うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

360 なんとなく寄ってみたら





先日(2017年6月17日)、三鷹のICUの湯浅八郎記念館の『バンクス植物図譜』展を観た帰り、なんとなく寄ってみたのが、小金井にある東京農工大学科学博物館。

農工大の科学博物館は、この前までは「繊維博物館」の名称で呼ばれ、その前身は明治19年(1886)農商務省の蚕病試験場に設置された「参考品陳列場」にまで遡り。
旧繊維博物館から受け継いだ養蚕関係の資料を中心に、繊維などの素材・道具・機械類や、養蚕・製糸・機織をテーマにする江戸時代から明治時代の錦絵や生糸商標などの展示。
機械展示室には、工学部を持つ大学らしく、明治期から現代にかけての製糸・紡績・織機・編機などの大型機械が展示されていて圧巻される。
機械のほとんどは稼働可能な状態で保存されており、定期的に行われる動態展示が必見です。


通常は見学者もそれほど多くはない館内なのに、この日は随分混んでいる、なんの催しかなぁと思ったらオープンキャンパスでした。
普段は、多分前職が業界出身と思われる渋いお年寄りの解説員の方が、1Fの機械展示室に常駐して機械のメンテナンスにあたっていて。
質うと、場合によっては実際に機械を動かして、とてもマニアックに解説してくれる。
そんな渋い雰囲気が、自分としては結構好きだったわけですが。
さすがに本日はオープンキャンパスで、博物館内も募集生向けのツアー案内はじめ、全学挙げての盛り上がりで、いつもと異なりとても華やいでいました。



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 ● 企画展示室でみたロボットなど。

手仕事の延長線上にあるような、機械機械したものが好きなのですが。
まず今回ここで出会ったのが、このような先端研究のロボットなどでした。

右上; コンプレッサ搭載型飛躍ロボット。
左下; 人間の土踏まずを真似したロボット足装具。凸凹面の歩行が可能。
右下; 人の表情を見て振る舞いを決める。
カメラで撮った顔面像から判断し、ヒトが心地よいと感じる振る舞いができる。




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 ● 教育研究展示室にて

こちらは主に教員の研究テーマを紹介したコーナー。
先で見たロボットの開発などの研究も紹介もみられましたが、やはり目を惹いたのがこの「電卓のあゆみ」のコーナー。
算盤や、計算尺、手回し計算機に並んで、随分とごつい機械が見えます。
まるでスーパーマーケットの会計にある、レジスターのようなその大きさに驚かされます。といっても、当時はこんな大型の電卓でも、この機種では√計算が出来るようになって、なにか特別な計算をする向きで、その高価な価格からみても個人とは全く無縁の代物です。
それがいつしか、懐かしのCM「答え一発カシオミニ♪」でお馴染みの家庭向け電卓が登場しますが、こちらもいま見るとまるで弁当箱のように分厚く大きなサイズです。
パソコンや携帯電話など、日進月歩の進化は目覚ましく、そのボディーはコンパクトに薄く小さくが当たり前の状況ですから、改めてついこの間まではこんなんだったのだなぁとプロトタイプな機械に驚かされます。

 中段; √(ルート)001   1966年   CASIO 435,000円  16.5㎏
世界で初めて平方根(√)の計算機能を持った電卓。
トランジスタと集積回路を併用している。
記憶装置と7桁の定数ダイアルを備えた世界最初の電卓。

 左下; Brunsviga 11S Brunsviga Werker社製  約8㎏
ドイツ製の伝導機械式計算機。機械式計算機の手動ハンドルの代わりに、歯車を電動モーターで回転させることにより計算を行う。

 右下; カシオ7ミニCM-602 1973年  CASIO 12,800円
家庭用小型電卓カシオミニ(1972年発売)のシリーズ3代目。
初代カシオミニの価格を従来の3分の1以下に抑えたことで、個人使用者に受け入れられた。販売台数は1年間で200万台、ここから「電卓戦争」はさらに激化する。




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 ● 蚕の模型など   繊維関係展示室より

野蚕や家蚕など明治時代の図絵、
幼虫模型は上部が蓋状になっていて、外すと内部の様子が確認出来る凝った作り。
糸を吐き繭を作る様子が、どこかモスラを連想させる動きです。



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 ● 古風な展示ケースに収められている世界各地の繭の標本    繊維関係展示室より

蚕病試験場時代の展示室(古い写真)にみる展示標本の一部が、そのまま残されています。
古風な木製ガラスケースが、とても美しいです。
博物館の展示でも、ここが一番のお気に入りコーナーです。
繭のサンプルも、長いもの、まるいものと形もさまざまで、漢字や仮名で書かれた国名や地名のなかに往時の呼称も併せて楽しめます。



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 ● 製糸機など

 糸を繰る/製糸;
蚕の繭から生糸を作ること。長さ1200 ~1500メートルある繭糸をほぐし、数本を挽き揃えながら1本の生糸を作る。

1 乾燥  ; 繭を乾燥させ中の蛹を殺し、保存できる状態にする。
2 選繭  ; 繭の品質を一定にする。色つやや形態別に選別し、不良繭は取り除く。
3 煮繭  ; 繭糸同士の接着を和らげるために、熱湯や蒸気によって繭を煮る。
4 索緒  ; 煮た繭から糸を探して引き出す。
5 揚げ返し; 生糸の固着を防ぐため、巻き取った生糸を周長150㎝の大枠に乾燥させながら巻き返えす。糸が乱れないように数カ所を留め、枠から外して綛(かせ)を作り、20~24本を束ねて出荷する。



数個の繭から糸口を引き出し縒りをかけて一本の生糸に仕上げます。
 左上; 以前「東京シルク展」で見た、昔ながらの手作業での製糸作業の様子。

右上、中段; ニッサンHR型自動製糸機。
見学者を前に、係りの方が熱弁を奮っていたのがこの製糸機。
手作業の職人芸とは異なり、機械としての在り方とノルマがいかに優れているか、この機械には300以上もの特許があるという。
説明のほうは途中からだったので、あまりよく解らなかったけど、実際にこの機械が動いているのを初めてみた。
繭は各々湯がはられた小箱に入り、回転寿司状態でぐるぐると周囲を環っている。
糸がなくなると補給用の爪ががしゃんと飛び出て、繭から糸を一本だけさらっていくという精巧な仕組み。
機械化されて効率は格段に高まったものの、索緒工程では手挽き時代となんら変わらないわらミゴ箒が機械に取付けられていたり、糸通しの箇所は小さな白磁の皿に開いた孔に渡すなど変わらない箇所も見られる。

左下; 御法川式多条繰糸機
作業者が立って繭から生糸を取り出す装置。1火と当たり20~40の口数(条数)を受け持つ、手作業としては画期的な機械。繰糸湯が比較的低温でゆっくりと繰糸することで、ムラのない高級な生糸を作ることが出来た。
この機械の出現により、日本の製糸法は一変し、生糸を中心とする周辺技術を巻き込んで製糸技術が飛躍的に発展した。また。それまでの能率至上主義だった日本の経営姿勢を、品質第一に転換させるきっかけとなった。

右下; シンクの部分が、鉄製のものよりは温度変化による繭の影響がより少ない、陶製シンクが採用された製糸機。



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 ● ミシンの展示

繊維博物館時代には、古い手回しミシンから、一般の家庭にみる新しい電動式ミシンまで、ミシンが一堂にずらりと並んでいてその数に驚かされた覚えがある。
現在は古いタイプのミシンを数を絞り展示している。
「なんでミシンにこんなに模様が付いているんだ・・・・・無駄じゃねぇ」と受験生らしき男子が捨て台詞を放っていたけど。<あらためて、いまはそんな時代だよなと感じさせられた>
確かに昔のミシンはとても高価なものであり、工芸的なまでに美しい装飾を施したものも多く、展示品のなかには貝象嵌の装飾を持つミシンもあり目立っている。
主婦にとっては、欲しいものの代表、三種の神器だった時代もあったのかも。
ミシンも、一時期のテレビのように家具調であるもの、使わないときには専用の掛け布を被せていたりと、一般家庭のなかではその地位が高い家財道具だった。
足踏みミシンの入れ子式の収納構造は優れた構造だったし、ミシンのフレームデザインも各社ごとに異なり目を惹いた。
家の中には、テレビのようにミシンがしっかりと鎮座する場所があり。
既製服が普及する以前の時代では、主婦にとっては自製服作りにかかせない必要な道具であり、また家に居ながらして、内職で一役買う場合もあった。
梃子の動力でで駆動する足踏みミシンの動きは、子供心にとっても興味の対象、踏んで遊んで叱られたり、その足元に入り込んで叱られた経験がある人も多いだろうか。
電動ミシン登場後も、足踏みミシンをすぐに買い換えるというよりは、電動ミシンに改造して引きつづき使うケースも多かった。
鋳物でしっかりとした構造のボディー、複雑な歯車の組み合わせによって駆動するその動き、有機的なシルエットを残すこの時代のミシンはどれもが機械の魅力に溢れていた。
そして現在のコンピューター搭載による電子制御されたミシンも、動力の方式や機能の多様さの面では格段に進歩はしているが、根本的にはこの時代に生まれたミシンとなんら変わらない機構という。


左; 上糸式のみで、一本の糸をうまく絡み合わせながら縫っていくタイプの手回しミシン。
縁止めをしっかりしないと、ひっぱるとそのまま糸がずるずると解けてしまうが、その性質を生かし、簡単に開けることが出来る米袋の口縫いなどに用いられるという。

右; シンガー2本マツイ縫いミシン   シンガーミシン   昭和10年
皮手および厚手の綿シーム・ジャージ・皮手等のアウトシームに使用。
絹糸の光沢を生かした装飾性も兼ねた縫い方ができる。
下糸用のボビンケースがみられる。


シンガー、リッカー、ジュウキ、ブラザー、ジャノメ・・・・・・・・・。
どの会社だったか、小金井にはかってミシン工場があり、確か町の通りにもそんなミシン会社の社名に因む名前が残されていたはず。
小金井市にある農工大が、これほど多くのミシンを所蔵しているのは、そんなミシン会社との関連性もあるのだろうか。


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 ● 原始機(復元)の展示

最も古い方式の手織機で、たて糸や綜絖を取り付ける骨組みではなく、手や腰などの体を使って布を織る。
弥生時代から使われ、たて糸をさばく綜絖、よこ糸の杼、打ち込むための刀杼の3つの道具の集まりを、当館では「原始機」と名付けている。

下; カレン族の機織   
以前、タイのメーホンソン州でみたのがまさしくこの復元機と同じ種類の機。
床面にT字形の竹筒を配し、そこに足を当ててぴーんと踏ん張って身体を調整しながら布を織っている様子が窺える。
壁には車輪形の輪をもつ糸車が確認できる。



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 ●  自動織機


上; 足踏み編機(ウィリアム・リー編機)
1589年に、イギリスの牧師ウィリアム・リーによって発明された世界最古の編物機械。
手編みの針の動きにヒントを得て、針を直線上に並べて編める機械を発明。
ここのものは、19世紀末のイギリス製で、ウィリアム・リー編機の面影を残すもの。
使い込まれた座面の革を、幾度も留め直した痕跡のみられる螺子に注目してしまった。

下; 無停止杼換式豊田自動織機(G型)  昭和2(1923)年 
世界で初の最高性能の完全な無停止杼換式自動織機 。
高速運転中に少しもスピードを落とすことなく杼(ひ)を交換して、よこ糸を自動的に補給する自動杼交換装置をはじめ、24の自動化、保護・安全装置を連動させ、生産性を一躍20倍以上に向上させた。
戦後は、日本の機械の輸出第1号となって、外貨を獲得し、日本の復興に大きく貢献した。
本機には、その名誉に肖るごとく”JAPANESE PATENTS”の特許章が付いていた。


イギリスで蒸気機関による産業革命が興ると、いち早く採用したのが紡績や織機などの繊維関連の分野だった。
織機も、これまでの人力から、機関で動力化することによって、飛躍的な量産が可能となった。



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 ● 組紐台のいろいろ。

いつもは展示されてはいても、何気なく見るだけで通過してしまう組紐コーナーだけど、
今回のように各々の機構について比較解説してもらうと、見ていて俄然興味が湧いてきて面白い。


上; 高台(高麗台)
手織機のような横枠台があり、渡してある板の中央に座って作業をする。
180~200玉も使える台もあり、組ひもの中でも一番複雑なものを組むことができる。

中; 中国雲南省製組紐台
高麗組と同じような 組織。竹枝を糸巻きに利用し、陶器を重りにした日本では見られない珍しい組み台。

下; 籠打台(平籠打台)
組物ではなく、幅の非常に細い織物。手前で織りながら竹のヒゴを織り込んで籠状にし、織り上がった後に抜き取るのが普通の織物と違うところ。男物の羽織紐などを織るのに用いられる。籠打台はほとんど残って織らず貴重なもの。




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 ●  籠打台(平籠打台)を使った織りの様子 。

2015年の秋に、当館企画展示室で開催されていた『東京シルク展』での一場面。
台の背面では、錘を下げて糸をぴんと張っている様子がわかる。
織った後に竹ヒゴを抜き取った部分に、ふくみのある模様が生まれる。

この企画展では、各コーナーで手作業による実演が行われていてとても面白い展示だった。



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 ● 組紐製品と組紐台

展示ケースには組紐見本がずらりと並んでいるが、所蔵総数はこの分量をはるかに凌ぐという。
茶道具などの筥紐として使うシンプルな真田紐から、みえない細部にまで粋を凝らした帯締や、羽織紐まで実に多彩で、現在ではその技術が途絶え復元不可能なものもあるという。

自動組紐機では、糸群の可動箇所が相方に8の字に交叉していくと、本の栞紐のように平紐ができ。
それをさらに複雑に組み合わせる機構を採れば、より立体的な紐を組むことができるという。
右下は、シルクを用いて細い管状の紐をつくる機械で、現在この技術が医療技術分野で人工血管などを作る技術開発として注目されている。
シルクは人工素材と異なり身体との親和性が高く、その特性から体内において、自然とタンパク質などが付着して人体細胞の一部に同化していくという。

このコーナーの担当者による、靴ひものような単純な紐から、最先端の人工血管までと、組紐技術から話しに膨らみを持たせた解説に、見学者は興味津々に聞き入っていた。
若い世代に一見古くさく見えてしまう機械を通じ、工業技術の未来に目を向けさせる、オープンキャンパスらしくとてもよい内容だった。



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 ●  炭素繊維、磁心記憶メモリ、真空管メモリ

 炭素繊維;
炭素繊維とは、普通の繊維を高温で焼いて炭化させた繊維。
高温で熱処理するため、他の元素は消失し炭素のみの繊維となり、性質も大きく変わる。
一般的にCFRP(炭素繊維強化樹脂)の形で使用される。
軽量で強度、弾性率が高いという特長の他、摩擦、摩耗特性、寸法安定性、X線透過性等々に優れ、航空宇宙関連機器、車両、スポーツ、レジャー医療用機器、一般産業用途などに用いられる。


 織物職人の伝統芸で作られた磁心記憶メモリ;
磁心記憶メモリとは、小さなドーナツ状フェライトコアを磁化させることによって情報を記録する装置。フェライトコアには描き込みようの2本の撃動線と、読み込みようの1本のセンス線が通り、それぞれ電源を渡すことによってフェライトコアを磁化する。
製造は基本的に手作業で行われていた。
1953年に発明され、1960年代に最盛期を迎えたが、半導体のメモリの台頭によって1970年代初頭に衰退した。

 真空管メモリ;
真空管とは、ガラス管内部を真空にして電極を封入した管である。
電極に流れる電子流を調整することで、スイッチのように電流を流したり流さなかったりというON/OFFを制御出来る。
そのため、電流が流れるか流れないかで真空管1本あたり1bitを記録できる。
1940年代~1950年代の初期のコンピューターで使われたが、当時の真空管は消費電力が大きく、信頼性も低かった。


人工的な素材の化学繊維は、被服以外にも、その強度と加工により様々なジャンルで用いられている。
また織りの技術を利用して記憶メモリとして使われていた時代もあった。
最先端技術と、需要がなくなり途絶えてしまった技術、そんな技術史の変遷を比較できる点もこの館の素晴らしいところです。



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 ● 組紐の錘       鉄・木製     径35×42ミリ。
   羽織紐        絹製       幅10×170ミリ。
   製糸機の糸通し部品  白磁       径20×6ミリ。
   杼          木製       幅88×55×厚み25ミリ。


うちにあるガラクタの中にも、そのかたちに惹かれてか、今回みたようなものが若干ある。
その物自体がなんなのかまるで読めなかったのが、小さな釦のような白磁の部品。
小孔があるので繊維関連のものだとは聞いてはいたけれど、実際に製糸機のなかにそれが使われているのを発見したときは、妙に納得して結構嬉しかった記憶がある。

角形の杼は、確か銀糸用のものと聞き。
それには小さなガラス製の環が付き、バネで伸びるような仕組みとなっているけど、原理のほうはまるで想像できない。
滑りが良いように滑面には動物の骨のような素材が用いられている。
はて、この杼を用いる織機の実物に出会うことがあるだろうか、そんな機会が巡ってくることを密かに期待している。



今回もまた新たな発見に出会え面白い見学となりました! (*^_^*)





  1. 2017/06/20(火) 14:28:48|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

359 錆びた人生






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 ● 紫陽花の綺麗な梅雨時となりました。

毎回ワンパターンながら、今日は第三日曜日ということで、お決まりの高幡不動尊の市へ行ってみる。



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 ● なんとなく折に触れて撮っておく。

ノベルティーものやキャラクターグッズには特に興味はないけれど<本音(^_^)>、写真に組み合わせると意外に画になる。
今日の不動尊は紫陽花祭りで人出は多いものの、骨董市の出店のほうはいつもより閑散としていた。



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 ● アジアものの店で。

アジアものはよく見かけるけれど、この店は置いてあるものは若干毛色が違い、見慣れないものが結構ある。
普段は大和の市に出ているという、浜松からの業者さんだった。



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 ● もろもろのアジアもので溢れている。アクセ類では、特に銀化したトンボ玉飾りが綺麗だった。

「まさか人骨?」首飾りに使われていた骨が気になった。
チベットものだと時にありうるけれど・・・・・・・・・・。
首飾りにはジュズダマ(植物名)のビーズも使われているから、それもありえない。
質うと、「ナガ族」のものでどうやら牛の骨らしい。
「ナガってインドの?」
「そうそう、よく知っているねぇ~」
「いえいえ、ただ地図で場所を知っているだけでして・・・・・・・」 、当然ながらナガランドのような秘境にはまるで縁がない。
グローバル化した現代では、ナガ族の若者も当たり前のごとくスマホを持っていて、世界の情報に触れている。
ナガランドも、かってのように秘境のイメージがなくなりつつあるという。

このおっちゃんは、もともとは旅人上がりの人らしく、気楽な与太話しからはじまって、旅話し、仕入れ話し、民族話しと発展してしまい、気付くと心地よく30分余りも話し込んでしまった。 <これでは すっかり冷やかし客だ>
「ナガの写真もあるけど、見る?」 ということで、更にアルバムを見せてもらう。
いったい何時までいるんだ、自分。



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 ● 「ナガ族」   店主撮影の写真より。

凄いなぁ、この人たち!!
情報量満載! いやはや、とても面白い写真で大満足 (^o^)。 
こんなに楽しませて貰ったのに「勉強になりました」の言葉のみを残し、何も買わずに店を去る。 <かたじけない>

今日は思わぬ骨董市巡りとなりましたが、なんだかとてもラッキーな気分だ。
有り難う、おっちゃん!


本日購入は以下のガラクタ3品です。



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 ● クローバー温度計    幅42×13×高さ255ミリ。   200円

この夏は、部屋でこの温度計の赤印を見ながら、きっと余りの数値の凄さに呆れることとなるのだろうな。
デジタル温度計もよいけれど、自然に温度変化の寒暖を楽しむにはこのようなアナログチックなものを愛でてみたい。



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 ● 錆びた箱       66×80×高さ55ミリ。    300→200円

銀付けの具合がいかにも素人仕事のような錆びたブリキの箱。
大きさがバラバラな錆びた箱が数点あり、一等小さな箱を持ち帰りました。
本来ならば年齢的にいっても、侘び寂びの「寂び」を極めなくてはならないところが。
同じ”サビ”でも、ついはまってしまうのが「錆」のほう。
錆と共にその草臥れ具合も丁度よく、まるで自分の人生を写す鏡のような存在の箱です。
小物の台にしたりなど、使い勝手もなかなかよさそうです。



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 ● スタンプパッド”EXGELSIOR”     98×55×高さ18ミリ。    100円

こちらも錆びてすっかり草臥れています。
よく見ると商標のラクダの顔が結構怖かったりする。
インクパッド部分を外してみたら、どうやら別の空き缶の転用材が使われている模様。
SDカードなど小間物整理に向いていそうです。



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 ● 3品併せてワンコイン。

今回も気弱な子供買いで失礼しました。



どう見てもガラクタにしか見えないものばかりが身近に呼び寄せられる、こうして自分の人生が錆びていく・・・・・・・ 嗚呼無情 (-_-;)  




  1. 2017/06/18(日) 19:06:47|
  2. うつわ
  3. | コメント:0

358 BABEL






「一生に一度は見たい名画、来日。」
謳い文句に誘われて、「バベルの塔」を観に都美館へ行ってきました。




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 ● ボイスマン美術館所蔵ブリューゲル「バベルの塔」展    東京都美術館。

副題は「 16世紀ネーデルラントの至宝 -ボスを越えて- 」
ボス&ブリューゲル 魅惑の空想世界。
オランダのボイスマン・ファン・ベーニンゲン美術館から、伝説の塔を描いたブリューゲルの傑作「バベルの塔」が24年ぶりに、そしてブリューゲルが手本とした先駆者、奇想天外な怪物たちが跋扈する世界を描いた奇才、ヒエロニムス・ボスの貴重な油彩画2点初来日。
彼らが生きた時代である16世紀ネーデルラントの絵画、版画、彫刻など併せて約90点の作品が出品されている。
迫真の写実と輝くような色彩が印象的な絵画、ボス風の怪物モチーフが所狭しと描かれた版画、木彫りの粋を尽くした彫刻作品など、16世紀ネーデルラント美術の精華が楽しめる。



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 ● 《バベルの塔》(部分)  ピーテル・ブリューゲル1世  1568年頃 59.9×74.6㎝

旧約聖書「創世記」に登場する、かつての人々はバベルのを築き、神をも凌ぐ天まで届く塔を建設しようと目論むが。
その人間の傲慢さ故に神の怒りに触れて、互いにバラバラの言葉にされてしまい意思の疎通が叶わず、ついには塔は完成を見ずして終えるという有名な話し。

誰もが思い浮かべるバベルの塔のイメージは、やはりウェディング・ケーキのように幾重にも盛り上がった螺旋形の、ブリューゲルの描くバベルの塔ではなかろうか。
わずか半畳にも満たない小さな画面のなかに、驚くなかれブリューゲルは、壮大かつ緻密にバベルの塔を描いた。
雲を突き抜け、はるか地平線まで見渡す風景に屹立する巨塔が、鳥瞰的にダイナミックに構成し。
そこに描き込まれた建設現場には米粒よりも小さな1400人もの人々が蠢いている。
500年前に描かれたのが信じられないような、宝石のように光り輝く美しい画肌と空気感、精緻を極めた超絶的な描画力。
現代の画家が模写をしようにも、とても真似出来ないほどの驚異的な緻密さだ。
そしてよく見ると、昇降機を用い煉瓦や石灰を引き上げる現場箇所には、赤や白の筋を得ていたりなどと、建築物的にみてもどれもがとてもリアルで、さらに高さを増し続けるだろう、天井知らずの塔の先行きを見る者に連想させる。




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 ● 東京藝術大学COI拠点とのコラボ / 大友克洋「INSIDE BABEL」

今回の展示は、地下一階の入口から、2Fの出口まで3フロアーが充てられており、各上階へはエレベータで一方通行で昇行する流れとなっている。
入口の開催文パネルに続くのが、壁面全体に大きく拡大印刷された「バベルの塔」(部分)の垣割り。
これだけスケール感ある塔となり圧迫感ある垣き割りなのに、描かれたその人物のなんと小さなことか、その神業的な精緻さに感心させながらテーマ展示へと移行していく。
そして2Fのラストフロアーは、贅沢にもブリューゲルの「バベルの塔」1点のみにスポットを照てた仕掛けになっている。
ブリューゲル描く「バベルの塔」の作品は小さく、また接触防御用に足元には半径2mほどの半円形の台が置かれていて、照度も下げているため、肉眼ではいくら近づいて目を凝らして見ても、米粒以下に画面に描かれた人物など、細部の詳細な確認はほとんど効かない状態だ。
拡大スコープは必須のアイテムに感じた。
しかしながら、この細部がよく見えないとういう不備さも、
同フロアーに設けられた3DCG映像シアターのVTR(約7分)とCOI拠点の特別協力により「バベルの塔」の質感を再現した、拡大複製画(原画の約300%)の展示があり。
そちらを通じブリューゲルの細密な描き込みを細部まで楽しむことが出来る仕組みとなっている。

また、場外(入口脇)には、漫画家の大友克洋による、バベルの塔の内部構造を描いた「INSIDE BABEL」が展示されている。
オランダ・ロッテルダムのボイスマン美術館へ取材に赴き、現地学芸員との意見交換を行うなど、入念な研究と検証を行った作品だ。
彩色は共同製作者であるコラージュ・アーティストの河村康輔が担当。
ブリューゲルのバベルの塔をデジタル合成し、その画像から抽出した2万個以上の微細なパーツを貼り合わせたデジタルコラージュ作品で。
バベルの塔の見えない内部も知れて、興味深い演出となっている。




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 ● 《聖クリストフォロス》(部分)      ヒェロニムス・ボス 1500年頃
   《放浪者(行商人)》(部分)        ヒェロニムス・ボス 1500年頃
   《大きな魚は小さな魚を食う》(部分)   ピーテル・ブリューゲル1世  1568年

3作品とも画集では既知ではあったが、やはり実物を観るとその素晴らしさに感動させられる。
特に油彩画では、素地となっている板材の接ぎ合わせ具合や、絵の具の描き込みや盛り具合、表面の保護用ニスの光沢、色味など、印刷物では絶対確認できない実物ならではの情報量がある。
また絵画に併せ使われている額のバランス<図録には通常額までは載っていない>なども同時に鑑賞できる点も嬉しい。

画が飾られる壁面も、ただの白壁というのではなく、臙脂、深緑、黄土色などの渋めの壁色が採用されており、映えもよく細やかな配慮がなされている点もよい。

画中に描かれる事物は微妙に互いを影響しあう、またこの時代の絵画はアレゴリー(寓意)の集大成ともいえる。
今回初来日のボスのこの2点の油彩画については、特にそんな箇所を注視して、部分を拡大解説した写真パネルも添えられており、画題の解釈に一役買っている。

版画作品は、絵解きと風俗分析を楽しみながら鑑賞した。
ボスの作品は、同時代の画家たちの間でも耳目を集め、盛んに版画などに模倣されていた。
同じく、ブリューゲルの画業は、ボスの版画の模倣から始まったとも云われている。
その面でも、創意的で独特の画風のボスの作品は、後世のブリューゲルを繋ぐ架け橋となっている。

本展で、Ⅵ「ボスのように描く」より、Ⅴ「ブリューゲルの版画」への流れとして設けらた版画コーナーは圧巻であり。
頭のなかで思い浮かべる、その元になるタブロー作品とも比較できて興味深い。
足萎えばかりを描いた版画には、ハーディーガーディーや風笛(バグパイプ)、リュート、やハープらしき楽器が多数確認できる。
鞴などが度々不具者の持ち物に現れるのは、どんな意味があるのだろうか。
日本の瞽女(ごぜ)の演じる三味線や盲僧琵琶などのように、この時代のネーデルラントの不具者の門付けと、楽器にはいったいどのような相関関係があったのだろうか。
また画中に見る、人の動き、着衣、持ち物、使われている道具など、見ていて飽きずなんて面白いのだろう。
ネーデルラントやフランドル絵画には、小物や諺(ことわざ)を通じて様々なキーワードが隠されたものも多く興味津々だ。
以前、そのような絵画にみるネーデルラントの諺を謎解きした美術書は読んではいたが、時の経過と共にその内容も曖昧となり、いまでは記憶からすっかり消し去られてしまった。
作品を前に、なんら予備知識を持たず、無垢な気持ちでもって、素直に向き合う良さも確かにある。
しかし、このようなジャンルの作品は、改め事前学習をして、要点を押さえておいてから観たほうが、より整然と理解できすんなりと見れるように感じた。

会場は人で溢れ、心太方式で次の作品へ移動せねばならず、集中力を持続しながらこのような細かな情報を持つ作品を鑑賞していくには、精神的にもなかなか疲癖する。
どの作品の前にも団子状に人山が出来ており、人間(ひとま)から垣間見ることもあるが、斜す見ではどうしても画面全体の流れがしっくりとは見えて来ないため、画の真ん前に陣どらなくてはならない。
許されることなら、一つの画の前に心ゆくまでゆっくり立ちつくして見たいものだった。
なるほど、どの画も中心に立って集中し、初めて霧が晴れていくかのように画面の拡がりが見えてくるのだ、今回はそんな新たな発見もあった。
また、画面保存用に設定された薄暗い照明のなかでは、近ごろは視力も落ちてきて、細部までよく見渡せない。
どの作品も、誰もがよく見えるように、普段の展示よりは幾分高めの設定で(20-30㎝ほど)飾られている。
この高さでは、車椅子の利用者にとっては、小さな作品はとても鑑賞しずらそうだ。
背後より、或いは作品の真ん前でスコープを用い、子細に作品のディテールを観察する人も随分見かけた。
低倍率で明るいレンズの拡大スコープで、その細部を心ゆくまで満喫する。
本展のような、細かな作品が多い展示では是非真似てみたいやり方だ。
まずは、作品から得た情報と感情を、ゆっくりじっくりと、こころに着実に定着していくことが、絵画鑑賞の醍醐味といえそうだ。





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 ● 記念撮影コーナー

展示室を出て、出口へと下るエレベーターへ向かう通路にあるのが、これらのコーナー。
バベルの塔の垣割りコーナーには、その大きさ比較で東京タワーと通天閣を前景に配している。
バベルの塔はなるほど、かなりの大きさだ。
また本展の公式マスコット「タラ夫」は、本展作品の版画「大きな魚は小さな魚を食う」に登場する、足の生えた奇妙なモンスターをモチーフにしたもの。
着ぐるみに人が入っていない状態では、頭が重すぎるのか、壁にゴツンとつんのめっていて、とても不格好で情けない状態だった。
ボスやブリューゲル描く魑魅魍魎の輩は、グロテスクではあるもののどこかコミカルな雰囲気がある。
公式マスコットとしてゆるキャラ化した「タラ夫」は、なんとも日本人的な発想だ。
展覧会公式Twitter(2017babel)で、日々の展覧会の見所やお楽しみ情報を届けている。
通路の全面のガラス窓には透明なシール貼りでもって、ここにも魑魅魍魎のモンスターがアクセントとして飾られていた。
やはりこの手のあそび心は、近年の美術展での定番のお約束なのかも知れない。



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 ● グッズ販売

バベルの塔を堪能して、出口へと向かう最後のブースは、暗闇から解放された展覧会特設ショップとなっている。
「オシャレで楽しいグッズも盛りだくさん!」を合い言葉に、これまでしたためた16世紀のネーデルラントの世界観が一起に崩解し、商魂逞しい現実世界に引き戻される。
図録(2500円)にカード、ステーショナリー、バック、Tシャツ・・・・・・・・・。
バベルの塔やボス風モンスターのオンパレード。
B1のミュージアム・ショップにも本展に関連したグッズが沢山販売されていた。
「マッチ箱シール」(税込486円)には切手のような、切り取り穴の縁取りがあるシールが多種入っている。
図柄はボス風モンスターと、ブリューゲルの描いた風景画の2タイプがあり、封筒の封印として貼ったりしたら楽しそうで、少し気を惹かれた。
きっとどこかに、グッズ専門の仕掛け人がいるのだろう。
会場同様に、グッズ販売でも黒山の人集りとなっていて盛況だった。
近年のミュジアム・グッズは、一昔前の商品に較べて、ヴァリエーションに溢れていて楽しいものも多く興味深い。




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 ● 「バベル」 井川淳子   ゼラチン・シルバー・プリント 2010年

都美館のグループ展示企画、第6回 都美セレクション グループ展 「海のプロセス-言葉をめぐる地図」の中にも、まるで今回の展示に併せたように、ブリューゲルのバベルの塔に因んだ写真作品が見られた。
大型の写真作品の画面のなかには、バベルの塔の小さな写真が、まるで入れ子のように幾重にもレトリックに寄せ集められている。
こちらのバベルの塔は、今回展示のボイマンス美術館所蔵のものとは異なり、ブリューゲルの描いた2点の「バベルの塔」のもう一方のほう、前作の1563年作(114×155㎝、ウィーン美術史美術館蔵)のもの。
バベルの塔自体は、今回のものより、まだまだ完成途中の状態として描写されており、絵画の左手前にはニムロデ王の一行が描かれている。
3点ほど並んでいたこの写真の「バベル」シリーズも、今回の「バベルの塔」展を観た後では必然的に違和感なく目が吸い込まれていく、なかなかの秀作だ。



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 ● 都美館での「バベルの塔」展は、7月2日(日)まで!



「バベルの塔」24年ぶりに再来中、お見逃しなく!! (*^_^*)  




   
  1. 2017/06/17(土) 07:43:11|
  2. 雑 閑
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357 「東の変電所」





「西の原爆ドーム 東の変電所」
お隣りの東大和市の都立東大和南公園には、戦災遺跡の変電所の建物が保存されており、この度内部公開の日があるのを知り、見に行ってきました。




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 ● 戦災遺産 「旧 日立航空機株式会社変電所」(東大和市指定文化財)  都立東大和南公園

公園の一角に、戦争の傷跡を残す旧日立航空機株式会社変電所が建っている。

昭和13年(1938)に、この地に戦闘機のエンジンを製造する大規模な軍需工場が建設される。
工場の敷地北西部に存在した変電所は、高圧線で送られてきた66,000ボルトの電気を減圧(3,300ボルト)し工場へと送る重要な施設だった。
戦禍の進む昭和20年(1945)には、ここも米軍による3度にわたる空撃を受け、工場の8割方が壊滅する。
変電所は、窓枠や扉などは爆風で吹き飛び、壁面には機銃掃射や爆弾の破片により無数の穴が開いたが、頑強な鉄筋コンクリートの建物本体は、致命的な損壊にはならず。
戦後は工場が、スレート編み機、空気ポンプ、鍋の製造などの平和産業に転換して生き残りを図り、この変電所も主要設備機をの更新をしながらも、被災当時の痕跡を残したまま現役<平成5年(1993)まで>で操業した。

平成5年、都立公園の整備のため、変電所を含む工場の敷地の一部を東京都が買い上げることになる。
その際、一旦は取り壊される運命でもあったこの変電所だが、戦災史跡としての重要性を問う市民の要望により、平成7年(1995)に東大和市指定文化財(戦災遺産)となる。
無数の弾痕が残る変電所の外壁は、当時の攻撃の凄まじさを教え、同時に戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に問いかける。



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 ● 変電所内部の展示

変電所までの交通は、「玉川上水」駅(西武拝島線、多摩モノレール)より徒歩5分、都立東大和南公園内。
通常は柵に囲われた外部からのみの見学だが。
昨年度より、毎月第2日曜日(午後1時から4時まで)に限り、「文化財ボランティア」の協力のもと、変電所の内部見学が出来るようになった。(予約は不要)

変電所の内部見学は、現在は建物の安全面を考慮して1階部分のみ。
パネル展示により、軍需工場として被災にあった当時の状況や、変電所が戦災遺産として東大和市指定を受けるまでの歩みを詳細に解説している。
市史資料「軍需工場と基地と人びと」などの関連刊行物も併せて販売されていた。

またVTRとして、戦後70周年東大和戦争体験映像記録「沈黙の証言者-わたしたちのまちは戦場だった-」 (5章構成、全48分、2015年製作)が上映されている。
当時はまだ10数歳の幼い労働者として、この軍需工場に駆り出された方々の語る被災時の証言に、度々胸を刺される。

変電所は市の文化財指定に際し、土台部、柱の補強、地中配水管の敷設、屋根の修復、爆撃痕やひび割れの接着などの補強工事を施されたが。
築後80年を迎えた変電所は、雨漏りが激しくなり、コンクリートの中性化により、粉状化・鉄筋の腐食で剥落するなどの老築化も進行している。
また市では、常時公開するには、より強固な耐震工事の必要があり、文化財を保存することの矛盾が大きな課題となっている。
そのため東大和市では、変電所の修復・保存の対策として、その資金を「ふるさと納税」を活用して全国から募っている(目標額2億円、募集は来年3月末まで)。
寄付金は下限上限は設けておらず、返礼品はないが厚意を形に残そうと希望者には変電所内や市のウェブサイトで氏名の公開をしている。



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 ● 展示パネルと慰霊碑など

米軍による工場施設空撮写真。
破戒された第一工場の窓から見える変電所。
機銃掃射の痕が残る階段の手摺り。
近年発見された不発弾撤去作業の様子(平成2年12月)。
戦後50周年記念(平成7年)に作られた「太平洋戦争戦災犠牲者慰霊碑」(工場にあったものを変電所に移動)。
昭和20年、グラマンF6F戦闘機(2月17日)、マスタングP-51戦闘機(4月19日)、B-29爆撃機(4月24日)による3回の空撃により、死亡による犠牲者は111名に及んだ。



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 ● 変電所のあちらこちらに機銃掃射や爆弾炸裂の痕跡が残る。



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 ● 内部階段と二階部分

現在二階へは、安全のため立ち入り禁止となっている。
展示パネル(赤枠内)より、二階部分には変電用の機械が残されている様子が確認できる。
窓越しには、そんな機械の一部が見れる。



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 ● 解体された給水塔は、一部分をモニュメントとして残す。

空撃を受けながらも、変電所とともに、戦後も現役で使われていたのが、この給水塔。
高さ25メートルのこの給水塔は、変電所より西南西方向に230メートルに位置し、戦時中に施された迷彩が退色しつつも確認できたという。
個人所有の土地に属しており、市では変電所と同様の史跡としての保存ができず。
給水塔の解体(平成13年,2001、左上)に際し、爆撃の痕跡を顕著に残す一部を切り取り、モニュメントとして変電所敷地に置いている。
右上写真は解体前の給水塔の様子。(1988年ころ)



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 ● 本年刊行された『 西の原爆ドーム、東の変電所 戦災変電所の奇跡 』 東大和・戦災変電所を保存する会 編。

調査や保存活動を続ける地元の保存会が記録したのが、自費出版による本書。
軍需工場の中に建設され、戦中3度の空撃を受けながらも、市民の声を受けて、市指定文化財として取り壊されることなく残された変電所。
なぜ変電所が作られたのか、なぜ市民は保存に向けて立ち上がったのか、などの疑問に本書は迫り、その変遷を詳細に紹介する。



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 ● 変電所北側部分

変電所北側の外部にあったトランスなどの変電設備(赤枠内は当時の写真)は、工場の移転と共に解体されてしまい、現在はみられない。
取り外された部材の一部などが変電所の周囲にオブジェ風に置かれている。
なかには庭木を囲むように配置した碍子(がいし)もある。
室内に並べられた碍子は戦後に使われたもの。



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 ● 外壁に残る生々しい弾痕。

おもえば、初めてこの建物を見たのはいつのことだったのだろうか?
なにかの折に道に迷い、ある道を通り抜けようとして偶然遭遇したのではなかったか。
はかない記憶ながらも、給水塔もその時に見たように思う。
当時はこのような公園もまだ整備されておらず、当然ながら変電所にも解説看板や外柵がなかったはず。
まるで爆撃を受けたようなボロボロのこの建物は、いったいなんなのだろうと、とても不気味で不思議に思った。

その後史跡指定となってからも、この変電所を幾度か見る機会を得たけど。
今回は、その内部も見学でき、また解説パネルや文化財ボランティアの方のお話しを伺え、とても勉強になった。

史跡資料でも、どうしてもこのようなジャンルの、先の戦争に類するものは<江戸時代などに起きた事変などとは異なり、まだ当時の体験を共する人々が身内などに存命しているからなのか>
負の遺産として、どうしても目を背けがちとなってしまう。
新宿のビルの上階にある「平和記念資料展示室」や、昨年偶然行った猿島の旧日本軍の要塞遺構、江戸東京博物館近くの横網公園にある、東京慰霊堂に属す復興記念館などは、一見に値する貴重な施設だと思う。
ヒロシマの原爆ドームや資料館も、随分昔に一度観たはずながら、恥ずかしながらも資料として何を見たか、まるで記憶にない。
毎年巡ってくる、先祖の霊を供養する盆の季節は、恒例的に先の戦争の犠牲者を弔う行事や催事も多く。
少なくとも、国民行事的に誰もが年に一度は、戦争と平和について向き合うよい時期だ。
しかしながら、日常的に人々が身を寄せるこのような都立公園において、戦争が何であったかを常に考えさせる、このような戦災遺跡が残されたのは、とても意義があることと思う。

変電所のある、都立東大和南公園は、市の体育館やプールの施設があり、広い芝生の空間がありピクニックに集う人びともみられる美しい公園です。
行楽がてらこの公園を訪れることがあれば、この変電所も是非見て貰いたいと思う。



変電所、毎月第2日曜日の内部見学可能日が、特にお勧めです!! ('_')  



  1. 2017/06/13(火) 14:05:20|
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356 「土偶のリアル」





今回、図書館で手にしてみたのがこの本。



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 ● 『土偶のリアル』    誉田亜紀子 著     山川出版社  2017年

サブタイトルには「発見・発掘から 蒐集・国宝誕生まで」とある。
カバー写真は、例の高名な国宝土偶「縄文のビーナス」の出土シーン。
以前住んでいた八ヶ岳南麓の山梨の町は、長野との県境だった。
おとなりの信濃境(原村)には、井戸尻考古館があり、縄文土器がずらりとならび、その量と意匠の豊富さに思わず感心させられた。
茅野へも一度だけ、本書の表紙を飾る「縄文のビーナス」に逢いに尖石考古館へ行ったことがある。
土偶も、博物館の考古展示で時々見かけたけど、これまで特に意識するようなこともなく、また知識もないまま、なんとなく感性に任せ一連の流れとして観てきた。

本書は、いわゆる学者による専門書の類ではなく、土偶の造形の素晴らしさに魅せられた著者によるレポート本で、章立ての面白さとサブタイトルにひかれ、借りてみることにした。
「まずは好きが、始めの第一歩なり」、自分の好きなものを探求し、縄文に対する土偶の世界観を徐々に拡げ、深めていく著者の様子が手に取るように解り共感がもてる。
土偶の写真と図も豊富に載せられ、土偶を派生したタイプや地域・時代区分で分類し、そのポイントを正確に押さえつつ、誰もが楽しく読める明解な内容となっている点もよい。
土偶を知る興味の一歩を踏み出すのに、最適な本といえる。




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 ● 草創期の土偶、首無し土偶、動物ものまでといろいろ載っている。

左上; 動物形土製品   縄文後期   栃木県・藤岡神社遺跡
右上; 相谷熊原土偶   縄文草創期  滋賀県東近江市・相谷熊原遺跡
中左; イノシシの土製品        能満上小貝塚
中右; 動物形土製品   縄文晩期   北海道函館市・日ノ浜遺跡
左下; 土偶       縄文後期   秋田県・藤林遺跡
右下; 人骨出土状況   縄文晩期   秋田県・藤林遺跡

縄文人はどのような人たちだったのだろう。
現代人の目からは、一見可愛らしくみえる土偶のような小さな人形(にんぎょう)も、
どうやら、彼らにとっては、人形<ひとがた>であり愛玩というには別物で、敢えて割って壊し捨てることによって、祓いをしたり、再蘇を願ったり、祈願をして目的を叶えるための、人間に代わっての雛形の呪術的側面が強そうだ。

縄文人に関わりのあった動物なども、ときどき動物を象った土製品として土偶のなかにみられる。
東日本、特に東北地方において、縄文後期から晩期にかけて作られている。
見つかる土製品は、土偶に較べてはるかに少ないながら、バラエティに富む。
哺乳類、昆虫類、貝類、その他という分類がなされ。
イノシシが一番多く、クマ、サル、イヌの順に見つかっている。
不思議なことに、イノシシを越えて、彼らにとっては動物食料の筆頭とされる、一番身近な動物であったシカは、土製品にはほとんどなっていない。
これはいったいなぜなのだろうか。

土偶は、顔を作らなかった草創期、早期、前期を経て、縄文人たちの中で意識になんらかの変化が起こり、中期には顔が作られるようになる。
秋田県藤林遺跡出土・縄文後期の土偶は、最初から頭部を作っていない首なし土偶。
縄文中期以降の土偶にはすべて頭部があるなか、なぜかここの土偶に限り、頭部表現がないという不思議なもの。
時代は下がるが、同遺跡より出土した焼葬の様子がみられる人骨にも、頭部は確認できず。
どうやらこちらも、首無しの状態の人体を埋葬したものと推測されている。



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 ● 土器の一部となった人形(ひとがた)、遮光器土偶の変遷。

人体土器            縄文中期   福島県・和台遺跡
人体模様付有孔鍔付土器と展開図 縄文中期   山梨県・鋳物師屋遺跡
遮光器土偶(左)        縄文晩期   岩手県下閉伊郡田野畑村・岩浜泉Ⅱ遺跡
遮光器土偶の変遷図
遮光器土偶(右)        縄文晩期   宮城県大崎市・恵比須田遺跡


現代では土器に描かれた複雑な文様も、肉眼を通して見たまま(立体的に)の印象と異なり、展開図(平面)へと加工することにより、より連続した文様として土器の持つ情報を相対的に認知できるようになった。

縄文時代(10,000年以上続く)の各時代区分を一口に括っても、紀元後から現代までよりはるかに長いスパンだ。
この間、それぞれの地域で独自の感性をもった人々が出現し、彼ら独自の感性でもって、小さな人形である土偶に祈りを込めて、様々なかたちを生みだしてきた。
そのかたちや文様の意味するところは、現代人にとっては想像の域を越えないが。
それでも土偶には、縄文人のこだわりや、考え方が収斂されているようで、見ていてとても面白い。

土偶のイメージとして誰もが思い浮かべる、まるで宇宙人のような独特の姿をした遮光器土偶は。
長い縄文時代のわずか数百年、亀ヶ岡文化が栄えた北海道渡島半島から東北一円、中でも東北地方北部を中心に作られた土偶である。
イヌイットなどが雪原で目の防護用に着ける遮光器(雪めがね)に拠った呼称は有名だが。
遮光器土偶は、一体の土偶を指す言葉ではなく形式を表す分類であって、作られる時代によって顔や身体の表現が異なる。
特に大きく変化していくのが大きな目であり、その目を中心に顔の作りも微妙に変化していく。
初期のアーモンド形から盛期の全面目玉形を経て、遮光器土偶にもいろいろあるのが分かる。


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 ● 国宝「縄文のビ-ナス」 縄文中期 長野県茅野市、棚畑遺跡 茅野市尖石縄文考古館蔵

国宝土偶の第1号(1995年)が、出土当初から 「ビーナス」 と称されたこの大型の土偶だ。
遮光器土偶とともに土偶界を牽引している人気者の土偶だ。
発掘当初、この土偶は土の圧力によって、左足が外れていたものの<本書のカバー写真>、そのほかは完形で当時の状態を保っていた。
墓と考えられる土抗にあり、その墓の副葬品と考えられている。
冠帽状で模様がみられる頭部に見える顔面は、ハート形の輪郭の中に、つり上がった目、上を向く鼻、ぽかんと開いた口をしており。
この顔の表現はこの地域ならびに同時期の土偶や土器に付く顔面などに一般的にみられる様式だ。
腕を真横に開き真っ直ぐ立ち、扁平な胸部に膨らんだ腹部と安産形のデンと突き出た尻を持ち「出尻(でっちり)土偶」とも呼ばれる。
模様は頭部にしかないものの、下腹部には粘土の削り出しによる女性表現を設けている。
膨らんだ腹部は妊娠状態を示すという。
ふくよかでなめらかに仕上げられたその表面は、金雲母を練り込んだ粘土によるもので、全体を丁寧に磨き上げている。
ビーナスは発掘後、コンピューター断層撮影装置を使いX線写真を撮影している。
その結果、単純に粘土の塊を寄り合わせたり繋いでいく、一般的な技法ではないことが判明した。
まずはビーナスをイメージした骨組みを作り、それを軸に頭、両腕、腹、左右の尻、両脚の八つのパーツに分けて肉付けしたことが判った。



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 ● 上; 国宝「合掌土偶」    縄文後期  青森県八戸市・風張(I)遺跡  八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館蔵
   下; 国宝「中空土偶、茅空」  縄文後期  北海道函館市・著保内遺跡  函館市教育委員会蔵



<合掌土偶>
脚の様子から屈折土偶とも蹲踞<そんきょ:うずくまること>土偶ともいわれる、主に東北地方で作られた土偶の様式がある。
両手をがっしり組み合わせ、三角座りのように膝を立てて座り、「合従土偶」の愛称を持つ風張(Ⅰ)遺跡出土の、この屈折土偶もそのひとつだ。
仮面を着けているいるようにもみえる、少し上向きの顔には、赤く塗られた痕跡がみられ。
股は開き、その間からは女性器がのぞき肛門まで作られている。
土偶は割れた状態で発見されたが、組み合わせることで完体となる。
四つの断面には、あらかじめアスファルトが塗られた痕跡があり、当時の人がなんらかの事情でもって、割れた土偶を補修した証しが残されている。
一般に土偶は、願いを込めて敢えて壊す道具として、バラバラな状態で土器捨て場など住居以外から見つかるケースが多いため。
この合掌土偶の場合は、ほかにも当地では産出されない天然の接着剤であるアスファルトを用いて補修している点や、住居跡の一番奥まった場所の壁際から見つかったことより、特別な存在であったものと類推されている。


<中空土偶、茅空>
考古資料の国の認定方法は、美術工芸品とは異なり、その造形的で美的な見地ばかりではなく、学術的な遺物の発掘データーをまとめた報告書の有無が、重要文化財としての指定・登録、はては国宝の登録への要となる。
同じように歴史的資産であっても、無文字社会の縄文時代にあっては、文字による記録性には一切頼れず、そのため奇跡的にも現代まで残され出土した遺構や遺物を基に、当時の状況を類推し考証する方法しか残されていない。

「どこからどういう状態で出土しているか、その記録があるか」は実は簡単なことではない。
考古学では不時発見と言い、発掘調査で見つかるものばかりでない件も多い。
この「中空土偶、茅空」の場合も、一般の家庭菜園より偶然見つかったもの。

埋蔵文化財は通常、発見後、遺失物法に従い落とし物届けが、発見者か発掘担当者から警察に提出される。
警察から報告を受けた都道府県教育委員が調査し、文化財かどうか判断するが、 6ヶ月が過ぎても持ち主が現れない場合<当然ながら縄文人は現存しないのですが・・・・・>、都道府県から発見者と土地所有者に譲渡されるという法律が定められている。

ジャガイモ畑から偶然現れたこの土偶により、町はその処遇をめぐりちょっとした騒ぎとなった。

復元された土偶は、その大きさ(高さ41.5㎝で中空土偶としては国内最大なもの)や装飾の素晴らしさ、焼きの精度を上げるために両脚を管で繋ぐ工夫など、あらゆる面でこれまで類例のない、目を見張る珍しさで、
ゆくゆくは国の重要文化財指定を受けるため、道教育委員会を通じ文化庁に報告する。
文化庁から派遣された調査官も、その重要性に着目し「保管が万全で、研究に便利な中央に置いたほうが・・・・・・・・・」という買い上げ発言もあったという。
発見が報じられたそばから、土偶を手に入れたいという研究者や興味本位の一般の人々が、発見者のもとに殺到しだす。
発見者による 「私は<土偶を>発見したんじゃない。「当たった」んだ、みんなのために役場にあげたんだ」 という発言のもと、その権利を放棄し、町との合意の上で町の共有財産として移管された。

土偶の発見(1975年)をきっかけに周辺地域の調査(1976年)が徹底的に行われ、国の重要文化財(1979年)となる。

これらの諸事情もあって地元(当時の南茅部町役場)の耐火金庫室に30年以上保管されるという紆余曲折を経て、国指定の気運が高まり、中空土偶を展示する函館市縄文文化交流センターが建設され、そして晴れて北海道初の国宝(2007年)に指定されるという長い道のりを歩むことになる。

中空土偶は共同墓地を構成する墓域で出土しており、一般の土偶のように、安産・食糧確保の成功・病気治癒などの日々の願いを祈願するために作られ(割られ)た道具とは一線を隔し、遺体とともに埋納されたものと考えられている。
顔には赤や黒の顔料で塗られた跡があり、作られた当初は赤漆で塗られていたのかもしれない。
頭の一部と両腕は失われているが、その断面は古く、調査の結果、埋められる前に別の場所で壊されていることも分かっている。
他遺跡の出土遺物の事例により、この土偶も赤く彩色を施すことで、失われた命の蘇生を願ったのではないかと考えられている。
装飾品などの副葬品とは違う意味で、自然の蘇生の循環にあやかり、土偶を被葬者とともに天に送ったものかもしれない。



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 ● 国宝「縄文の女神」 縄文中期 山形県最上郡舟形町・西ノ前遺跡 山形県立博物館蔵
   国宝「仮面の女神」 縄文後期 長野県茅野市・中ッ原遺跡 茅野市尖石縄文考古館蔵


「縄文のスーパースター」というキャッチーなコピーで開催されたのが、
文化庁海外展 大英博物館帰国記念 『国宝 土偶展 ”THE POWER OF DOGU”』(2009-2010年、東京国立博物館)
たぶん土偶のみで構成した単立展示は、この展覧会がはじめてではなかったかと思う。
展覧会ではまた「国宝土偶勢揃い」という売り文句もなされていて。
東博本館一階の会場に一堂に会する土偶をみて、こんな姿の土偶もあったのだと随分驚かされたものだ。
改めてこの展覧会のカタログを開いてみると、この時点での国宝土偶は、先に紹介した「縄文のビーナス」長野県茅野市・棚畑遺跡、「合掌土偶」青森県八戸市・風張1遺跡、「中空土偶」北海道函館市・著保内遺跡、の3点のみとなっており。
その後、新たにこちらの2点の土偶が仲間入りし、現在の国宝土偶は合わせて5点となる。
立像土偶は「縄文の女神」(2012年に国宝)、仮面土偶は「仮面の女神」(2014年に国宝)と各々国宝となり愛称的な呼称が与えられた。

「縄文の女神」 は、この展覧会で初めて観た。
まず驚かされたのがその大きさ(高さ45㎝、現存する日本最大の土偶)と、まるでモビルスーツのような雰囲気のシャープな造形だった。
パンタロンを履いたような裾拡がりの下半身、板状の上半身、鋭利な弧を描く胸部、均整よく括れた腰にきゅっと後ろに突き出たお尻、流れるような側面のライン、腕は省略され肩には小孔があり、頭部には顔の表現はなされず無機質な穴が数個穿いているのみ。
そんな点がどことなくロボットっぽくもあり、これまで持っていたどこかとぼけた柔らかな造形の土偶のイメージに反し、まるで現代の造形作家が作った彫刻のようにすらみえた。
土偶としては特徴的な造形の、へそから上にみられる「正中線」があり、腰回りの複雑な刺突文などから、これも間違いなく縄文人が作った土偶であると識れるのだが。
この土偶を含め国宝となっている土偶に共通する点は、これらの土偶は、単体でしっかりした作りでありサイズも大きく、いわゆる祈りを込めて予め割る目的で作られる類の土偶とは、どうやら異なる役割の土偶ということ。

この土偶の意味するところの目的は知れないが、たとえば集落規模の存続などのように、大きな願い事の儀礼用として、このような大きな土偶を焼きあげたのかもしれない。


「仮面の女神」 は墓抗から出土し死者に副葬された土偶で、この土偶も縄文の女神と同じく、どこか人離れした宇宙人的なフォルムがみられる。
逆三角形のキャッチャー・マスクのような仮面がその異形さを強調する。
茅野の尖石考古館で初めて観て、同館所蔵の国宝の縄文のビーナス以上に、それまで見たことのない仮面土偶の造形にすっかり魅了された。
中空の土偶で、体には前面背面と渦巻き文が描かれ、精緻な研磨が全体になされ黒光りしている。
少し膨らんだ腹部と、前面の中央の同心円の下には女性器が表現され、脚部は上体に較べ太く、鉢型土器を逆さにした形状をしている。
その製作では、放射線透過により、頭部、首部、腕部、胴部、脚部が別々に作られた後、接合されたことが分かった。
中空であるため、焼き上げる時に内部の空気が膨張して破裂しないための工夫なのか、脚の下、股の間、首に穴が開けてある。
縄文人の焼き物の技術に対する知識の高さが伺い知れ興味深い。



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 ● 国宝土偶勢揃い

いずれも国宝だけあって、造形的にみても、どれもがとても個性的な表情の土偶ばかりです。
国宝土偶、次回一堂に会し観られるのは、いつになるのだろうか。



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 ● 蓑虫山人の描画にみる土偶。

蓑虫山人 (本名;土岐源吾 1836-1900)は、幕末から明治を生きた漂白の画家。
各地を訪ね歩いては絵を描いた。
当時の暮らしを細かに描いた絵は、民俗学の貴重な資料ともいえる。
蓑虫は遺物を愛で、彼の画のなかには遺物を描いたものも多く、土偶も、表だけではなく裏まで描き込み繊細な描写となっている。
また土偶片から想像した復元図(右下段)も見られ、彼がいかに多くの遺物を見てきたかを物語っている。
江戸時代から知られていた亀ヶ岡遺跡の遺物は「亀ヶ岡もの」と教養人に周知された古物だった。
当時の旦那衆の嗜みの一つに茶道があり、茶会のサロンのような機能を持っていた。
その際に、亭主の趣向として古物も扱われ、茶会記の道具見立て記録にも亀ヶ岡ものの記載がみられる。
蓑虫の画には、そのような茶会を描いたものもある。



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 ●  「土器と土偶の密なる関係」

本書で面白く思ったのが、縄文の各々の時代の土器と土偶の流れを解説した、この章。
同時代同地域の土器と土偶は、文様などの類似性も多く見ていて厭きない。
こうしてみると土偶も実に様々だ。
土偶としては今回取りあげていない、十字形土偶、ハート形土偶、筒型土偶、山形土偶、ミミズク形土偶、分銅形土偶、結髪土偶などを併せると、一口に土偶といっても、地域や時代と共にいろいろなタイプがあることが分かる。




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 ● 身近に楽しむ!土偶

東博の平成館が出来るはるか以前、むかしの表慶館の考古コーナーは、いかにも片隅に追いやられたような展示で、とても古くさく地味な内容だった。
当然ながら埴輪とともに、土偶も遮光器土偶など一部は観てはいるはずだが。
薄暗いコーナーに、ただぽつねんと置かれていた印象が残るだけだ。
かっては一般的にはマイナーな存在だった考古展示も、近年では照明などの演示技術が格段に向上し、
更に”かわいい”ブームなども加わって、土偶は一躍脚光を浴びた人気者となる。
美術品として鑑賞するというよりは、土偶の持つ、どことなくとぼけて親しみあるその表情や造形が、近年流行のゆるキャラにも通じ、誰もが単純に愛着を持てるためだと思う。
公園のモニュメントやマスコット、ミュージアムショップのフィギャなど、土偶の進出も益々活気付いている。

フリーペーパーの 『縄文ZINE』 は、展示を観にいった考古館に置かれていたもの。
漫画やコラム、対談などやさしく面白い記事と、囚われることのない自由な発想でもって縄文時代を識り楽しめるという一冊だ。
この冊子のコラムには、本書「土偶のリアル」の著者も寄稿している。
また ”DOGUMO” というコーナーは、読者による土偶のもつポーズの真似っこ写真のシーンで、お子様から大人までこれぞとポーズを決め、かなりおバカさんぽくはあるものの、よくみると微妙に各々の土偶の特徴を捉えていて、ついつい見入ってしまう。
縄文人の心境は理解する術もないが、このような新しい流れを汲むフリーペーパーが、現代の私たちが縄文に親しみを覚える手引き書として、学術的な施設である考古館にも配布されている点が新鮮であり、とてもよいことだと思う。

東博で土偶展を観たときも、あきらかに普段博物館を観に来るような人たちではない、オタクの人も結構見かけた。
土偶のミュージアム・グッズがたくさんあるように、世の中には”土偶命”のファンが、案外多いのかも知れない。



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 ● アルバム写真にしてみたら、結構イケてるかも。

土器の片隅に追いやられたもの、ピンポイントでスポットを照らされたもの、土偶の存在もその場その場で随分と印象が異なる。
最後はおまけで、これまで出遇った土偶をまるで卒業写真のように、正面を向けて一堂に会し並べてみた。
各々の土偶がとても個性的で、豊かな表情をしているのがわかる。
改めて見直してみると結構いろいろなタイプの土偶がある。
いまどきの「かわいい」や「ゆるキャラ」には無縁とばかりに、こころのどこかで抗ってきた自分だったが、かわいいものはやはり見ていて楽もしい。
ついつい土偶のもつ縄文の微笑み(実際には笑った表情の土偶はほとんどないのだとか)にほだされ、こちらも連られて笑ってしまった。

本書のタイトルにもなっている「土偶のリアル」って、いったいなんなんだろう!?
自分としてもリアルな出会いを大切に、今後も身近に土偶に接していけたらと思う。
これからは展示されている土偶に際し、更に一歩深い視点で観れそうな気がする。



土偶をいろいろな側面から紹介したとても面白い本でした!!  (^_^)v 



  1. 2017/06/11(日) 23:50:06|
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