用なのか用途は知らなかったので、そうだったのかとつい嬉しくなった。
多摩川の献上用の鮎籠同様に、基本的に使い切りで使い回さない土産籠や捨籠などの簡易籠は、籠の文化の一端を支えているようでとても興味をそそられる。



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 ● 住民が仕掛けたこの水車は!?

街道脇を流れる細い水路とはいえ、この前川は流れも速い。
その豊富な水量とたたずまいで、平成の名水百選にも選ばれている。
家ごとに「かわと」と呼ばれる水利施設が設けられている。
街路を歩いていたら、ガラクタのなかにこの水車(左上、50年前のもの)を見つけ、しめしめ「やった」と思っていたら、後でそれと同じ真新しい水車を担いで来る人がいる。
以前水車の展示をした際に、こんなものもあると写真を見ながらレプリカを作ったことがあり懐かしい。
しかしながら実物と、その使用例を見るのは、今回が初めて。
その展覧会を企画された先生のほうは、すでに舞い上がっておられ「さて、これは何でしょう」と学生に問い掛けている。
答えは、中に里芋などを入れて泥など落とす洗いもの水車。
容器の入口はどこになるのか。側面の円盤部分にはその箇所が見られないから、羽付きの側の一箇所が蝶番で開くのかもしれない。
羽の全体に金属ベルトを周しているのも、そのための固定の工夫か?
側は、竹材の皮付き部分が外を向くようにしてあり、それに木製の6枚羽が付く。
軸にあたる芯棒は竹材で、その棒の先端を水路の石積の小穴に差し込み、棒の元は「かわと」の段差の端の窪みに押し入れ、小石(右下、オレンジの矢印部分)で固定するというちょっとした小技に感心する。
芯材としての竹の弾力もよく活かされて、ぐわんぐわんとしたたわみをみせながらも水車が勢いよく高速回転しだす。
これだけ勢いのある流れだからこそ6枚羽で可能で、流れがなければさらに羽数を増さなければならないという。
先のブログ №369 便利生活への欲望 にも書いた、手回し洗濯機のなかにもこの水車と似たようなドラム型タイプのものがあったけど、洗濯機の場合は洗濯水などの洗液供給が洗濯物にとって必要となるので、これとまったく同じというわけにはいかない。
そんなことを考えつつ悠長に水車をながめていたのだけれ。
かくいう先生のほうは、這い蹲る体勢でもって一分の隙も見逃さないように、回る水車にカメラを構え連写の嵐を送って記録しておられた、 流石だ!



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 ● 前川利用 その2

前川の豊かな流れの利用は、昔より洗い水車によって実践されていたが、
水車効果か、こんどはつい回るものモードになってしまう。
この写真は、人目のつかない宿場館裏手の流れを利用した小水力発電の様子。
水の中で流れを受けて、スクリュー状の羽が高速回転している。
確かに住人の方に先導されなければ、漠然と見えてはいてもなかなか気付かないシステムだ。
かんたん設置・維持管理を目標に開発された優れたピコ分散電源システムで、静寂性に優れ、高耐久というもの。
発電機とコントロールBOXで昼間蓄電を行い、夜間のみの点灯。
LEDが開発された現在だからこそ省エネルギーでも可能となったシステムで、5~10Wの夜間照明が常時まかなえる優れもの。
宿場館では、2基のLED照明が活躍中で、道の駅、西口駐車場にも利用されている。



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 ● 「宿場館」での民具展示の様子。

200円の入場を払い入館する。
目の覚める鮮やかな黄色のポロシャツにバンダナ姿の係りのお婆あちゃんが、懇切丁寧に資料の解説をして下さる。
小さな館ながらも、よくまとめられた展示コーナーで。
そんな解説をよそに、「ははぁ~!なるほど~!」と碌にお話しも聞かずに、つい先走って物に目が入ってしまっている自分がいていけない。
展示されている橇など、むかしの古い写真に照らし合わせながら、かって使われた民具の様子を知ることができる点もよい。



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 ● 「熊川葛」

民具はいずれも結構覚えのあるものばかりだと思いきや、あららこんな珍しい道具も展示されている。
葛(くず) といえばやはり吉野葛しか思い浮かべなかったものの、ここ熊川は葛の生産地としても有名だったことを知る。
ガラスケースには、紙箱に収められた100年前に作られた葛(上)が展示してあった。
なんだかモースがアメリカに持ち帰った、明治時代の日本の食材に出会ったようで楽しいかぎりだ。
元禄年間の記録にはすでに「葛粉」として「熊川村並ニ河内村ヨリ出ス、多ク京師(みやこ)ニ売ル」とあり、厳冬の最中に、熊川の美しく豊かな水を用いて精製されていたようだ。
しかし100㎏の葛根より精製されるのは、本当に僅かの分量という具合らしく。
葛づくりは洗っては上澄みを捨て晒す、根気のいる作業の連続のようだ。
展示されていた民具はいずれも簡素なものばかりで、葛根叩解用の木槌(葛バイ)、大小の桶や諸蓋、ならし鏝、金篦、搾り網などの道具が並んでいた。

野山にはびこり、手入れのされない荒れ地のイメージの象徴であるようなクズながらも、マメ科特有のかたちをした紫色の花はとても美しい。
近年では国内にすっかり帰化した外来植物の被害で大変なことになっているが、クズはその逆輸出的な存在らしく、日本よりすっかりハリウッド(の野山)に進出して根付き、すでに当地でも大問題を引き起こしているという話しを聞いたことがある。
ゴボウ同様にたんなる草の根ということではなく、クズも貴重な食品(葛粉)のひとつとして認識されてさえいれば、アメリカ人にとっても一役勝ったハリウッド・スターになっていたかも知れない。
現在熊川では、原料の葛根は既に地元産では賄いきれず、余所より入荷となっているが、多分その精製プロセス自体は、依然として変わっていないのではないかと思う。
つい嬉しくなって、ここでも珍しい民具ということで先生と共にバシャバシャ写真を撮っていたら、 「あれっ、写真禁止のマークがあるよ!」と誰かの一言。
「ははは・・・・・・・、またやってしまった」
はなはだしい勘違いの顛末ながらも、無事事後承諾を得て、折角ですので製造工程パネルを並べてみます。



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● 葛粉製造工程

<左上より>
山掘り、葛根、葛打ち、
葛殻・葛洗い・葛絞り、かね、振こし、
よね、葛さらし、寒晒し、
玉干し、



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 ● 職人絵図にみる「葛作り」の様子。

和菓子や日本料理に、もっちりとした独特のとろみをつけ、食材として欠かすことのできない、とても上品な澱粉質をもつ葛粉は、このような根気強い工程によって生まれてくる。
大学の先輩で、現在ではほとんど製造されていない従来ながらの方法でもって、蕨(わらび)粉製造のプロジェクトを立ち上げられた方がおられるが、お話しを伺うだけでも大変な労力の積み重ねのようで、ついついこの葛粉作りにもどこか同じような苦労が偲ばれる。
むかしのパネルの写真には、どうやら子供までもが動員されて家人の手伝いをしている様子が写っている。
泥のように汚れた液体から純白な澱粉として幾度も晒していく、大寒の中で行う水仕事は、きっと忍耐の連続で想像を絶するほど大変な労働だったにちがいない。




時間が許せばもっと滞在したかった熊川宿、それでも皆と一緒に複数の目を通じて見えてくる世界が新鮮で面白く、とても勉強になりました。 (~o~) 



  1. 2017/09/06(水) 20:57:07|
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370 ローカル線でGO!






しばらく帰省していました、久しぶりのブログです。
今回の北海道は札幌IN。

前回、石狩太美の姉宅より車で実家に帰省した際、車窓より度々見えていたJRの学園都市線。
お隣の石狩当別から次の医療大学前までは電化されているものの、その先はすっかり錆びれきってしまっていて、なんとも鄙びたたたずまい。
年ごとに利用者も減り、最終駅の新十津川までのコースは、近々廃線になるのではという話しでした。

札幌から実家のある旭川までは、JRよりは断然本数の多い高速バスを利用したほうが、料金も時間も節約できて便利なのですが。
急ぐ旅でもなし、そんな廃線間際のローカル線を使って、時間を気にせずちんたらと帰るのも暇つぶしに良いかもと、先月偶然乗った九州のローカル線をおもいだしチャレンジしてみることに。

JR新十津川駅よりJR滝川駅までは、地図で見ると石狩川に掛かった橋を渡れば数キロといった距離ですし、その間はバスでアクセスすれば一切問題なし。
折角だから、滝川-旭川間(函館本線)も鈍行列車で帰ってみよう。

ところで新十津川の”新”ですが、札幌近辺の新広島市などのように、北海道の地名では北海道開拓で集団入植した際の元の地域の付いた名前が残された例がみられます。
新十津川は、母村である奈良県の十津川村の大水害<明治22年、日本の現代史で有名な十津川崩れ>により、集団入植された経緯より付けられた地名。
町には「開拓記念館」なる博物館もあり、その関連の展示も充実しているようです。
高校生のとき、滝川に住んでいた叔母を訪ねたさいに、新十津川近辺を車で通った以来で自ずと期待感が湧いてきます。

それで、YAHOO路線案内で”石狩太美-旭川”を新十津川経由で打ち込んでみたところ、一度札幌に戻ったり、バスに乗り換えたり、果ては石狩太美から石狩当別間8キロを徒歩で102分歩くなどと、ともかくとんでもない時間と料金のトンチンカンな結果が現れました。

昨年2016年のダイヤ改正にともない、どうやら”石狩当別-新十津川”を結ぶ列車は、これまで一日3本あったものが1本のみとなった模様。
その一日1本の減本の結果が、 「日本一早い最終列車が出発する駅」 (現時点)となり、ある種のフアンには、にわかに盛り上りをみせている様子です。



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 ● 「石狩太美」より「石狩当別」まではわずかに一駅。

当然ながら悩むまでもなく、さすがに石狩太美より当別まで畑の道を102分歩かなくても、新十津川行きに上手く接続する電車はありました(笑)



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 ● 「石狩当別で」新十津川行きの列車に乗り換える。

ここからはディーゼル一両編成の鈍行列車。(次の「北海道医療大学」駅までは電化されている)
夏休みのこの季節、北海道医療大学を過ぎてしまうと、乗客の半数以上は鉄ちゃんなどの観光客。
さすがに車社会の現代では、この列車ではアクセスがあまりに悪すぎる。



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 ● 「北海道医療大学」の次は、列車車両をそのまま駅として設置した「石狩金沢」

北海道医療大学を過ぎ、一気に鄙びた風景へと豹変するローカル線。
”乗鉄”もいまの時代、昔のようにリュックのなかから電話帳のように分厚いJR全国時刻表は出てこなく、お手軽なスマホのみを使用。
それでも、おたくの本道というかじわじわと滲み出ている雰囲気はしっかりと固持しているのを、素人の自分にも感じさせる。
普段縁のない、ちんたらとした列車の旅と、人間考察で旅情も高まる。



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 ● 「石狩金沢」駅の様子 2015年撮影。

3年前に太美の姉宅へ寄ったとき、車で石狩金沢の温泉へ行ってみた。
お昼のこの時間、温泉はまだ開湯しておらず、折角だからと石狩金沢の駅に連れて行ってくれた。
この写真はそのときのもの。
確かにこの時点の時刻表には、新十津川行は一日3本しっかり確認できる。
駅に置いてあった感想ノートには、様々な寄せ書きがある。
列車でふらりと下りるには、あまりにリスクが高すぎる無人駅ということもあって、自分のように温泉ついでに車で立ち寄ってみた書込もみられる。



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 ● 石狩金沢の「開拓ふくろふ乃湯」 2015年撮影。

石狩金沢駅にほど近くにあるのが、この「開拓ふくろふ乃湯」。
湯温25度を人肌に加温した、体にしみいるように柔らかな薄い茶色の源泉掛け流し、美肌効果抜群の炭酸水素温泉。
2009年に開湯したが、諸事情で一時閉鎖されていたところをこの春再湯したという新聞記事が置いてあった。
露天風呂は、滝や池のある庭園を眺めながらゆっくりと湯に浸かることができる。
自然のなかで実にこじんまりと経営されているこの温泉のツボにはまった、愛湯家も多いという。
窓際には温泉の名称を象徴するごとく、イチイの木彫りのフクロウがぽつんと置いてあった。



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 ● 「石狩月形」

石狩当別-新十津川間の、中間のポイント駅が、最寄りに高校もあるというこの石狩月形駅。
上り下り線の待ち合わせのため、列車もしばらく停車する。
ホームにみられる木製プレートが、なかなかいい持ち味を醸しだしていた。
それにしても地元の高校生、登校時は列車で通学出来るのだろうけど、下校時の足はどうしているのだろうか、疑問だ!?



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 ● 合間に小さな駅のみられる森や林を脱け、蕎麦、小豆、馬鈴薯、玉蜀黍などが栽培された農地や牧草地へと景色が移っていく。



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 ● やっと「新十津川」に到着!!

「歓迎 ようこそ新十津川へ」駅に掲げられたなんとも年季の入った看板。
列車で終着した観光客は、すかさずホームで記念撮影。
”撮鉄”一行は、さすがに機材の装備も完璧です。
駅には地元の親子連れが歓迎のお出迎え、到着記念の手製の絵葉書をプレゼントしてくれます。
駅の時刻表に確認できるのは、9時40分発の一本のみ。
始発終発の区別もなく、確かにいまの時代こんなに閑散とした時刻表は見たことがない。
ありがとう新十津川、お蔭でたのしい旅となりました!



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 ● 観光案内所なるものを探しに町役場へ。

「駅には何もないよ」という姉の言葉どおり、駅前に建つのは病院のみ、鉄道駅は町の主要道路から離れていて何もない。
まずは新十津川-滝川間のバスの時間を確認するべく、主要道路へと移動する。
バスは一時間に1本といったところ。
ついでに観光地図(!?)を貰いに役場へ寄ってみる。
博物館までのルートを確認していたら、『JR札沼線 新十津川駅 到着証明書』<日本一早い最終列車が出発する駅に到着したことを証明致します>のハガキを頂いた。
どうやら役場の窓口に来たことを、証明書受託目的と勘違いされたようだけど、そこは素直に貰っておく。
それにしても日本の市町村、どんな辺鄙な行政にもゆるキャラは存在するのだなぁ~。
新十津川町には「十津川村 郷士くん」「とつかわ こめぞー」の2体がお出迎え。
その手の趣味は・・・・・・・・・”ない”と思いつつ、依然旅モード、折角だからそれでもしっかり写真に納めているもう一人の自分がいる。

博物館は役場から徒歩10分ほどの場所にある。
その名も「新十津川町開拓記念館」、その建物は札幌野幌森林公園にある「北海道開拓記念館」(現;北海道博物館)とよく似ている。
開基90周年の記念事業として新設されたこの博物館は、担当学芸員が北海道開拓記念館とも関わりがあり、そのコンセプトを元に造られた館という。

受付の方と話していると、ご親切に収蔵庫内を見学させていただいた。
大型の農具や民具なども、本来は館内駐車場スペースを活用して、正確な系統分類されていおり、実に丁寧な作業と充実した内容だ。
特に目を惹かれたのが、近郊で採掘された砂金関連の道具で、なかにはアメリカから輸入された特大な砂金分類機械まである。
つい嬉しくなり、本番の常設展示そっちのけで、こちらを先にじっくり見入ってしまう。
大方の道具は、どのようなものか大体瞬時に想像がつくが、なかにはまるで読めない道具もある。
先に答えを知らず、あとで展示を観てその答えが確認できたりといった変わった見方だったけど、それはそれで面白い。

常設展示では、奈良県の母村である十津川村と、この新十津川への移住と開拓の経緯にスポットを照てた内容がよくまとめられており、とても充実している。
これは北海道各地の開拓史にはみられない、この町独自の災害による集団移住の歴史に負うところが大きい。

気付くといつもの癖で資料見学に時間を費やしすぎてしまい、バスの時間を見逃してしまった。
1時間ほどのバスの待ち時間は余りに長すぎて、バスで8分歩いても橋を渡れば急ぐだよということで、滝川駅まで急ぎ足で歩いてみる。



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 ● 新十津川より滝川へ歩く

列車の時間を考えると、ついつい早足で急ぐことに。
途中でぽつぽつ雨も降り出してきて、石狩川をまたぐ橋(451号線の南側の橋、右上)の距離のなんとも長いことか。
橋を渡っていると上空を低くグライダーが滑走していく、滝川よりの川辺には「滝川航空公園」があり、そこには「滝川スカイミュージアム」(左下)があるらしい。
橋を渡り終えてから滝川駅(右下)までがやたらに長く、有に1時間以上かかってしまった。
ローカルタイムの読みが甘すぎて、滝川駅次発の鈍行列車の時刻までさらに2時間の時間潰しとなった。
トホホ、まあ、これもあてのない旅の醍醐味か。
駅前のデパートは、不況の煽りかレストランも閉鎖されており、ほとんど物抜けの殻。
随一デパートのワンフロアーを占めていたのが、100均のテナント。
年金高齢者社会、財布の支出を抑えた暮らしぶりは地方都市にあっても同様に、そこだけ繁昌しているのがなんとも虚しい。
雨降りのデパート内で時間潰しに100均製品を手に取り、使える物使えない物と考察していく。
100円といったこの値段で製造し供給される製品の陰には、どんな社会構造の絡繰りが存在するのか。
その安さに目を奪われ、安いが便利で良いものと錯覚してしまう、使い捨ての浪費社会が浮かび上がる。
地元の中高生に交じっての駅の待合室、文庫本片手に水筒に詰めておいた飲み残しのワインをお茶を飲むようにしおらしく飲んで時間をやり過ごす。



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 ● JR滝川駅

鈍行を待ったため、滝川から旭川までは、乗車時間よりも駅での待合い時間がよほど長かった。
札幌からの高速バスならば、ここでの待合い時間だけで目的地まで充分に到着してしまう時間だ。
でもねぇ、”鈍行”という言葉自体がほとんど死語化している現在、やはり時間貧乏となってしまっている時代には幾分貴重な機会といえる。
さらに一本列車を遅らせて、また2時間待つ手はあったけど、やはりこの雨模様には抗えない。
市内の博物館などを見学するには微妙に足りない時間で、やはりパス。



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 ● 「滝川-旭川」(函館本線)

田舎への帰省でも列車はほとんど使っていない。
電化が進んでいなかった地元では、列車の時刻を「汽車の時間」と当たり前によんでいた。
旭川近辺に近づくと、子供時代に遊んでいた、石狩川沿いにあったサイクリングロードでも見かけた「伊納」、「近文」などのぽつんとした駅が目につきなんとも懐かしい。
しかも駅のホームにはその時代のまま取り残されてしまったような待合室が見られ、なんともローカル駅の風情を高めている。

鉄ちゃんではないけれど、幾分その心境に触れた気がする。
短い路線をすっかり長旅気分で移動でき、車窓を楽しみながらちょっぴりとした飲酒と、しっかり読書できて、やはりバスの利用では味合えない鉄路の移動ができ、結構ポイントの高い一日となりました。




急がず焦らずの鈍行列車の旅は、「青春18切符」使用以来かも、まずはちょっとした癒しの一時を有り難う!! (^_^)v 





  1. 2017/08/27(日) 12:06:08|
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