うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

278 やきものローグ












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 ● 前回のブログでとりあげた、助燃機の「ニッケー炭」。



特許番号で検索すれば、答え一発簡単にその全貌が把握できるとおもっていましたが。


特許登録も旧い番号の物品に関しては、完璧にデーターベース化されているわけでもなく上手くヒット出来ませんでした。


その名称での検索一致でヒットしたのが。

丁度、これを入手した二週間前のどなたかのブログで、調布の布田天神の骨董市で見かけた「ニッケイ炭」の写真があり、よくみるとまるで同じ業者の店先で撮られたものと判明した次第。
その方もブログのなかで、その炭の素性を知りたく、どなたか詳しく知っていないかヘルプコールされていましたが、返答が得られず終いでした。


改めて「助燃機」で検索してみたところ、仰々しい複雑な機械が出てくるばかりです。


自分的には、ともかく極端に物資が欠乏した時代の代用品、あるいはアイディア製品と踏んでいましたので。


いろいろと用語を変えて画像検索に切り替えてみたところ 、まさにどんぴしゃ。
同一の物品が確認できました。









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 ● 「統制陶器」で紹介されていた「ニッケータン」。
                    * 岐のやきもの HPより。



自分が入手したものでは、炭に押された刻印が少々あまく、”岐”なのか”阪”なのかよく判読できませんでしたが。
こちらの写真では、はっきり”岐”の文字が確認できます。
”岐”文字の番号であるならば、当然、統制陶器の類だろうとは思いましたが、これで確定、納得です。


** 昭和13(1938)年、日本政府が産業界へ指針発令した「金属製品製造禁止と代用品拡充の件」。 これを受け、陶器の代表的産地 = 愛知・岐阜・三重の3県で、陶磁器を金属製品に見立てた代用品の生産がはじまります。



ちなみに『統制陶器』とは、


「統制陶器、それは昭和15年8月ごろから昭和21年ごろの間に生産された統制を受けたやきものをさす言葉です。この時代のやきものにはほぼすべて窯元を示す番号や裏印商標が付けられています。これによりそのやきものがどこの誰に生産されたかがわかります。これを『生産者表示記号』、『工場番号』、『製造者記号』など様々な表記がありますが、わかりやすく統制番号ともいいます。」   

              * 『統制陶器図譜 』(touseizufu.exblog.jp )HPより。





しかも嬉しいことに、この頁には9個詰めで箱入り状態の写真(価格票付き)もみられます。
そして緩衝材には、木屑が詰め物として使用されています。


玉子を丁度立てて納める具合に箱詰めされていたと想像していましたが。
このように薄平たい箱に詰められており(紙の部どまりが、こちらのほうが無駄なくよいのか?)、ちょっと意外でした。


化粧箱のラベルも愉しみにしていましたが、当然ながらそんなラベルは付随せず。
物資統制の最中にあっての物品のため、粗雑な馬糞紙製でした。
しかもどうやら、あえて封をせず、斜めについた細穴に折り角を差し込み留めるだけの簡易組立箱のようです。


紙箱ひとつをみても、倹約に始終していた時代。
一切の無駄を排除し、極力少資源化に努めている苦労がうかがい知れます。









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 ● 「コクサク炭」の刻印がみられる助燃機。

            * 香川県多度津町立資料館、戦争資料展 HPより。



また、戦時中のくらしの道具の資料展示などでは、製造メーカーこそ違いますが、ニッケータンとまるで同じ「助燃機」の写真があり、 「コクサク炭」「登録實用新案」の文字が確認できます。


どうやら「助燃機」と呼ぶよりは、一般的には『国策炭』が普通の呼称だったようです。




そして写真に見えるコラムキャプション、 「 昭和モノがたり 『助燃機ほのお炭』 」には、


「一六年頃、燃料節約の国策に沿い作られたものが、『助燃機ほのお炭』『国策火玉炭』。と○○○ころ穴のあいた中空○○の素焼製。豆炭や○○にまぜて使うと真っ赤に熱せられ、少量の炭も火力が長持ちするというもの。何度も使えるため『万年炭』とも呼ばれた。九個入り一箱九五銭」の記載があり。



紙箱代を5銭として差し引いても、こちらは単価あたり10銭の値段。
「ニッケー炭」(二級品)の6銭に比べ少々割高(戦中の年度による価格変動なのか、二級品と上製品の価格差なのか分かりませんが)ですが、土質が幾分しっかりした製品?のようです。

”万年”をあてた銘々が、多少なりは効をなしたのか?
こんな脆弱で、すぐに破損してしまいそうなやきものながら、現在でも土中より完品が出土する例もあるそうです。






参考ついでに、画像検索で代用陶器を調べてみると、実にさまざまな物品が、統制下のなか、代用物としてやきもので作られていたことが分かります。


資料館での展示資料や、骨董市でも時にみかけ、薄々気になっていた代用陶器のやきものの類。
画像を一堂に並べてみると、物品カタログのようでなかなか迫力があります。









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 ● 金属供出のため、金属製のもとの道具そっくりにやきもので写されたもの。
                    * 週間通販生活「道具の真相」 HPより。



鋳物ストーブ、羽釜、瓦斯焜炉、飯盒、茶釜と風炉、コート掛けのフック、おろし金、ボルトにナット、釘、靴のすり減り防止用の当て金、焼き網、防衛食(缶詰)。


やきものは可塑性に富むために、本家の金属製の道具そっくりにかたちを写したものも多いです。
しかも金属独特の質感までも似せようと、色や釉薬を工夫し再現された凝りようです。










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 ● ほかにもいろいろやきものでできた代用品がみられます。

               * 週間通販生活「道具の真相」 HPより。



鏡餅、織り機の錘(重し)、秤の分銅、剣山。

先ずは一番優先されるべきが、道具としてのその機能。
普通の剣山のように針は一切無くても、やきものに穿けられた穴に花を挿せば、機能は十分満たせます。
活ければ隠れてしまい見えなく道具ながらも、さすがに趣味の道具らしく、ヒサゴのかたちにするなど、ちょっとした工夫がこころにくいです。



また各種の錘は、金属製のものとかたちは離れても、秤量さえ正確であれば一切問題なし。
骨董市でよく見かける分銅型の錘は、やきもので作られた代用品と直ぐに判断できますが。
こちらの環状の錘は、何の道具かいままで謎でした(白磁の碍子などと混在されていたりするので)。
写真の木製の側がついた、組紐用の錘とは、そのかたちがまるで異なっていますが、答えを知れば訳なく理解できる形態です。



そして、なんといっても一番興味深い代用品が「画に描いた餅」ならぬ、やきもので出来た、この鏡餅です。

物資統制で供出された、軍需素材で消えてしまった金属製品などの道具はいざしらず、こういった食品までもが、やきものでもって作られています。

日本人にとっては、イネはカミの依り代。
コメは、人間が食べる食料であるとともに、カミを祀る神饌でもあります。
当然ながら戦時下の困窮した食糧事情にあっては、コメを満足に得ることは出来ず、餅を作ることもかないません。

食品といえど、そこには、食堂の食品見本の蝋細工などとはまた違った、精神的な意味合いが深く含まれています。

戦中の困窮した状況下ではあっても、正月をささやかに祝い過ごすための、切ない願いが体現されて生まれた、やきもの製の鏡餅ながらも。
需要のほうは、どうやらそれほど伸びなかったせいか、現在でも荒物屋などのデッド・ストックの出物として現れ、珍品扱いされることもあるのだとか。

普通の物品とは異なり、一年ごとに毎年代えていかなくてはならない、常に新たなものへと刷新していくことが要である、カミへの有効期限付きの信仰ものの世界にあってすら。

やきもの素材でこそないものの、恒久的に朽ちることをしらないプラスチィックなどの新素材のものが、現代ではあたりまえに採用されています。

たとえば、正月に求める注連飾りのミカンやウラジロなどのお飾り部材。
あるいは、鏡餅などでは保存期限を長期に保つために真空パックになっていたり、更に二段重ねのプラスチックの餅容器のなかにそんな小餅が詰められて販売されていたりと様々なアイディア商品が販売されています。

土地神を祀った、近所の神明さまの鳥居に下がる、大きな注連縄も。
よくみれば本物の稲藁そっくりのナイロン製であったりと、本物の素材(この表現も少し難がありますが)より離れて形骸化しながらも、その根底に流れる精神性の部分は大切に維持しています。


神事でカミの依り代となる御幣(ゴヘイ)は、串に折り紙を挿したものであるとあたりまえに認識していますが。
紙が普及するはるか以前は、ひょっとしてその原形は、どこか削り掛けのような、白くひらひらしたものであったかもしれません。


物資不足の頻迫した時代の代用品なれど。
実務的な機能面を満たす道具、それ以外にも、精神的な点に重きを置く道具もあったりと、ものの”かたちを写す”その行為には、様々な要素が混在しており、とても興味深く感じます。











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 ● アイロン、鏡餅 <八王子市郷土資料館>。 胡麻煎り器、防衛食(保存食料) <調布市郷土博物館>。



八王子市郷土資料館の常設展示の戦中資料では、湯をなかに入れて使う陶製アイロンや、竹で編まれたランドセルなど目をひく代用品資料もありますが。

こちらは、昨年夏の盆の季節に開催されていた特別展での戦中資料です。
アイロンはニクロム線が仕込まれた電気アイロンですが、本来はボディーの鉄である部分がすべて陶製素材に置き換えられています。
薄浮き彫り風の装飾も美しいながら、やきものの食器のように、松鶴図が描かれていたりと、工業製品の電気アイロンのかたちを写しながらも、やきものならではの得意の意匠も加味されていて面白い現象に感じました。
電源コードの先は差し込みプラグ式ではなく、電球の口金型で、電球のソケットから得る方式です。



陶製の鏡餅には「実用新案特許 第一九三五四八号」とあります。



ほかにも代用陶製ものとして、分銅、防衛食、電灯のソケット、手榴弾などがみられました。



 また同時に展示されていた、 「戦時物資活用協會」のポスター「貴重な資源をお役に立てませう」には。

鉄、銅、アルミ、紙、ボロ、綿、毛、麻、ゴム、ガラスの10項目の資源活用の推奨文が啓示されており、戦時下といった緊迫した時代ならではの独特な文体で目を惹きました。



参考までに金属三種については、このような内容です。 ( * 旧字体改める )


 鉄: 鉄資源の確保は、武力戦にも欠くことの出来ぬ大切な問題です。鉄屑はたとえ錆びていても立派な鋼になります。鋼は勝抜く兵器の骨格です。

 銅: 銅屑には黄銅(真鍮)青銅、アルミ青銅、洋銀の外、錫、亜鉛なども含まれます。電球の口金二ツで小銃弾の薬莢が一ツ出来るのですから、カケ電球一ツの真鍮でも粗末には出来ません。

 アルミ: アルミ屑一トンは原鉱石四トンに匹敵するといわれています。それ程アルミ屑は銅の代用資材として用途の広い大切な資源です。 飛行機もアルミがなければ出来ません。




調布市郷土博物館の胡麻煎り器は、いかにも金属器を写した道具らしく金網を模した網目模様の加飾なされ「戦勝」の二文字がみられます。
柄の部分の穴から胡麻を器体の中に注ぐ方式です。
ただ金属器が登場する以前から、元来素焼製の煎り皿の焙烙(ほうろく)なるものがありましたので、意匠的には金属器のかたちを残しつつ、素材的には先祖返りした逆行現象の歩みとなった胡麻煎り器です。



防衛食は、いわば缶詰容器の代用として生まれたやきもの容器の保存食です。
とも素材の陶製蓋には開封するさいの、薄く釉薬のみがかかった極小部分があり。
ここに尖ったもので穴を開けると、容器の真空状態が解除されて開封できるという新案ものです。

戦後数十年経った現在でも、未開封のものを開けてみると、内部の食品はまるで腐っておらず悪くなっていなかった、という報告があります。
金属製品の代用品としてのやきもの製品は、その強度ゆえ、いずれも実物に比べて幾分難ありと過少評価されていましたが。
この防衛食容器に関しましては、本来の缶詰容器より優れた保存性(重さや強度面の劣性は考慮せず)が確認できた好例となっています。








『うちのガラクタ』のなかにも、代用品とおぼしきやきもの製品がいくつかあります。
今回は新しく国策炭も加わったことですし、お仲間紹介で3件ほど紹介してみましょう。












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 ●  陶製アイロン     磁器製  東京万年電氣會社製   70×146×高さ95ミリ。



八王子市郷土資料館にあったアイロンとまったく同じもの(ネジ止めのコミ穴が円と四角で微妙な相違はありますが)で、上部には「万年」マークがついています。
但し釉薬はラスター彩風の黄釉一色のみで、コードは損失。
後部にはメーカー名が記載されています。
実家にあったものを学生時代に持ってきたものですが。
なぜこんなアイロンが家にあったかは不明です。











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 ● 湯呑茶碗       磁器製  統制番号「岐241」    径69×高さ70ミリ。



鎌倉の鶴岡八幡宮門前にあった茶店で、古風な氷コップなどと一緒に、かって使われていた湯呑みです。
八幡さまの鶴の社章は、後付けのようです。

こちら(無地のほう)には、底に統制陶器の番号「岐241」「TOKI KOSHITU」の製造メーカー印があります。


このような何も飾りげのない、茶碗、丼、湯呑、皿などの白磁の器に、緑に二本線が入った食器は、国民食器と呼ばれ。この時代広く普及していました。


茶屋で使用されていた湯呑みは、統制番号・社章の有るもの無いものが、雑把に一緒にされて使われていました。
量産目的の普及品であり、焼きもぼってりとしており、とても粗雑な器です。
いわゆるやきものとしての金銭的な価値は一切望めませんが、負の時代がもたらした、歴史的なやきものの側面を鑑みる上での価値は十分に感じられる湯呑みです。


転がしても割れないような剛健な器。
この湯呑みで日本酒を、コップ酒ならぬ、湯呑み飲みすると。
豪気にまかせどんどん進んでしまいそうで、実に危ない気配を感じさせます。












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 ● 煙管         陶製   長さ98×19×12ミリ。



ぐるぐると渦巻き模様のついた可愛らしい小型の煙管も代用陶器です。
異なった模様のものと、二つ揃えたものの片割れが残ったもの。
入手当時は100円の相場でしたが、現在はかなり高めの値段で売られています。


意匠大きさともども、いろいろバリェーションがあるようで、蒐めれば、それなりに愉しめる陶製の煙管です。

この煙管には番号がありませんが、統制番号付きのものもあるようです。



金属写しのやきもの道具には、ほかにも、おろし金、コートフックなど持っていますが。
この一冬は、通しで白磁製の湯たんぽのみを使っていました。
ブリキの湯たんぽにくらべ、重くて扱いは不便ながら、火傷をせぬように、割らぬように注意して使ってみて、幾分愛着が持てました。




湯たんぽの、価格が記された票には「日本陶磁器商戦普給會」とあり 。
このブリキ製を模したかたちの陶製湯たんぽも、やはり代用陶器の類なのかもしれません。



**ブログ№235 センナイハナシ 

http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-235.html







長々記してしまった「やきものローグ」ですが、最後はお口直しに、気になる映画のワン・シーンで括りたいとおもいます。



** ブログ№275 「世界で一番恐ろしい食べ物」


http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-275.html


で記載した、ホヤ食いシーンです。
このシーン見たさにDVDを借りてみました。



ストリー自体は、麻薬密売組織のボスを追う刑事の話しで、捻りは一切ありません。
ただ、セットを一切使用せず、完全にロケのみで撮影のクライム・フィルムは。
町の埃っぽさやゴミゴミした様子が際だってはいるものの、暗闇の部分はより沈んで陰り、どこかドキュメンタリー・フィルムを視ているような錯覚を覚えます。

そして聞きしにまさるカー・チェイスの場面の生々しい迫力の凄さ。
現在の映画のように、極端に加工された特撮技術でもって何でもありの世界でない分、より素の臨場感を身近に受けて愉しめる映画でした。











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 ● 映画「フレンチ・コネクション」より、ホヤ食いシーン。



映画を視ること20分、やっとホヤ食いシーンの登場です。


ホヤを食うのが、マルセイユの麻薬密売組織のボス、シャルニエ(フェルナンド・レイ)。
普段はソフト帽を被り、ピシッ決めた紳士然ながら。この日は少しラフな革のジャケット姿です。

密談のため密かに訪れた島に上陸するやいなや、さっそく磯たまりにホヤを見つけ、まるで落とし物でも拾うがごとく、むんずと摘みあげます。
そして、そのまま濡れたホヤを手にしたまましばらく歩き、相方との面談シーンへ移ります。


悪のお仕事。かなりヤバイ仕事の話しをしながらも、折り畳みナイフをポケットからさりげなく取り出し、ごく自然な手さばきで、まるで肉片を削ぐがごとく、片手でホヤを見事に切り分け口へと運びます。
その仕草がなんとも決まっていて、実に優雅なのです。
ちょうど仕事話しも一段し、同時にホヤを一個まるまま食べ終えて、その殻をぽいと海へと放ります。
青い地中海の水面に消えるホヤの逆光的なシルエット。
「なんなんだ、このダンディーなおっさんは!? いったい誰 」

よくみると、ブニュエルの映画にも度々登場する俳優なのでした。


また、DVDにはウィリアム・フリードキン監督による画像解説があり。


この悪の親玉、シャルニエ役も、当初はブニュエルの「昼顔」に出る、違う俳優を予定していたものが、なんの手違いかフェルナンド・レイに決まったらしい。
レイのみせる予想外な紳士的な持ち味が、主人公である行動本意直球型性格の刑事・ポパイ(ジーン・ハックマン)との対照さが効果的に映え、映画に多大な魅力を与えることになって成功だったと述べています。


このホヤ食いシーンも、一見何気ないシークエンスながら、監督によって予め細かに練られていた場面らしく、画像解説でもしっかりとホヤについて言及しています。


そして、レイがホヤ食いに使っている折り畳みナイフは 、オピネル (フランス版、肥後之守といったもの)らしく、刀身のサイズ、刃先の微妙な湾曲具合が、片手使いで無駄なく食品を食すのに、まさに誂えもののごとく理想的な形状で、手に吸い付くようにしっくりと馴染むのです。

レイを見習い、フランス流にちょっと小粋にホヤを食したいところですが。

たぶん自分が真似れば、ナイフをその身に一度刺したその瞬間、なかから汁が飛び跳ねて。
ホヤの強烈な臭気にまみれて悲惨な状況となる姿が見え見えです。

やはり、ホヤの切り分けはどなたかに任せ、皿に綺麗にお造りにしてもらうのが一番のようです。










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 ● こちらが、フランスの国民的ハンドナイフともいえる、 ”OPINEL” (写真は№10)。







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 ● 並べてみました。うちのピンチーヒッターのやきものたち!









引き戸の底につく戸車など、思わぬ箇所で使われていた代用陶器の数々。更なる出逢いが楽しみです!!   (^-^)   











  1. 2016/06/29(水) 22:16:55|
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265 書と美しいもの







詩人・墨人である、山本 萠 さんの個展へ行ってきました。(2016年4月20日)








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 ● 山本萠作品展       国分寺くるみギャラリー にて (25日まで開催中)


昨年の春の個展はお休みした萠さん、今回は2年ぶりの国分寺展です。









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● 国分寺界隈の様子


うちからですと国分寺はJRの乗換駅ということもあり、駅の利用はするものの、国分寺の町に出てぶらぶらすることはありません。

国分寺駅前北口界隈は、現在マンション建設で大幅に開発中です。
そんな様子は駅から見える程度には知っていましたが。
改めて見ると、凄いものです。
細路地に密集した小さな商店や、怪しげな飲み屋が立ち並んでいた歓楽施設が一勢に取り壊され、見事なまでの広大な更地が拡がっています。

新しく街が出来ても、利便ではあってもなんの特徴もない、面白みの欠けた日本全国の都市にみる一様な町となりそうな、そんな雰囲気ありありなのが残念です。


昨年度から、国分寺市に隣接するうちの市の住人も、図書館での一部利用が可能となりました。
国分寺駅北口方面にある本多図書館は、市内で一番大きな図書館です。
うちの市と異なりどんなラインアップの本があるのか愉しみで、自転車で図書館まで行って本を借りてみることにしました。

そして図書館の後、久しぶりに北口方面界隈を、ぶらぶら歩いて個展へ行ってみましょう。


久しぶりの国分寺は、やはり昔をしのぶような街の景色がどんどんなくなっていました。
それでも、かっての記憶をたどり細路地を行くと、昔懐かしい名曲喫茶”でんえん”は健在でした。

既に半世紀以上は続いている喫茶店、変わらずお店のママも元気とのこと。
昭和の面影を強く残す、国立の”邪宗門”や、中野の”クラッシック”など、時を結晶させたような、昔懐かしい老舗の純喫茶店がどんどん消えてしまった現在。
変わらぬ佇まいの”でんえん”は、ともかくとても貴重な存在といえます。

ラム酒の付いたコーヒー一杯で好きな本を読み、ゆったりと時を過ごすような、喫茶店での贅沢な利用からも、このところすっかり離れてしまっています。

今日の個展の帰りには、懐かしき学生時代を思い出し是非寄ってみなくちゃね!









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 ● 山本萠作品展 会場の様子。


個展の初日、いの一番に鎌倉に住むMちゃんと会場にての待ち合わせ。

一足先にいらしていた皆さんで、ちいさなカメラを手にとって盛り上がっておりました。


萠さんは、詩や書、朗読のほかにも、パステル画や写真などもなされる多才な創作活動をされています。
自分が萠さんの作品で特に好きなのが、各種のエッセイに寄せられ載せられた写真です。
文章と写真とのコンビネーションが絶妙で、それだけで萠さん特有の世界に魅せられ感動してしまいます。

萠さんが撮られる、光りと影の階調が美しい叙情的な写真の数々は、昔の一眼レフカメラのレンズを通じて切り取られたもの。

写真の世界もデジタル全盛の時代へと完全に移行した現在。
フィルムを使った銀塩写真を撮られる方は、いまではいたって希有な存在。
そのため愛用しているカメラのメンテナンスでは、既にメーカー側の部品の在庫もなく、修理もままならない状態なのだとか。


そんななか、会場にいらしていたTさんが、便利ですよと、萠さんへと託していたのが。小さな蓋をパタンと開いてレンズを出す、沈胴型のドイツ製35㎜ 小型カメラ、MINOXでした。


現在のコンパクト・デジカメに比べてみれば、MINOXの本体サイズはひとまわり以上は大きいものの、裏蓋をスライドさせて外しフィルム装填する方式のMINOXは、当時の35㎜フィルムカメラとしては、その厚みもフィルムのパトローネサイズにほぼ同寸で、レンズも本体に収納される最小のものでした。

日本のオリンパスにも、同じようにこれに類した小型カメラ、XA1(マニュアル機)、XA2(パンフォーカス機)だったか? 良機がありましたが、元祖はやはりこのMINOXの携帯性に依ります。

なんでも小さくまとめてしまうのは、日本が得意とするお家芸ながら。
もともとが、戦中のスパイカメラとして発展した歴史を負うMINOXのこと、カメラの機能を、こんなに小さなボディーにコンパクトにまとめてしまうのも納得です。

MINOXは一眼レフカメラとは異なり、広角レンズ35㎜固定焦点で、レンズ羽2枚で絞るため、逆光ですと独特の菱形のプリズム模様が現れ、仕上がる写真も周辺部が多少暗くケラれます。
ちょっとトイカメラっぽくもある独特な画質ながら、あらかじめ被写界深度をパン・フォーカス設定しておけば、単純にピント合わせの手間もいらず、その速写による操作性が実に魅力的なカメラといえます。


** Tさんの持ってこられたこのMINOXはオートモードの付いたもの。
その後継機である、MINOX35GT-Eは、自分もかって普段持ちのカメラとしてその携帯性に魅せられ愛用していました。
こちらはAモードが無くなった完全マニュアル機、レンズ全面に保護フィルターであるスカイライト・フィルターが付くなどマイナー・チェンジしています。

MINOXは、およそこんな感じのカメラです。


  ** ブログ№066 パッタん ミノックス
http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-66.html




ロシア(ソ連)にも、MINOX版のコピーカメラといわれるLOMO(機能的には随分異なりますが)があり。
デジカメが普及直前の一時期は、そのトイカメラっぽい画質が”LOMO効果”として若い女性などに、カジュアルに遊べるカメラとしてもてはやされ、一大ブームとなったことがあります。


萠さんの写真は、主に風景と物撮りの二つで。

萠さんの家の中にある、室内での小さな美しいものの撮影には、MINOXの最短焦点距離が90㎝のため、現在使われている一眼レフのように上手く接写ができず、その面ではやはり難はありますが。

野外での広角による風景撮影には、一眼レフと比べ、また一味異なった写真も撮れそうです。


筆や墨を換えて、書を自由に表現するように。
野外での散策の際にMINOXをいつもポケットに携帯的に忍ばせて(一眼レフは、ともかく嵩張り重いですから、自然と体力と心構えが必要です)、こころ動かされたものを赴くままに、その瞬間を切り撮る。
そんな折に触れた新しいスタイルも、萠さんにとっては案外悪くないかもしれません。


自分も、コンデジ・オンリーとなってしまった現在では。
フィルム時代のように貴重な瞬間を撮る、いわゆる”写真を撮る”行為(フィルムは現像にプリントにともかくお金がかかりました)自体が、すっかり消え失せてしまいました。
デジタルは、写真を撮るというには、余りにもお気軽過ぎてメモる(記録するというよりは、本当に記帳する感覚に近い感じ)だけながら、それでも、デジタルカメラならではの気軽さで良い面も沢山あります。


デジカメ写真は、シャッターボタンを押した瞬間に、ビュー画面を通じ撮られた写真が、どのように写っているのか一目瞭然で解ってしまいますが。

その反面、フィルムカメラでは、あくまでもファィンダーを覗いてシャッターボタンを押した時点での記憶のままの画像のイメージのみ。
後に現像してプリントされ仕上がるまで、写真としての姿が正確には見えてきません。

この両者の関係におけるプロセスは、メールと手紙の関係にもあてはまり。

どこか用件のみを伝達するのに、とても利便性のあるタイムレスなEメールと。
こころを満たし筆を執り、用紙、便箋、切手などを選びながら、相手に文をしたためる方法で、双方のやりとりに時間的にも猶予が必要な、手紙との関係です。


先日借りて観たDVDに『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』というアメリカに実在したストリート・フォトグラファーの長編ドキュメンタリーがありました。

ヴィヴィアンの、常人を逸した、どこかエキセントリックでマニアックな生活のなかで撮られ、死後そのまま埋もれていた膨大な量の写真より、彼女の生涯の足跡を辿るという内容の映画でした。

そこには、やはり同じように死後になって、閉鎖された部屋の中より、自分の理想空想世界が記録された膨大な物語り作品が発見された。
アメリカの異色の画家、 ヘンリー・ダーガと、どこか通じるものがあり、とても興味を魅かれます。


もしヴィヴィアンが、現代というデジタルな時代に活きていた人であったならば、誰しもが気軽にカメラのシャッターを切れる環境にあるため。
彼女の撮る写真に対する時代の評価も、まったく異なったものに見なされたこととおもいます。

まだまだ大衆的にはカメラが高価なものだった当時。
ヴィヴィアンの活きた時代と、彼女の生活と被撮られた被写体が、時間軸で渾然一体となったため、今回のような奇跡の発見が、現代に取り上げられることになりました。

MOMAなどの写真分野を専門に有する、美術館や博物館では、ヴィヴィアンの作品は、館蔵する写真としてのコレクションには値しないという、門前払い的な辛口の評価がなされました。

しかし、自分としてはこの映画を観て、ともかく。

現代のデジタル時代に匹敵する超膨大な量の写真を、ヴィヴィアンの偏執狂ともいえるべき執念でもって撮られた、このフィルム写真の数々に。

やはり、当時のプロのカメラマンが狙って撮っても、決して切り取れなかった絶妙な瞬間も多く。
その記録性と同時に、写真としての画作りのバランスの面でも完成度が高く。
いずれもとても素晴らしく、彼女の個性を強く感じました。

ヴィヴィアンの個性的な特異な世界は、まだまだ映画だけでは知り得ない真実も多く潜んでいるようで、興味津々です。


・・・・・・・・・・・・・・と話題が、萠さんの作品から、カメラ・写真へと大幅に、すっかり脱線してしまい失礼しました。


テレビやパソコン、携帯電話などの一般家庭に必需とされている利品を一切持たず。
古い吾妻屋で、美しいものに囲まれ、それを愛おしみ愛猫とともに静謐で真摯な暮らしをされている、萠さん。


萠さんの書も、いわゆる書家のそれとは随分と異なり、一言で云えば、彼女自身がそのままにじみ出たような、どこか包まれるような優しさで満ちています。

現代の詩人、かって路を宿寝とした山頭火の句など、数あるなかより含蓄ある一片の言葉を選び抜き。
ひとつの範疇の世界のなか展開させ、様々な表情で書かれた萠さんの書。


それらが、萠さん自らが蒐めたという、個性的な布裂によって、軸や額装に美しく表装され仕立てられて並んでいます。

表装までを含め、そのいずれにも、萠さんの執拗なまでのこだわりと美意識を感じずにはいられません。


軸を飾る一文字はこう、中回しの布はどうのといった、軸装の定式の約束事の枠にとらわれず。
大胆な柄の着物裂などを、感性の赴くままに自由に取り合わせ配置したりと、その作品はどれもが斬新で素敵です。


そんなご自身の装丁での訴えの無理の利く、昔からなじみの深い表具師さんも、ついに高齢を迎え。
ここのとこところ、既にからだの自由が効かず、裏打ちするにも力が出ず大変ということで、今回の仕事を最後にされた話しを伺いました。

今後、ご自身の作品を築き上げる表装の面で、更なる大きな問題が浮上され、誰もが辿る老いの問題とはいえ、萠さんもどこか憂う表情で老職人を労い、残念にされていました。



萠さんを知るひとならば、誰しもが感じることながら。
萠さんの感性はいつも鋭敏に研ぎ澄まされていて、会場にあるほんのちょっとした、どうみても脇役意外には顧みないと見なされる、様な細々としたものまでに、実に細やかな配慮と慈愛に満ちています。


たとえば芳名録のペン皿が古瓦であったり。
作品の合間にさりげなく挿された野の花があったり。
出される一服のお茶のうつわにも、伊万里の向付(蕎麦猪口)であったり、それを現代的な感覚を加味して写したうつわであったり、そのための茶托が古い漆器の椿皿だあったりと。
来場されたお客さんが自身も、普段は自分の身の回りに介しないこれらのものを通じ、萠さんが蒐めたうつくしいものとの世界との出会いがあり、またそれに触れる愉しみがあります。


展覧会で出会う一見のお客さん同士が、そんななごみある空間のなか、まるで旧来からの友人のように、自然にこころもうち解けて色々な話題に花が咲きます。


今回のDMには、「そんな書の展示と共に、わが家にある器や小物のいくつかも小さなコーナーに並べようかと思っています。」の記述がありました。










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 ● 会場の片隅の「このコーナーはさわって下さい!!(大丈夫です)」展示。


「さわって下さい!!」とあって、括弧書きの「大丈夫です」の添え句がなんとも微笑ましい。(^_^)

今回新しい試みの、ご自身の蒐めたものを並べてのミニコレクション展示。

会場の扉を開けるとその脇にこのコーナーが真っ先に目に入り、挨拶そこそこに、その場に吸い込まれるようについつい手に持って触ってしまった、浅ましい自分です。

柿渋引きの酒袋の上に、そんなミニコレの小物が、こじんまりと肩を寄せ合い集められていました。

和洋古今、やきものやガラスなど素材もいろいろです。


やきものでは、縄文や須恵器などの土器片、唐津、有田の染付、黄瀬戸、灰釉陶片や、伊万里の蕎麦猪口、”くらわんか”の器、少しホツがあったり欠けた碗、ノリタケの小皿、ココット皿に現代の作家もののマグや壺などといろいろですが、よく見ると萠さん自身が絵付けした人面が描かれた壺なんかもあります。

ガラスでは、日本のむかしの氷コップ(かき氷器)やミルクガラスの器、何に使われたのかまるで不明な口曲がりの小容器(PAT.付)。
フランスの業務ガラスメーカー DURALEXのカラー皿(自分がむかし使っていたのは同じ皿ながら一周り大きく、色も鮮やかすぎる緑と黄色のものでしたが、こちらは優しい落ち着いたベージュの色味のもので古び具合もほどよく、なにに合わせても使い易そうでした)なんてものも混じっています。

ほかにも、仏具の五鈷鈴や、自在鉤の横木、用途不明の木片(裏に「一三月」とあり、大小暦などの部品か?)などいろいろです。


骨董市などで雑多に並んだものの山の中より、無作為に掘り出しものを見つける流れとは一風異なり。
一個人の視線でもって蒐められたものの中から、自分にあったものを選ぶ楽しみ。

この度あれこれ物色しつつ、小さなやきものを三品求めさせて頂きました。



このブログの題の通り、家のガラクタは一向に消えず。
狭い部屋に益々ものが溜まり、あふれ出すばかりの状態となり、そのモノ意地の汚さにその度反省はするものの、懲りずにここまできてしまいました。


萠さんの場合は、それぞれのものより美の受容を終えた後は、精査され手放すことも普通らしく。
そうすると、さらに新たなものとの巡り合わせの出逢いがあるともいいます。
ものに完璧に縛られず、そして循環させることが一連となった、暮らし自体が清く流れるせせらぎのような美しさです。



会場の書は、日本の俳人、詩人の詞で満たされていますが。
そんな中に一編、例外的に外国人の言葉らしきものが書かれています。

「死守せよ、しかし軽やかに手放せ」 ピーター・ブルックの言葉から。

・・・・・・・と、なんとも示唆深い言葉です。


今回の、萠さんのミニコレクションの即売コーナーも、まさにブルックの言葉に通じ、 「軽やかに手放せ」を地でいっており。

自分としては、物欲に目が眩んでいる真っ只中、目から鱗の教訓となり・・・・・・・・・・・・・・、なぜブルックを選んだのですかと訊いても。
「なんだかこころに響く言葉と思って・・・・・・・・・」という、とてものほほんとした答え。

ブルック、ブルック、ピーター・ブルック・・・・・・・・・・・・・・。

この人の名前、どこかで聞いたことがあったはずと思っても、どうも正確には思い出せません。


「映画撮ってませんでした、この人!?」と訊けば。


「私は詳しいことはまるで知らないのよね。マコちゃん(萠さんの親友で演劇にも明るい人)は『ブルックか!』と感心していたから、演劇の人じゃないかしら、多分この方」との返え。


記憶の片隅のなかで学生時代観た映画
「確か、思想家グルジェフの自伝的映画『注目すべき、人々との出会い』(という精神世界を描いた難解な内容)か? インドの叙事詩『マハーバーラタ』(こちらも気の遠くなるような余りにも長大な神話世界のストリー)とか撮っていませんでした!?」とあらたに訊いてみても。
知らないものは答えようもありません。


この場に居合わせた客人も、萠さんも、どうも全員がアナログ派らしく、誰もスマホなんか持っていません。

そもそも、スマホで何でも容易に”答え一発!”といった風潮自体を、時代に抗い潔しとしないご様子。

現在のように便利な機器がなかった昔のように”謎はナゾとして”課題を持ち帰り、家に戻って悩みつつも、やはり安易にネット検索することは避け、「ブルックって誰?」という悶々度を引きずることにしました。


それでも記憶が正しければ、「押入のどこかに学生時代に観たあの映画のパンレットがあったはず!?」という一縷の望みをかけて。
骨の折れるガサゴソ作業は、お天道様を仰ぐ翌朝まで待つことにしました。


押入の天袋からの発掘作業に没頭すること30分。
いつもの手慣れたアナログ検索方式で、押入収納魔掘のカオスの山を切り分け、どうにか件のパンフレットが現れました。

ピーター・ブルックは、やはり映画も撮っていたようです!  

モノを捨てずに、つい闇雲に押入に直行させるいつもの詰め込み整理法ながら?
時にはこんな有様であっても、功を成すこともあるのですね。(^^;)









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 ● 「注目すべき人々との出会い」 ピーター・ブルック監督作品。 ほか 


「注目すべき人々との出会い」のカタログとともに出てきたのが。
「路」 ユルマス・ギュネイ監督 トルコ・スイス合作。
「白い町で」 アラン・タネール監督  スイス・ポルトガル共同製作。





学生時代は映画は住居のある近場の範疇で、ロードショウは専ら吉祥寺のバウスシアター、名画上映は、三鷹オスカーの三本立てをよく利用していました。

世代的にもどこか背伸びしたい気分もあり、結構いろいろな映画を視たけれど、知識不足と余りに難解で、まるで理解できないものも多く。

多分、あの頃と現在と、まるで同じ映画を再び視ても、理解度は五十歩百歩なのかも知れません。
それでも、解らずとも若いときに受容すべきものはやはり必要で。
やはり現在の自分にとっての、映画をみる姿勢として、そのまま繋がっていることと思います。

ただ、部屋で好きな時間にお酒を楽しみながら、同時に映画も自由に視れる現在とちがい、餡パンと牛乳を買い込み、映画館の硬いシートに長時間張り付いてスクリーンを真剣に注視していた若かったあの頃が、なんとも懐かしい。


映画、「注目すべき人々との出会い」1979年 は、実在した神秘主義者・思想家としても知られる、ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ(1877?-1949)の心理探索の旅の半生を描いた自伝的作品。

将来は僧侶か科学者か医者になりたいと問うた少年グルジェフに、父が返した「自分自身になりなさい」という言葉が、やがて秘密教団サルムング探訪への旅に結びつき。
僧院の中庭で聖体操、実習、舞踏に触れるまでの物語り。


後に、グルジェフは 、 <仕事・ワーク>として、徹底した自己留意を伴う行為を自発的受苦にもとづきエネルギーを昇華させる実践で、「人間の調和的発展協会」を設立。
1922年、パリのフォンテーヌブローに落ち着いて、本格的に<仕事>を開始する。
その後アメリカに渡り、各地で講演や聖体操のデモストレーションを行った。

主に欧米各界の芸術家に大きな影響を与え。

建築家のフランク・ロイドライト、作家のキャサリン・マンスフィールド、映画監督のピーター・ブルック、アレッサンドロ・ホドロフスキー、画家のジョージア・オキーフ、ピアノのキース・ジャレット、ロックのロバート・フィリップ等、芸術家の創造行為の中にグルジェフの精神は受け継がれている。


監督は、ロンドン生まれで、戦後演劇界の最大の逸材といわれる、ピーター・ブルック。

映画も結構撮っていて、
「三文オペラ」1954、「雨のしのび逢い」1960、「蠅の王」1963、「マラーサド」1966、「リヤ王」1970、「注目すべき人々との出会い」1979、「マハーバーラタ」1989などがある。


そういえば、タイトルだけなら誰もが結構知っている映画も混じっています。



学生の時に視た、本作「注目すべき人々との出会い」は、冒頭シークエンスの映像シーンが、雄大で異国情緒あふれ、あまりに強烈でいまでもしっかりと印象に残っています(ユーチューブでも視聴可能)。



「谷間にある天然の円形劇場に多くの人たちが集まってきた。少年グルジェフも岩の上から見おろしていた。ペルシャやコーカサスからやってきた。語り部たちが、20年に一度、谷間の岩々にヴァイブレーションを与え、こだまさせた者が勝者となる競演が始まったのだった・・・・・・・・・・・・・・」 本作カタログより。


アショークと呼ばれる、この吟遊詩人による楽奏の競演は、巨大な岩山に響き渡るこだまに換気され、自然と霊的な実在への啓示へと向かうグルジェフの人生を暗示するプロローグで。
ダイナミックなこのシーンは、やはりいま視ても否応なく素晴らしい。

その後数々のエピソードが緊密な凝縮力をもって描かれるグルジェフの秘密教団探訪までの半生ながら。
ようやく秘密教団サルムングの内部に案内されたグルジェフは、後に自ら体系化した神聖舞踏の数々に接し、それが後にグルジェフの弟子に引き継がれ、自己覚醒のパフォーマンスへと昇華します。

自己覚醒ものや、パフォーマンスものが流行っていた、映画上映の当時。
さすがに映画のその心理の場面に触れ、インスパイアーされた観客も多かったのではと思います。
オーム真理教の存在そのものも?まだ知られていなかった時代ながら。
芸術方面には多少興味があっても、パフォーマンス的なものがどうも苦手だった自分。
この最後の盛り場のシークエンスの神聖体操や舞踏は、見ために面白くはあっても、余りにも怪しすぎます。
カルト的なものもやはり苦手という拒否反応の表れか?
そんなわけで次作予告の、プローモーション・フィルムに写り期待していたこの謎の場面。
実際には、余りの脱力感で映画館でぽかーんとしてしまった思いがあります。

どうなのかなぁ? いま視たら??


ブルック、ブルック、ピーター・ブルックの言葉から、話しは脱線しぱなっしだけど。

「死守せよ、しかし軽やかに放せ」というブルックのこの言葉。やはり人間の覚醒世界を目指したグルジェフの影響が濃厚と感じます。
モノ欲の奴隷となっている自分としては、どう考えてみても、あまりにかけ離れた次元の言葉であると知りました。










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 ● 展覧会の後は、Mちゃんと公園にしけ込んでのお湿りの一時。


展覧会の後は。
歴史ある名曲喫茶”でんえん”での再訪的なお茶の一時?
あるいは、殿ヶ谷庭園で盛りの躑躅を観ながらのお茶も考えてみましたが。

夕方となり時間も押し迫り、Mちゃん持参の筍を食すには、やはり公園が一番ということになりました。

陽のある時間の小一時間。
お金を掛けず清酒を買って公園へ向かいます。

平日ながらも、夕刻となり、学校もひけて、アスレチックなど遊具がある公園は小学学童にとってはオアシス的な存在。
若きお母さん達も集い、ワークショップなのか、なぜか、ベー独楽のデモストレーションを子ども達と一緒にやっています。

騒がしいガキんちょの動きを横目で見送りながら、小さくなって公園のベンチに座ります。
さらに、ままごとのような小さなグラスでもってお酒をとくとくと注ぎあう、どこか怪しげなオジサンとオバサンの二人組。

子ども達の歓声飛び交う公園で、どこか肩身の狭さを感じつつも、新緑の鮮やかな翠に目さえ向ければ、やはりそこは自分たちだけの聖域に早変わり。

上善如水(じょうぜんみずのごとし)。

この銘柄の日本酒を飲むのも、本当に久しぶりです。

水の如くすいすいと飲めてしまい、気分もどこか水のごとく浄化されていきます・・・・・・・・・・・。
なんて感じるのは、その時点で既に酔った証拠でしょうか。

満開の桜に酔うような爛漫とした花見の席のお酒もよいですが、新緑のなか、翠を楽しみつつしっぽり杯を傾けるのも捨がたく最高でした。

屁理屈はともかく、人間がお安く出来ていても愉しい二人飲みです。










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 ● 雨後の竹の子は破竹の勢い。地面に筍が顔を出してからわずか一週間余り、この時期の竹の成長の速度にビックリです!


独活の大木ならぬ、竹の成長の勢いにも毎春のこととはいえ驚かされます。(近所にての定点観察より)

筍の木の芽和えは、本日公園で一杯飲んだ、Mちゃんの差し入れ品。
この季節、暗黙の内に馴染みの庭師のおじさんからから届けられるという、お約束事の朝掘り筍。

採れたて筍は糠を入れなくともエグミが一切なく、水煮で一度煮て、出汁でさらに煮ふくめるだけで充分にOKという鮮度です。


関東の筍では、昔から目黒の産が味がよく上等とされ、産地として定着された歴史があります。目黒区の郷土資料館にも筍掘り専用の民具が展示されていましたが。

どうして、鎌倉産の筍も負けずに劣らず健勝です。

あらためて、大振りで筍の味の良さのため、マダケ(別名ニガタケというごとく筍には若干の苦味が伴う)に代わり江戸も下った時期に輸入され、日本各地に広く植林されたというモウソウチク。

もっとも旬の筍といっても、当時の北国の郷里では、植生の関係上、噛みごたえのある細いネマガリダケのものしか流通せず、それ以外の筍の味を知らずに育った自分のこと。
モウソウチクの筍はどこか大味に感じておりました。

畑から直に摘んだトウモロコシを、その場で皮を剥いて直下に食べれば、茹でる必要が一切なく、大地の養分をめいいっぱい吸って育った純粋な生の甘みを堪能するのと同じことで。

季節の風物詩ともいえる、旬の筍も、可能ならば一切余分な手をかけず、採りたてのその恵みをストレートに味合うのが一番。

採りたてだと筍も刺身で食べられると知りました。

鮮度とは、その瞬間こそが身上。
生きものの命を頂き、わずかな時間の合間に身体に滋養を満たす。
採集後、刻々と変化する食物の頃合いを、いかに見極めるかの知恵くらべ。

Mちゃん家で筍をご馳走となり。
近年では、モウソウチクの筍の、旬のその美味しさに目醒めました。

タッパーウェアから直下に筍をむさぼる。
そんな野外飲みも、どこかピクニック気分で雑把で飾らず良いものですが。

やはり家での独り遊びの晩酌には、折角頂いた初物ですし、気分的にもなにか味のあるうつわに盛って味合いたい。

ということで、選んでみたのが江戸期の白磁菊皿です。

自分としては土ものの渋いうつわに、野趣あふれるものをざっくり盛るのも好みながら。
その手のうつわに時代があるものは持っていない。
今回は、萠さんのとこで求めた時代もののうつわに、上手く釣り合うようなふるいものということで、組み合わせを変えてみました。
このような簡素で、なんの変哲もない白磁のうつわを使っても、それはそれで、筍が白地に映えて綺麗にみえて楽しめます。
白磁といっても二流のうつわで、白い釉の中にも斑な白味がみられ、そこも景色として楽しみます。




これから紹介する以下3件のやきものが、本日の萠さんの個展で求めたもの。
うちのガラクタアイテムには、いずれもなかった品々です。
今宵の一器として、晩酌の友としての使い初めが楽しみです。










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 ● 土師器     素焼     径105×高さ90ミリ。


高坏型の土師器片、野焼きによるものなのか、高台の一部は火回りが異なり黒くなっています。
そんな箇所も景色としてはなかなか面白い。
全体が波に洗われて風化したような、角が取れてまるくなだらかな断面。
高台下部はさらに粘土を付け足し、仕上げているようです。
逆さに見立て、一輪挿しに使えばこんな感じです。










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 ● 山皿      素焼(一部に自然釉被り)  室町期   径80×高さ20ミリ。


こちらは小さな瓦笥、器体の汚れが一切見られないため、いままさに廃窯から掘り当てたばかりのような発掘品でしょうか。
山茶碗は知っていましたが、こういうものを山皿というのですね。

底には大雑把な糸切り跡がみられます。

いったい器としての用途はどのようなものだったのでしょうか?

3枚のうちのひとつには、まるで雷おこしの菓子のように霰状の砂粒が多数付着しています。

白くガラス化した長石や、黒い砂粒がそれぞれ胡麻粒を振ったようにも見え、窯変の淡緑色の自然釉による灰釉が綺麗です。


すっかりのあばた顔ながら、木の実を盛ったり、箸置き代わりに活躍の場が持てそうです。


2枚の皿の一部に、比較的大きな欠けがありましたがパテ直ししてみました。
まずは一番醜いブツブツ君に青葉を敷き、晩酌の山葵菜漬けをちょこんと盛って飲んでみました。


野趣溢れる質朴な肌合いが、渋い落ち着きのなか、野の季節の珍味と相性がよく。
山皿の使い初めにぴったりの肴となりました。










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 ● 豆皿     磁器染付    江戸後期  89×86×高さ26ミリ。


磁器造りの技術も完全に安定化された時代。

混じりけのないない磁器の白肌に、青く清んだ染付の菊模様が描かれています。
成形後の型押しによる八角縁。
意外と器体は肉厚です。

小さなホツがあり、縁の角が一箇所欠けて欠損していますが、表からみればわずかに右奥に3ミリほどの表出面。
自分で直す部分も、さほど気にならない範疇です。

ささっと直し、晩酌には先日Mちゃんが旅した京都土産に頂いた、ジャコ山椒を盛ってみました。

磁器だから素焼と異なり濡れものにも気を遣わずへっちゃらです。









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 ● 晩酌は切り子のぐい呑に芋焼酎のストレート。肴は筍の木の芽和え、山葵菜漬け、ジャコ山椒の三品に決定!


美しいものに触れた一日、その後のお酒の一杯も、やはりいつになく美味で至福の一時でした!!


えんえんだらだら、脈絡のない記述となり失礼しました。







萠さんから分けて頂いた新顔うつわの初下ろし、今回は和風の肴でお酒もついつい進んでしまうのでした。  !(^^)!   









  1. 2016/04/22(金) 16:16:13|
  2. やきもの
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221 どんぶらこ






どんぶらこどんぶらこ海を越えてどんぶらこ・・・・・・・♪♪

この間、入間市の骨董市を覗いてみたときに何気に撮ったブログ写真。

**<ブログ№219 多摩散歩>参照。
 http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-219.html 

小さく四っ割りに写真組み構成したなかの1カットに白磁彩色の陶人形の写真を嵌め込んでいたのですが・・・・・・・。








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 ● これが件の写真、骨董市でみかけた陶人形。 


奇しくも、インドにいるシミズ君から「自分もどうやら写真のものと同じ陶人形をインドで求めた・・・・・・・」と連絡がありました。

この日の市は品薄というかあまりぱっとしたものが見当たらなく。
木箱の中に無造作に詰め込まれたこの陶人形も、まずは箱に見えたヒョウタン容器(科博でやっていた『世界のヒョウタン展』を観たばかりだったので)が気になったぐらい。
観音様風な神像を珍しいと思ったのか?それともサリー風の風俗人形をこれぞと思い写真を撮っておいたのか?記憶が曖昧です。
どちらにせよ買うつもりはなかったので、まるで注視しなかったのが大失敗。

その後送られたシミズ君の陶人形の写真と見比べてみたら、この市にあった陶人形もまったく同一なものと判明しました。
どんな需要があったのか? こんな陶人形の”MADE IN JAPAN”も、海を渡りインドまで行っていたのですね!








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 ● インドで求めた”MADE IN JAPAN”人形。


送られた写真には、彩色がほとんど剥落して白磁の地色をさらけ出した人形が3種(RAMA、SITA、RAXUMANA)写っています。
いずれもヒンドゥー教の、「ラーマヤナ」などに登場する神名でしょうか?

足元にそれぞれの名前、裏側には”MADE IN JAPAN”の刻印がみられます。
熱膨張による焼き割れを防ぐため、底に小穴があいた内抜き成形です。

近代の瀬戸の陶人形には、白磁の膚に赤や緑、黄色などで彩色された小さく素朴で可愛らしい当時の風俗人形があり、骨董市でも結構な値段がついて売られていますが。
産地ではこういった外国への輸出用の人形も同時に造られていたのでしょうか?

人形としての造形の面とは別に、産業としての窯業史資料としては改めて面白く感じます。

それにしてもいつ頃のものでしょうか? 一考に判然としませんが。
シミズ君によれば、現在のインドの街中でも寺院など建物の一部にむかし日本から輸出された和製マジョリカタイル<大正初期~昭和10年代、近代イギリスのヴィクトリアンタイルを模したもの>が使われているのが少なからず観られるのだとか。
そんな窯業の流れにあった時代にタイルと一緒に海を渡ったものでしょうか!?

インドの和製マジョリカタイルにつきましては、以下のシミズ君のブログに詳しく解説されています。

 **『蓮根茶屋の店長日記』、
http://dhobikakutta.blog.fc2.com/blog-category-1.html








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 ● こちらも同時に送られてきた”MADE IN JAPAN”人形画像より。


ほかにも少し手の込んだかたちや彩色の神像や動物の人形がみられます。
今回とりあげた単純な成形で幾分粗雑な人形に比べると、上手焼きの人形はどことなく時代も下り敗戦後の占領下で日本から海外へ輸出された”オキュパイド・ジャパン”製品の人形のような雰囲気に思えますが、どうなのかなぁ?







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 ● 「和製マジョリカタイル」  彩色陶器   152×152×厚さ9ミリ。


この英国のヴィクトリアンタイルの流れを汲む和製マジョリカタイルは、以前シミズ君から頂いたインド土産です。

陽刻レリーフの土手の溝を利用して互いに色が滲み混じらないように彩色されたもの。
1枚1枚職人によって手彩色されていました。
図柄は、イスラムタイルでよくみる様な八芒星に、薔薇・唐草で4色に淡く彩色されています。

このタイル、標準の和製マジョリカタイルの10ミリ厚より若干厚さが薄く。
裏面の土付け溝も浅めのため、和製マジョリカタイルといえども時代も下がって幾分新しいものと思います。
裏面に”MADE IN JAPAN”のゴム印、中央のトンボ印の商標の刻印に「□TK」とあります。

タイルに描かれた1枚1枚の意匠の鑑賞とは別に、連続式タイルは貼られた全体としての模様の流れを楽しむもの。(先の人形写真に枠組みとして並べてみました。連続模様としての繋りの雰囲気は分かりますね。)

絵柄を見たり、流れを見たり、裏を考察したりと・・・・・・・タイルの世界も面白いものです。
インドへ渡った和製マジョリカタイルに関しては、このブログの中でも

**<ブログ№128 タイルくん里帰り> 
http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-128.html

で取り上げています。

建物に実際に使われている様子も見れますので参照下さい!



そして「どんぶらこどんぶらこと海を越えて・・・・・・・」とインドへ渡り外貨を獲得するのは”やきもの”ならずも、今回のブログネタ提供者であるシミズ君も同じ

インド映画にちょい役のエキストラとして出演バイトしたと訊きましたが。
ついでですから、近頃旧作となったその映画『ミルカ』を、この際レンタルしてみました。

インド映画といえば、歌あり踊りありの世界。
どちらかといえばサタジット・レイやグル・ダットの時代の渋~いインド映画止まりとなっている自分としては、そのイメージを壊すべく妙に浮かれた踊りやストリーが嫌なので現代のインド映画をすっかり敬遠していました。


実在のインドスポーツ史に残る金メダリスト、ミルカ・シンの半生を描いたアスリート映画『ミルカ』。
スポーツに興味がまるでなく、しかもスポ根嫌いでもあるんで流石にインド映画の2時間半は長過ぎじゃないかぁと、そのエキストラ・シーンを見つけるために結局斜に構えて観ることにしました。

しかしながら結果は、「良かったです」凄く楽しめました。

脚本の構成、カメラワークも決まっています。インドはやはり映画大国でした。
しかもこの映画インドアカデミー賞14部門獲得作品とのこと。


ミルカ・シン役のファルハーン・アクタルの筋肉度が凄かった。
ミルカが淡い恋を寄せる、ビーロー役を演じるソーナム・カプールの美人度は、
シミズ君がその昔しよく言っていたインド女優への褒め言葉「糞をしない女優」に相応しく頗る美形だった。
勝手にスポ根を馬鹿にしてすみません、美しいものはやはり歓迎です!








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 ● 「ミルカ」 ”BHAAG MILKHA BHAAG” より ラケーシュ・オーム・プラカーシュ監督  2013年インド映画 153分 


砂漠と山岳に囲まれた荒涼としたインドの秘境で、重たいタイヤを牽いて地獄の特訓を開始シーンはスポ根の極み。

多くの艱難辛苦を経て金メダリストの階段を駆け上がってゆくミルカ「<電線を歯でねじ切り・・・・・・・♪>この歌って、ちょっと高揚し過ぎなのでは?」、しかし映画を観ているインド人は、そのまま自身と主人公を自己投影させて、きっと胸を熱く燃やしているはずです。
やはりインド映画は観衆への盛り上げ方、娯楽のコツに長じていました。


血反吐を吐くほどの過酷な訓練に挑み生まれ変わったミルカは、1958年、日本で開催された第3回アジア競技大会で見事に優勝。
ここから金メダリストとしての快進撃の始まりです!


その東京アジア大会で、ミルカの好敵手パキスタンのカーリク選手へのインタヴィユー・シーン(1:49:50~、10秒ほど)で、やっと我らのエキストラ・シミズ君が登場していました。
アジア最速の男となりましたアブドゥール・カーリク・・・・・・・サンキュー・サンキュー! (サンキューの繰り返しがちょっと可笑しい) 」と、この映画の中で聞く随一日本語の台詞です。
凄いぞシミズ君! 「エキストラとはいえ映画を通じ全世界に登場だなんて。観た甲斐あった!」

その後、ミルカがカーリクや日本選手(七三分け姿の武井壮出演)を破り優勝する感動のシーンへ繋がります。








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 ● 映画『ミルカ』より。


繰り返しながらインド映画『ミルカ』は素晴らしい映画でした。

しかしながら、部屋でDVDを観ていると、映画の流れとは関係なくついつい気になるシーンで止めてしまう悪い癖があります。
そのほとんどは、住んでいる家や調度であったり、生活用具や風俗・風景といったものなのですが。


水汲みの女性たちの持つ真鍮製の水壺。ネパールの同じような水壺”テキ”に比べて短胴です。
底も丸く(やきもの水壺の形を踏襲したものでしょうか?)、輪を用いた頭上運搬的なかたちですが、小脇に抱えて運んでいました。<左上>

ミルカの姉の鏡の横に下がっている黒い編み紐のような物は? 
付け髪でしょうか? <右上>

ミルカの秘境での地獄の特訓シーン。
つかの間の飲水でミルカが手にした水筒は軍用モノ? 蓋代わりのコッフェル共々惹かれました、欲しい! <左中>

フィナーレのクライマックスシーン、インド・パキスタンの決戦を聞くラジオの上に載せてある土人形らしきものは何? 
庚申の三猿っぽくも見えるのですが?? <中央>

子ども時代のミルカの頭上のお団子のおくるみはドアノブカバーみたいで可愛らしいですが、その正体は長く伸ばした髪を三つ編みにして蜷巻きしたものでした。
シク教徒の男性は、写真の大人のミルカのようにターバンで頭を包みますが。
子ども時代(何歳くらいまで?)や、映画の競技の時などの簡略形式にはこのおくるみ姿でした。

初めてのインドでこのおくるみ姿の小さな男の子を見たときは、てっきり女の子だと思ったものです。
そして、どことなくお釈迦様の時代の髪型を見ているように感じたものでした。

そして今回の映画でも、改めてシク教徒のターバンの巻き方や髪型を面白く拝見しました。









  『ミルカ』見てね!   (^o^)   









  1. 2015/11/05(木) 14:51:19|
  2. やきもの
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103 碗ならべ







前回に引き続き「やきもの」、今回は、”お碗”をならべてみました。


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 ● まずは碗を伏せての記念撮影!

いずれも採集したのはタイの旅にてです。
少し前の時代までは普段使いに用いられていたであろう日常の雑器です。
製作地はタイ国内というよりは、近辺の中国南部やヴェトナム辺りでつくられ、もたらされたものではないかと思います。
磁器や陶器にコバルトで簡潔に文様を描き量産された、いびつなかたちのものばかりですが。
一堂に並べてみると、日本のやきものとはまた別な「力の抜き加減」で風情があって面白いものです。

映画『初恋の来た道』では、農民たちが持ち寄るお昼のシーンで、このような質朴な碗が沢山用いられていたのが印象的でした。


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 ● 左より; 径97×高さ46ミリ、径107×高さ55ミリ、径104×高さ49ミリ。




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 ● 左より; 径127×高さ55ミリ、径111×高さ56ミリ、径128×高さ53ミリ。




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 ● 左上より; 径139×高さ58ミリ、径152×高さ72ミリ、径116×高さ50ミリ、径104×高さ44ミリ。
左奥は鍔付き。右手前は高坏型で通称「ベンチャロン」といわれるもので、時にサイコロ賭博の受け皿ともなります。



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 ● 左より; 径131×高さ54ミリ、径133×高さ49ミリ。
大量に簡易に重ね焼きするために、やきもの同士が付着しないようにする為の陶枕を用いず、見込みの部分の釉薬をぬぐってあります。




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 ● こちらは側面からならべてみました。




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 ● 模様の部分です。「ともかく何か描いてしまえ・・・・・・」と云わんばかりの感じながら、草花文、幾何文、”漢字”の文など、いろいろありますね。




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 ● 普段は一番大きな鉢以外は棚にしまっていて使わずじまいですが。
   今日は「タイのやきもの」本と一緒に、机の上にならべてみました・・・・・・。








  1. 2014/02/12(水) 18:37:50|
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027 極楽 統制陶器




 何の変哲もない白い湯呑み茶碗。縁に緑の二重線、側に一カ所、鶴の社文が入っています。この湯呑みは鎌倉の鶴岡八幡宮境内の茶店で以前使われていたものです。よく視ると、八幡様の鶴の社文の部分が若干色味が違っていて、後から描かれたことが判ります。湯呑みの底には「岐241」の番号が書かれています。湯呑みには、社文や番号があるものないものバラバラでしたので、自分はてっきり軍隊などの食器の転用ではないかと思っていたのですが。実はそうではなく。戦中戦後期に造られた『統制陶器』というやきものだということが判りました。岐阜県辺りで造られたものでしょうか?



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 ● 『湯呑』  統制陶器「岐241」 白磁製 経70×高さ65ミリ


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 ● 『鶴ヶ丘八幡宮の大銀杏』   鎌倉市 2009年10月 撮影

★ 「 統制陶器、それは昭和16年から戦後しばらくの間に生産された経済統制を受けたやきものをさす言葉です。この時代のやきものにはほぼすべて窯元を示す番号が付けられています。これによりそのやきものがどこの誰に生産されたかがわかります。これを『生産者表示記号』、わかりやすく統制番号ともいいます。 長期化の様相を見せる支那事変、英米との緊張。そんな中当時の政府は経済の統制を図ってゆきます。窯業界では鉄・銅製品に代わる陶磁器製代用品を企画・生産し、流通させます。また、日常の食器類も生産品目や生産量の制限を設けています。」  
 http://touseizufu.exblog.jp/ より



 ところでこれらの番号が記されたやきものを、折に触れ『統制陶器』では? と思って観ていくと 。博物館でも時々似たようなモノに出逢うこともあります。隣町の東村山市に『全生園』というハンセン病療養所があり、その一角にある「国立ハンセン病資料館」 の展示にも、これとまったく同じの白い湯呑み茶碗をみたことがあります。


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 ● 『いのちとこころの人権の森宣言』碑 平成22年建造  東京都東村山市 全生園内



 丁度本年は、「国立ハンセン病資料館」は開館20周年を迎え。春期企画展「一遍聖絵・極楽寺絵図にみるハンセン病患者」展の講演会がありましたので、先週久しぶりに行ってみました。 この日は、鎌倉の極楽寺住職による「極楽寺境内絵図を紐解く」お話でした。ハンセン病は古くより「白癩」の記述があり。近世までのハンセン病への認識は、感染する病、仏罰による病、穢れた病、家筋・血筋が原因などとみなされていました。近年になりようやくハンセン病について見直され対策事業が開始されましたが。「癩」は依然 、差別と偏見の歴史を歩んできました。しかし驚くべきことに極楽寺境内絵図には「癩宿」や「療病院」が描かれています。鎌倉時代(中世前期)の『忍性(にんしょう)』の時代より、早くも癩患者への治癒に向けて様々な対策がとられ、同時代の西洋に比べても遙かに進んだ療病活動が展開されていました。

 国立ハンセン病資料館は2007年にリニューアル・オープンしました。展示では、全国にある14療養所の他、世界各国の療養施設について詳しく紹介し情報を得られるコーナーが増設されました。どことなく歴史の闇の部分を強く匂わせる従来の暗い展示より、随分観やすくなったように思います。探していた湯呑みは、草津の重監房の食事の再現展示にありました。粗末な経木枠に盛られた雑穀飯と一緒に並んでいました。


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 ● 『草津の重監房』 再現展示コーナー  国立ハンセン病資料館




 うちの家族では外国へ行ったのは姉が最初でした。教会の活動で、ガールスカウトに混じって、中学の時に韓国の「癩病施設」を慰問したはずです。 子供の自分は姉が語った向こうでの話は一切何も覚えておらず。ただ、お土産のモロコシやチョコレートなどが、妙に粉っぽい甘さだったとの記憶しか残っていません。その後、姉は一切教会へは行かなくなりました。どんな心境の変化が起こったのか? 高校時代は熱心に福祉のサークルで視覚障害者用の点字などを打っていました。

 * 岩波DVDシリーズ。日本のドキュメンタリーDVD-BOX「政治・社会編」disc2に
ハンセン病のものが収録されています。ほんのつい最近の話しながら人権について考えさせられます。

 ■ 『熊笹の遺言』
2003年/60分/カラー 日本映画学校 監督:今田哲史
群馬県草津町・粟生楽泉園に住む元ハンセン病患者たちの言葉から,彼らの悲劇の歴史を振り返る.




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 ● 『昔の療舎』  東京都東村山市 全生園内 2012年4月撮影




 
  1. 2013/06/06(木) 23:52:46|
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