うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

369 便利生活への欲望





「必要は発明の母」



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 ● 『 昭和珍道具図鑑 -便利生活への欲望- 』    魚柄仁之助 青弓社 2017

図書館の新着本コーナーに見つけたこの本、タイトルにあるが如くに便利とは謳っているものの、
いまではすっかり忘れ去られたある時代の便利(!?)な珍道具、表紙の珍気な手回し洗濯機の広告イラストにみせられて、借りてみることに。



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 ●  中身はこんな感じ・・・・・・・・・・・・・・。

「便利そうで便利でなかったモノたち」も多数紹介されており、骨董市で珍道具に出くわすのに似た楽しみを感じさせる。

<左上より>
空火鉢冷蔵庫(昭和25年)、
食料品真空保存器(昭和10年)、
電球使用の保温器(昭和21年)、
エンジン付きローラースケート(昭和34年)、
プロペラ・ローラー(昭和24年)、
木登り自転車(昭和3年)、
インドで開発されたサンクッカー(昭和29年)、
電動ウロコとり(昭和35年)、
カセットテープ巻き取り器(昭和55年)、
太陽熱料理器(昭和34年)、
文化櫃(大正15年)、
投げ込み型湯沸かし器(昭和6年)、
湯沸かし器(昭和11年)、



これはちょっとなぁ~と思うものからある程度頷けるものまで珍道具もいろいろだ。

インドのサンクッカーとまったく同じものが、チベットの茶店の湯沸かしで使われていたのを見たことがある。
火力調整が必要な調理ではなく、ヤカンの湯を沸かす程度のことならば、森林資源の少ないチベット高原では、薪やヤクの糞燃料を一切必要とせず湯が沸かせ、とても利便性のある道具と感心した覚えがある。

割烹着姿の主婦が手にする投げ込み型湯沸かし器を極小にしたサイズのボイリングコイルは、旅先ではカップの水を数分で沸かせられ、とても重宝していた。
海外旅行では必須のアイテムのひとつだったが、日本では電圧の関係でまるで湯を沸かせないのが難点だった。
この投げ込み型湯沸かし器で、風呂の湯なんかを沸かすにはどれほどの時間がかかるのだろうか、瞬間湯沸かし器や給湯器などがすっかり定着した今のくらしでは、やはり出番のない珍道具なのだと思う。

右下の湯沸かし器と同じ原理の湯沸かしを、むかし祖父の家で薪や石炭ストーヴを使っていた頃に使っていた。
L字型の煙突の水平部分の筒を若干長めに湯沸かし器に引き込んだ、大型の銅壺で、上部に蓋がつき柄杓でもって給水する式のもの。
冬場の北国では、家人分の湯湯婆のお湯を大量に沸かすことができ、とても便利な代物だった。

防腐飯容器である文化櫃は、容器に寿司簀のような簾をただ乗せただけの道具。
夏の飯櫃にのせる簀蓋(竹編みの蓋)や飯籠など、風通しを良くすることで夏場の食品の腐敗をできるだけ防ぐ工夫は、電気冷蔵庫が普及する以前はくらしの中では、あたりまえの知恵であったし、いまでも食品ネット(蠅帳)などは現役で使われていたりする。

戦前戦後から高度経済成長期頃までの道具を主軸にした本書にあって、随一新しい製品が著者所蔵(当時新品を購入したもの)のカセットテープ高速巻き取り器
複数のギアを仕組んだだけのどーっていうことはない商品ながらも、レコードの様に簡易に曲出し出来るのとは異なり、カセットテープではいちいち、早送りしたり巻き戻したりの作業が必要でこのような道具の需要もあったらしい。
90分テープが数十秒で巻き取れた優れものというが。
後にダブルカセットが登場し、二つのテープを同時に回せるラジカセが普及して、この手の問題は一気に消滅する。
レコードの音盤が醸し出すレトロで情緒ある音質を好むフアンを持つのとは異なり、カセットテープの場合は、ただ音質が悪過ぎるだけで、いまの時代にとってビデオテープなどと等しく、完全に死物メディアなのかもしれない。
知人が高校の語学の授業でカセットテープを持ち込んで、お爺ちゃんみたいと生徒に笑われたと嘆いていた。
自分の場合は、著者のような巻き取り器を購入するまでもなく、カセットテープの穴に鉛筆(この六角形のかたちがぴったりフィット)を突っ込み、楽器のラトルの要領で手のスナップを効かせ巻き取っていた。
時々折り合いが悪く、中のテープが腸のようにはみ出てしまい、惨事となった苦い経験もあった。
ちなみに、この嫌な記憶が残るカセットテープの茶色のテープ部分ながら、「凧のうなりにはこれが一番よ」と、日本凧の会の会員のかたが見せてくれた凧のうなりの弓には、このテープがぴーんと張られていて、思わぬところでカセットテープが活躍しているのだった。



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 ● 靴下を繕う道具とあれこれ。

 左; 靴下つぎ器広告(昭和12年)、
むかし西洋アンティークの骨董屋「アーバンハウス」がまだ荻窪にあった頃、店主の語る蘊蓄話しで、線路のイヌ釘や、英国人と日本人の傘に対する概念の違いなどと共に教えていただいたものが、この靴下継ぎの当て具だった。
赤に白い丸プチ模様(毒キノコのベニテングダケの様)で何だかディズニーの白雪姫に登場する森の小人の世界を思わせるような可愛らしさで、さすがに答えを訊くまでは、まるで想像できない代物だったけど。
一度知ってしまえば、このキノコ型の靴下の継ぎ当て具も、アンティーク・フェアーなどで結構見かける道具なのだった。
この継ぎ当て具のポイントは、踵部分に沿ったその形状と、針の返しをスムーズにさせるその表面の滑らかな加工とにあるらしく、確かに電球をその代用品として使用した世代の年配の御婦人も多かったと聞いたことがあるけど、本書でも著者はその点に触れていて、やはり電球のもつ曲線では、この当て具ほどには靴下にしっくりと馴染まないと書かれている。
用は、もの自体が駄目になると、現在のように新しいものに買い換えるのではなく、繕い直して最後の最後まで大切に使いきるという、そういう時代の生活があり、「もったいない」という概念も、現代用語としていま自分たちが馴染んでいるものとはまた少し違ったニュアンスを含んでいると感じさせられた。
一見シンプルな道具ながらも、道具としての完成度はこの形状に集約されていたのだなぁと、まったくもってあなどれないものなのだった。

 右上; 北京の靴下つぎ器(昭和17年)、こちらはキノコ型継ぎ当て具の中国版。
靴底の形をした一分五厘ほどの薄板に爪先と踵が付いているもの。
広告文には、「北京の人たちは、これを使って靴下の新しいうちに、一番いたみやすい爪先の上下と踵に、寫眞のやうに表から布をあてゝしまひます。それで生活學校の生徒は一年に二足あれば少しも困らないのですごせるといつてゐます。小さな子供たちもどんなに家が貧しくても靴下だけは決して穴のあいたものをはいてゐません。支那の人は、終日靴をぬがないので、白や水色や、時には花模様などの好みの布を丁度かざりのようにきれいにあてゝいます。」とある。

 右中; ハンドルーム<靴下の繕ひ器>(大正11年)、
何気に、見過ごしていたこの広告、よく画を見てみると、掌大のこれとまったく同じものが骨董市で売られていたのを思い出した。
木の板に編み機のような金属製の細鉤が多数付き、両端にバネが回されており、店主に訊くも、「編み機のような裁縫具かなぁ!?」と、どのように使うのかまるで要領を得ず、ちんぷんかんぷんの不明な道具だった。
どうやら、衣類の破れた部分をこのハンドルームに乗せ、その上に繕い用のあて布を乗せて動かないように固定する器具らしい。
「廃物同様の破れ靴下も手輕に體裁良よくつくろへる」これを用いると極めて手際よく出来るとある。
刺繍の張り枠のように布地をぴんと張り偏りをなくすための器具だけど、これもさほど勝手のよい道具ではなかったのではと、つい想像してしまう。

 右下; レンケツ靴下の広告(昭和8年)、
傷んだところだけを替えられる画期的なセパレーツ靴下。
「傷んでいない箇所」は残しておく方法がこのレンケツ靴下の売りらしい。

解説書なしでは単純すぎてまるで何なのか分からないもの、そして逆に複雑すぎて混乱をきたすもの、同じ用途の道具でも、こうまでかたちが異なると不思議ながらも面白い。



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 ● 盥(たらい)で洗濯、その姿勢は・・・・・・・。

左上; 巡回洗濯女 『明治大正珍商売往来80年物語』(昭和28年)より
右上; 湖での洗濯風景(中国雲南省 1996年)
左下; 折畳洗濯台(昭和30年)
右下; 昔のドイツの洗濯風景 『明治がらくた博覧会』、林丈二著、晶文社 より


本書の第1章では「冷たいのがイヤ! - 人類と洗濯との戦い」とあり、炊事や洗濯で使うゴム手袋や、湯沸器とともに、その多くが電気洗濯機が普及する以前の、手動式洗濯機のあれこれにスポットが照てられている。


いわゆる洗濯板といえば盥を使った洗濯の、左上図のイメージだけど。
この定着されたイメージの盥と洗濯板での洗濯も、明治に入って石鹸が普及してからのことらしい。

「巡回洗濯女」とはなんとも凄いネーミングながら、当時の、まだクリーニング屋が普及していなかった、東京などの大都市での下宿の学生や単身者の洗濯状況の隙間を埋める商売で面白い。
掃除・洗濯・炊事という家庭での労働のなかでも、やはり水仕事である洗濯がしめる労力は計り知れない。

本書では珍道具と謳っているため、登場する道具類もあえて一般的だった普通のもの(道具)がほとんど載っていない、この洗濯風景も、図ではなくその職能としての特殊性を注視したもの


右上のカラー写真は、モソ人が湖畔で洗濯している様子。
くらしの基本ともいえる洗濯の様子は、地方の旅ではよく見かけたお馴染みの風景のはずだけど、
この写真と、インドのカシーミールでパシュトゥーン族が洗濯している写真以外はスライドには撮られていなかった。
ネパールのバクタプールでは、近郊のティミの町で焼かれた大型の素焼の盥で洗濯していたし、そんな写真も白黒で撮ったはずだけど、まるで見つからない。

旅の移動の最中にあって洗濯は、洗濯物が乾き上がるまで足止めとなり、なにかとやっかいだ。
下着などはシャワーでの身体洗いと一緒に簡易に済ませられるけど、厚物のシャツやズボンは、洗う以上に洗濯物の水をしっかり絞りきる作業が大変だった。
このモソ人の民家には真新しい二層式洗濯機が置かれていたが、水の冷たい季節以外は使用されていない様子だったし、脱水機はそもそも使うこともなく、びしょびしょに濡れたままの洗濯物を、そのまま中庭にあるロープに干していた。
そのまま半日も放置しておけば、洗濯物も自然に乾き上がり、絞らないから衣服の傷みも少なく、彼らのくらしのテンポには最も理に適った方法なのかも知れない。
ともかく手洗いした洗濯物の脱水で、ここの脱水機を借りてとても重宝した。
初期の洗濯機に付いていた手廻しローラーより、遠心分離式へと移行する脱水機能の発展は、洗濯技術における革命的な発明といえそうだ。

洗濯機が登場する以前の洗濯の仕方は、石などに洗濯物を直に叩きつけて洗うもの、韓国などで多くなされていた砧打ちの要領で板で叩くもの、ブラシや洗濯板で擦るなど、その方法は様々だ。
日本の場合は当然ながら図のようにしゃがんだ姿勢で洗濯板を使うけど、洋の東西では姿勢に違いは見られるのだろうか。
椅子の文化の西洋とは異なり、日本人の仕事姿勢では胡座をかいたり、しゃがんだり、正座したりと、ともかく地辺にちかく低く座る姿勢が多く見られる。
中国はある面で椅子の文化の国だけど、アジアの多くの国では地に低い位置で座る、族座り(いわゆるウンチングスタイル)が意外に多い。
以前、道具学会の会員の画家の方が著した『アジアにおけるあの座り方』 (だったか?)という本を読んでみたら。
板きれ一枚や風呂場で使うような小さな椅子に座る、その(族座り)姿勢としての身体の楽さと道具との関係を追求したデーターが豊富に盛り込まれた内容でとても興味深かった。

欧米人は日本人にくらべると、やはり体形的に脛が長いから正座が出来ないのか、或いは慣習的な慣れの問題でしゃがんだり低く座るのが苦手なのか、ドイツの洗濯娘は長椅子に盥を乗せて嵩上げした立ち位置での作業姿だ。
以前観た『アレクセイと泉』本橋成一監督 のチェルノブイリのドキュメンタリー映画では、水場の洗濯場面では、木枠の框に女たちは跪き(ひざまづき)前屈みになって洗濯物を洗っていた。
跪く姿勢は、かってはカトリックなどのミサの典礼では度々繰り替えされる姿勢だったから、彼らにとって日常的に慣れている姿勢だったのか(ちなみに正教会では、立ち姿勢のまま椅子にも座らず典礼を行うというのを最近知った)!?
水面は身体より一段低いから当然ながら前傾姿勢となるのはともかく、盥のどの容器が確保できて、身近に水を寄せる条件が揃ってもしゃがんだりせず、椅子に座った姿勢や、立ち姿勢が楽なようだ。
跪く(ひざまづく)と蹲る(うづくまる)の姿勢のちがい。
跪くような姿勢は、日本人の生活には、あまり馴染みのない恰好なのではないだろうか。

余談ながら、鋸や鉋などの刃物では、西洋や中国のものは、日本のように手前に引いて切るのではなくて、手前に押して切るように使い方が逆になっていて、そんな身体の所作の動きが道具にも反映されている。
穀類を脱穀する農具の唐棹(くるり棒)も、沖縄のものは打撃部分に対して柄が短いため(本土の唐棹はその逆で柄が長く打撃部分は短い)、身体を前傾姿勢で深く折りこみながらの姿勢となり結構辛い作業ながらも、接地面が多いため一回あたりの作業効率は上がるという。
このような類例はアフリカでの鍬の使い方でも、短柄の鍬を極端なまでの屈伸姿勢でもって鍬先を地面に食い込ませ耕す仕方に顕著にみられ、耕す土質の硬さや粘度以外にも身体的に慣れた姿勢が優位に用いられることも多いと思われる。
それがアフリカのひとの体形的な差なのか、慣習的な問題なのか、同じ目的の道具でもその形体や身体の使い方がいろいろあって、見ていて興味が尽きない。

左下; 雑誌「婦人生活」の「婦人の発明」で選ばれたのがこの「たらいを乗せる木製の台」である折畳洗濯台。
本書では、著者は「この程度の発明で入選するなんて・・・・・・・・・・・」と、思わずもらしてしまっている。
三脚は凸凹した不安定な地面での安定が良い点、そして鋭角部分の手前が若干傾斜していて低い仕様が、そこに洗濯板を置いたり(若干高さが増す)、前面に力をいれてゴシゴシ押して洗う分には、力が更に加わるため強度的にも全方向にもたらす力を二点で分散させるその構造は、一応は理に適った作りのようだ。
また簡易収納できる折り畳み機能を取り込んだこともポイントとなっているかも知れない。
更に極端に云ってしまえば、理路整然とした完璧な発明品というよりは、誰もがちょっと考えれば得られる、そんなアイディアがこの手の主婦の雑誌の読者である主婦層に受け入れられ、その点を見越しての採用なのかもしれない。



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 ● 洗濯板いろいろ。

 左上; ガラス製の洗濯板、「海を渡った日本の花嫁」展より、JAICA 2009。
 左下; ネマガリタケ製洗濯板、恵庭市郷土博物館。
 右 : ネットにあった洗濯板。
  


洗濯板については、過去のブログで一度触れました参考下さい。
ブログ№025 「ギザギザが決め手! 洗濯板」





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 ● 『文化洗濯板』 「実用新案出願 6379号」、木製、535×270×18ミリ

こちらは山梨の骨董屋でみつけたデッドストックものの、うちの洗濯板。
三角の黒いギザギザ部分は、タイヤのチューブを加工して挟み込んである。
焼き印による鳩の商標や、全体のフォルムが気に入って、初卸しは気合いを入れて風呂場に洗濯物を持ち込み試してみたが、ゴム部分の当たりが洗濯物に微妙に感じ悪く、これなら普通の木の洗濯板のほうがはるかに道具としてましで、一向に洗濯効果が期待できない代物だった。
多分そのアイディアだけは良かったものの、実用新案もののヘンな道具にはついつい惹かれっぱなしの自分ながらも、結局一回使ったきりでめげてしまい、すっかり外してしまったもの。
洗濯板のその対価も、一時の夢を買わせてもらったに終わってしまった。
ある時代以前の特許品や新案ものは、ネット検索しても記録されていないので、いまだにこの洗濯板が商品化された経緯は依然謎のまま、どなたかご存じの方がいましたら教えて下さい。



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 ● 洗濯用具と洗濯機 『女性教室 せんたく』(昭和26年)。



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 ● 手動式洗濯機のいろいろ

洗濯が、盥+洗濯板から電気洗濯機に移行するまでの、黎明期-過渡期に現れては消えていった洗濯機、そこにはからくり人形的なもの、真空ナントカといった不思議なもの、漬け物桶洗濯機?などいろいろ変わったものが見られる。



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 ● 手動式回転洗濯機 攪拌機能そのルーツは?

上段: 白黒写真は、中部ネパール カリガンダキ(川の名前)筋のボテ(主に漁労に携わる職能カースト)の家に泊まったときのもの。
水牛の乳を攪拌させギー(牛脂)と分離(チャーニング)させているところ。
テキ(容器、脇にかかえて運搬できるように口の部分が細くくびれている)に羽の付いた棒を突っ込み紐掛けし、轆轤(ろくろ)ひきの要領で攪拌させている。
家屋の柱に穴のあいた主軸(素朴ながらも彫刻が施されている)を渡し、そこに羽付き棒を通して支えているだけのいたって単純な構造。
テキに足を当てて座り、身体を突っ張らせて腕を前後に動かすだけで、羽付き棒がぶれずに、実に高速で回転する。


中段; アイスクリーム製造器    調布市郷土博物館にて。
こちらも木桶に羽を突っ込み回転させ攪拌させる方式、左は単純に羽にハンドルを直結させた構造で、左下の手回し洗濯機と同じく、ハンドルを水平にぐるぐる回す方式。
右はそれに歯車の機構を組み込み直角に垂直方向に90度回転させる改良されたハンドルを付けたもの。
コーヒーミルを例にとってみるととても解りやすいけど、水平回転式では肩の運きも同時に加わり上半身を全体的に動かさなくてはならず、それに比べると垂直回転式では手首のスナップを効かせ回せば上半身の身体の負担はそれ程でもない。


下段; 本書で紹介されていた図版。
羽で槽の内部を攪拌させる方法は、アイスクリーム製造器とほぼ同じ構造。
ただ木桶を逆さにしたような裾広がりのかたちに、いずれも造られている。
著者によると、漬け物桶よりの転用ということだけど、残念ながらなぜそういうかたちに造るかは定かではない。
女の子のほうの洗濯機は、ハンドルが余りに長すぎ、これでは槽の周りを回らなくてはならない。
またご婦人の洗濯機では、座り姿勢でもってハンドルを回転させるとどうしても身体が前のめりとなるらしく、図の夫人も足の部分が若干爪先立っているという、なるほどこういったちょっとした著者の観察が、とても参考になる。



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 ● 手動式回転洗濯機

やはり水平回転させるよりは、垂直回転させるほうが身体が楽なのか、こちらの洗濯機はいずれも垂直回転のハンドルが付いたもの。
上段の左右の二つは瓜二つのかたちながら、左の写真のものは洗濯機ではなく実はてバター製造器<恵庭市郷土博物館>。
かなり大型の樽に布ベルトを掛けて動力で回転させる方式。
酪農王国の北海道とはいえ、こんな道具もやはりあったのかと、近ごろ博物館で見つけて一番嬉しかったもの。
一方右の図版の手回し洗濯機(昭和17年)には、横にした槽の内側に回転するドラムが付いているというが、その大きさが不明というもの。
盥(たらい)と洗濯板でもって、ごしごし洗濯するのとことなり、このように槽に洗濯物を溜込んで攪拌させる方式では、洗剤が必要という

まるで、歳末の大売り出しの抽選会で使うガラガラポンのくじ引き機械のような、三角形の手回し洗濯機(左中、大正13年)は、関東大震災直後の広告のもの。
こちらは珍しく立ち位置で作業が出来るように長い脚がついている。
多分、三角形の外側は回転せず固定されていて、中にある羽が回る作りとなっているのではないかと思う。
立ち位置は楽とはいえ、こんな高い位置まで水を注ぎ込まなくてはならない不便さはどうしたものだろう。

日本で電気洗濯機が一般家庭に普及し始めるのは戦後の1950年頃(昭和20年代後半)以降という、まだまだ高価な製品だったから、一人住まいや少人数のお宅では、このようなパーソナル洗濯機(右中、昭和33年)が用いられたかもしれない。

直径二尺ほどの大きさの球形の手回し洗濯機(下段、旭川市立博物館)は、本書の珍道具には紹介されてはいないけど、手回し洗濯機といえば”このかたち”というぐらい、博物館の展示でよく見かける手回し洗濯機です。
一番最初にこの手回し洗濯機を見たのが、実は博物館ではなくて近所の骨董屋のニコニコ堂、特に或る時期の有機的なフォルムの工業製品が好きな自分としては、店主<後に息子が直木賞を受賞して、このオヤジ自身も結構有名人となる>自ら、コックに付いたレバーを開けて中を覗かせてくれて、とぼけた口調でもって、耳元で「いいでしょう~!」と小さく囁かれると、まるで魔法にかかったように怪しい魔力に満たされて、ぐぐっと欲しくなってしまう。
蓋の部分のデザイン、アルミボディーの仕上げ具合、口辺部にはアメリカのパテントナンバーも刻まれておりそんな些細な点にも魅せられて、おもわず財布から五千円札を取り出すところだった。
しかしねぇ~、洗えてもせいぜい下着や靴下程度の容量だし、家の中で場塞ぎになることが確実に見えている。
結局その時はパスしたものの、物欲大権現と化してしまった現在では、あらたに加えてみたいアイテムだ。



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 ● 手動から電動へ

左上; むすめせんたくき 『新式衣類洗濯法全集』(昭和2年)、
関東大震災から復興期に登場したのがこの製品。
構造が進化し、ハンドルを回すと洗濯槽の横っ腹に取り付けられた滑車が回る。
ドラム缶のような筒の内側に一回り小さい洗濯槽穴あきドラム缶が入っていて、滑車の回転を鉄製のギヤで内側の穴あきドラム缶に伝える方式。
つまり今日の「縦型斜めドラム式」洗濯機と同じような動きらしい。
斜め式だから、しゃがまなくてもいい。石鹸や水が少なくてもいい。ハンドルをゆっくり回してもドラムは回転する利点がある。

中上; 手漕ぎ舟(左、舶来品)、電気洗濯機(右、アメリカ製) 『家庭百科重宝辞典』(昭和7年)

右上; 機械化坊さんの手作り洗濯機  『家の光』(昭和24年)、
写真には「電気せんたく機も、映画機のモーターを利用して作ったおかげで、奥さんは大喜び」とある。
弔うだけが僧侶じゃない、穢れを落とし修復するのが業である・・・・・・合掌 という著者の言葉におもわず爆笑。

左下; 電気洗濯機 北海道博物館(旧北海道開拓記念館)にて
中下; 電気洗濯機 八王子市立郷土博物館にて
右下; 電気洗濯機 恵庭市郷土博物館にて

初期の電気洗濯機も、こうして並べてみると時代とともに微妙にかたちやデザインが変化していてなかなか面白い。
子供の頃のはかない記憶にある洗濯機は、祖母の団地で使われていた、右下のような洗濯機で、お手伝いと称して洗濯物をローラーに挟み、ぐるぐるハンドルを回して遊んだ記憶がある。
タイの屋台でスルメを買うと、食べやすいようにローラーで伸してくれるのだけど、その伸したイカがローラーから現れる様子を見て、子供の頃のこの洗濯機ごっこを思い出してしまう自分がいる。
この時代の白もの家電の洗濯機のデザインも、色や素材の使い方などで冷蔵庫に共通するものがあり、いずれもなかなか素敵だ。



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 ● 洗濯の変遷展示      八王子市郷土博物館展示より。

アイロンの推移(火熨し、炭火アイロン、電気アイロン)の背後にあるのが、洗濯の推移。
この展示の上に掛けられた小さな写真パネルには、民家の軒先で洗濯に励む母親が写っていた。
写真のキャプションには「たくましい子になっておくれ」とある。
なんだか、これに「わんぱく」をつければ丸大ハンバーグのCMのようなコピーだ。


グルメではなく、庶民の身近な視点で食文化に切り込みをいれる、著者の魚柄仁之助。
本書を読んでいると、珍道具好きにとっては、ますますヘンなオヤジだなぁと、ついつい嬉しくなってしまった。


広告から読む世相史ものでは
ブログ№248 大正時代の身の上相談
があり、そちらにも洗濯板や洗濯機が紹介されています、併せて見ていただければ幸いです。



「古屋の漏れ」実家で屋根のつけかえ工事が発生、8月は盆の帰省と手伝いを兼ねて、このブログも一ヶ月お休みします。今回は洗濯機も取りあげたことですし、ついでながらこころの洗濯もしてくるつもりです!   (*^_^*) 




  1. 2017/08/05(土) 15:03:02|
  2. 洗濯板
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368 見知らぬ町へ






「見知らぬ町へ」なんていうと、なんだか谷口ジロー描く世界のようなニュアンスだけど。展覧会の後片付けの手伝いで、突然ながら一泊二日九州へ行ってきました。<2017年7月23-24日>



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 ● 「見知らぬ町へ」行くのは、やはりどこか旅気分、さてどこに着くのやら・・・・・。

九州なんていつ以来だろう。確か前に行った熊本の時は、まだ2000年になっていなかったはず。
羽田では待ち合わせ時間のみ、展示の片付けとは聞いてはいるけれど、詳しい情報は一切なし。
まずは九州の空の玄関博多空港へ、そこからローカル線を乗り継いで結構な田舎へ行くらしい。

上段 ; この日は二十四節気の大暑、九州はむんむんに蒸してました。博多空港は市内とのアクセスも抜群に良く便利です。
二段目; 福北ゆたか線。JR九州の、車両が意外とモダンな電車です。新飯塚へ。
三段目; 後藤寺線。ローカルの一両編成のワンマン列車(ディーゼル)、車内の扇風機はレトロな国鉄時代のものか? 終駅、田川後藤寺に到着。
下段 ; いわゆる筑豊エリア、車窓より突然現れた大きな工場は炭坑ではなく石灰採掘工場らしい。




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 ● 「田川後藤寺」

あっちゃ~! 「見知らぬ町へ」の儚い期待を一気に吹き飛ばしてしまうような閑散とした雰囲気。
かつては炭坑(ヤマ)で栄えて遊廓まで有したほどの栄華を極めたと謳われたらしいけど。現在列車は一時間に1・2本。
アクセス強化の駅前看板の効果も虚しく、ひろがる駅前のシャター商店街。
う~ん、確かになにもない町です。
シャシャシャ・・・・・・・・・と、この暑い最中に、さらに暑さにに追い打ちをかけるようなクマゼミの狂い鳴き。
そんな寂れた駅のホームで、まずは作業前の腹ごなし。
旅情気分を無理矢理高めるべく博多で買ったかしわめし弁当「大名道中駕篭」1030円でお茶をにごす。



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 ● 「た~んとあります。」田川の魅力を召し上がれ。   田川市

町を挙げてのポスターに書かれた、秀逸なコピーはよいけれど、やはり魅力となるとまた別物か!?

勝手になにもない町の第一印象を振った田川市だったが、実は田川はかっての炭坑(ヤマ)の町であり、市の石炭記念公園内には「石炭・歴史博物館」 (今年のGW連休にリニューアルオープン)がある。
館蔵の山本作兵衛コレクションは、炭坑で働く人々の姿を独特なタッチで詳細に描いた記録画で。
絵としては確かに達者ではないけれど、その独特な作風は一度見たら忘れられなくなるようなインパクトがあり、確かにこの画は以前テレビで見たのか記憶がある。
そして驚くなかれ、このコレクションは、オランダのアンネ・フランクの日記のように、ユネスコ世界記録遺産(世界の記憶)に登録<日本初>されているという。

ホテルの窓から見えていた、にょきにょき2本のあの怪しげな煙突がこの博物館だったのだなぁと納得した。
また、市の美術館にも作兵衛の常設展示室が設けられ、彼の記録画の写真と共にそのシーンに併せた博多人形が展示されていた。(下段)
山本作兵衛は、町を挙げての、いや日本を代表する記録画の偉人なのだった。
そして同様に、ただの寂れた田舎町とは侮れない、田川市なのだった。




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 ● 田川市美術館

田川市には、図書館と隣接して、とても立派な美術館が建っている。
開館時の90年代当初からしばらくは、現代美術家である川俣正とタイアップして様々なアート・イヴェントが行われていたことを知り、さらに一地方美術館にして、あの時代にこの濃い企画がなされていたとは驚かされるばかりだ。

今回の作業はこの展覧会の片付けとなる。
上條作品は、これまで単品では幾度か目にはしていたけれど、さすがに美術館で一堂に並ぶとなかなかの迫力で見応えがある。
パレスチナよりイメージされたオブジェやインスタレーションなど、切り紙風の混合技法でもって自在に表現されている。
互いの作品が連呼し共鳴し合い、独自の世界観を構築している。
また、パレスチナの子どもたちの作品も、見ていてとても活々として色鮮やかで面白い。



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 ● 作業開始!

上段  ; パレスチナの子どもの作品、右は日本の子どもとパレスチナの子どもとの合作。
中段下段; 上條作品


ともかく細々とした部品が多く、各々を丁寧に梱包していく。
展覧会で整然と陳列された作品を鑑賞するのとはまた別の視点で、このような作品に直に触れる作業より、作品の持ち味を感じることも多く、このような実作業はとても楽しい。
特にパレスチナの物品を箱詰めしたようなオブジェには、現地の情報が満載だ。
片付けは、流れを掴めばそれほど神経を使う作業ではないけれども、展示の設営はとても大変だったに違いない。
館のスタッフは皆若く、気さくな館長の指示のもと、てきぱきと動きとてもよい雰囲気だった。



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 ● ミュージアムショップ

ショップでは展覧会図録やカード以外にも、子供用にクレヨンや水彩絵の具などの画材、ほかにもちょっとした小物が販売されている。
どれもがポップでキュートなものばかり。
みていて大人も欲しくなるような文具も結構ある。

「かおノー モンスター」、1080円
「 kakuno」(PAILOT万年筆)、1080円
「色鉛筆」(12色)STABIRO、648円
「はじめてのもちかたクレヨン」、(Faber Casttle)864円



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 ● 会期中の子どもを中心としたワークショップより。

 上段; 「世界にひとつだけの帽子を作ろう!」
上條先生のギャラリートークで展覧会を鑑賞した後、みんなで帽子作り。
紙やフェルトを使ってオリジナルの帽子制作、切ったり、貼ったり、折ったり、工夫を凝らし世界にひとつだけの帽子が完成!

 中・下段; 「わたしってどんなカタチ?」
田川市立後藤寺小学校の体育館で行った出張ワークショップ。
子どもたち(3年生)が上條先生に教わりながら、等身大の自画像を作る。
大きな紙の上に寝ころんで友達のカタチをなぞったり、紙いっぱいに色塗りしたり、普段できない体験にみんな大はしゃぎ。



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 ● ワークショップで制作した自画像をこれから展示。

片付け作業と平行して、美術館のスタッフが今回のワークショップで制作した子ども達の自画像を展示。
各自おもうがままに伸々と身体を動かし、自由に楽しみながらの制作風景が目に浮かぶようで、どの作品も微笑ましい。
パレスチナの子ども達に絵を長らく教えてきた、上條先生ならではの独特の感性が、この町の小学生にもしっかりと伝えられたことと思う。
少子化していく町にあって、やはり子どもたちは未来の財産だ。

最後は子どもの描いた絵を楽しみながら、美術館での片付け作業も無事終了。
田川のイメージは、当初のなにもないから町から、「た~んとあります」にしっかり変わりました。



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 ● 〆はやはりラーメンで!

二日間に亘る作業も終わり、筑豊の小さな田舎町より、博多という大都会に舞い戻ってみるとそのエネルギッシュな熱気に圧倒させられます。

観光無縁の滞在ながら、飛行機に乗る前に、最後にちょこっとだけお上りさん気分。
駅のモールにあったラーメン街道なる、ラーメン店が十余店入った中より選んでみたのが、博多ラーメンの「博多一辛舎」
泡々とした濃厚な豚骨スープに、店オリジナルの「辛子高菜油いため」(激辛)が良く合います。
ビールとともに頼んだ餃子は、一見その小ささに驚かされたものの、具に入っているコリコリとした食感がとても不思議で、問うとナンコツとのこと、ちょっと変わった感じの餃子ながら、食感ともに悪くありません。
本来が道産子らしく慣れで素朴な北海道ラーメンがやはり好きだけど、豚骨ラーメンの細麺がスープによく馴染み、博多ラーメンの美味さも少しばかり理解できた一時となりました。



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 ● 短いながらも楽しい九州でした。

パレスチナの子どもが描いた上條先生(下)は、絶妙なほど先生を現していておもわず笑ってしまった。
最後はそんな先生のバイバイ姿で・・・・・・・・・。さようなら!



もし田川を訪れることがあったなら、今度は是非「石炭・歴史博物館」を観てみたい!! (^-^) 




  1. 2017/07/25(火) 21:55:42|
  2. 雑 閑
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367 あなたならどうする






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 ● 「あなたならどうする」  井上荒野  文藝春秋社

「森の木陰でどんちゃらほい~♪」と、なんだかとても気になる乙女が踊る表紙のイラストの一冊を、図書館の新着コーナーで手にとり借りてみる。
いわゆるジャケ借りは、図書館でよくしているけれど、井上荒野だったらはずさないだろう。

「人妻ブルース」という歌謡曲のような詩が綴られた出だしの一編の後に続くのは。
いずれも、むかし流行ったお馴染みの昭和歌謡の題名が付けられた掌片集となっている。
流行歌のその歌詞の一筋を文頭に、綴った男女のはなしのあれこれ。

「 嫌われてしまったの愛する人に
  捨てられてしまったの紙クズみたいに
  私のどこがいけないの それともあの人が変わったの・・・・・・♪ 」


「あなたならどうする」そんな名前の歌もあったのですね!



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 ● 買い換えたまでは良かったものの・・・・・・・・・。

このところ異常に続いていた猛暑に、部屋の中ですっかりバテまくっていたけれど。
おかしくなったのは、なにも人ばかりではない。
長年(7年)愛用していたポータブルDVDプレイヤー(手前)が、ブツリと言うことをきかなくなってしまった。
7インチだったから、その寿命も1年1インチ、寝酒をともにこれまで枕元での過酷な鑑賞に耐えていたようだから、お役御免としては適切な時期だったのかもしれない。

それでも「あなたならどうする」の歌詞が脳裏に浮かぶ。
歌詞にある”人”の箇所をこの”機械”に置き換えて唄ってみると、なんだか自分のことを言われているようで、すっかり女々しい気分となる。

さて「あなたならどうする」?ということで、
当然ながら、新たな出会いを求めるように、ネットで代替品を求めてしまいましたよ。
今度の人(機械、背後の箱に収まる)はビッグな13インチ、倍にも大きくなった画面で更に楽もしく大きな夢をみせてくれることでしょう。

ちょうどTSUTAYAのカードも更新で、更新特典で半額で借りてみたのが以下2作。
13インチ君の筆おろし、とくとその本領を発揮してもらいましょう。



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 ● 『神のゆらぎ』  監督:ダニエル・グラヴ 2014年 カナダ映画。

エホバの証人の信者として生きる1人の女性の視点から、信仰とは、人間の命とは何かを問いかける問題作。カナダで起こった飛行機事故と、それに乗り合わせた人々の人生を絡めた群像劇で描く。



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 ● 『誰のせいでもない』 監督:ヴィム・ヴェンダース  2015年 ドイツ,カナダ,フランス,スウェーデン,ノルウェー映画。

雪道の偶然の事故で作家トマスの自動車は一人の子供を死なせてしまう。誰のせいでもないその事故によって人生を変えられた人々の12年間を表現した野心作。


TSUYAYAは駐輪場がコインパーキング式となってから、その駐輪の面倒臭さと、旧作に変わるのが遅いため、近ごろはほとんど利用していない。
それでもラインナップは、それぞれのレンタル会社で異なるから、探せば結構みたいDVDも見つかる。

ありました、 『神のゆらぎ』は、そんな前々から見たかった作品。
変わり役の俳優としても出演の多いグザヴィエ・ドランが、この作品では、病に苦しむエホバの証人の青年を演じている。<エホバの証人では輸血を禁じており、彼は信仰のために治療を拒否している>

新作コーナーにあった『誰のせいでもない』は、なんとも寒々とした雪の中のジャケットです。
ヴェンダース作品は、『ピナ』<舞踏家故ピナ・バウシュを描いたスタイリッシュなドキュメント>以来ですが、はずすことはないでしょう。

このところ続いている異常な猛暑を吹き飛ばすには、冬を描いた作品の寒波でもってチャラにする。
安易な発想ながらも、屋外の蝉時雨を聴きながらも、暑気払いの鑑賞会のはじまりです。


「ハハハ13インチ君よ活躍してくれ」とバトンを渡してみたところ。
「えっ~マジ」 、その図体はデカイのに画質はそれほどでもないばかりか、いやにぼそぼそした声です。
蝉の声ではないよな、ジージージーと続きっぱなしの通奏低音は、スピーカーに混じるノイズのようです。
ヘッドホン端子の接触も最悪で、イヤホンに綿を詰めたり、ヘッドホンの位置を耳から浮かせてみたりと悪戦苦闘、試行錯誤しながら『神のゆらぎ』を観るも、その音質が耐え難く次第に心が折れてゆらぎます。

PCを購入したらディスクドライブが壊れていたり、リモコンが作動しなかったり、修理に出して戻ってきたらハードディスクのネジの止め忘れていて中でゴトゴトしていたりと・・・・・・・・・・、これまでも家電では随分とはずしっぱなしでしたが。

今回のこのダミ声の件を、メーカーに質してみたところ、やはりまさかの初期不良
ジンクスありすぎです。
確かに、これだと車載で騒音の中で観る以外には、音響機器的にもちょっときついよなぁ~。

借りてみたDVDの題ごとく、ええ『誰のせいでもない』ことは充分に存じています。
面倒な手続きをどうにか終えて、今晩欠陥品を代替え品と交換します。
特に美声は期待しませんが、どうか普通の声の品でありますようにと願うばかりです。

画質、音質、操作性そのスペックでは、いずれもオシャカとなったプレイヤーよりは優れているデーターながら、大は小をまったく兼ねないケースとなってしまいました、トホホ(-_-;) 。

結局このプレーヤーと、PCのドライブとで相互に見比べて、再生具合を検証したりといった具合で、かなり奇妙で落ち着かない作品鑑賞となってしまった。



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 ● 痒々大魔王に苦しめられて・・・・・・・・・・・。

そして、またまた泣きっ面に蜂!

前回郷里で釣りをして、むずむずした首筋を掻いて以来、ボツボツと身体のあちこちに現れだした謎の発疹。(写真)

アウトドアで連れてきたダニで難儀したと姉の話しを思い出し。
ひょっとして、これもダニの一種の仕業!?
部屋で発生した小蟻に噛まれて、その痒さに悶絶した過去がありますが、敵の姿はついぞ見えません。
昨年、シェアハウスに外国人が持ち込んだとおもわれる南京虫にやられ、避難してきた友達のボツボツもひどかったけど、まったくもって他人事ではありません。
パンツのラインくっきりとボツボツが並んでしまった我が身は、人前で裸になれない情けなさです。
体温が上がるとどうやら痒さも比例して増すようで、眠りながらにして掻いてしまうのが、また、いけないようで難儀しています。
はばかりながらも下の辛さは激痒ものです。

昨晩は電子蚊取りを点け忘れ、さらに蚊の攻撃によるダブルパンチが加わってボコボコになりました。
蚊刺されには、タイの田舎の雑貨屋で買ったバームで対応しておきましたが、痒さ地獄に遭遇した悲惨な一夜となりました。



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 ● 蝋型によるとてもリアルな皮膚病模型    北海道大学総合文化博物館にて

おまけは、さらにリアル度を増す悲惨なボツボツ群は、 「ムラージュ(ロウ製皮膚病模型)」によるものです。
蝋細工の技術の高さを知らしめる一例ですが、なんとも悲惨で絶望的な苦しみを覚えます。
くわばらくわばら。



今晩はまっとうな製品が納品され、そして安眠できますことを願って!! <(_ _)>  








  1. 2017/07/20(木) 19:33:47|
  2. 家電
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366 帰省日誌 旭川 2





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 ● 秩父別      6月28日

今回の帰省も、親族会の温泉旅行が目的。
昨年同様に秩父別の温泉施設”ちっぷ遊湯”で宴会する。
昨年同様、2度目のパークゴルフのスコアーは、まったくもって悲惨な点数でした。
町の駅を覗いてみると、深川から留萌を結ぶローカル線であることが判明、かっての使われていた窓口は閉鎖され、いまでは無人駅。
旭川からは車で小一時間で来れるけど、次回は無理して列車でちんたらとここに来るのも楽しいかもしれない。
競技場の施設などはあるけれど、そのほかは特に特長のない北海道の田舎町、ブロッコリーが町の物産品で、ブロッコリーを練り込んだパスタやアイスクリームが道の駅で売られてはいるけれど、触手は一向にのびない感じの商品です。
ふるさと納税での返礼品は、そんなパスタやトマトジュース、秩父別産のゆめぴりか(米)などが掲がっていました。
町の周囲は、北海道らしいといえばそれらしい田んぼに囲まれていて。
昨年は丁度稲の刈り入れ時期でしたが、今回は田植えが終わってさほどたっていなく、稲の生育も膝下ほどの高さです。
今回は千葉から参加した従兄弟にも10年ぶりに会って、自分にとってはまったく馴染みのないアニメの「ガルパン」の話しを聞けて面白かった。



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 ● 秩父別郷土館。

パークゴルフ場に隣接しているのが図書館や役場の施設。
よく見ると立派な郷土館もあるので覗いてみる。
入口にあるベルを押すと、役場から職員が来てその都度開場して対応するというシステム。
郷土館は、北海道開基100年記念の助成金で建てられ、それなりの展示内容なのだけど、見学者はほとんどいないのだろうか、民具に興味があると云うと、帯同している職員の方が親切にも収蔵庫のなかを見せてくれた。
農具の中に北海道らしい地方性のある道具が若干見られ、冬場のストーヴまわりの小物も、あらためて見ると、こういうものをむかし使っていてよなぁと懐かしく思うものが見られた。
ブリキ製のヒヨコの水差しが面白い、鳩サブレの缶に収まっているのもご愛嬌といったところか。



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 ● 教会のワンコイン・パーティー。   7月2日。

日曜日のこの日は、久しぶりに教会のミサにあずかった。
信者の方も母同様齢を重ねてしまい、若い方がほとんどいなくなってしまっていた。
ミサの後は、通った教会幼稚園の敷地で、夏のイヴェントで幼稚園の父兄、近所の方も招いたワンコイン・パーティーがあり参加してみる。
このイヴェントも今回で8回目、ジンギスカンや焼きそば、ホルモン焼き、イカ、ホッケ、青ツブ、ホタテなど食べ放題・飲み放題(今年から生ビールにかぎり1杯100円徴収)。
そのボリュームにあっぷあっぷするも、炭火焼きの食材はなんとも美味でビールも必然的に進んでしまう。
肉まみれでなんとも贅沢なバーベキューなのだが、やはりつい野菜がもっと欲しくなるのは、自分も齢をとってきた証拠なのかもしれない。
流しソーメンが開始されると、それまで各々遊んでいた子ども達が一勢に集まってきて、すごい人気となった。
やはり子ども達にとっては、こういったイヴェントが好きなんだなぁと、見ていてとても微笑ましくなりました。



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 ● 実家にいてもやることといえば・・・・・・・・・。

実家に戻るもやることといえば何もなく、閑つぶしに釣りが日課になってしまった。
家から自転車で10分で近所の忠別川に着けるので、朝5時代には釣り糸を垂れているという毎日。
夏至直後の北海道は夜明けも早く3時台には東の空が白み始めてくる、すっかり早寝早起きが定着し、自分もすっかり老人の仲間入りといった感覚になっている。
天候不順で川が増水していたりと、その都度川の状況も大きく異なるが、それでも朝昼夕と多い日には一日3回も同じポイントに通い詰めていると、川の流れと水の濁り、水温、魚の餌の食い具合との関連性がうっすらと見えてくる。
まったくもって下手っぴのぼんくら釣りのため、背後より「なにが釣れるの」と声を掛けられるのが一番辛い。
その多くはウグイばかりで、釣ってもスルーするばかりだけど、コイ科のウグイの引きはその大きさによって餌のつつき具合引き具合が微妙に異なりまんざら悪くない。
特にこの時期のオスのウグイには、身体全体に婚姻色の鮮やかな朱線が走り、頭部にはぼつぼつとした追星(おいぼし)が現れていて綺麗で、釣り上げた途端に射精するものもみられる。
竿は新聞チラシの特売の2.6mの渓流竿を買ったものの、結局昨年穂先を木に引っ掛けて折ってしまったのに懲りて、中学生の頃買った清流竿4.5mを3本にばらした2.2mほどの硬調の穂先のものばかりを使ってみた。
ミチ糸1.5、ハリス0.8<自分で巻いたものは0.6>にヤマメ針7号か8号、ガンダマ大1個、目印2箇所、仕掛けの全長を1.8mほどと軽装の仕様にした。
今年はイタドリはまだ育っていなく、餌は庭からミミズを調達、こんな仕掛けにも指先大の新子の山女は結構食らいつく。
ルアーや、大型の針を付けた仕掛けで投げ釣りする人を見かけるが、ミニマムの仕様が自分には合っている。
釣果はおそまつながら、それでも一日1匹2匹と釣れたニジマスやヤマメが累積されていくと、ちょっとしたご飯のおかずになる。
フライパンでこんがり焼き上げると酒の肴としてもなかなか美味だ。
自分の場合、脈釣りでは針を沈め気味に流す癖があるので、よく根掛かりして針を失う。
最終日の朝はニジマスが3匹、おまけによく根掛かりしたポイントで釣り上げたウグイには、水草のゴミと一緒に自分が無くした針が2本おまけに絡み付いていて回収するという珍事もあり、そんなこともあるのかと可笑しかった。
釣りの初日の朝は、濁った溜まりでアメマスを釣ったが魚籠入れの際に取り逃がしてしまってとても残念だ、逃がした魚がその妄想の中で2倍ぐらいのサイズにふくれあがっている。
近年市内の川も魚道が通され生態系が微妙に変化しているのが識れる。
昨年は秋口で魚の遡上の時期にあたり魚影も濃かったが、今年は時期が早いのか魚影もさほど濃くなく魚体もまだ小さい。
藪に入るとイネ科の雑草が放つ花粉が黄色く多量に放出される、カバ科の綿毛も雪のように舞っていて花粉症になりそうだ。
時間帯によっては、糸を垂れている竿先にカゲロウや蚊の類が一勢に群がり蚊柱が立つ。
釣りを通じた同点観察のなかで培われる情報も多い。
ママチャリでは無理だけど、このような清流ではなく、オショロコマやイワナが棲む上流の川で本格的な渓流釣りをしてみたいものだ。
それでもお手軽に釣りを楽しむ川が身近にあるのはいいことだ。

右上; お隣で成っていたサクランボ。
左下; 開花したサボテン。



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 ● 動物園も50周年

昨年買った動物園の1年パスポートも、今回は使うことなく動物園前の倉前川の様子を見にいったのみ、水門(左上2段目)が増水して暴れており胴長を穿いて水に浸かるも身体ごと持っていかれそうで怖かった。
昨年の水害以来、大規模な護岸工事はまだ終了しておらず、川のコンディションは依然荒れっぱなしの状態にある。
新愛宕川と牛朱別川の合流付近は段々とした結構な魚道が設けられていた。(右上3段目)
カバの綿毛は雪のようにふわふわと宙を舞っていて凄い有様、この綿毛を全部集めたら織物が出来るのではと、つい思ってしまった。(中段)
空港に着くと、旭川空港も動物園同様に今年で50周年らしく大々的なポスターが張られていた(右上)、ゴマアザラシにキリン、さらに花を冠ったゆるキャラが新たに増えていた。小学校の遠足のときには、まだ国産プロペラ機のYS11が飛んでいた。
フライトの待ち時間、最後は動物園に敬意を表しゴマアザラシのイラストのサッポロ・クラシックで乾杯する。(左下)



実家ではなにもしないまま終わってしまいましたが、まあそんなものですか (^^) 




  1. 2017/07/17(月) 23:45:23|
  2. 雑 閑
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365 帰省日誌 旭川







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 ● 石狩太美

丘の一帯にはスウェーデンヒルズという、この太美の駅舎のような建物のスウェーデンハウスばかり集まった宅地があり、スウェーデン人によるガラスや陶芸などのクラフト工房があったりと、なにかと名前の面でスウェーデンにあやかった太美です。
閑散とした駅前のスウェーデン大通りを歩き、防風林沿いの姉宅へ向かう。
新しく加わった茶トラはグラ、2匹となった猫は絵本の題名のように、グリとグラ
サクランボごちそうさまでした。
翌日は姉と一緒に実家へ向かいます。



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 ● 「旭川クラフト展 2017」より

会場は古い煉瓦倉庫を改装した、デザインギャラリー / チェアーギャラリー。
メーカー、プロの作家から学生までと80名ほどの作品が展示されています。 <6月24日>
陶芸、ファブリック、ガラス、革細工・・・・・・・・と様々なクラフトがみられるけれど、
やはり何といっても一番多いのが、木のまち旭川らしい木工品です。

本年度より工房を開基したD君の作品(左3段目)の出品を観に、会場にいた彼の背を後ろからサプライズでつつくと、「あれっ、どっしたの~」となんともとぼけた彼らしい反応です。
出品されているのは、昨年準備中の彼の工房で見せてもらい試作中だった、表面を焼き杉処理して仕上げたレターケースに、ペーパーコード座面のスツール、鍋敷、一輪挿し。

D君の工房の様子は、ブログ№292 野中の工房
を参照下さい!

あらたにスマホ・スタンドが加わり、これが一番の人気商品らしい。

以前学校で木工を教えていた彼らしく、その仕上げなどポイントを押さえた適切な解説を聞きながら、ひとつひとつの作品を鑑賞していくと、作品の見え方がまるで違ってくるから不思議です。


右下; 一見ただ座布団が載せてあるようなスツールは、アート・クラフト・バウ工房の「木ション・スツール」。

精度ある指物技術とシンプルに洗練されたデザインの家具づくりで定評のある作家で、むかし彼に案内されて一度工房を訪ねたことがあります。
今回は会場に一緒に展示されていた、新作の2ウェイの”ロー&ハイ・チェス”トばかりに目が入ってしまいましたが。
スツールのサテン布の黄色の座布団とおもっていた部分も、実はすべて木でできている。
キハダでしょうか、座面の色鮮やかな黄色も天然木の地色で着色は一切なし、四角の模様の部分も黒色材にかえて木象嵌の仕上げです。
一度丁寧に内刳りしてから、再度合わせて違和感ない座布団に仕立てあり、どこでどう継いであるのか一切見当がつかないほどの精巧なつくりです。
内刳りすることで、その見かけによらず片手で楽々持ち上がる、その軽さとなめらかな感触に驚かされます。


指南役の解説がつくと、鑑賞も倍増されて面白い!



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 ● 「旭川クラフト展 2017」より

上段; むかしから馴染みのあるようなものが、このような挽物細工の木盆や、北海道らしい木彫りの熊の置物。
横文字のクラフトというよりは、どこか土臭く木工品というニュアンスが強い商品です。
木彫りの熊なんてなんとも古くさいと思いきや、実は現代のマトリョーシカやこけしなどの”かわいい”ブームもあってか、ともかくアジアからの観光客に絶大な人気で、供給が追いつかないほどの一押しの再ブーム商品なのだとか。

左中; メーカー在勤の若手による自主出品コーナーも目を惹きます。
メーカーで培った確かな技術と独自のアイディアを盛り込んだセンスあるデザイン、モバイル的な小物が多く並んでいます。

下段; プラン・ド・ハウス / エフ・ドライブデザイン
どこか美大でのプレゼンを思い出してしまうような商品ですが、つい気になり見てしまったもの。
このメーカーは、家具やコントラクト家具の製造工程で生まれる余り材を活用した”雫木KUZUKI”シリーズなどの紹介するとともに、今回はデザイナーとジョイントして新たに生みだした”DIYカトラリー”という新アイテムは、「削って、仕上げて、自分で作る、木のスプーンとフォーク」をコンセプトにしたもの。
スプーンやフォークの先があらかじめ機械仕上げされていて、鉈割の自然な姿に割裂した柄の部分を小刀で自由に仕上げるというもの。
サンドペーパー、仕上用のオイル(小瓶入)、拭き布がセットになって、各1674円(税込)。
一枚の板から自分で作る「Ki-Ita[キイタ]」という木のスプーンとケースの、イラストの商品もあります。
手作り品が温もりを伝えるという点と、セルフビルドの要素に目をむけたロハス的な商品は現代のニーズに適っていますが、アイディアの遊びの部分が価格のすべてであるようで、財布を開く気になれません。

友人の作るレターケースで、節材の捨て材となる部材の活用を目指し、西日本の民家などに見られる伝統的な焼き杉技法に倣い加工する工夫は、余材や廃材といったかたちで無駄に枯渇していく資源を見直す面で見習いたい要素を多く含んでいますが。
木材は生きた材であるため、作り手は、やはり適所適切な部材の加工と使用が効率的には一番理に適っています。
それでもこのメーカーのように、廃材を使用物に転用させる工夫は評価したいとおもいます。


クラフト展で一番の売上げがあったのは、合板を機械でレーザーカットして透かし彫りを施した時計の文字盤(先の写真の左から2段目)のブースで売られていた、同じ技法の透かし飾りのコースター(一枚数百円)であったといいます。
やはり一般的には、お茶代感覚で財布に負担がなく、それでいて使用頻度があり、毎日使っていてもちょっとしたお洒落感覚で満足できるような、普段使いの小物に絞られるようです。

自分の場合も同様に、以前木工のまち東川の道の駅で売られていた、一本百数十円の木製鉛筆ホルダーを求めたことがあります。
いわゆるちびた鉛筆でも最後まで使い込む軸差しですが、一本ずつのロクロ仕上げで樹種の木目や感触が楽しめること、握り具合がどれもが微妙に不揃いな点、そしてその廉価さがポイントとなり数本まとめ買いしました。
最近では2B以上の柔らかい鉛筆が好みですから、ちびて不細工になった鉛筆でも、この木製ホルダーに納まるとそれなりの風情を見せ、最後まで使い通せて気に入っています。
販売されていた同じ工房のほかの木工品は、残念ながらありふれていてどうでもいいようなものでしたが、この廃材になる部材を転用したと思われる鉛筆ホルダーだけは、さらに別の樹種のものを余分に求めたくなるほど気に入り評価が高いです。
家ではレトロな真鍮製の鉛筆ホルダーも使っていますが、真鍮製の秀でたその機能よりは、木製ホルダーのほうが手の馴染みが良く、使い込むほどに木の表情が育ち、近ごろではもっぱらこれオンリーです。

使い手と作り手との相互の関係性のなかで高められていくクラフトの世界は、両者のバランスが合致して、はじめて商品としての価値が生まれる世界です。
一生ものを大切に使うというのであれば、クラフトに聡い人は、こういった展覧会会場で一目惚れして作品を求めるというよりは、やはり常に張り立たせているアンテナのなかから、選びに選び抜いた末に、高価な製品を満足して手に入れるケースが多いのではないでしょうか。
それとは別に、このようなフェアでは、ひとつの空間で多くの製品を見比べてみる醍醐味があります。
比較してみることで広がり、見えてくる世界があります。
自分の場合は欲があっても、自分の生活空間にどのような製品が一番適っているか、その分は心得ていますので、会場に展示されている製品のそれぞれがいくらグッドデザインであっても、その面では一向にこころがなびきません。
個々の好みや愛着度など様々な要素が絡み、実用品は機能やデザインがいくら優れているからといって、誰もが総て同じものになびくことはありません。
クラフトマンとしての作り手は、常により良い製品を目指しますが、それを商品化していく上では多くの壁があり、知人の話を聞きながらクラフトとプロダクトの両者の関係について考えさせられた一時でした。
そんな点も考慮しながら、展示会場でゆったり椅子に座り、チェストの引き出しを開け、小物を手に取り、その作りと感触を楽しみました。
普段馴染みの薄いクラフトの世界ですが、今回は友人という指南役がつき、じっくり堪能できて大正解でした。



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 ● 「国際家具デザインフェア旭川」

翌日は、D君に案内されてIDFA展へ行ってみました。<6月25日>

近年駅舎だけは立派になった旭川ですが、大型ショッピングモールのイオンにすっかり押され、駅前にあったデパートはすっかり閉店してしまい、町の中心部は歯抜けさながらの閑散とした状態です。
むかしは日本初の歩行者天国を実現し、由緒ある活気に満ちていた目抜き通りが、いまでは人出がそのままなくなって、自然と歩行者オンリーとなってしまったような寂れ具合です。
観光の面でも、市外の旭山動物園だけ見れば事足りてしまう状況で、アジアの観光客の視点では、中途半端な田舎の地方都市に滞在するよりは、北海道らしいイメージの自然溢れる美瑛や富良野を観る方が楽しいに決まっています。
日本の地方都市が直面している生活の場と都市の機能を切り分けた変換現象、中心部が空洞化して活気を失った町並みが近年は特に顕著となり、問題視されています。

市にあった芸術の丘(ユーカラ織り工芸館、国際染織美術館、雪の美術館)でも、随一残されたのが雪の美術館のみ。
雪の美術館は、建物だけはヨーロッパ的な洋館を模し、うわべだけは高貴なイメージを醸し出してはいますが、美術館としては中途半端な展示内容の張りぼて館の印象が強いです。
それでも、館内で零下の温度が体感できるブースは、単純に雪や寒さを知らないアジアの国からの観光客にとっては、いまだに面白いアトラクションなのかもしれません。
新工芸品として興された、草木染めの毛織物のユーカラ織りも、開館から長らく時を経た現在では、単なる野暮ったい織物にすっかり成り下がってしまい、まるで新鮮味がありません。
そのスタートは順調だったものの、いまでは日本各地に、似たような工芸館が溢れてしまっています。
この丘に最初に建ったユーカラ織り工芸館はともかく、国際染織美術館では、このような地方都市にあって、世界各国の希少な染色資料が見学できて、布好きとしてはその充実した内容がそれなりに気に入っていたのですが、この度閉館を知りとても残念です。
観光のスタイルも、現在では大きくお金を落とすか、一切お金をかけないか、すっかり二極化しているように思えます。

駅裏周辺や、かつての鉄道区、河川敷などをすべて小綺麗な(当たり障りない姿に自然を一切排除してしまった)公園に変える開発を進行中の旭川ですが、どこか老衰した町のイメージが強くなったように思います。


・・・・・と故郷の町に対して少々愚痴ってしまいましたが。

ここでようやく”IFDA”です。
IFDAとは、”INTERNATIONAL FURNITURE DESIGN FAIR ASAHIKAWA”の略称で、「国際家具デザインフェア旭川」のこと。

1990年、新しい生活文化の提案と発信を目的に始まった、3年おきの家具展も、30年の時がたち本年で10回展を迎えました。
メイン事業のデザインコンペティションには、合計で世界の75カ国・地域から8,841点の応募があり、製品化された作品は50点に及びます。
家具・クラフトの技術革新を進めると同時に、旭川地域にデザイン意識や国際的な視点、幅広い人脈を育んできました。

会場は旧家具センターをこの度、 「旭川デザインセンター」としてリニューアルオープン。
6/21-6/25の5日間のさまざまな関連イヴェントのなか、最終の2日間は一般開放デーということで、どうにか最終日の見学が果たせました。
さすがに国際イヴェントとして人出も多く、ショールーム・コーナーもあるため、結構な活気です。
このフェア、随分昔に初期の頃に一度観たことがありましたが、そのときはまだ市のアリーナで開催されており、白昼のようなフラットな照明に晒されて、会場も広すぎでなんだか田舎の大らかな物産展のような雰囲気でしたが。
こういったスポット効果も演出できる会場で展示されると、同じ家具を見ても印象ががらりと変わりぐっと高級に見えます。

左 ; デザインコンペティション入賞入選作品。
右上; 入口はシンプルなデザイン、ガルバリウム鋼板に白文字のファサード。
右下; IFDA30年の軌跡展。過去のデーターと入賞作品が並んでいる。



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 ● 「国際家具デザインフェア旭川」

<左上より>
審査員プロフィール、8名の審査員のうち半数が外国人(シンガポール、デンマーク、スウェーデン、ドイツ)。
第1回展(1990)の受賞作品。
新しい生命への贈り物 「君の椅子」プロジェクトは、旭川市の子供の椅子の公募展。
前回9回展(2014)の審査の様子。
過去のコンペティション入賞者によって新たにリプロ製作された椅子(2点)。
20代30代の若手のユニットによるメーカーが誕生。
著名なデザイナーとコラボして作品をプロデュースするメーカーも増えている。
会場に併設された日本茶カフェUSAGIYAでは、会期中にボトルラリーを開催。



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 ● 「国際家具デザインフェア旭川」 各メーカーのショールームより。



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● 「国際家具デザインフェア旭川」 D君の解説を受け。

クラフト展と同様に今回もD君の細かな解説付きで家具を見る。
その場で思ったことを彼に訊きながら実物に接すると、IFDAのあらましや、審査基準の変遷、受賞作品の傾向などの裏話しも多く、作品として見るのか家具として見るのか、その視点によって同じ家具であってもまるで別物に見えてくるから、まったくもって不思議です。
メーカーの得意とする製品や傾向など、その総てに通じていて、その知識の豊かさはさすがプロダクトデザインを学んできたD君と感心する。
自分の場合は、美術館で作品を見るように、感覚的にそのフォルムとしての美しさと愛着性を家具に求めてしまうので、技術・生産性・価格などの要素も考慮して総合的に家具をみる彼の見方が、とても新鮮でした。
椅子などもその見かけの良さだけでなく、どのように座るのかどれぐらい座るのか、その状況によって発揮される椅子の機能が異なるといいます。


写真の2件も、彼の説明から”なるほど”と感心したもの。

上; JBLの大きなスピーカーの上にぽつんと置かれていたのが、(株)ササキ工芸のこのサウンドシステム。
音響学的にも緻密な計算と設計がなされ部材が正確に加工されている、ただの木の箱とはあなどるなかれ、スマホの音楽も高級オーディオで聴くように増幅されるから驚きです。
サウンド・ボックスのその技術は現在世界のトップクラスといわれている。

下; 工房ぶなのスツールは、一見どこにでも見かけるような変哲のないデザインですが、実は脚部分の細材の固定に凄い技術が隠されている。
精査した部材をMAXまで切詰めることにより、椅子全体が軽やかなイメージを醸しだす。
スツールは、片手で簡単に持ち上げることができ、実際のその軽さに驚かされる。
よく見ると、椅子全体に微妙なテーパーがかかり、座面裏に手がかり用の窪みが彫られている点など、ちょっとした仕様にも共感がもてるなかなか凝ったデザインです。


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 ● 「国際家具デザインフェア旭川」より「木と暮らしの工房」

D君の小さな工房は東川にあり、その大家が「木と暮らしの工房」で、ここの敷地内に間借りしているかたちで隣接している。
彼の工房にはトイレがないため、大家であるここのバイオトイレをその都度借りている。
昨年ここのトイレを借りた際は、丁度むかしの衣裳箪笥の修理中で、表面をペーパーがけして塗装を落としている最中でした。

「木と暮らしの工房」は「なおすこと、つくること」がテーマ。
家具の再製を手がけて15年、その数500件以上といいますから、凄いものです。
モダンな家具で溢れている会場にあって、ひときわ目を惹いたのが、新作品とともにここのブースになにげなく置いてあったライティング・ビュローです。
むかしの特注品とおもわれる美しいデザインのライティング・ビュローを再製したもので、その修理の写真も併せて展示しています。

愛着を持って長く使い続けることに豊かさを感じる、そのためのお手伝いをする。
今年はお客様が使わなくなった家具を引き取って修理し、他の人の思いと一緒に引き継ぐプロジェクトを進行中という、
この工房の姿勢を高く評価したく思います。


D君と一緒にこのフェアーを観れてとても充実した一時を過ごせました。
自分一人で来ていたら、簡単なながら見で終わり、多分今回の3分の1ほどの滞在時間だったのではないかと思います。
くらしのなかの家具のありかたは、その時代、その空間、その暮らし、そして個人によって各々異なることでしょうが、家具は大切に使えば一生ものの道具であり、家財道具のなかでも特異性が高いものといえます。
その用途や機能の面を賄うだけならば、どんなものでも事足りますが、住空間に鎮座して主張し、家具はけっしてそれだけでは単純に済まされない側面をもっています。
「国際家具デザインフェア旭川」では、国際フェアということもあってか、やはり家具のモダンさを主張した製品が多かったように思います。
デザイン性を高め未来を見据えるその方針は、産業界にとって健全な姿勢ではありますが、留まることを識るような、そんな長らく飽きずに使え愛着がもてる家具が自分にとっては理想的なのだと、今回多くの家具を見ながら感じました。
スタイリッシュなデザインの製品が、どれだけ暮らしのなかに受容できるのか。
残念ながら今回フェアで見た家具は、お洒落で優れた家具とは感じるものの、実際に自分の生活空間に取り入れてみたくなるほどのものが、ほとんどありませんでした。
家具を見ることの接点も、これまでは北欧の名作椅子や近代デザインの秀作品、民具や民藝としてのものと、鑑賞的にも偏っていましたが、このようなフェアで現在の家具の状況を見比べてみることも、とても面白いと感じました。
同時に、時代の推移と共にその暮らしぶりも変化し、家具に要求される点も大きく変わり、より多面的になってるのだなぁと感じさせられました。
このフェアで多くの家具に触れ、改めて自分なりに家具を見直すことができてよかったです。




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 ● 「旭川市博物館」

墓参で神居の墓地へ行った帰り道、博物館を見てきました。
平日にもかかわらずスーツ姿の凄い人出で、なにかと思ったら付随するホール会場で放射線学会なる大会が開催されていました。
博物館のほうは、依然まったく変わっていない展示内容ですが、かって知ったる同じものを見ても、その時々で興味の持ちかたが微妙に変わるのが面白いです。
ここでの興味の対象がアイヌ・考古・民具が中心で、どうしても地質・自然などを簡単に流してしまう傾向にありますが、今回は自然展示でフキバッタに目が留まりました。
フキバッタは、皮膚に独特の艶がある退化した翅をもつバッタで、ケースに納められた干からびて変色した昆虫標本を見ながらも、子供のころの虫捕りでつかまえたその感触が蘇りました。
高山帯のみに生息するのが、 ダイセツタカネフキバッタ(Zubovskia koeppeni) で、前翅後翅共に完全退化。
平野部に生息するのが、 サッポロフキバッタ(Podisma sapporensis) で、高山帯では地域によって前翅の長さに変異が見られると解説されています。
ただのフキバッタと思っていましたが、どうやらサッポロフキバッタだったようで、サッポロという地名が学名に載るほどの地域性のある昆虫だったのですね。


<写真;左上より>

開拓使小屋再現展示より、継ぎだらけの上着。
展示室の吹き抜けには、樹木標本がそびえてている。
地下階は円形型の展示構成となっている。
むかしの暮らしの写真より、リヤカー曳きに付きそう子供が愛らしい。
自然展示コーナー。
むかしの家具製造所の写真。
戦時中の民具。
気になったフキバッタ標本。
軍部で用いられていた立派な橇。




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 ● 「旭川市博物館」  先住の民アイヌの歴史と文化 展示より。

博物館の1階の展示室部分は、開拓使の再現小屋以外は、アイヌ資料によって構成されている。
導入口には、チセ(住居)の再現がなされ、大陸や日本などと活発な交易をくり広げ複雑な社会を生みだしてきたアイヌの歴史、多くの民族資料、さらに文化の伝承と創造に取り組む今日の上川アイヌの姿を、各々コーナー展示している。

とくに民族資料展示コーナーでは、ふるい時代に収集されたとおもわれるアイヌ資料や周辺の北方少数民族資料が豊富で、両者の関係性が生活道具の細部にまで影響し合っているようで、見ていてとても面白いです。


<写真;左上より>

天井から下がるスクリーンに印刷されたアイヌの姿はどこか幻想的。
美しい首飾り。
40年ぶりに市内の川を遡上した鮭の標本。
奉酒箸には緻密な模様が施されている。
新工芸として生まれた木彫り熊、初期のものはより素朴なかたちをしている。
骨を象嵌し彫刻した北方少数民族の小刀。
太布で織られたアイヌの衣裳。
助命を乞うてワシの羽をさしだす蝦夷。「聖徳太子絵伝」太子10歳の場面、鎌倉時代後期、愛知県安城市本證寺蔵。
トナカイ皮に刺された北方少数民族の美しい刺繍。
アイヌの住居を再現した展示。
猟で用いる鹿の寄せ笛。
鍛冶のシーン




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 ● 「旭川市博物館」 考古展示より。

今回の帰省では、恵庭の資料館を皮切りに見てきた考古資料では、縄文時代以降、続縄文・擦文、ほかにもオホーツク文化の影響と独自の時代を迎える、北海道で見られる土器類に興味が湧きました。
博物館でのお目当てもこの考古コーナーで、土器をいま一度見直してみることにしました。
展示されている土器の多くは、旭川周辺以外のもので、特に江別市出土の続縄文時代(弥生・古墳時代に相当)の一群は、その独自の彩色や文様パターンの豊富さに興味を惹かれます。
江別出土の土笛は、よくある弥生時代の卵形ではなく、細長く斑模様で覆われていて、この笛での演奏実験の音も楽しめる展示となっていて、そちらも面白いです。
また、展示ケースの右端に並んだ続縄文時代のちいさな土器の一群は、函館、余市、恵庭、江別、旭川、釧路、斜里など道内各地から出土した「ミニチュア土器」といわれるもので、小さいながらもどれもがとても精巧な作りをしています。
アスファルトの樹脂がこびりついたり、煮炊きのあとが残るものもあり、なかには紐を通すためか穴があるものもあります。
ままごと的な遊びにというよりは、なにか特別な用途のために作られたようで、ちいさいながら面白く見応えのある資料です。


<写真;左上より>

展示ケースにずらりと並んだ土器。
土器、縄文時代晩期
土器部分、縄文時代中期
土笛、(江別市出土)
土器、続縄文時代(江別市出土)
ラッコ彫刻(占守島)
捻れたような独特な形態の土器、縄文時代晩期(岩内町出土)



長々と綴った今回も、博物館やギャラリー見学ばっかりで、どこが帰省日誌かと思われますが、次回でこの日誌も最後ですのであと一回だけお付き合い下さいませ。


故郷で開催中の国際フェア、ひさしぶりにこういった催事を見て楽しかったです! (^o^)  



 
  1. 2017/07/17(月) 10:35:28|
  2. 雑 閑
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