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うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

442 おひさ






連休中日、前日の雪はちらつく程度で済み、本日は見事な冬晴れ(2019年2月10日)



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 ● 川辺の遊歩道を歩む

降りてみたのが御嶽駅。
冬本番のこの季節、空気は刺すように冷たい。
多摩川の澄んだ川面を楽しみながら、橋をいくつか越えてみる。



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 ● ばくだんの幡に誘われて

目指すは本年2年目に突入した 『 炭鳥 蔵 IKADA 』

久しぶりにガッツリと炭鳥に食らいつこう。



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 ● 頼んでみたのが写真の筏セット 1350円

自慢のむかし鳥は、これまでのガツンと固い”骨付き鶏モモ”<写真中右の串>のほかに、新たにボリューミーで(アバラ、ムネ、手羽が1本で味わえる)”手羽もと”<写真中左の串>の選択も加わり楽しみが広がった。

”ばくだん”は歯ごたえある広島海苔に包まれて、中には鮭・梅干・煮昆布と3種の具が贅沢な大握り。

味付け煮玉子と、おかわり自由の昆布汁が付いている。

今回も前回同様に骨付き鶏モモにしてみたけれど、いやいやなかなかどうして、友達がオーダーした手羽もとのほうも美味しそうだ。

やはり脂の美味な肉にあわせ、新たにメニューに登場した、山梨の産地契約ワイン(白 400円 右下写真)も追加オーダーしてみる。
葡萄の旨味を感じさせるきりっとすっきりした白が、鶏の美味しさを更に引き立てる。



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 ● 蔵をつかった展示室

戦前に建てられた由緒ある蔵の内部は展示室となっている。
1階部分はこの店IKADAのコンセプトになっている、多摩川の激流を裸一貫命がけで木材を運んだ「筏流しの歴史展示」
そして2階のギャラリーでは「故 烏田賢治とその仲間のイラスト」展が開催されていた。



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 ● 高村ムカタ作品

蔵の階段の壁に飾られた木版画作品「冬至」
店で出している昆布汁<北海道利尻島仙法志浜>の昆布を獲っている漁師の方が、このおおらかな作風の木版画の作者であることは知っていたけれど。
今回蔵の入り口付近に新たに飾られたIKADAの商標作品も、この方の作品だった。
そしてよくよく近づいて見てみると、なんとこれらの素材がまるで卵殻細工のように微細に砕いたウニの殻や、細かく刻んだ昆布根元で仕上げてあるのだからぶったまげる。

高村ムタカ 上から読んでも下から読んでもタカムラムタカと回文となっており。
まさしく変幻自在の柔軟性を合わせ持ったその作風に、しっかり魅せられてしまった。

3月10日~16日に埼玉入間の”d-lab gallery”にて『北方ART利尻島漁師美術家 高村ムカタ展』がある。
後援が東邦フィッシングクラブというのも、どこか漁師さんらしく笑える。



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 ● 氏神さまの里詣で

美味しいご飯でお腹も結構くちくなったところで、散歩を兼ねてのご近所散策。
この地区の氏神を祀るという熊野神社は、杉林のなかにぽつんとある小社ながらも、とてもおごそかで神秘的な佇まいであった。
小祠のなかには蠶影神社もあり、この地もかっては養蚕が盛んであったことを偲ばせる。
参路の途中には、春の到来をかんじさせる福寿草の鮮やかな黄色が美しかった。



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 ● 一献の宴

山辺の陽入りは早い、太陽が山背に隠れてしまうと急激に気温が下がりだす。
営業時間を終えた頃、炉端で一献のもてなしを受ける。
秘蔵のウィスキーを饗され、炭火を見つめながら身体の内部から温められる。
マグロのカマ、エビ、オイルサーディン缶などを炭火で焼いての至福のひととき。
あまりの心地よさに話しもはずみ、ついつい夜まで長居してしまう。




愉しい連休の一日となりました。有り難う!! (^_^)v  




  1. 2019/02/11(月) 18:46:57|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

441 そこピカ





季節は立春を迎えてはみたものの、寒さの本番はいよいよこれから。
この時期はその影響もあってか、電化製品の不具合が際だつ。
長年使っていた冷蔵庫が最期の音をあげて、ついに壊れてしまった。



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 ● お釈迦になった冷蔵庫

この前に使っていた冷蔵庫も留守空けに壊れており、これも急遽リサイクルショップで買ったミニマムサイズの代替え品。
とはいっても、この冷蔵庫も十数年間は、きっちりお役を果たしてくれた。
中古品は保証も効かないが、その分気兼ねがない。
ということで、いわゆる改造として表面に和紙を貼る。
そしてメディウムに鉄錆を混ぜて、リキテックスで聚楽壁風に塗装して、ボロ部屋に家電として浮かないようにアレンジして使っていた。



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 ● この狭いスペースに納まるのは?

廃棄品なれど、この間お役目ご苦労様。
言霊ならぬ物霊を信じる身としては、やはり最後の供養。
綺麗に庫内を拭き清め、表面に貼った現世の衣<和紙に糊貼りなので上手く剥がせます>を取り去ってみる。



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 ● 冷蔵庫を探す

まずは狭いスペースに納まるサイズが優先。
普段はまるで利用しない家電店に足を運んでみての製品研究。
カタログをめくると便利機能満載の饗宴でハッピーライフを謳歌しているが・・・・・。

母が独りで暮らしている実家の2階には、誰が狭い階段を運び上げたのだろうかという呆れるほどデカイ、最新式の冷蔵庫が鎮座している。
中に収まる食品の数々、調味料に保存食、健康食品、チルドルームや野菜室、鮮魚コーナーや冷凍庫にいたるまで、めいいっぱい満載の有り様だ。
これじゃ詰め込み過ぎのうちの押入とまったく同じで、奥にしまった物が容易に取り出せない状態だ。

はたしてお一人様に、カタログにあるような高スペックの冷蔵庫は必要なのだろうか?

以前このブログにも冷蔵庫について述べてみたけれど、そんな意見も参考として、カタログとにらめっこ。

目を付けておいた量販店の実品展示の冷蔵庫は、さらに割安価格でその機能・カラーも魅力的だったけど、いささかこの部屋では大きすぎる。
結局初心に戻り、冷蔵庫として一人暮らし向きのシンプルな機能のものを探してみることに。
突然の物入りで予算も限られているし、ついでにリサイクルショップも参考とする。

コジマにヤマダ電機、ニトリにハードオフと近場の店舗を巡って比較。
大型量販店のメリットは配送設置費込みであったり、引き取り処理のサービスに長がある。
自社製品の冷蔵庫を販売している、ヤマダ電機とニトリでは。
圧倒的にニトリのものがとても使い易そうな仕様だったけど、配送引き取りなどの諸経費が異常に高くついてしまい、その分がバカにならない。

ハードオフでみかけたパナソニックの冷蔵庫(下写真)は、製造年式のわりに美品で機能も価格的にも魅力的だったけど、こちらも配送引き取り費がバカにならない。
店舗置きの車を借りて自分で運ぶとその分費用は浮くけど、いまはほとんどペーパードライバー状態のため、限られた貸出時間の1時間で、ピストン運転で重たい冷蔵庫を運び込み撤去するには、以前やったギックリ腰のリスクも有りそうで危険度も高い。

さて、どうしたものか?!



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 ● まちがい探し

カタログとのにらめっこがすっかり癖になってしまった。
あるメーカーの季節ヴァージョンの表紙には、まるで絵にしたような同じ写真のハッピーライフの母娘と冷蔵庫が写っている。
そして、よく見ると二人のしぐさや表情は寸分違わないのに、着ている服や冷蔵庫の色などが微妙に異なっている。
現在のデザインワークではパソコンの画像ソフトとでどうにでもなるのだと、ヘンなところに妙に感心する。



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 ● ビフォー&アフター

結局行き着いたのが、個人経営の近場のリサイクルショップ。
2点並んでいた冷蔵庫の一方がジャスト条件サイズで可、直冷式で1年落ちの製品ながら一応量販店でも販売されていた製品。
翌朝配送で送料無料、引き取りも基定料金のみでそのまま撤去してもらう。
冷蔵庫の引き取りサービスは市ではやっていないので、専門業者に連絡したり料金納入の確認シールを購入したりの手間もその都度面倒くさいので助かる。
この件が猛暑の夏場だったら、もっと悲惨だったことだろう。

まずは水を得た魚というかんじでぴったり元の鞘に納まったけど、心情的には”そこピカ”状態。
サイズが一回り大きくなったのと、白銀色のピカピカなのでそこだけ妙に浮いてしまい威圧感がある。
またまた悪い病気が始まって、紙を貼ったり塗装をしたりといじってしまいそうだけれど、しばし我慢することにしよう。

容量も若干増えて仕切棚も一つ余分に増したけど、調味料の瓶の高さなど意外に納まりが悪い。
野菜室が余りに小さく使い物にならないなどと、実際使ってみるとカタログのスペックからは想像もできない不具な点も発見する。
随分と静音となり、消費電力もその分減ったけど、こちらのほうは実際にはどんな結果に繁栄されるのだろうか?!

結局、勝手としては前の冷蔵庫とほとんど変わらないかんじかも。



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 ● となりの部屋には昭和家電の冷蔵庫を

ついでながら以前のブログにも紹介したけど、こちらは物入れとして使っている冷蔵庫。

まだまだ冷蔵庫が家電製品として三種の神器だったころの製品、日立製作所の北極星。
そのつくりも鉄板をプレス加工していてずっしりと重い。
モーターなどの機械部分を撤去して再塗装<マスキングをし忘れ白熊エンブレムを消してしまい後悔(;_;)>
となりに見えるアラジンの16ストーヴも同時期頃の製品。
この時代の車や工業製品のデザインやカラーリングなどが結構好きで、当時撮られた映画などに見つけては小躍りしている自分だ。

おまけ写真(下)は、木製冷蔵庫の商標。
当時は家具のように百貨店の自社ブランドも販売されていた。



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 ● 食器をびっしり収めている

製氷庫のカバーなどが、当時のラジオのデザインなどに類している。
プラスチックの色味も素敵だ。



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 ● 平成家電と昭和家電の冷蔵庫

冷蔵庫の風景、似たような配置の感じだけれど、雰囲気的には昭和家電の主張する右写真の状態がベターかな。




いよいよ平成もおしまい、これからは暮らしの中にどんな家電が参入していくのだろうか、ますますついて行けないようで不安である? (^^;) 




  1. 2019/02/07(木) 13:20:51|
  2. 冷蔵庫
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440 大寒





群馬や埼玉の農家での小正月(1月15日)に農作物の豊作を願って作られてきた「ハナ」。
ミズキ、オッカド、ニワトコなどの木をひっかくように削って作るので「カキバナ」 「ケズリバナ」とも呼ばれます。

送られてきたDMの言葉に誘われ、いの一番で会場へ行ってみた。



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 ● 関田徹也 『ハナをめぐる旅』       石神井公園 / kunulpAA

DMにあるような、白木が細かに削られてカールしたハナがずらりと並んで吊がっており壮観である。
展覧会ということで、カミの領域であるお飾りより隔離されてはいるものの、やはりその白やかな眩しさと造形には、どこか神聖な雰囲気を感じずにはおられない。



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 ● 会場を華やかに彩どるハナの数々

群馬県の祖父の家の神棚には毎年一対のハナが飾っておりました。それを作っていた方が高齢になり「もう今年でやめようか」と言っていると聞いたことが、ハナをめぐる旅の始まりでした。
そして各地のハナの作りてを訪ね、ハナのこれまでを学ぶ旅は、やがてハナのこれからを探る旅へと変化していきました。


クルマバナ(左上)、十六バナ(右上・中)・・・・・・、関田さんが通った地域の各種のハナが模されている。

紙漉きが盛んに行われていた秩父のものはコウゾ材(左中)。
紙料となる靱皮繊維を取り去ったあとに残るガラを素材として用いられている。
残ったガラは焚きつけにするぐらいにしか活用されないという。

日本各地にみられる削りかけの樹種の多くは先駆種<大規模な撹乱の後の、競争植生がほとんどない環境下で成立する樹種>であり、いわゆる雑木として木材利用としては役にも立たず軽視されるものも多いという。
また、先駆種の一時的な特徴としては、結実年齢が若い、大量の小さな種子を生産する、種子を広範囲に散布する、耐陰性が低い、成長、とくに初期成長が早い、材の比重が軽い、密生成立する傾向が強い、寿命が短い傾向にあることが挙げられるという。

それでもカミ迎えのお飾りとして、雑木ながらも生を得て、暗い家屋のなかで眩く輝く削りかけは、きっと神聖に感じられたことだろうか。



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 ● 置かれていた報告書のなかにみるハナの数々

関田さんの竹細工のトークの時にも感じたことだが、
関田さんは現存する職人を訪ねての詳細な記録とともに、真摯でひたむきで、実に研究熱心で一切の余念がない。
会場には彼が集めた報告書の類が並べられており、話しの要所要所で頁を開き細かく解説してくれた。

こうして見てみるだけでも、ハナの種類が実に多彩であることがうかがえる。



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 ● 会場ではミズキをつかったハナかきの実演も

「百姓をしているわけじゃない自分が五穀豊穣を願うハナをかいても意味がないのではないか?」 「伝統を守るとか、文化財を保護するという方向でなく、自分が今を生きることとハナをかくことをつなぎ直すことはできないか?」
くり返し浮かんでくる問い、その手がかりをつかむために、あえて東京で展示販売をしてみることにしました。
各地で見たハナとそれから生まれていく光景を石神井のギャラリーに再現すべく準備を進めています。
見に来てくれた方と一緒にハナのこれからを探す、そんな展示にできればと思っています。


本来は年が明け、新年の山の神伺いのときにハナの用材を採集し、小正月に向けて各々がお飾りを作っていたものと言われている。
関田さんが教えを乞うた職人さんは既に80代。
群馬・中之条のハナは密度が非常に高く、向こうが透けて見えない具合で、余所の地域にはみられない見事さであるという。
そして村中の世帯の神棚に祀る一対のハナを、職人がまとめて仕上げ配ったという(300点ほどの量)
関田さんがハナを作り始めてからこの間一年余り。
仕上げた数は150点余り、作業を通じどのようなかき具合が調子がよいか近頃やっと判ってきたという。

ミズキの緑色の表皮をかくと、一瞬薄荷のような清涼感あふれる芳香が匂い立ち、そこから湿っとりと瑞々しい白い地肌があらわれる。
表皮をかいた白木を更に乾燥させ、ハナをかきやすい状態に調整する<ある程度乾燥させるとかいた時のカールが強く密となり美しい>
会場では、節がなく真っ直ぐな1メートル余りある材を、加工しやすいように作業台に当てて調整してやられていたが。
本来はこのような台を用いず、(右中)のような体勢でかいたものという。
腕を真っ直ぐに伸ばし身体全体のバネをつかいそのまま引くような具合でかく。
先は細く手元はそれより若干厚めにする。
刃を押しつけるようなかんじで当てて、順時徐々に回転させ、あるいは揺り戻しながら互いに密になるようにリズミカルにかいていく。
この種類の仕上げには、かき時間だけでも1点につき1時間弱かかるという。
小刀は特別に誂えたものだが、細かな刃の角度の調整などは自分で更に手を加えて仕上げてある。
きちんと整えられている道具立てに、しっかりとした職人としての気心を感じさせられ感心する。

こういったハナの展覧会はギャラリーでも初めてのことで、馴染みのお客さんをはじめ来場する方の各々が感心をもって、この見慣れない不思議な造形を有するハナを求めていく。

翌日には会場にてトークの催しもあったのだが、時間が取れず今回は断念。
それでも気付くと2時間余りも滞廊していて、いろいろ話しを伺えてとても充実した一時だった。
ハナをはじめこの近辺での小正月行事など、資料館で目にする機会があったら、今後はこれまで以上に注目してしまうことと思う。
会期は1月27日(日)まで、多くの方に見て頂きたい素晴らしい展覧会です。



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 ● 清瀬市郷土博物館

久しぶりに知人と待ち合わせての新年飲み。
今回は初めてながら、渋く清瀬の町の食堂を選択する。
清瀬駅で降りたのはいつ以来だろうか。
北口を出ると宅地の合間に畑が広がっている。
農家の産直販売では、よくみるとパクチーが100円で売られており思わず買ってしまった。
時間潰しに10数分歩き郷土博物館に到着。
土曜とあってか家族連れも多く、子ども率が異常に高い。地元密着型で市民の多くに活用されておりなんとも微笑ましい。
民具コーナーでは、むかしの生活道具や農具などとともに、初期のワープロやタイプライター、携帯電話などの家電も一緒に展示されていた。
黒電話のダイヤルを回してみたり、タイプライターのキーをがんがん打ってみたりと、現代の小さな子ども達にとっては未知なる領域なのだろう、人気度も異常に高く笑ってしまった。
そして、いまだにガラケーの身としては、博物館の展示ケースにすっかり鎮座しているガラケー携帯電話をながめちょと微妙な気分となる。
清瀬に伝わる「ひいらぎ伝説」をもとに博物館のマスコットキャラクター”ひいらぎちゃん”が新たに生まれており、売店ではシールやフォルダー、メモパッドなどが販売されていた。
博物館らしく極端なゆるキャラ デザインでないところがせめての救いというところか。
清瀬では都指定無形民俗文化財ともなっている、藁蛇のつくり物を用いる下宿の「ふせぎ」行事がある。
以前博物館ではその行事の大蛇の藁蛇が展示されていたけれど、清瀬市かるたに図示されているだけで今回は見れず残念。



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 ● みゆき食堂      清瀬市

友達がテレビの番組で見たという情報を頼りに、今回の飲み会はこのいかにも地元的な食堂に決定。
北口と異なり南口は商店街が細く続いている。
そんななかで唯一時が止まってしまったような昔ながらの雰囲気を醸し出しているのがこのお店。
昼時の混み具合を避けて3時過ぎに行ってみたけれど、既に満席状態の人気もよう。
隣接する焼き鳥の串も、食堂の席で一緒に注文できるとあってついつい酒が進んでしまう。



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 ● 食堂メニューで酒もすすむ

焼売、焼き串盛り合わせ、コロッケ、長芋天ぷら、軟骨唐揚げ、モツ煮 ・・・・・・・

壁面いっぱいに短冊の嵐、定食はいずれも目を見張るボリュームがあり、一品料理の種類もとても多い。
厨房は数名で回しているのだろうか、注文してから料理が届くまで結構時間が掛かり。
その都度、ビール(中瓶400円)をリレー状態で空けてしまう飲みっぷりのテンションが異常に高い4人組となってしまった。

長芋天ぷらの熱々ほくほく度がたまらなく美味だった。
他にも数品料理を頼み、こんなにビールを空けたのに一人頭2000円を切る安さだった。
店の雰囲気だけでも充分な価値があり、あらためて昔ながらの定食屋飲みの魅力に開眼した。



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 ● 居酒屋 百味       所沢市

3時間ほど清瀬でだらだら過ごし、折角だからと河岸を替えて所沢に流れてみる。
アーケード街のビルの地下にある”百味”は開店50年近くになるという大衆居酒屋である。
テーブル席が延々と続く地下空間のやたら広いこと、奥には酒専門のカウンターがあり、きびきびした動きの店員の注文の取り方にも一切の無駄がない。
満席で一番奥の小上がりに追いやられてしまったものの、注文を待たされることもなく料理も絶妙なタイミングで供される。

瓶ビールの種類も多く、大瓶が450円という安さもポイントが高い。

ドジョウの唐揚、ねぎぬた、チャンジャ、太刀魚刺身、軟骨唐揚 ・・・・・・・・

魚好きのK君を唸らせる刺身の鮮度も申し分なく、チャンジャの辛味はやはりビールよりは焼酎が合うということで、一刻者<赤>(2600円?)を頼むもこちらもいっきに空いてしまった。
ドジョウの唐揚ははじめて食べたけれど、唐揚げにすることによりドジョウのこっくりとした滋味が濃縮され、このドジョウの味は柳川よりは好みかも。
引きつづき4人で健啖飲みして一人頭3000円弱。



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 ● お土産に頂いた小物とマサラ

友達の帰省土産で頂いたのが、長野善光寺名物の七味で有名な八幡屋磯五郎が出した新商品 ”七味・ガラムマサラ”なるもの。
唐辛子、クミン、コリアンダー、黒胡椒、クローブ、シナモン、陳皮がミックスされている。
いつもの定番の七味缶には、インドっぽくガネーシャ(聖天)の鼻に商標の唐辛子が下がっているお洒落なデザイン(裏は善光寺の社紋)。
飲み屋の甘タレの焼き串に振りかけてみたら、どこかインドネシアの焼き串<サテ>っぽい味となって結構美味だった。

フクロウの置物(径60×高さ60ミリ)は瓢箪の表面を繊細に線刻して彩色された美しい品。
こちらは友達が昨年南米旅行したときのペルーのお土産品。
この飲み助の輩のなかでの紅一点、細やかな心遣いに大感謝。


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 ● 部屋にハナを飾ってみる

ボロ家の室内に展覧会で入手したハナを吊げてみると、ふわりと白く部屋の空間がいっきに華やいだ。
本来の用途は小正月期間のみの飾りもので、その後は焚かれ消えてしまう運命にあるが。
今年は年越しの正月飾りもせずに過ごしてしまったこともあり。
また季節柄も大寒ということもあり、小正月の雰囲気にあやかりいましばらく部屋のこの場を定位置として愉しんでみたくおもう。

関田さんの竹細工については、こちらこちらで過去にブログUPしています。




以前から培われている物を現代にどのように向きあっていくか考えさせられた展覧会でした。 (*^_^*) 




  1. 2019/01/21(月) 20:42:10|
  2. 信仰
  3. | コメント:0

439 とうとうたらりたらりら






目玉はやはり、なんといっても金の鯱だぎゃぁ!



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 ● 『ウィーン万国博覧会』展     たばこと塩の博物館

1873(明治6)年に開催されたウィーン万国博覧会は、35か国が参加し、約6か月の会期中726万人が来場した。
この博覧会は、国家として初めて公式に参加した万国博覧会であり、参加準備段階の調査書、出品物の写真帖など、残されている資料群からもその意気込みを感じることができる。



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 ● 喫煙具 和蝋燭

日本からの出品物は、各種工芸品や皮革、和紙、染色、家屋の雛形、人形、生活具、農具、楽器、庭園など多岐に渡る。
大型の陶磁器や金工、欧米の生活様式に合わせた工芸品もあり、日本の技術力や対応力の高さを示すものとして大きな反響をよんだ。

明治期の職人の技術は、職人道具の進歩もあってか漆工品などでは特にその精度の高さと優美な意匠に目を惹く物がたくさん展示されていた。
メアシャム(海泡石)製のパイプなどは、もともと象牙を用いて細かく細工する根付などの高度の技術をもってしてか、工芸品の華といえるような出来映えであった。
繊細な絵付けがなされた会津蝋燭は一部に欠けはあるものの、よくぞここまで綺麗に残っていたと感心させられる。



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 ● 日本館図絵 日本庭園

皇室の16紋八重表菊の掛かる幕の前には名古屋城の金の鯱が鎮座している。
この金の鯱は確か移動最中に大きなトラブルに巻き込まれた話しがあり有名だ。



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 ● 揚弓

今回遊具としては押し絵羽子板が展示されていたが。
よく見たら昔の博覧会古写真には、お座敷芸でする投扇などのほかにも、揚弓らしきものがしっかり写っている。
以前なぞの四角形の太鼓(左下写真)が出てきたときに、なにかと思い調べてみたのが揚弓太鼓だったが、どうやら揚弓太鼓とは別物のようだった。
それを期に、なんとなく気になっていた揚弓文化。
この絵図は『守貞漫稿』のもの、矢立てや太鼓のかたちから、この博覧会で出品されたのは江戸型の揚弓らしく、同じかんじの揚弓が山中貞男『丹下左善 百万両の壷』の映画のなかで、密会の場面として揚弓場で撮られている。



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 ● たばこの常設展示

たばこと塩の博物館は特別展以外にも常設展示が充実していて楽しい。
ただ現代の墨田区に移り、渋谷時代のようになにかの用事のついでに簡単に寄れないのが少し残念。

「今日も元気だたばこがうまい!」宣伝史にも残るような銘コピー。
そして「たばこは町内で買いましょう」といった時代より、現代はたばこ呑みにはなかなか厳しい社会だ。

白人による原住民への侵略を描いたコロンビア映画 「彷徨える河」<シーロ・ゲーラ 2015>にも、写真(下)のような嗅ぎたばこのシーンがあり、どこかドラッグ吸引的な感じでやばく、強烈な雰囲気だけど、これは是非一度試してみたい。
ちなみにムーミンのスナフキンも”スヌッフ:嗅ぎたばこ”の意。
博物館の売店でもドイツ製の嗅ぎたばこが数種販売されている。



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 ● 塩の常設展示と


塩の常設展示導入にはウユニの湖塩の様子が。
下は知人のボリビア土産でもらったウユニの湖塩。
湖畔の雑貨屋で売られていた塩らしい。

塩好きな自分。うちの塩についてはこちら「№250 塩のはなし」で少し述べています。




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 ● 江東区深川江戸資料館

深川江戸博物館へ来たのも、本当に久しぶり。
確か前回のときはこの近辺の同潤会アパートを解体している頃だった。
その後リニューアルされたとは聞いていたが、それも既に9年も前のことだという。
しかもこの博物館が出来たのは、両国にある江戸東京博物館よりもさらに昔という。
室内型のたてもの園としては都内でも一番古いのではないのだろうか。
江戸の町屋を再現した長屋の屋根には、相変わらずマスコットの猫が鎮座している。
大店、商店、職人などの暮らす長屋、船宿、猪牙舟、屋台、火の見櫓などが博物館の空間にコンパクトにまとめられ、なかなか凝っている。
ボランティアの方の歴史的な解説を聞きながら室内の生活道具など見ていると、なるほどと思うことも実に多く、とても勉強になる。

今回はちらしで偶然見かけた木地玩具と独楽の展示を観るのが目的だけども。
丁度伝統芸能航海ということで、新春らしく観世流の「能楽ワークショップ」(下)をやっていた。
こんな感じで能の仕舞に出会うとはおもわなかった。
火の見櫓前に小さなステージを設け<多分能舞台の3分の1ほどの広さ>、地謡もなく当人による独吟ながら、それぞれ異なったタイプの謡曲を4曲披露。
演目は「神歌」(翁)、「嵐山」、「葛城」、「老松」
特に新春能の一番初めに「神歌」を舞うのは知っていたけど、こんな場で初めて観れてとてもラッキーだった。
この翁の発する「とうとうたらりたらりら。たらりあがりらりとう」となどという意味不明な謎めいた文言などが多く混ざり、実に不思議な雰囲気の曲である。
学生時代は芸能史の先生の能楽研究を受講していたので、舞台とは無縁なこんな空間で能を舞うのはとても珍しく思うけど、腹の底から力強く発せられる声色の謡いに久しぶりに能は良いものだなぁと思ってしまった。




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 ● 新春特別展  広井政昭 江戸独楽・木地玩具展     江東区深川江戸資料館

昔一度、あるカメラマンの先生の鞄持ちをしたことがある。
それが縁で、その後先生が蒐集された膨大な郷土玩具資料の整理に携わっていたことがある。
先生は日本の木地玩具の本も出しており。
コレクションにはこの広井さんの、遊び心あふれるユニークな木地玩具もかなりあった。
会場には製作者の広井さん(右下)がいらしており、初対面ながらも少しお話しできてよかった。
今年の新春に小金井のえど東京たてもの園にて曲独楽の実演に出会ったので、曲独楽について若干ながらも訊くことができた。



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 ● 曲独楽

会場には曲独楽も数種類展示されていた。
係りの方に少しながら曲独楽について訊ね、本当は今日は曲独楽の公開日ではなかったが特別に刃渡りを見せていただいた。

ちなみに会場で配布されていたちらしに独楽の歴史など簡単に紹介されていたので以下に記す。

   日本の独楽の歴史
 日本では「独楽」という言葉が初めて見られる文献は『和名類聚抄』(10世紀)と言われます。奈良時代に中国から伝わり、宮中の行事などで回されていました。世界中で独楽は作られましたが、日本ほど数多くの独楽が生まれ、大人から子どもまでに愛されてきた国はありません。
 その光景を目の当たりにしたオールコックは著書『大気の都』の中で、その情景を期しています。オールコックはイギリスの初代駐日公使として安政6年(1859)から3年間、幕末の日本に滞在し、子どものみならず大人まで独楽を楽しむその姿を「日本人は独楽回しばかりである。他のどこの国よりも独楽回しに優れている」と綴っています。また当時の日本の独楽遊びの風景を『守貞漫稿』は、「江戸の子どもたちは鉄銅独楽、上方の子どもたちはバイゴマ(ベエゴマ)」で広く遊ぶとしています。大人たちは酒席で銭ゴマを回しながら流行の一中節を唄ったり、賭博にも使われていました。また郷土玩具としても、各地方に色合いの異なる美しく伝統的な独楽が作られています。

   曲独楽
 曲独楽は奈良時代に渡来した散学の一つとして、宮廷の神仏会や相撲節会の余興として始まったと言われます。江戸時代には曲独楽は見世物として再興しました。
 元禄13年(1700)頃、九州の博多の少年・初太郎の曲独楽が京の四条河原で人気を博し、江戸では元禄15年(1702)初太郎の弟子で陰間(男娼)の美少年・金之助 が「博多一流独楽」の看板を掲げて興行したことがはじまりと言われます。
 この人気に目を付けたのが四代目松井源水です。源水は家伝の薬「反魂丹」を売るために人を呼び込む愛嬌芸として当時は居合抜きをしていましたが、曲独楽を取得し、江戸名物と言われる程の人気を博しました。
 源水は薬を売るための客寄せとしての曲独楽でしたが、見世物師としても曲独楽で成功したのは竹澤藤治です。弘化元年(1844)両国広小路で興行。藤治はその後 梅升と名前を改め、息子・万次郎と共に曲独楽で大評判を呼びました。


独楽の世界は実に興味深い。
日本の玩具の独楽・凧同様に、マレーシアも独楽や凧の種類が実に豊富であり、独特な凧揚げ唄があったり、芸能としての独楽回しをコタバルで見たことがあった。
玩具としての独楽以外にも習俗としても様々な要素を抱擁しているようだ



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 ● レトロな看板建築・集合住宅

久しぶりに歩く下町エリア、よく見ると関東大震災後にさかんに建てられたような集合住宅や看板建築の家屋が発見できる。
現代の建築基準法に即した建物とは異なるスタイルながらも、昔の建物はどうしてこんなに魅力的にお洒落に映るのだろうか。



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 ● 魚三酒場   森下

博物館見学の後は、明るいうちから友達と待ち合わせて、軽く新年飲み。
魚三酒場は一度門前仲町の店には行ったことがあったけど、今回は河岸を替えて森下店に。
やはり人気酒場で、4時の開店前には既に長蛇の列となっているのは門仲店と同じだ。
開店同時に満席となり、各々争うように酒や肴を注文する。
肝っ玉おばちゃんのいた門仲店とは異なり、こちらは若干小体な店舗ながらもお姉さんがマイルドなため注文しやすい。

ビール大瓶×2、清酒×5、生カキ、カンパチ刺身、赤貝刺身、茹白子、アワビ肝付、しめ鯖、天ぷら、スープ、アラ煮、とたらふく飲んで食べて、一人頭3000円ほど。
アワビの肝は本当に絶品でした。
魚三酒場おそるべし!




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 ● ささのや    鶯谷

魚三ですっかり魚三昧はしたものの、やはり焼き鳥もどこか捨てがたい。
ということで鶯谷へと梯子する。
ラブホ街の入口にある”ささのや”は何といってもその安さが魅力な店。
焼き串一本がすべて70円均一で大満足。
1000ベロのコスパは偉大です!




多摩地区からだと少し距離があるけれどまだまだやってみたい下町歩きです! !(^^)!  




  1. 2019/01/14(月) 18:56:28|
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438 タイノジゴクジ






怖いもの見たさ、そしてキッチュなものにはどこか惹かれてしまう悪い癖。
となり町の図書館にあった新着本がこれ。
ネットなどでもマニアの間で、この手のタイの珍スポットが紹介されているのは知っていたけれど。

著者は美術史の領域でタイの地獄寺に魅了され、単なる「地獄テーマパーク」ではないという見解のもと、専門に研究している若き大学院女子。
タイ全土の83にも及ぶ寺院を実際に訪ねて、地獄寺を体系的にまとめた世界初の地獄寺論考。

仏教国タイの現状を踏まえ、現代の人々の抱く地獄像を融合させた、新たな地獄表現。
本書を開くと、そこにはもうたまらない感じの地獄世界が展開されているのだった。



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 ● 『タイの地獄寺』    椋橋彩香   青弓社  2018



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 ● 巨大な餓鬼像、獄卒、異形の亡者たち

カラフルでキッチュなコンクリート像が立ち並ぶタイの地獄寺。
日本では「珍スポット」 「B級スポット」などとして知られ、マニアは熱い視線を注いでいる。



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 ● 裁判を待つ亡者、棘の木に登らされる亡者、地獄の釜で煮られる亡者・・・・・・責め苦の数々

棘の木に登らされているのは邪淫の罪、浮気の罪を犯した男女の亡霊たち。
ああ何と、地獄釜の絵図には、よくみたらドラエモンも混じっていたりもする。



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 ● 煮え湯を飲まされ、火焔に焼かれ、棘ある木に登らされと痛いシーンが続出、しまいには獣頭人にされてしまう者も

ヤーバ(覚醒剤)中毒によるバイク事故を戒める像や
環境破壊の乱伐で、木の精霊に斧でずたずたにされている場面など
現代特有の新たな地獄場面が増えている。



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 ● 審判ではパソコンも使用と、現代社会を映す地獄表現も混在

左上; 棘の木
右上; 大麻を吸う亡者
左下; 閻魔帳がパソコンになっている
右下; ピー(精霊)も地獄世界に登場




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 ● ノーンカーイ周辺の旅のメモ

むかしタイの東北部ノーンカーイ周辺を旅した時に、院内にコンクリート像が林立するキッチュな寺院を訪れた記憶がある。

今回ごそごそと押入の中を探してみたら、その時のメモが見つかった。
季節はタイの水掛祭りの炎暑の最中。
現地で仕入れた情報をもとに、岩盤に先史時代の壁画がかかれた遺跡を観に行った。
かなり辺鄙な場所にあり、バスやソンテウさらにバイクに乗り換えてと結構しんどい移動だった。
日記には遺跡の後で寄った寺院は、「余りのキッチュさで、その反動で惨々だった」と記されている。



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 ● PHRA BAT BUA BOKの先史時代の壁画

周囲に何もない高原の岩盤は、長い期間に浸蝕されて奇岩となった。
よく観ると岩肌には、人物や動物、怪しげな抽象的模様などが描かれていた。



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 ● WAT KHAEK

タイの地獄寺を巡った本書でも、ノーンカーイ県としては唯一この”ワット・ケーク/ブッダパーク(ラオス) ノーンカーイ/ヴィエンチャン 屋内型 立体 製作年代不詳”のデーターが記載されていた。

まだヴィエンチャンとの国境の橋も架かっていない頃のはなしであり、
当然ながらデジカメもなく、リバーサル・フィルムで撮ったものをさらにカーラーコーピーした後にスキャンしたので、とてもぼやけた図像ながら残っていた。
データーではケークは屋内型地獄とあるが、この写真では屋外に象や仏像などの巨大な天界のモニュメントがずらりと並んでいる。
それでもこの写真はワット・ケークで間違いないだろう。
フィルムが貴重だった時代であり情報もまるでない時代で、果たしてこの寺の屋内に本書のような地獄が展開されていたのかどうなのかは不明。
地元では有名な寺院といえども、どこかテーマパークのようで有り難味に欠けた気分を味合った。
しかしながら現在再訪することがあったら、キッチュなものも大歓迎。
写真のほうも旺盛にビシバシ余すことなく撮って、タイの地獄寺は絶対にはずせない被写体となるだろう。
旅は一期一会の水ものながら、年齢にとらわれずに好奇心は常に持っていたいものだ。



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 ● こちらは日本の地獄寺 全興寺地獄堂   大阪府

おまけのこちらは、以前大阪の友達に「バカっ歩ツアー」で連れていってもらった地獄堂。
年代物の閻魔象はあるものの、脱衣婆や鬼など随所に機械仕掛けでキッチュな演出がなされており、とても楽しめる寺だった。



ちなみにこちらは日本の地獄寺などです!


不思議な現象の現代の地獄寺研究応援します (^-^) 




  1. 2019/01/09(水) 18:49:07|
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