うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

368 見知らぬ町へ






「見知らぬ町へ」なんていうと、なんだか谷口ジロー描く世界のようなニュアンスだけど。展覧会の後片付けの手伝いで、突然ながら一泊二日九州へ行ってきました。<2017年7月23-24日>



B368_01.jpg

 ● 「見知らぬ町へ」行くのは、やはりどこか旅気分、さてどこに着くのやら・・・・・。

九州なんていつ以来だろう。確か前に行った熊本の時は、まだ2000年になっていなかったはず。
羽田では待ち合わせ時間のみ、展示の片付けとは聞いてはいるけれど、詳しい情報は一切なし。
まずは九州の空の玄関博多空港へ、そこからローカル線を乗り継いで結構な田舎へ行くらしい。

上段 ; この日は二十四節気の大暑、九州はむんむんに蒸してました。博多空港は市内とのアクセスも抜群に良く便利です。
二段目; 福北ゆたか線。JR九州の、車両が意外とモダンな電車です。新飯塚へ。
三段目; 後藤寺線。ローカルの一両編成のワンマン列車(ディーゼル)、車内の扇風機はレトロな国鉄時代のものか? 終駅、田川後藤寺に到着。
下段 ; いわゆる筑豊エリア、車窓より突然現れた大きな工場は炭坑ではなく石灰採掘工場らしい。




B368_02.jpg

 ● 「田川後藤寺」

あっちゃ~! 「見知らぬ町へ」の儚い期待を一気に吹き飛ばしてしまうような閑散とした雰囲気。
かつては炭坑(ヤマ)で栄えて遊廓まで有したほどの栄華を極めたと謳われたらしいけど。現在列車は一時間に1・2本。
アクセス強化の駅前看板の効果も虚しく、ひろがる駅前のシャター商店街。
う~ん、確かになにもない町です。
シャシャシャ・・・・・・・・・と、この暑い最中に、さらに暑さにに追い打ちをかけるようなクマゼミの狂い鳴き。
そんな寂れた駅のホームで、まずは作業前の腹ごなし。
旅情気分を無理矢理高めるべく博多で買ったかしわめし弁当「大名道中駕篭」1030円でお茶をにごす。



B368_03.jpg

 ● 「た~んとあります。」田川の魅力を召し上がれ。   田川市

町を挙げてのポスターに書かれた、秀逸なコピーはよいけれど、やはり魅力となるとまた別物か!?

勝手になにもない町の第一印象を振った田川市だったが、実は田川はかっての炭坑(ヤマ)の町であり、市の石炭記念公園内には「石炭・歴史博物館」 (今年のGW連休にリニューアルオープン)がある。
館蔵の山本作兵衛コレクションは、炭坑で働く人々の姿を独特なタッチで詳細に描いた記録画で。
絵としては確かに達者ではないけれど、その独特な作風は一度見たら忘れられなくなるようなインパクトがあり、確かにこの画は以前テレビで見たのか記憶がある。
そして驚くなかれ、このコレクションは、オランダのアンネ・フランクの日記のように、ユネスコ世界記録遺産(世界の記憶)に登録<日本初>されているという。

ホテルの窓から見えていた、にょきにょき2本のあの怪しげな煙突がこの博物館だったのだなぁと納得した。
また、市の美術館にも作兵衛の常設展示室が設けられ、彼の記録画の写真と共にそのシーンに併せた博多人形が展示されていた。(下段)
山本作兵衛は、町を挙げての、いや日本を代表する記録画の偉人なのだった。
そして同様に、ただの寂れた田舎町とは侮れない、田川市なのだった。




B368_04.jpg

 ● 田川市美術館

田川市には、図書館と隣接して、とても立派な美術館が建っている。
開館時の90年代当初からしばらくは、現代美術家である川俣正とタイアップして様々なアート・イヴェントが行われていたことを知り、さらに一地方美術館にして、あの時代にこの濃い企画がなされていたとは驚かされるばかりだ。

今回の作業はこの展覧会の片付けとなる。
上條作品は、これまで単品では幾度か目にはしていたけれど、さすがに美術館で一堂に並ぶとなかなかの迫力で見応えがある。
パレスチナよりイメージされたオブジェやインスタレーションなど、切り紙風の混合技法でもって自在に表現されている。
互いの作品が連呼し共鳴し合い、独自の世界観を構築している。
また、パレスチナの子どもたちの作品も、見ていてとても活々として色鮮やかで面白い。



B368_05.jpg

 ● 作業開始!

上段  ; パレスチナの子どもの作品、右は日本の子どもとパレスチナの子どもとの合作。
中段下段; 上條作品


ともかく細々とした部品が多く、各々を丁寧に梱包していく。
展覧会で整然と陳列された作品を鑑賞するのとはまた別の視点で、このような作品に直に触れる作業より、作品の持ち味を感じることも多く、このような実作業はとても楽しい。
特にパレスチナの物品を箱詰めしたようなオブジェには、現地の情報が満載だ。
片付けは、流れを掴めばそれほど神経を使う作業ではないけれども、展示の設営はとても大変だったに違いない。
館のスタッフは皆若く、気さくな館長の指示のもと、てきぱきと動きとてもよい雰囲気だった。



B368_06.jpg

 ● ミュージアムショップ

ショップでは展覧会図録やカード以外にも、子供用にクレヨンや水彩絵の具などの画材、ほかにもちょっとした小物が販売されている。
どれもがポップでキュートなものばかり。
みていて大人も欲しくなるような文具も結構ある。

「かおノー モンスター」、1080円
「 kakuno」(PAILOT万年筆)、1080円
「色鉛筆」(12色)STABIRO、648円
「はじめてのもちかたクレヨン」、(Faber Casttle)864円



B368_07.jpg

 ● 会期中の子どもを中心としたワークショップより。

 上段; 「世界にひとつだけの帽子を作ろう!」
上條先生のギャラリートークで展覧会を鑑賞した後、みんなで帽子作り。
紙やフェルトを使ってオリジナルの帽子制作、切ったり、貼ったり、折ったり、工夫を凝らし世界にひとつだけの帽子が完成!

 中・下段; 「わたしってどんなカタチ?」
田川市立後藤寺小学校の体育館で行った出張ワークショップ。
子どもたち(3年生)が上條先生に教わりながら、等身大の自画像を作る。
大きな紙の上に寝ころんで友達のカタチをなぞったり、紙いっぱいに色塗りしたり、普段できない体験にみんな大はしゃぎ。



B368_08.jpg

 ● ワークショップで制作した自画像をこれから展示。

片付け作業と平行して、美術館のスタッフが今回のワークショップで制作した子ども達の自画像を展示。
各自おもうがままに伸々と身体を動かし、自由に楽しみながらの制作風景が目に浮かぶようで、どの作品も微笑ましい。
パレスチナの子ども達に絵を長らく教えてきた、上條先生ならではの独特の感性が、この町の小学生にもしっかりと伝えられたことと思う。
少子化していく町にあって、やはり子どもたちは未来の財産だ。

最後は子どもの描いた絵を楽しみながら、美術館での片付け作業も無事終了。
田川のイメージは、当初のなにもないから町から、「た~んとあります」にしっかり変わりました。



B368_09.jpg

 ● 〆はやはりラーメンで!

二日間に亘る作業も終わり、筑豊の小さな田舎町より、博多という大都会に舞い戻ってみるとそのエネルギッシュな熱気に圧倒させられます。

観光無縁の滞在ながら、飛行機に乗る前に、最後にちょこっとだけお上りさん気分。
駅のモールにあったラーメン街道なる、ラーメン店が十余店入った中より選んでみたのが、博多ラーメンの「博多一辛舎」
泡々とした濃厚な豚骨スープに、店オリジナルの「辛子高菜油いため」(激辛)が良く合います。
ビールとともに頼んだ餃子は、一見その小ささに驚かされたものの、具に入っているコリコリとした食感がとても不思議で、問うとナンコツとのこと、ちょっと変わった感じの餃子ながら、食感ともに悪くありません。
本来が道産子らしく慣れで素朴な北海道ラーメンがやはり好きだけど、豚骨ラーメンの細麺がスープによく馴染み、博多ラーメンの美味さも少しばかり理解できた一時となりました。



B368_10.jpg

 ● 短いながらも楽しい九州でした。

パレスチナの子どもが描いた上條先生(下)は、絶妙なほど先生を現していておもわず笑ってしまった。
最後はそんな先生のバイバイ姿で・・・・・・・・・。さようなら!



もし田川を訪れることがあったなら、今度は是非「石炭・歴史博物館」を観てみたい!! (^-^) 




  1. 2017/07/25(火) 21:55:42|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

366 帰省日誌 旭川 2





B366_01.jpg

 ● 秩父別      6月28日

今回の帰省も、親族会の温泉旅行が目的。
昨年同様に秩父別の温泉施設”ちっぷ遊湯”で宴会する。
昨年同様、2度目のパークゴルフのスコアーは、まったくもって悲惨な点数でした。
町の駅を覗いてみると、深川から留萌を結ぶローカル線であることが判明、かっての使われていた窓口は閉鎖され、いまでは無人駅。
旭川からは車で小一時間で来れるけど、次回は無理して列車でちんたらとここに来るのも楽しいかもしれない。
競技場の施設などはあるけれど、そのほかは特に特長のない北海道の田舎町、ブロッコリーが町の物産品で、ブロッコリーを練り込んだパスタやアイスクリームが道の駅で売られてはいるけれど、触手は一向にのびない感じの商品です。
ふるさと納税での返礼品は、そんなパスタやトマトジュース、秩父別産のゆめぴりか(米)などが掲がっていました。
町の周囲は、北海道らしいといえばそれらしい田んぼに囲まれていて。
昨年は丁度稲の刈り入れ時期でしたが、今回は田植えが終わってさほどたっていなく、稲の生育も膝下ほどの高さです。
今回は千葉から参加した従兄弟にも10年ぶりに会って、自分にとってはまったく馴染みのないアニメの「ガルパン」の話しを聞けて面白かった。



B366_02.jpg

 ● 秩父別郷土館。

パークゴルフ場に隣接しているのが図書館や役場の施設。
よく見ると立派な郷土館もあるので覗いてみる。
入口にあるベルを押すと、役場から職員が来てその都度開場して対応するというシステム。
郷土館は、北海道開基100年記念の助成金で建てられ、それなりの展示内容なのだけど、見学者はほとんどいないのだろうか、民具に興味があると云うと、帯同している職員の方が親切にも収蔵庫のなかを見せてくれた。
農具の中に北海道らしい地方性のある道具が若干見られ、冬場のストーヴまわりの小物も、あらためて見ると、こういうものをむかし使っていてよなぁと懐かしく思うものが見られた。
ブリキ製のヒヨコの水差しが面白い、鳩サブレの缶に収まっているのもご愛嬌といったところか。



B366_03.jpg

 ● 教会のワンコイン・パーティー。   7月2日。

日曜日のこの日は、久しぶりに教会のミサにあずかった。
信者の方も母同様齢を重ねてしまい、若い方がほとんどいなくなってしまっていた。
ミサの後は、通った教会幼稚園の敷地で、夏のイヴェントで幼稚園の父兄、近所の方も招いたワンコイン・パーティーがあり参加してみる。
このイヴェントも今回で8回目、ジンギスカンや焼きそば、ホルモン焼き、イカ、ホッケ、青ツブ、ホタテなど食べ放題・飲み放題(今年から生ビールにかぎり1杯100円徴収)。
そのボリュームにあっぷあっぷするも、炭火焼きの食材はなんとも美味でビールも必然的に進んでしまう。
肉まみれでなんとも贅沢なバーベキューなのだが、やはりつい野菜がもっと欲しくなるのは、自分も齢をとってきた証拠なのかもしれない。
流しソーメンが開始されると、それまで各々遊んでいた子ども達が一勢に集まってきて、すごい人気となった。
やはり子ども達にとっては、こういったイヴェントが好きなんだなぁと、見ていてとても微笑ましくなりました。



B366_04.jpg

 ● 実家にいてもやることといえば・・・・・・・・・。

実家に戻るもやることといえば何もなく、閑つぶしに釣りが日課になってしまった。
家から自転車で10分で近所の忠別川に着けるので、朝5時代には釣り糸を垂れているという毎日。
夏至直後の北海道は夜明けも早く3時台には東の空が白み始めてくる、すっかり早寝早起きが定着し、自分もすっかり老人の仲間入りといった感覚になっている。
天候不順で川が増水していたりと、その都度川の状況も大きく異なるが、それでも朝昼夕と多い日には一日3回も同じポイントに通い詰めていると、川の流れと水の濁り、水温、魚の餌の食い具合との関連性がうっすらと見えてくる。
まったくもって下手っぴのぼんくら釣りのため、背後より「なにが釣れるの」と声を掛けられるのが一番辛い。
その多くはウグイばかりで、釣ってもスルーするばかりだけど、コイ科のウグイの引きはその大きさによって餌のつつき具合引き具合が微妙に異なりまんざら悪くない。
特にこの時期のオスのウグイには、身体全体に婚姻色の鮮やかな朱線が走り、頭部にはぼつぼつとした追星(おいぼし)が現れていて綺麗で、釣り上げた途端に射精するものもみられる。
竿は新聞チラシの特売の2.6mの渓流竿を買ったものの、結局昨年穂先を木に引っ掛けて折ってしまったのに懲りて、中学生の頃買った清流竿4.5mを3本にばらした2.2mほどの硬調の穂先のものばかりを使ってみた。
ミチ糸1.5、ハリス0.8<自分で巻いたものは0.6>にヤマメ針7号か8号、ガンダマ大1個、目印2箇所、仕掛けの全長を1.8mほどと軽装の仕様にした。
今年はイタドリはまだ育っていなく、餌は庭からミミズを調達、こんな仕掛けにも指先大の新子の山女は結構食らいつく。
ルアーや、大型の針を付けた仕掛けで投げ釣りする人を見かけるが、ミニマムの仕様が自分には合っている。
釣果はおそまつながら、それでも一日1匹2匹と釣れたニジマスやヤマメが累積されていくと、ちょっとしたご飯のおかずになる。
フライパンでこんがり焼き上げると酒の肴としてもなかなか美味だ。
自分の場合、脈釣りでは針を沈め気味に流す癖があるので、よく根掛かりして針を失う。
最終日の朝はニジマスが3匹、おまけによく根掛かりしたポイントで釣り上げたウグイには、水草のゴミと一緒に自分が無くした針が2本おまけに絡み付いていて回収するという珍事もあり、そんなこともあるのかと可笑しかった。
釣りの初日の朝は、濁った溜まりでアメマスを釣ったが魚籠入れの際に取り逃がしてしまってとても残念だ、逃がした魚がその妄想の中で2倍ぐらいのサイズにふくれあがっている。
近年市内の川も魚道が通され生態系が微妙に変化しているのが識れる。
昨年は秋口で魚の遡上の時期にあたり魚影も濃かったが、今年は時期が早いのか魚影もさほど濃くなく魚体もまだ小さい。
藪に入るとイネ科の雑草が放つ花粉が黄色く多量に放出される、カバ科の綿毛も雪のように舞っていて花粉症になりそうだ。
時間帯によっては、糸を垂れている竿先にカゲロウや蚊の類が一勢に群がり蚊柱が立つ。
釣りを通じた同点観察のなかで培われる情報も多い。
ママチャリでは無理だけど、このような清流ではなく、オショロコマやイワナが棲む上流の川で本格的な渓流釣りをしてみたいものだ。
それでもお手軽に釣りを楽しむ川が身近にあるのはいいことだ。

右上; お隣で成っていたサクランボ。
左下; 開花したサボテン。



B366_05.jpg

 ● 動物園も50周年

昨年買った動物園の1年パスポートも、今回は使うことなく動物園前の倉前川の様子を見にいったのみ、水門(左上2段目)が増水して暴れており胴長を穿いて水に浸かるも身体ごと持っていかれそうで怖かった。
昨年の水害以来、大規模な護岸工事はまだ終了しておらず、川のコンディションは依然荒れっぱなしの状態にある。
新愛宕川と牛朱別川の合流付近は段々とした結構な魚道が設けられていた。(右上3段目)
カバの綿毛は雪のようにふわふわと宙を舞っていて凄い有様、この綿毛を全部集めたら織物が出来るのではと、つい思ってしまった。(中段)
空港に着くと、旭川空港も動物園同様に今年で50周年らしく大々的なポスターが張られていた(右上)、ゴマアザラシにキリン、さらに花を冠ったゆるキャラが新たに増えていた。小学校の遠足のときには、まだ国産プロペラ機のYS11が飛んでいた。
フライトの待ち時間、最後は動物園に敬意を表しゴマアザラシのイラストのサッポロ・クラシックで乾杯する。(左下)



実家ではなにもしないまま終わってしまいましたが、まあそんなものですか (^^) 




  1. 2017/07/17(月) 23:45:23|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

365 帰省日誌 旭川







B365_01.jpg

 ● 石狩太美

丘の一帯にはスウェーデンヒルズという、この太美の駅舎のような建物のスウェーデンハウスばかり集まった宅地があり、スウェーデン人によるガラスや陶芸などのクラフト工房があったりと、なにかと名前の面でスウェーデンにあやかった太美です。
閑散とした駅前のスウェーデン大通りを歩き、防風林沿いの姉宅へ向かう。
新しく加わった茶トラはグラ、2匹となった猫は絵本の題名のように、グリとグラ
サクランボごちそうさまでした。
翌日は姉と一緒に実家へ向かいます。



B365_02.jpg

 ● 「旭川クラフト展 2017」より

会場は古い煉瓦倉庫を改装した、デザインギャラリー / チェアーギャラリー。
メーカー、プロの作家から学生までと80名ほどの作品が展示されています。 <6月24日>
陶芸、ファブリック、ガラス、革細工・・・・・・・・と様々なクラフトがみられるけれど、
やはり何といっても一番多いのが、木のまち旭川らしい木工品です。

本年度より工房を開基したD君の作品(左3段目)の出品を観に、会場にいた彼の背を後ろからサプライズでつつくと、「あれっ、どっしたの~」となんともとぼけた彼らしい反応です。
出品されているのは、昨年準備中の彼の工房で見せてもらい試作中だった、表面を焼き杉処理して仕上げたレターケースに、ペーパーコード座面のスツール、鍋敷、一輪挿し。

D君の工房の様子は、ブログ№292 野中の工房
を参照下さい!

あらたにスマホ・スタンドが加わり、これが一番の人気商品らしい。

以前学校で木工を教えていた彼らしく、その仕上げなどポイントを押さえた適切な解説を聞きながら、ひとつひとつの作品を鑑賞していくと、作品の見え方がまるで違ってくるから不思議です。


右下; 一見ただ座布団が載せてあるようなスツールは、アート・クラフト・バウ工房の「木ション・スツール」。

精度ある指物技術とシンプルに洗練されたデザインの家具づくりで定評のある作家で、むかし彼に案内されて一度工房を訪ねたことがあります。
今回は会場に一緒に展示されていた、新作の2ウェイの”ロー&ハイ・チェス”トばかりに目が入ってしまいましたが。
スツールのサテン布の黄色の座布団とおもっていた部分も、実はすべて木でできている。
キハダでしょうか、座面の色鮮やかな黄色も天然木の地色で着色は一切なし、四角の模様の部分も黒色材にかえて木象嵌の仕上げです。
一度丁寧に内刳りしてから、再度合わせて違和感ない座布団に仕立てあり、どこでどう継いであるのか一切見当がつかないほどの精巧なつくりです。
内刳りすることで、その見かけによらず片手で楽々持ち上がる、その軽さとなめらかな感触に驚かされます。


指南役の解説がつくと、鑑賞も倍増されて面白い!



B365_03.jpg

 ● 「旭川クラフト展 2017」より

上段; むかしから馴染みのあるようなものが、このような挽物細工の木盆や、北海道らしい木彫りの熊の置物。
横文字のクラフトというよりは、どこか土臭く木工品というニュアンスが強い商品です。
木彫りの熊なんてなんとも古くさいと思いきや、実は現代のマトリョーシカやこけしなどの”かわいい”ブームもあってか、ともかくアジアからの観光客に絶大な人気で、供給が追いつかないほどの一押しの再ブーム商品なのだとか。

左中; メーカー在勤の若手による自主出品コーナーも目を惹きます。
メーカーで培った確かな技術と独自のアイディアを盛り込んだセンスあるデザイン、モバイル的な小物が多く並んでいます。

下段; プラン・ド・ハウス / エフ・ドライブデザイン
どこか美大でのプレゼンを思い出してしまうような商品ですが、つい気になり見てしまったもの。
このメーカーは、家具やコントラクト家具の製造工程で生まれる余り材を活用した”雫木KUZUKI”シリーズなどの紹介するとともに、今回はデザイナーとジョイントして新たに生みだした”DIYカトラリー”という新アイテムは、「削って、仕上げて、自分で作る、木のスプーンとフォーク」をコンセプトにしたもの。
スプーンやフォークの先があらかじめ機械仕上げされていて、鉈割の自然な姿に割裂した柄の部分を小刀で自由に仕上げるというもの。
サンドペーパー、仕上用のオイル(小瓶入)、拭き布がセットになって、各1674円(税込)。
一枚の板から自分で作る「Ki-Ita[キイタ]」という木のスプーンとケースの、イラストの商品もあります。
手作り品が温もりを伝えるという点と、セルフビルドの要素に目をむけたロハス的な商品は現代のニーズに適っていますが、アイディアの遊びの部分が価格のすべてであるようで、財布を開く気になれません。

友人の作るレターケースで、節材の捨て材となる部材の活用を目指し、西日本の民家などに見られる伝統的な焼き杉技法に倣い加工する工夫は、余材や廃材といったかたちで無駄に枯渇していく資源を見直す面で見習いたい要素を多く含んでいますが。
木材は生きた材であるため、作り手は、やはり適所適切な部材の加工と使用が効率的には一番理に適っています。
それでもこのメーカーのように、廃材を使用物に転用させる工夫は評価したいとおもいます。


クラフト展で一番の売上げがあったのは、合板を機械でレーザーカットして透かし彫りを施した時計の文字盤(先の写真の左から2段目)のブースで売られていた、同じ技法の透かし飾りのコースター(一枚数百円)であったといいます。
やはり一般的には、お茶代感覚で財布に負担がなく、それでいて使用頻度があり、毎日使っていてもちょっとしたお洒落感覚で満足できるような、普段使いの小物に絞られるようです。

自分の場合も同様に、以前木工のまち東川の道の駅で売られていた、一本百数十円の木製鉛筆ホルダーを求めたことがあります。
いわゆるちびた鉛筆でも最後まで使い込む軸差しですが、一本ずつのロクロ仕上げで樹種の木目や感触が楽しめること、握り具合がどれもが微妙に不揃いな点、そしてその廉価さがポイントとなり数本まとめ買いしました。
最近では2B以上の柔らかい鉛筆が好みですから、ちびて不細工になった鉛筆でも、この木製ホルダーに納まるとそれなりの風情を見せ、最後まで使い通せて気に入っています。
販売されていた同じ工房のほかの木工品は、残念ながらありふれていてどうでもいいようなものでしたが、この廃材になる部材を転用したと思われる鉛筆ホルダーだけは、さらに別の樹種のものを余分に求めたくなるほど気に入り評価が高いです。
家ではレトロな真鍮製の鉛筆ホルダーも使っていますが、真鍮製の秀でたその機能よりは、木製ホルダーのほうが手の馴染みが良く、使い込むほどに木の表情が育ち、近ごろではもっぱらこれオンリーです。

使い手と作り手との相互の関係性のなかで高められていくクラフトの世界は、両者のバランスが合致して、はじめて商品としての価値が生まれる世界です。
一生ものを大切に使うというのであれば、クラフトに聡い人は、こういった展覧会会場で一目惚れして作品を求めるというよりは、やはり常に張り立たせているアンテナのなかから、選びに選び抜いた末に、高価な製品を満足して手に入れるケースが多いのではないでしょうか。
それとは別に、このようなフェアでは、ひとつの空間で多くの製品を見比べてみる醍醐味があります。
比較してみることで広がり、見えてくる世界があります。
自分の場合は欲があっても、自分の生活空間にどのような製品が一番適っているか、その分は心得ていますので、会場に展示されている製品のそれぞれがいくらグッドデザインであっても、その面では一向にこころがなびきません。
個々の好みや愛着度など様々な要素が絡み、実用品は機能やデザインがいくら優れているからといって、誰もが総て同じものになびくことはありません。
クラフトマンとしての作り手は、常により良い製品を目指しますが、それを商品化していく上では多くの壁があり、知人の話を聞きながらクラフトとプロダクトの両者の関係について考えさせられた一時でした。
そんな点も考慮しながら、展示会場でゆったり椅子に座り、チェストの引き出しを開け、小物を手に取り、その作りと感触を楽しみました。
普段馴染みの薄いクラフトの世界ですが、今回は友人という指南役がつき、じっくり堪能できて大正解でした。



B365_04.jpg

 ● 「国際家具デザインフェア旭川」

翌日は、D君に案内されてIDFA展へ行ってみました。<6月25日>

近年駅舎だけは立派になった旭川ですが、大型ショッピングモールのイオンにすっかり押され、駅前にあったデパートはすっかり閉店してしまい、町の中心部は歯抜けさながらの閑散とした状態です。
むかしは日本初の歩行者天国を実現し、由緒ある活気に満ちていた目抜き通りが、いまでは人出がそのままなくなって、自然と歩行者オンリーとなってしまったような寂れ具合です。
観光の面でも、市外の旭山動物園だけ見れば事足りてしまう状況で、アジアの観光客の視点では、中途半端な田舎の地方都市に滞在するよりは、北海道らしいイメージの自然溢れる美瑛や富良野を観る方が楽しいに決まっています。
日本の地方都市が直面している生活の場と都市の機能を切り分けた変換現象、中心部が空洞化して活気を失った町並みが近年は特に顕著となり、問題視されています。

市にあった芸術の丘(ユーカラ織り工芸館、国際染織美術館、雪の美術館)でも、随一残されたのが雪の美術館のみ。
雪の美術館は、建物だけはヨーロッパ的な洋館を模し、うわべだけは高貴なイメージを醸し出してはいますが、美術館としては中途半端な展示内容の張りぼて館の印象が強いです。
それでも、館内で零下の温度が体感できるブースは、単純に雪や寒さを知らないアジアの国からの観光客にとっては、いまだに面白いアトラクションなのかもしれません。
新工芸品として興された、草木染めの毛織物のユーカラ織りも、開館から長らく時を経た現在では、単なる野暮ったい織物にすっかり成り下がってしまい、まるで新鮮味がありません。
そのスタートは順調だったものの、いまでは日本各地に、似たような工芸館が溢れてしまっています。
この丘に最初に建ったユーカラ織り工芸館はともかく、国際染織美術館では、このような地方都市にあって、世界各国の希少な染色資料が見学できて、布好きとしてはその充実した内容がそれなりに気に入っていたのですが、この度閉館を知りとても残念です。
観光のスタイルも、現在では大きくお金を落とすか、一切お金をかけないか、すっかり二極化しているように思えます。

駅裏周辺や、かつての鉄道区、河川敷などをすべて小綺麗な(当たり障りない姿に自然を一切排除してしまった)公園に変える開発を進行中の旭川ですが、どこか老衰した町のイメージが強くなったように思います。


・・・・・と故郷の町に対して少々愚痴ってしまいましたが。

ここでようやく”IFDA”です。
IFDAとは、”INTERNATIONAL FURNITURE DESIGN FAIR ASAHIKAWA”の略称で、「国際家具デザインフェア旭川」のこと。

1990年、新しい生活文化の提案と発信を目的に始まった、3年おきの家具展も、30年の時がたち本年で10回展を迎えました。
メイン事業のデザインコンペティションには、合計で世界の75カ国・地域から8,841点の応募があり、製品化された作品は50点に及びます。
家具・クラフトの技術革新を進めると同時に、旭川地域にデザイン意識や国際的な視点、幅広い人脈を育んできました。

会場は旧家具センターをこの度、 「旭川デザインセンター」としてリニューアルオープン。
6/21-6/25の5日間のさまざまな関連イヴェントのなか、最終の2日間は一般開放デーということで、どうにか最終日の見学が果たせました。
さすがに国際イヴェントとして人出も多く、ショールーム・コーナーもあるため、結構な活気です。
このフェア、随分昔に初期の頃に一度観たことがありましたが、そのときはまだ市のアリーナで開催されており、白昼のようなフラットな照明に晒されて、会場も広すぎでなんだか田舎の大らかな物産展のような雰囲気でしたが。
こういったスポット効果も演出できる会場で展示されると、同じ家具を見ても印象ががらりと変わりぐっと高級に見えます。

左 ; デザインコンペティション入賞入選作品。
右上; 入口はシンプルなデザイン、ガルバリウム鋼板に白文字のファサード。
右下; IFDA30年の軌跡展。過去のデーターと入賞作品が並んでいる。



B365_05.jpg

 ● 「国際家具デザインフェア旭川」

<左上より>
審査員プロフィール、8名の審査員のうち半数が外国人(シンガポール、デンマーク、スウェーデン、ドイツ)。
第1回展(1990)の受賞作品。
新しい生命への贈り物 「君の椅子」プロジェクトは、旭川市の子供の椅子の公募展。
前回9回展(2014)の審査の様子。
過去のコンペティション入賞者によって新たにリプロ製作された椅子(2点)。
20代30代の若手のユニットによるメーカーが誕生。
著名なデザイナーとコラボして作品をプロデュースするメーカーも増えている。
会場に併設された日本茶カフェUSAGIYAでは、会期中にボトルラリーを開催。



B365_06.jpg

 ● 「国際家具デザインフェア旭川」 各メーカーのショールームより。



B365_07.jpg

● 「国際家具デザインフェア旭川」 D君の解説を受け。

クラフト展と同様に今回もD君の細かな解説付きで家具を見る。
その場で思ったことを彼に訊きながら実物に接すると、IFDAのあらましや、審査基準の変遷、受賞作品の傾向などの裏話しも多く、作品として見るのか家具として見るのか、その視点によって同じ家具であってもまるで別物に見えてくるから、まったくもって不思議です。
メーカーの得意とする製品や傾向など、その総てに通じていて、その知識の豊かさはさすがプロダクトデザインを学んできたD君と感心する。
自分の場合は、美術館で作品を見るように、感覚的にそのフォルムとしての美しさと愛着性を家具に求めてしまうので、技術・生産性・価格などの要素も考慮して総合的に家具をみる彼の見方が、とても新鮮でした。
椅子などもその見かけの良さだけでなく、どのように座るのかどれぐらい座るのか、その状況によって発揮される椅子の機能が異なるといいます。


写真の2件も、彼の説明から”なるほど”と感心したもの。

上; JBLの大きなスピーカーの上にぽつんと置かれていたのが、(株)ササキ工芸のこのサウンドシステム。
音響学的にも緻密な計算と設計がなされ部材が正確に加工されている、ただの木の箱とはあなどるなかれ、スマホの音楽も高級オーディオで聴くように増幅されるから驚きです。
サウンド・ボックスのその技術は現在世界のトップクラスといわれている。

下; 工房ぶなのスツールは、一見どこにでも見かけるような変哲のないデザインですが、実は脚部分の細材の固定に凄い技術が隠されている。
精査した部材をMAXまで切詰めることにより、椅子全体が軽やかなイメージを醸しだす。
スツールは、片手で簡単に持ち上げることができ、実際のその軽さに驚かされる。
よく見ると、椅子全体に微妙なテーパーがかかり、座面裏に手がかり用の窪みが彫られている点など、ちょっとした仕様にも共感がもてるなかなか凝ったデザインです。


B365_08.jpg

 ● 「国際家具デザインフェア旭川」より「木と暮らしの工房」

D君の小さな工房は東川にあり、その大家が「木と暮らしの工房」で、ここの敷地内に間借りしているかたちで隣接している。
彼の工房にはトイレがないため、大家であるここのバイオトイレをその都度借りている。
昨年ここのトイレを借りた際は、丁度むかしの衣裳箪笥の修理中で、表面をペーパーがけして塗装を落としている最中でした。

「木と暮らしの工房」は「なおすこと、つくること」がテーマ。
家具の再製を手がけて15年、その数500件以上といいますから、凄いものです。
モダンな家具で溢れている会場にあって、ひときわ目を惹いたのが、新作品とともにここのブースになにげなく置いてあったライティング・ビュローです。
むかしの特注品とおもわれる美しいデザインのライティング・ビュローを再製したもので、その修理の写真も併せて展示しています。

愛着を持って長く使い続けることに豊かさを感じる、そのためのお手伝いをする。
今年はお客様が使わなくなった家具を引き取って修理し、他の人の思いと一緒に引き継ぐプロジェクトを進行中という、
この工房の姿勢を高く評価したく思います。


D君と一緒にこのフェアーを観れてとても充実した一時を過ごせました。
自分一人で来ていたら、簡単なながら見で終わり、多分今回の3分の1ほどの滞在時間だったのではないかと思います。
くらしのなかの家具のありかたは、その時代、その空間、その暮らし、そして個人によって各々異なることでしょうが、家具は大切に使えば一生ものの道具であり、家財道具のなかでも特異性が高いものといえます。
その用途や機能の面を賄うだけならば、どんなものでも事足りますが、住空間に鎮座して主張し、家具はけっしてそれだけでは単純に済まされない側面をもっています。
「国際家具デザインフェア旭川」では、国際フェアということもあってか、やはり家具のモダンさを主張した製品が多かったように思います。
デザイン性を高め未来を見据えるその方針は、産業界にとって健全な姿勢ではありますが、留まることを識るような、そんな長らく飽きずに使え愛着がもてる家具が自分にとっては理想的なのだと、今回多くの家具を見ながら感じました。
スタイリッシュなデザインの製品が、どれだけ暮らしのなかに受容できるのか。
残念ながら今回フェアで見た家具は、お洒落で優れた家具とは感じるものの、実際に自分の生活空間に取り入れてみたくなるほどのものが、ほとんどありませんでした。
家具を見ることの接点も、これまでは北欧の名作椅子や近代デザインの秀作品、民具や民藝としてのものと、鑑賞的にも偏っていましたが、このようなフェアで現在の家具の状況を見比べてみることも、とても面白いと感じました。
同時に、時代の推移と共にその暮らしぶりも変化し、家具に要求される点も大きく変わり、より多面的になってるのだなぁと感じさせられました。
このフェアで多くの家具に触れ、改めて自分なりに家具を見直すことができてよかったです。




B365_09.jpg

 ● 「旭川市博物館」

墓参で神居の墓地へ行った帰り道、博物館を見てきました。
平日にもかかわらずスーツ姿の凄い人出で、なにかと思ったら付随するホール会場で放射線学会なる大会が開催されていました。
博物館のほうは、依然まったく変わっていない展示内容ですが、かって知ったる同じものを見ても、その時々で興味の持ちかたが微妙に変わるのが面白いです。
ここでの興味の対象がアイヌ・考古・民具が中心で、どうしても地質・自然などを簡単に流してしまう傾向にありますが、今回は自然展示でフキバッタに目が留まりました。
フキバッタは、皮膚に独特の艶がある退化した翅をもつバッタで、ケースに納められた干からびて変色した昆虫標本を見ながらも、子供のころの虫捕りでつかまえたその感触が蘇りました。
高山帯のみに生息するのが、 ダイセツタカネフキバッタ(Zubovskia koeppeni) で、前翅後翅共に完全退化。
平野部に生息するのが、 サッポロフキバッタ(Podisma sapporensis) で、高山帯では地域によって前翅の長さに変異が見られると解説されています。
ただのフキバッタと思っていましたが、どうやらサッポロフキバッタだったようで、サッポロという地名が学名に載るほどの地域性のある昆虫だったのですね。


<写真;左上より>

開拓使小屋再現展示より、継ぎだらけの上着。
展示室の吹き抜けには、樹木標本がそびえてている。
地下階は円形型の展示構成となっている。
むかしの暮らしの写真より、リヤカー曳きに付きそう子供が愛らしい。
自然展示コーナー。
むかしの家具製造所の写真。
戦時中の民具。
気になったフキバッタ標本。
軍部で用いられていた立派な橇。




B365_10.jpg

 ● 「旭川市博物館」  先住の民アイヌの歴史と文化 展示より。

博物館の1階の展示室部分は、開拓使の再現小屋以外は、アイヌ資料によって構成されている。
導入口には、チセ(住居)の再現がなされ、大陸や日本などと活発な交易をくり広げ複雑な社会を生みだしてきたアイヌの歴史、多くの民族資料、さらに文化の伝承と創造に取り組む今日の上川アイヌの姿を、各々コーナー展示している。

とくに民族資料展示コーナーでは、ふるい時代に収集されたとおもわれるアイヌ資料や周辺の北方少数民族資料が豊富で、両者の関係性が生活道具の細部にまで影響し合っているようで、見ていてとても面白いです。


<写真;左上より>

天井から下がるスクリーンに印刷されたアイヌの姿はどこか幻想的。
美しい首飾り。
40年ぶりに市内の川を遡上した鮭の標本。
奉酒箸には緻密な模様が施されている。
新工芸として生まれた木彫り熊、初期のものはより素朴なかたちをしている。
骨を象嵌し彫刻した北方少数民族の小刀。
太布で織られたアイヌの衣裳。
助命を乞うてワシの羽をさしだす蝦夷。「聖徳太子絵伝」太子10歳の場面、鎌倉時代後期、愛知県安城市本證寺蔵。
トナカイ皮に刺された北方少数民族の美しい刺繍。
アイヌの住居を再現した展示。
猟で用いる鹿の寄せ笛。
鍛冶のシーン




B365_11.jpg

 ● 「旭川市博物館」 考古展示より。

今回の帰省では、恵庭の資料館を皮切りに見てきた考古資料では、縄文時代以降、続縄文・擦文、ほかにもオホーツク文化の影響と独自の時代を迎える、北海道で見られる土器類に興味が湧きました。
博物館でのお目当てもこの考古コーナーで、土器をいま一度見直してみることにしました。
展示されている土器の多くは、旭川周辺以外のもので、特に江別市出土の続縄文時代(弥生・古墳時代に相当)の一群は、その独自の彩色や文様パターンの豊富さに興味を惹かれます。
江別出土の土笛は、よくある弥生時代の卵形ではなく、細長く斑模様で覆われていて、この笛での演奏実験の音も楽しめる展示となっていて、そちらも面白いです。
また、展示ケースの右端に並んだ続縄文時代のちいさな土器の一群は、函館、余市、恵庭、江別、旭川、釧路、斜里など道内各地から出土した「ミニチュア土器」といわれるもので、小さいながらもどれもがとても精巧な作りをしています。
アスファルトの樹脂がこびりついたり、煮炊きのあとが残るものもあり、なかには紐を通すためか穴があるものもあります。
ままごと的な遊びにというよりは、なにか特別な用途のために作られたようで、ちいさいながら面白く見応えのある資料です。


<写真;左上より>

展示ケースにずらりと並んだ土器。
土器、縄文時代晩期
土器部分、縄文時代中期
土笛、(江別市出土)
土器、続縄文時代(江別市出土)
ラッコ彫刻(占守島)
捻れたような独特な形態の土器、縄文時代晩期(岩内町出土)



長々と綴った今回も、博物館やギャラリー見学ばっかりで、どこが帰省日誌かと思われますが、次回でこの日誌も最後ですのであと一回だけお付き合い下さいませ。


故郷で開催中の国際フェア、ひさしぶりにこういった催事を見て楽しかったです! (^o^)  



 
  1. 2017/07/17(月) 10:35:28|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

364 帰省日誌 札幌





帰省3日目(6月23日)、今日は晴れたので、札幌のまちの中心にある緑のオアシス、久しぶりに北大植物園へ行ってみました。



B364_01.jpg

 ● 北海道大学植物園、園内には北海道最古の博物館がある。

北大植物園の歴史は、明治9年(1876)に設立された札幌農学校(現北海道大学の前身)のクラーク博士が、植物学の教育には植物園が必要と進言したことに始まる。
同年、農学校校内に小さな樹木園と灌木園が造られた。
一方、開拓使は北海道道庁西側の原始林を牧羊場とし、明治15年(1882)に博物館を建設。
明治17年(1884)、植物園用地が博物館とともに札幌農学校に移管され、のちに初代園長となる宮部金吾が計画・設計をし、明治19年(1886)に植物園が開館する。
近代的植物園としては日本で初めて造られたもので、日本で2番目に古い植物園である。

大正時代の終わり頃までは各所で泉が湧き出る地味豊かな場所で、開園以前の自然地形とともに、原生林の面影を残すハルニレやイタヤカエデ、ミズナラ、ハンノキ、ドロノキなどからなる落葉広葉樹林が残っている。

博物館(左上)は、北海道で最古の博物館で、建物やガラスケース(中央)は重要文化財に指定されている。
博物館が札幌農学校(現在の北海道大学)に移管された後、動物学を中心とする博物館へと変化する。
レトロな館内には、世界で唯一のエゾオオカミの剥製(下中)や、南極観測で活躍した樺太犬タロの剥製、鳥類標本、考古資料などが展示されている。

クラカケアザラシ(左中)、ヒグマ(右中)、湿性園(左下)、ヤマボウシ(右下)




B364_02.jpg

 ● タロ(右上)と、樺太犬関連の展示写真。

昭和31年(1956)に国際地球観測年プロジェクトの一環として、日本から南極観測隊が派遣されることになる。
この活動の一部として、犬ぞりの研究準備が開始される。
博物館で助手をしていた芳賀良一が中心となり、稚内の公園内に設立された訓練所に道内各地の優秀な樺太犬が集められ、訓練が開始された。
博物館には「南極物語」で知られるタロ(右上写真の黒い犬)は、この植物園で余生を過ごし剥製として展示されている(ちなみにジロは東京国立科学博物館に展示されている)。

南極派遣犬であったタロの剥製は犬ぞりとともに館内に常設展示されているが、今回は企画展示として、南極観測用の樺太犬に関する資料が展示されていた。

写真(左上4枚); そんな樺太犬の訓練所の様子。
写真(左中4枚); 参考資料として当時撮られた「輓曳犬」。橇やリヤカーを曳く。
写真(左下)  ; 犬ぞり。
写真(右下)  ; 南極に派遣された犬。シロ(利尻)、リキ(旭川)、クマ(紋別)。
犬外哲夫・芳賀良一 「日本南極地域観測隊犬橇関係報告(1)」 『南極資料』4、1958年より。





B364_03.jpg

 ● 「北方民族資料室」

管理棟2階には「北方民族資料室」があり、北海道の先住民族(アイヌ・ウィルタなど)の生活文化資料が展示されている。


これらの資料は、明治初期に開拓使が博物館に展示するために収集したものと、昭和初期に大学での研究のために収集されたものが中心となっている。
古い時代に収集されたものとしては、いつ・だれが・どこで収集されたかが、ある程度明確な履歴をもつ資料が多く、研究や文化の復元のうえで貴重な情報を提供できる重要な資料となっている。
しかし一方で、収集された時代背景から考慮すると、先住民族であるアイヌ民族の文化についての知識も現在よりははるかに浅く、ある意味特殊なもののみが選択されているとも考えられる。
昭和初期の研究においては、当時のアイヌ民族観に留意する必要がある。
当時アイヌ民族やその文化は「失われてゆくもの」という、現在では考えられないような意識が存在していた。
そのため当時の研究者にとっては「失われつつあった」事柄を記録・保存することに主眼を置き、明治時代と同様にその特殊な部分のみに注目したきらいがある。
また植物園内には北方民族が生活の中で利用した植物を栽培展示した、北方民族植物標本園が設置されている。   <パネル文より略載>



B364_04.jpg

 ● 北方民俗資料室展示より。

会場に流れるVTRはアイヌの「熊祭」の映像<旭川市近文アイヌコタン、昭和10(1935)年1月13日、13分>

この映像の主催者である川村カ子トの、川村カ子トアイヌ記念館は、通っていた高校のすぐ裏手にあった、小学校の社会科見学の遠足で行った当時にして、とても古くさい印象があった。
近文にはストーン・サークルなどアイヌの遺構もあったけれど、近年になるまでは、灯台もと暗しで、アイヌ関連の資料には特に関心を持たなかった。
その後、帰省の際など、折に触れできるだけアイヌ関連の資料も観るように心がけている。
民族のアイデンティティーは一体どこにあるのか、民族の純血度としては、アイヌ民族にも既に和人の血が混じり純血のパーセンテージは、現代では相当低いのではないかと思う。
沖縄では過去に琉球王朝が日本の傘下に統合されるにあたり、近年まで人頭税などの重税が課せられた暗い歴史があるが、現在みる沖縄では、独自の言葉や食文化、住居スタイルが、変容しながらもまだ日常的に残されている。
アイヌ民族の場合は、明治32年(1899)の「北海道旧土人保護法」<アイヌ民族の農工化と教育による同化を内容とし「保護」する>発令以来、アイヌ民族としての尊厳を半ば強制的に剥奪封印した政策が強行的になされてきた。

以前訪れた、沖縄の八重山の竹富島では、琉球人とアイヌの南北交流親睦会に居合わせたことがあった。
上川アイヌ、旭川アイヌのグループが参加し、アイヌからはエゾシカが、竹富側では隣の黒島の豚が、それぞれ一匹分提供された会食となった。
両者互いにもたらされた肉料理の味を褒め合い、 「云ってくれたら、いつでも鹿持って来るよ・・・・・・・・」というその人の言葉にちょっとだけ胸が切なくなった。
交流会の演目では、互いに民族衣装や祭りの衣裳を纏った芸能大会となった。
竹富側では有名な種取り祭りの演目や古典的な琉球舞踊の披露、アイヌ側でも民族衣装に正装し、鶴の舞など様々な踊りが披露されたが、自分は子供の頃観光で訪れた洞爺湖畔のアイヌ村の観光ショーのイメージとすっかりオーバーラップしてしまい、どこか素直にみれなかった。
南と北の人々の交流は、互いを認め盛り上がってはいたけれど、竹富の人は、自ずと口笛で囃すほどには、アイヌの舞踊に反応してはいなかった。
そんななか、アイヌの一人のお婆さんによるムックリ(口琴)の演奏がはじまった。
横隔膜を共振しながら増幅されるその独特な口琴の音色が会場に響き渡ると、やっと陽気な沖縄人の血が爆発したのか、この場に居合わせた全員が堰を切って一勢に乱舞する盛り上がりとなった。
気付くと自分の体も自然にうずき出し、確かに理屈ではないのだと口琴の音色に悟った瞬間だった。

また、川村カ子トアイヌ記念館の近くにある北門中学校には、郷土研究会によるアイヌ資料展示室があり、盆の帰省の際に見せて頂いたことがあった。
資料はよくまとめられており、民話を描いた布絵本なども見られるようになっており、中学生にも、アイヌのこころの一端に触れられるような工夫がなされていた。
郷土研究会所属の生徒がアイヌの方の指導のもと、実際に自分たちで丸木舟を仕上げ試乗実験する場面の写真なども掲られており、中学生が実体を通じてアイヌの人々と交流し互いに理解し合う姿に触れ、感激した。


中学校の後に、近所の共同墓地にアイヌの墓標が見られると知り寄ってみた。

**ブログ№059 戸棚に押込めて 祭壇 
http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-59.html

墓の多くは、どこにでも見られるような御影石製の普通の墓が多く、また既に佛教に帰依して経文が刻まれた墓も結構見かけた。
ただ、家紋については、よくみるとマキリなどの意匠を上手く取り入れたアイヌが独自に編み出した紋様もあった。
丁度盆の墓参りと重なり、多くの家族が先祖のお詣りに来ていた。
そんななかには、あきらかに濃い容貌のアイヌと判るひとも確認はできるが、意識しなければまるで気づかないようにいたって普通の墓参だった。
特に特別な儀礼があるわけだはなく、線香を焚き献花お供えし、先祖に手を合わせ誰もが黙々と祈っていた。
アイヌの人には面識はないが、高校の時に個展で観た「砂澤ビッキ」作品展では、当人であるビッキが会場にいて、彼が一木を削んで産みだした木彫作品や、彼自身の豪快さ、眼力の強い相貌のなかに、どこか自分たちとは異なるアイヌ民族のもつ造形と気質に触れた思いがした。
ここの墓地では、そんなビッキの砂澤家の墓をはじめとした、アイヌの伝統的なスタイルの一木を刻んだ墓標も数墓みかけた。
しかし自然木の墓標は、そのままだと必然的に風化して朽ちてしまうため、いずれもそれほど古いものではなさそうだった。
整然と整備された近代的な墓園にあっては、そんな自然木の墓標も、どこかビッキの彫刻作品のように見えてしまうから不思議だ。
いわゆるアイヌの御幣的な、カミの依り代であるイナウ(削り掛け)に見るように、アイヌの墓標にも、そんな木のなかに潜む魂を引き出すような造形の一刀彫がなされていて興味深い。
アイヌは、かれらの暮らす環境に関わる、植物や動物などの自然に通じており、彼ら独自の豊かな世界観があるようだ。



B364_05.jpg

 ● 展示資料のクローズアップ     北方民族資料室。

ヨードプ <ガラガラ> 樺太; 儀礼用楽器。
獣皮衣(女性用) ニブフ(サハリン); クラカケアザラシの皮製。
カニクフ <金帯> 樺太; 樺太アイヌの女性用。
ストゥケリ <草履> 旭川・近文; ブドウ樹皮製、。

レタルペ(「白いもの」の意) 樺太; イラクサ繊維製。
筬(おさ) ; 樹皮布(アットゥシ)織り具。
サンペ、イナウル <冠> ; 儀礼用冠。
タマサイ <飾玉> 北海道; 女性用。


テンキ <小物入れ> 千島; テンキグサ(ハマニンニク)の葉茎製。
シポプ <塩入れ> 日高・沙流; がま製。
ペラ <へら> 北海道。
ペラパスイ <さじ> 北海道; 主として小児が使用。


アエオク ペ(「衣類を干す竿」の意) 日高・新冠; 手拭い掛け。
ラッチャコ <燭台> 千歳; 貝製、魚油を使用。
カサ <笠> 樺太; 木皮とイラクサなどの繊維製。
イカムハハカ <頭巾> 樺太; 防寒具、頭頂部に十字型の突起飾り(キタイヘ)がつく。

コンチ <頭巾> 北海道; 男性用。
マタンブシ <鉢巻> 石狩; 前頭部にあたる部分に刺繍を刺す。
ルウンペ <色裂置文衣> ; 和人から入手した木綿布に刺繍した晴れ着。
イチャピパ <貝庖丁> 日高・沙流;稗・粟などの穂摘み具。



B364_06.jpg

 ● 「北海道立アイヌ総合センター」

アイヌ民族の歴史認識を深めることや文化の伝承、保存の促進を図るなどを目的に設立され、民族資料展示室、図書情報資料室、保存実習室の三つの機能をもつ「北海道立アイヌ総合センター」は、北大植物園(入口側)の通りを挟んで真向かいの”かでる2・7ビル”の7階にある。
展示内容については、文化内容にもとづいたアイヌ史独自の時代区分により、隣接地域の歴史、文化との関連性と移り変わりを考えてもらうことに重点が置かれている。

アイヌ文化史では、<近現代>・<前近代古層期>・<前近代変容期>別に展示されている。
またアイヌ文化の諸相として、北海道島域・サハリン島南部域・クリル列島域のアイヌの物質文化のほか、本州域およびサハリン島北部域等の近類民族の比較資料を紹介している。



B364_07.jpg

 ● 「北海道立アイヌ総合センター」

国際先住民族年<国連による『先住民族の権利に関する国際連合宣言』(2007)>以降、『アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議』(2008)が選択され、『アイヌ製作の在り方に関する有議者懇談会』報告書を受けて、政府によって『アイヌ政策推進会議』(2009)が設置された。
行政による、アイヌ民族に対する対応や理解も、その後徐々に変化が問われている。
この施設もそんな流れの影響を受けてか、どうやらパンフレットの印刷された2010年に開室したようだ。
センターに隣接して、(社)北海道アイヌ協会、北海道アイヌ古式舞踏連合保存会の事務所が入っている。
近年各地にみられる資料館などでも、新設された展示では、先住民族であるアイヌ民族の伝統文化にスポットを照てた紹介が多く見られるようになった。
アイヌ模様を作ってみよう、地名や動植物にみられるアイヌ語の謎あてなど簡単な子供向けの企画から、大人向けの本格的なアイヌ語講座、さらにはアイヌ料理の紹介など
事務所の廊下にある掲示板には、そんな様々なアイヌ関連のイヴェントのチラシやポスターがところ狭しと貼られていた。

資料展示室にはアイヌの生活民具などの実物資料も展示はされているが比較的新しいものが多く、ここでは博物館が実物資料(一次資料)に重点を置くのとは異なり、むしろ協会の特殊性もあるのか、アイヌ民族の近現代史としての流れや、その運動を解説する内容に重点が置かれているように感じさせられた。
図書資料室は覗かなかったが、どちらかというと専門家が利用する施設のような感じだ。
一時間ほど見学したが、展示室の見学はほとんどないのか、資料展示室は閑散として誰も来なかった。
見学というと物質資料好きの自分ながら、ここでは展示されている写真パネルや、アイヌ民族関連の広報誌の表紙をながめながら、アイヌ民族が歩んできたその歴史に想いを馳せた。
北大植物園の北方民俗資料室とは、ある意味対極的な見学ではあったが、現代に連なるアイヌ民族の伝統文化を感じる点でとても参考になった。



B364_08.jpg

 ● 「北海道大学埋蔵文化財センター」   北海道大学キャンパス内

「北海道立アイヌ総合センター」の後は、北大札幌キャンパスへ移動して博物館見学とする。
お昼を学食で手早く済ませ、その向かいにある「北海道大学埋蔵文化財センター」へ向かう。
昨年は折り悪く閉室日にあたってしまい見学できず残念だったが、今回は開室していた。
北大札幌キャンパスは全域が遺跡であることから、キャンパス内で工事が行われる際には遺跡を保護するために発掘調査を実施する。小さなワンフローアーには、北大構内の遺構から出土した土器や石器などの考古資料を修復し、常時公開展示している。
構内には続縄文・擦文・アイヌ文化期の遺構が確認されている。

センターでは特別展として「サケの考古学」が開催されていて、二連のガラスケースに関連資料が展示されていた。(右中、下段)
北大構内を流れていたサクシュコトニ川、及びセロンベツ川(市街化により現在は埋没枯渇)の両川は、かつてはサケの産卵床として好条件を備え、サケが遡上していたとみられ、これらの地域の遺構からサケの骨が出土しサケ漁が行われていたと考えられている。
サケ科の骨が出土した地点や、その骨格標本、サケ科の系統分類、骨の同定、遺跡から出土したサケ科の解釈、北太平洋沿岸地域におけるサケの加工・保存・調理、などといった簡潔な展示となっていた。
サケは日本列島のみならず北洋沿岸では、重要な食料品として広く用いられ、その加工・保存・調理方法は多様で、サケの種類や生態、植生の環境、文化歴史的要因に合わせ発展した。

左下; 白老アイヌの干鮭、新潟村上の干鮭、カナダのベニザケの干鮭や薫製鮭の事例。
右下; アイヌのサケ料理、サケあらのたたき(チタタプ)と、チェプオハウ。




B364_09.jpg

 ● 「北海道大学総合文化博物館」

全学的な学術標本の集約と学内外への情報発信のために、1999年に設置された大学博物館。
札幌農学校時代から収集・保存・研究されてきた400万点にものぼる学術標本・資料が蓄積されている。
煉瓦造りの重厚な博物館の建物は、理学部設置の際に建設した旧本館(1929)で、札幌では数少ない大規模RC建築。
連続アーチ、素焼の装飾、6種類のスクラッチタイル、中央階段のアインシュタイン・ドームなど見所が多い。<学内歴史的建造物>
昨年夏のリニューアル時に、 北海道大学の12学部を紹介する展示(中下)や、博物館活動のバックヤードを見れるミュージアムラボ(左中、考古ラボ)が新設され、多目的スペースやカフェ、ショップが設けられた。

季節柄か各学部の紹介展示コーナーでは、修学旅行の団体や、受験生の姿が目立っていた。

今回はあまり時間がとれず、おのずと目指すのは3階お収蔵標本展示の見学となった。

まるで海苔巻きのような不思議な歯を持つ「束柱類(ちゅうそくるい)」のデスモスチルスは中新世時代に絶滅した水性哺乳類で。海牛やゾウに近い、あるいはウマやサイに近い等、類縁関係はまだ謎に包まれている。このデスモスチルスは北海道帝国時代に、長尾巧教授が当時の樺太、毛屯(けとん)から世界で初めて全身骨格を発見し、ウシをモデルに骨格組立したもの。世界的に見ても数少ない貴重な全身骨格標本で、ミュージアムショップでも、この一風変わった”デスモスチルスの歯”のフィギァ(税込み515円、今回は完売)は一押しの売れ筋商品となっている。<昨年は「感じる展示室」でデスモスチルスの乳歯化石の実物を手にとり見せて頂き感激でした!> (左中)

実物と見間違えるほどリアルなムラージュ(ロウ製皮膚病模型)の仕上がりに感心してしまう。 (左下)



B364_10.jpg

 ● 「北海道大学総合文化博物館」

土器、骨格標本、昆虫標本、液漬け標本、民具や音具・・・・・、こうやって写真を並べてみると好きなタイプの資料には、自ずとその傾向が表れます。

学部研究の展示コーナーでは、人類学や言語学などのコーナーで北大と交流があるのか、現代のサハ共和国(極北アジア、旧ソ連領)の生活用品が多く展示されています。
白樺樹皮製の曲木の裁縫箱(上中) 、ホムス<金属製口琴>、 ヨードプ<ウィルタのガラガラ、白樺で枠を作り中に石や骨を入れて魚皮を張る>(右中)などには、道具のなかに日本のアイヌなどと共通する北方少数民族の文化がみられ興味深い。

展示会場では、ホムス<口琴>の演奏の映像も上映されていました。
アイヌのムックリ同様に、自分も一度ホムスの演奏を聴いたことがあります。
こちらの口琴はアイヌのムックリと異なり金属製で、口琴のフレーム枠を軽く歯に押し当てて、弁の端を弾き、舌<ぜつ>を振動させる奏法です。
中央アジア、南アジア、ヨーロッパにみられる金属製口琴と同じ構造で。
長らく演奏するとその振動が脳下垂体を微妙に振動させα波が生じ、酔うがごとく心地よくなるといいます。
口琴は数ある音具のなかでも、人体そのものを共鳴体として音を拡張させる一風変わった不思議な楽器です。
ホムスの音色は、ときに馬が陰鳴くように、或いは馬が疾走するように音態模写も変幻自在に自由に変えられ、その超絶技法の演奏ぶりにすっかり驚かされたものです。
日本でも江戸時代には、ガラス製の音具であるポッピンなどと同じく、庶民に流行した口琴に対して御上が「びやぼん禁止令」(口琴禁止令)というお触れを出したことがあります。
また武蔵一宮、埼玉県大宮の氷川神社の出土遺物からは、どうやら金属製口琴の舌<ぜつ>がとれたような不思議な金属片も出土しています。
古い時代から、このような音具を通じた文化交流があった様子が偲ばれてとても興味深くおもいます。
写真にあるヨードプなどのガラガラも、実際にはどのような状況で鳴らされる音具なのかその場を是非見てみたいものです。




札幌でも一日びったり博物館、これまた全部お勧めしてしまうようでいけません。 (^_^)v  




  1. 2017/07/14(金) 20:28:05|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

363 帰省日誌 小樽





余市のあとは、バスで雨降る海岸線を見ながら小樽へむかいます。(2017年6月22日)


B363_01.jpg

 ● 小樽の町を訪れるのも数年ぶり。

北海道の交易の要であった小樽の町は、運河沿いの倉庫群や、古い石蔵など、杜氏の繁栄の時代を偲ばせる趣ある建物が残っている。
運河の周辺や町の大規模な整備がなされたのが、丁度バブルの頃。
駅舎もすっかり新しくはなってはいるものの、どこか周囲の景色に馴染んでおり良い感じです。
旧銀行や、旧日本郵船などの建物の立ち並ぶ目抜き通りを避け、裏路地に残る古い建物を見ながら、手宮線(北海道で一番最初に開通した鉄道)の廃線跡の遊歩道を歩く。
遊歩道の突きあたりが、手宮駅があった地点で、小樽市総合博物館本館<旧小樽市交通記念館に科学技術館を統合>があり、煉瓦造りの重厚な建物が建ち並んび、懐かしのSL(蒸気機関車)や列車、ラッセル車などが並んでいる。
構内には、試乗できるSLも走行しているという、次回は是非見学したい施設だ。

今回めざすのは、そのお隣の手宮洞窟、昨年訪れた余市のフゴッペ洞窟同様に、ここには古代の陰刻壁画が見られる。 (国内でみられる陰刻壁画は、フゴッペ洞窟と手宮洞窟の2箇所のみで、貴重な遺跡である)



B363_02.jpg

 ● 三角市場

駅前のすぐ隣りにある小さな市場が、三角市場。
かって早朝にフェリーで小樽に着いた際、この市場の食堂(早朝過ぎて昔はここしか開いていなかった)で幾度か海鮮定食に潮汁で腹を満たしたことがある。
市場でもアジアからの観光客の姿が目立つ、食堂も数軒増えており、誰もが一目瞭然で分かるよう、新しい店の入り口には海鮮丼など海の幸の定食写真を一堂写に並べ、メニューを選択する方式を採っている。
タラバガニはすべてロシア産。
ハッカクは比較的近年市場で売り出されるようになったという。



B363_03.jpg

 ● 古代の陰刻壁画が見られる手宮洞窟。  小樽市手宮洞窟保存館。

手宮洞窟は1886年(慶應2)相模小田原からニシン番家の建設に来ていた石工の長兵衛によって発見される。
小樽軟石(凝灰岩)が露出しているところで、建築用石材を捜している途中で偶然に、洞窟内の岩壁に様々な文様が刻まれているのに遭遇した。
この彫刻は、1878年(明治11)に榎本武揚によって学会に紹介され、ジョン・ミルン(英国人、地震・地質学者)によって初めて学術的な観察と報告がなされた。
また開拓使の渡瀬荘三郎などにより調査され、その後1921年(大正10)に、国指定史跡となった。
発見以来120年以上たち、進行する風化・剥落を防止すべく、保存修復事業がなされ、平成7年に、この「手宮洞窟保存館」が完成した。

彫刻が刻まれた時代は、今からおよそ1,600年前頃の続縄文時代中頃~後半(弥生時代終期より古墳時代初期)とされ。
北海道では、豊かな自然を背景とし、縄文文化をさらに発展させた狩猟採集文化の時期で、その文化は新潟県からサハリンまで及んでいた。

同時代の陰刻壁画が余市のフゴッペ洞窟にあり、フゴッペでは舟、魚、人などと考えられ、手宮洞窟の壁画にもそれと良く似たものがみられる。
かっては、この陰刻を巡って様々な解釈がなされ、これを「文字」とみなす件もあった。
しかし、フゴッペ洞窟の発見以来、アムール川(シベリア域)周辺に見られる、岩壁壁画とよく似た古代の彫刻であることがわかってきた。
このような岩壁画は日本海を囲むロシア、中国、朝鮮半島に見られ、手宮洞窟もこのような日本海を囲む大きな文化の流れを表すものと考えられている。
角をもつ人画は、シベリアなど北東アジア全域でかって広く見られた、シャーマン(祈祷師)を表した説があり。
手宮洞窟の4~5世紀の続縄文文化の人々が、日本海をはさみ北東アジアの交流を示した貴重な遺跡とみなされる。

真っ暗洞窟内は、保存のためか入館者が入ると自動的にあかりが点灯するしくみ。
高湿度のなか、保存カプセルのガラス越しに点灯された、陰刻壁画はライティングがあまり成功しておらず、うすぼんやりとしか壁画の形態が確認できないのが辛い。
さらに年表や関連展示物のスィッチを押してしまうと(10分ほどは点灯したまんま)、そのあかりが強すぎてガラス面に乱反射して、まったく壁画が見えなくなってしまうのが難点だ。
このレイアウトは誰が考えたものか、かなり気になってしまう。
しばし空想の時間が持ててお勧め度は三つ星なのに、壁画が素晴らしい分余計もったいなく思った。

入館料大人100円(博物館共通券(500円)だと無料)、総合博物館本館より徒歩2分。
左下は、大正時代の手宮洞窟の写真。



B363_04.jpg

 ● 小樽市総合博物館 運河館

小樽は江戸時代後半にはじまるニシン漁業と、明治時代以降の港湾整備によって発展する。
明治から大正にかけては、北海道の玄関として、また北海道随一の経済都市としてその名を轟かせた。
小樽運河は、その繁栄の象徴する存在だった。
運河館では、「近世から近代の小樽のあゆみ」を様々な角度から紹介している。
北前船や、ニシン漁業に関する資料がかなり充実している。
小樽の町が最も華やかであった、大正時代の町並みの再現コーナーの展示もある。


運河館入口。

繁栄時の小樽の写真。

消防犬「文公(ぶんこう)」、消防組に飼われていた雑種犬。
消防車の出動時では、一番に車に乗り込み、火災現場では野次馬を追い払ったり、ホースのもつれを直したりと大活躍の、小樽市民のアイドル犬。
葬儀には文公の好物キャラメルが供えられた。

船絵馬。

オタモイ遊園の絵葉書。

再現された町並み展示。

ニシン漁の漁業具など。

小樽の市街地の西側「オタモイ」地区の断崖上にあった龍宮城のような料亭がオタモイ遊園の「龍宮閣」(1933-1952)。そこで使われていた豪華な赤絵八角皿。



B363_05.jpg

 ● ニシン漁業のむかしの写真より

この作業写真と陳列されている漁労民具を比較して観ると、ニシン漁がさらに良く理解できる。



B363_06.jpg

  ● 「鰊盛業屏風」(部分)ほか

日本画家によるこの屏風も、漁労の流れを詳細に描写している。
人の動きや道具の細部など写真と見比べてみるものたのしい。



B363_07.jpg

 ● 第2展示室  自然展示より。

マイマイカブリ(オサムシ科)は地域によって変異体が多くみられる。

雪の上の虫の写真はセッケイカワゲラ。0℃前後の気温で最も活発になる昆虫。真冬にしか活動しない変わった昆虫で、小樽では、ユキクロカワゲラ(翅のない種類)とオカモトクロカワゲラ(翅のある種類)が確認される。

小樽に生息する動植物を中心に、複雑で多様な小樽の自然を紹介している。
展示室中央にあるトドの骨格標本は、銭函海岸に漂着した野生個体。



B363_08.jpg

 ● 第2展示室  考古展示より。

小樽市西部にある忍路土場遺跡(縄文時代後期・約3,500年前)の発掘土器が一堂に並ぶ。
その量に圧巻。土器に刻まれた文様など、様々なパターンがみられ、細部を見比べていくと時間がいくらあっても足りないほどの情報が含まれている。
発火具や漆製品など当時を知る貴重な資料も公開されている。


余市のあとに寄った小樽では、博物館資料を観るだけで時間を費やしてしまったけど、ふるくから残る町並みや建物などを、いまいちどじっくりと見学したいものだ。




観光客に人気があるのも納得、小樽はなんとも風情のある町でした! 




  1. 2017/07/13(木) 23:12:47|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0
TOPに戻る 次のページ