うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

419 先端





”NICT”オープンハウスのちらしを手にする。
そういえば小金井のサレジオ通りにある、なにやら国の大きな機関のあれかぁ。
まえまえから少し気になっていたのですね、あの建物。
ということで行ってきました。(2018年6月30日)



B419_01.jpg

● 国立研究開発法人 情報研究機構 ”NICT”     東京都小金井市

近所のバザーに行くように、お気軽にサンダル履きで行ってみたら。
どうやらオープンハウスといえども、一般市民に比べ圧倒的にスーツ姿の業界関係者が多い。
受付で「御名刺を頂戴しております・・・・・・・・・・・」といきなり云われ、場違いな出で立ちで来てしまいすっかりひいてしまう。

なんとも聞き慣れないこの情報研究機構。
その発端は意外に古く、明治29年の逓信省電気試験所の無線電信研究に遡る。
以降、逓信総合研究所(CRT)、通信・放送機構(TAO)が統合され、独立行政法人情報通信研究機構(NICT)が発足(2004年。2015年には国立研究開発法に名称改正)
小金井のNICT本部のほかにも、全国にこの機構の諸施設がある。
耐災害ICT研究センター(宮城)、おおたかどや山標準電波送信所(福島)、鹿島宇宙技術センター(茨城)、イノベーションセンター(東京)、ワイヤレスネットワーク総合研究センター(神奈川)、北陸StarBED技術センター(石川)、ユニバーサルコミュニケーション研究所先進的音声翻訳研究開発推進センター(京都)、脳情報通信融合研究センター(大阪)、未来ICT研究所(兵庫)、はがね山標準電波送信所(佐賀)、沖縄電波技術センター(沖縄)など。
字面よりなんとなく想像できるセンターもあれば、まるでなんのことやらまったく判らないセクションがほとんどながら。
どうやら、通信・放送・ネットワーク・サイバーセキュリティー・知能科学開発などを軸に展開している機構のようだ。



B419_02.jpg

● 日本標準時を決定・維持・供給する日本標準時グループ

見学順路に従い階上に現れたのがこの部屋。
モニターにはデジタルで時刻が刻々と示されている。
NICTには18台の原子時計があり、それぞれの時計がつくりだした時刻を合成して日本標準時がつくられる。
原子時計はセシウムの一定量振動数を1秒に定め、その誤差は数十万年で1秒という精度さ。
しかしながら原子時計(原子時)の1秒と不規則な地球回転による時刻(世界時)の1秒の差が0.9秒を超えないように、うるう秒が実施される。
1958年から2017年までに27回実施され、これにより原子時と世界時の差は37秒となり、平均すると約1.5年に1秒遅くなっている。
NICTでは、日本標準時(JST)を生成する協定世界UTC(NICT)と協定世界時(UTC)との差が±10ナノ秒(1ナノ秒=10億分の1秒)以内を目標として調整管理している。

本部であるこの建物の正面にはどデカなデジタル時計が表示されていて、この通りを通る度につい時刻確認してしまっていたけれど、この時計こそが日本標準時の本元だったのですね。
時刻もほかの度量衡などのように正確に標準化を計らなくてはと、それに向けての複雑な手順を知らずとも妙に納得。
㎏原器をテーマに『1000グラム計り知れないこと』といったコメディー映画があり、先日の国立科学博物館の常設展示に映画と同じようなガラスのケースに入った㎏原器を見つけて妙に嬉しかったけど。
となり町にあるこの機構が日本標準時を供給していたという発見もどこか新鮮で得した気分。



B419_03.jpg

 ● 電波、レーダー、光通信、ドローンなど様々な先端技術が紹介されている。

研究紹介ブースはB全パネルの解説ボードで覆い尽くされている。
最新鋭の技術・機器、内容を読むも専門用語ばかりで一向に頭に入ってこない。
それぞれに専門職の解説員が配置されており、初心者でもとても解りやすく説明下さるのがとても良い。
これらの通信技術などの恩恵は、少なからず誰しもが受けている面も多いはずだけど。
日頃ネットに依存しない生活を信条としている身としては、ただただ現代の技術よりガラパゴス空間に放り投げ出された感を強くかんじてしまう。
原理はまるで解らないながらも、並んでいる普段馴染みのない機械類をみるのが楽しい。



B419_04.jpg

 ● 講演会、企業開発のブースなど。

今回の2日間にわたるオープンハウスでは、研究者講演会、サイエンストーク、学生によるポスターセッション、ラボツアーなどの様々な催しがある。
ラボツアーは事前予約制のため参加できなかったけど、大型望遠鏡を覗いたり、クリンルームに入るコースがあったりと面白そうだった。
スマホ所持が前提となっている現代では、それぞれの解説パネルのQRコードより詳細データーをダウンロードする設定となっているけど。
この時代にしていまだにガラケー所持の身としてはその恩恵とは一切無縁のため、解説を聞く度にどこか肩身が狭くなる一方だ。
それでもNICTのAI・脳情報通信研究群での音声翻訳・対話システム高度化技術が開発したVoiceTraのスマートフォン用多言語音声翻訳アプリ(左中・右中)がとても興味深かった。
この無料アプリは、翻訳出来る言語が31言語(音声入力は17言語)対応という優れもの。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて10カ国語(日、英、中、韓、泰、越、尼、西、仏、緬)を対象に、旅行、医療、防災等の生活分野に対応した音声対応化を目指している。

デモストレーションで係りの方が、端末を手に取り実際に日本語で音声入力してタイ語やネパール語翻訳して下さったけど、想像以上に勝手がよく面白い。

体験もできますよということで、パーテーションで仕切られたコーナーで実践してみる。
まずは片耳に小型のイヤーフォンを装着、この機械が相手方言語の音声を拾い日本語訳してくれるものらしい。
ブースには中国人の若いお姉ちゃんがいて(どことなく嘘くさい民族衣装風の格好)、「ニーハオ」→「コンニチワ」。
中国のお菓子が並んでいて「オヒトツイカガデスカ」と手渡される。
菓子の包みには果物の絵が印刷されておりその名前が中国語で記されていたので。
試しに指で指しながら「これは何ですか」と訊いてみる。
それは「ライチ」、「パイナップル」、「サンザシ」、「イチゴ」と正解。
さらに包みにあった「餅」という文字を指し。
「日本語の餅(モチ)と中国のピン(餅)では字のかたちが同じ餅で一緒だけど、食品の加工方法や素材自体が異なっていると思うのですが、中国では餅はどのようなものなのですか?」と訊いてみる。
日本のモチと異なって中国の餅は小麦粉の練り物の総称だったはず。
他にも菓子包みにいろいろな食品の文字がみられたのでそれぞれの加工法や違いを知りたく訊いてみたけど、どうもちんぷんかんぷんな言葉が返ってくる。
翻訳にはタイムラグがあるため多少まどろっこしい。
さらに畳みかけて質問するも、途中からまるで言葉にならないごったまぜの日本語「■◇☆◎◎☆▲●★……」がイヤーフォンから聞こえてくる。
「ひょっとしてこれって自分が発した日本語が相手が聞いている言葉!?」
お姉ちゃんの表情が次第に険しくなって、憮然として突然菓子包みを破ったかと思うと、中味を出して「ダカラコレガ”モチ”!」と目の前に突き出す。
「うわぁ、怖わぁ~!」
菓子を渡されれば「美味しいですね」というようなシチュエーションを期待した対応なのに、余りにもマニアックな食文化の質問をしたためか、翻訳システムが上手く作動せず完全に決裂。
係員の苦笑のなか、飴玉を1個渡されその場を後にした気まずい瞬間であった。
言葉というのは人それぞれで、ともかく難しいと実感する。

先端技術が満載、ともかく世の中こんなに進歩していたのかとすっかり浦島太郎状態になってしまった、情報通信研究機構のオープンハウスなのだった。

オープンハウスの帰り道、わが町の鈴木遺跡資料館へ寄ってみる。
前を通るたび、プレハブ造りの建物が開いているのかいなにのかいつも疑問におもっていたけれど。
最近開館していると知り、今回が初めての見学となる。



B419_05.jpg

 ● 小平市鈴木遺跡資料館       東京都小平市鈴木町。

資料館のドアは閉じられてはいるものの「開館中」とプレートが掛かっていて恐る恐る開けてみる。
壁面中央に資料を並べた部屋がひとつに、解説員の方と見学者が一人いた。

石神井川の最上流部に位置していたここ鈴木遺跡は、1974年に江戸時代の水車が見つかったことに端をなし、掘り進めていったら旧石器時代の遺物がたくさん出土した。
大型の縄文時代の落とし罠の展示品など別室にしまい込んでいるために、縄文土器1点以外がすべて旧石器時代の遺物のみの展示となっていた。

壁面一面には近年地層剥脱した地層断面が覆っている(右上)
中央にあるごろごろとした石の集まりは、炉跡や焼き石を用い調理した跡で、熱により半割れとなったり黒く焦げたものが混っている。

壁面ケースには時代区分された旧石器時代の石器がずらりと並ぶ。



B419_06.jpg

 ● 目玉は入口脇に展示している文化層(右)

考古展示の時代区分展示ではかならず最初部分に登場するような石器がずらりと並んでいる。
いわゆるナイフ状だったりスクレッパーだったり斧の刃先だったりはするものの、旧石器時代ではまだ鏃(やじり)のような複雑なかたちのものは出てこない。
これまで余所の考古展示でも、この部分はすっかり飛ばしていてまるで興味がなかったので、この展示室も10分でもう見学十分な感じだったけど。
受付の解説員の方の説明がとても面白く、これまで注目すらしてなかった石器の石質の話しなど伺っていたら結局2時間も過ごしてしまった。

これまた地味な剥脱した文化層(人の暮らしの痕跡がある層)ながら、ここでは12枚(多くは2~3枚)も見つかっている。



B419_07.jpg

 ● 解説パネルや石器など

どれもが同じただの石器と一色単に見えるけど、よく見ると用途ごとに形が微妙に異なっており面白い。
石斧、スクレブラ、磨石、ハンマーストーン、礫器、スクレイパー、グレイバー、ナイフ形石器、ポイント、細石刃、石槍などがある。
特にⅨ~Ⅹ層で発見された石器のうち石斧(斧形石器)は、打製のもので打製石斧と呼ばれるが、その中には刃の部分を砥石で磨いて鋭くしたものがあり、これを局部磨製石器と呼ぶ。
それまでは磨製の技術は新石器時代とされていたので、発見当初は世界最古の磨製石器とも呼ばれた(現在では日本だけでこの時期の局部磨製石器は100点以上見つかっている)。

また石器に使われている石材も、チャートなど6種ほど確認できて。
なかでもガラスに似た黒曜石が目を惹く。
当地では黒曜石は産出されないため余所からもたらされたものであるが。
現代では蛍光照射分析による正確な産地同定も可能となり、鈴木遺跡の黒曜石は現代の長野県和田峠や神奈川県箱根、神津島からもたらされたものらしい。
割れ口がガラスのように鋭い黒曜石は勝手がよく一番人気で、遠くから運んでくるだけの価値のあったことが窺える。

ナイフ形石器はその握り部分は両面一緒の形ではなく、その多くは右手持ちに合わせて加工してある。

小さな石片をまるで鋸歯のように周囲に埋め込んで道具を作る細石刃は、道具を軽量化させる技法で、これはロシア方面の技術が承来されたものという。

一見単調に思える石器の世界ではあるが、蓋を開けて子細に観察すれば、質材・加工技術・使用勝手などどんどん拡がる世界に一変してとても面白い。



B419_08.jpg

 ● 北海道は黒曜石王国         北海道埋蔵文化財センターにて

北海道から九州まで幅広く産地を有する黒曜石ながら、とりたて北海道のものはその埋蔵量が群を抜いている。
北海道埋蔵文化財センターの入口には黒曜石の巨大な原石が置かれ(左上)、中庭には北海道各地の黒曜石が地域ごとにディスプレイされて美しい模様を成していた(左中)
また当センターでは、黒曜石の剥離片を加工前の元の形に戻す修復作業もなされており興味深い(下)
実家の本棚にも十勝石(道内での黒曜石の呼称)の原石が飾ってあったから、重そうだけど今度帰省した際にでも持ち帰ろうか。



B419_09.jpg

 ● 壁一面の地層展示(左)、礫群(右下)

展示室半分に及ぶ天井面には細長い色テープで鈴木遺跡が歩んできた日本の時代の長さを示している。
1年1㎜換算で平成はわずかに3㎝という短さ、それに比べて石器時代は全体の3分の2を占める膨大な時間となっている。


今日は情報の最先端ということで 政府研究機関の情報研究機構に触れ、そして時代の発端ということで鈴木遺跡の旧石器時代の石器に触れてみたけれど。
まるでキューブリックの映画『2001年宇宙の旅』のオープニングシーンでの、骨を道具に用いた猿が人類へと繋がっていく流れを見ているような時間軸のはなはだしさながらも。
技術は時代と共に塗り替えられていく点を踏まえ、情報研究機構の最先端の技術も旧石器時代に生きた人にみる石器の技術も、時間軸での先端という面では同質だったのではないかとどこか不思議に感じさせられた一日となりました。



普段はあまり使わない脳の一部が刺激された面白い見学でした。 !(^^)!




  1. 2018/07/02(月) 18:07:52|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

418 看板建築




建造物のオーナメントを見るのが好きです。
丁度開催されていた『看板建築展』を見に久しぶりに江戸東京たてもの園へ行ってみました(2018年6月22日)



B418_01.jpg

 ● 『東京150年記念 看板建築展』       小金井公園 / 江戸東京たてもの園

小金井公園の一角を占める江戸東京たてもの園は、むかしの建物を復元した野外博物館で、江戸時代から昭和の建物が30軒ほど見られる。
茅葺きの民家をはじめ、個人の邸宅、町屋、文化住宅、別荘、商屋、店蔵、銭湯、旅館、写真館、交番、高倉、霊屋など、戦後の昭和のある時代までに見られた様々な建物を、各々の考証に基づき復元保存している。
幅ある時代の様々な建物が一堂にならび、現代にあってちょっとした異空間へとタイムスリップ。
よくある民家園と異なりバリエーションある建物が見られる点も見ていて楽しい。
特に商屋などの町屋を集中的に寄せ集めた東ゾーンの中心には下町通りが設置され、左右に立ち並ぶ商店には独自の装飾豊かな看板建築(6軒)が見られる。
映画『ピストルオペラ』鈴木清順監督作品 でもこの通りをメインにロケしたシーンがあり、現代ものの時代劇として印象的な撮り方をしていた記憶がある。

さて「看板建築」といえば、関東大震災(大正12年)以降の区画整理事業に則した間口が狭く奥行きのある、平坦なその正面を銅板やタイル、モルタルなど仕上げて加飾した、木造の商店建築の一群を指すが。
この「看板建築」という言葉の命名は意外や新しく、1975年の日本建築学会で採られた用語とのこと。
今回の展示の英訳では”Signboard Architecture”と”看板”+”建築”そのものとなっている。

「関東大震災」→「復興建築」→ 木造建築の”顔”部分をモダンに装飾

通りに面するファサード”顔”が、まさに看板的に装飾された張りぼて風ながらも、鋼板やモルタルなどの素材を自由奔放な職人技でもってゴージャスに装飾しており。
これらの看板建築は見ればみるほど時代的にも建設当時はいかにハイカラで斬新であったかと唸らされる。
和の職人技による擬似的な和洋折会様式とでも云うのだろうか、写真で見る限り当時の東京の町のサイズにぴったり納まり町並みを美しく飾っている。

東京で初めて出会った看板建築は、確かに田舎の町でみる同時代のふるい建物には見られない要素がとても多く、ともかく新鮮に感じられた覚えがある。





B418_02.jpg

 ● 展示会場より

会場は5部構成
1.関東大震災 ~焼け野原の東京 
2.バラックの町並み 
3.看板建築の誕生 
4.看板建築の伝播 
5.看板建築の今

建築図面・模型・写真、パネルを中心に一部建造物のオーナメントなどがならんでいる。

関東大震災で焼けた皿 大正12年 (左中); 当時の火災の壮絶さを示すごとく皿の梱包材の敷き藁がそのまま火襷模様となって残された。
村岡精華堂の柱頭飾り(右中); 左官職人による疑似欧風<イオニア式柱頭>オーナメント。
きびやファサード銅板部材 昭和初期 (左下) ; ふるくから日本の社殿にみる飾り金具職人の技術が、そのまま銅板職人の技に応用されてか、精緻な欧風打ち出し模様が美しい
おもちゃやのトレードマークだったダルマ 昭和 (右下); 蔵の鏝絵を思わせる漆喰仕上げ。玩具店がまだまだ子ども達の夢を繋いでいた時代だったのか、ダルマのどこかとぼけた表情が愛らしい。



B418_03.jpg

 ● 関東大震災の記録映像

会場にはVTRとして関東大震災の無声記録映像が2本上映されていた。
「関東大震災記録映像 震災後之日本」 大正13年
「関東大震災記録映像 復興の東京」 昭和初期


特に『復興の東京』は11分とじっくり注視してみるには若干長い無声映像ながら。
それぞれの章題 「最近の東京 それはバラックの都である飛行機上より見れそれはトタンの巷である」などのテロップにある通り、画像から読み取れる情報量が半端でなく、震災数年後にしてまだまだ困難な復興期を撮ったもので、その震災の規模の悲惨さには畏れ入る状況で、近年の311のケースと共にとてもインパクトがあり考えさせられる映像であった。

カメラのカットで切り取られた一枚物の記録写真とは異なり、やはりこのような動画により改めて震災の大きさの規模も一目瞭然に触れることができて、今回の看板建築展の導入部分ではあったが、その希少ゆえ一番印象に残ったコーナーだった。



B418_04.jpg

 ● 関東大震災の関連展示     東京都復興記念館

こちらは東京慰霊堂と同じ公園内にある復興記念館の展示より(2013年撮影)
いわば負の遺産とされるこのような無効力な大災害ながら、当時を正確に記録保存している点で、とても歴史的価値のある一度は観ておきたい資料館である。
関東大震災の被災写真・遺物、復興期の活動記録の資料が所狭しと展示されている。
また世界各国からの救援の状況・資料も展示されており興味深い。



B418_05.jpg

 ● 震災後のバラック建築

被災後に応急的な措置として焼け跡に仮設させられた、いわゆる「バラック建築」
「考現学」の創始者としても知られる今和次郎(こんわじろう)は、これらをスケッチに残し、数人の仲間と共に「バラック装飾社」を立ち上げバラックを美しくする活動を興こす。
今和次郎の描く細部の隅々まで子細に記録した素描が興味深い。
一方大通り沿いの繁華街では建築家のデザインにより意匠を凝らした仮設店舗が出現する。
このようなバラックをめぐる様々な動きが、看板建築の誕生に大きな影響を与えていく。



B418_06.jpg

 ● たてもの園の看板建築

たてもの園には6軒の看板建築がみられる。

上段; 「武居三省堂」(文具店) 昭和2年 : 前面がタイル貼りとなっており屋根の形に特長がある。一階の店舗部分の壁面を覆う戸棚や抽斗も見事。

中段; 「花市生花店」 昭和2年 : 前面が花屋らしくデザインされている。和の切り花を主体にしていた昭和30年の店内を再現。

左下; 「植村邸」 昭和2年(手前) : 外見は全体に洋風にまとめるも2階部分は和風のつくり。最上階は屋根裏に見せるギャンブレル屋根(腰折れ屋根)。戸袋、雨戸、刎高欄など鋼で包む被覆建築。

左下; 「大和屋本店」(乾物屋) 昭和2年(奥) : 木造3階建て。3階の軒下を伝統的な<出桁造り>とする。間口に対して背が高い看板のようなプロポーション。

右下; 「村上精花堂」 (小間物屋) 昭和3年 : 正面は人造石洗い出しで、イオニア式柱を持つモダンな造り。

左上; 「丸二商店」 (荒物屋) 昭和初期 (奥) : 小さい銅板片を巧みに組み合わせ模様を作り正面を飾る。昭和10年代の様子を再現。



B418_07.jpg

 ● 解説パネルなど

左; 普段は建物の一階の店舗部分しか覗けないこれらの看板建築を、各々建築模型やパネル解説でもって細かに解明されている。
幾度も訪れているたてもの園ながら、この企画展で看板建築の各々の建物の要素をおさらいしたあと、実際に園内の看板建築をボランティアの方のお話しなど訊きながら見直してみると、そのディテールを鮮明に確認できてとても解りやすかった。

右; 誕生より90年ほど経つ看板建築は、近年では風雨による劣化が目立ってきた。
平成28年度に「丸二商店修繕工事」がなされ、傷んだ木材を根継ぎ・矧継ぎしたり、鋼板の穴埋め処置がなされた。
今回の工事では、「ガリバリウム鋼板」という亜鉛合金メッキ鋼板を用い屋根を葺き直した。



B418_08.jpg

 ● 看板建築の推移


震災後に進められた帝都復興事業は、1930年(昭和5)に完成を見る。
震災から6年半、街中に鉄筋コンクリート造の建物が次々に建てられ、東京は震災前の江戸の風情を残した街並みから近代な街並みへと一変する。
その中に建物の表面を真っ平らにし鋼板やタイルなどを張りつめた木造の商店建築が多数建てられた。

上段; 絵葉書 看板建築の町並み(神田小川町より神保町方面) 拡大してみると大通りに面して装飾豊かな看板建築のファサードが確認できる。

中段; 玩具店(解体前はもんじゃ店)のトレードマークだったダルマ 中央区月島
2017年に地域一帯の再開発に伴い解体され漆喰のダルマ部分が館蔵資料となる。

下段; 神田須田町二丁目の街並みの変化   1994年(平成6)頃 → 2017年(平成29)
まだ秋葉原に青果市場があったバブル前の時代には、神田界隈にもこのような古い店舗がところどころ見られた覚えがある。
本展では、この写真に残る煉瓦ファサードの「海老原商店」のファサードデザイン画や新店舗設計図などの資料が紹介されている。



B418_09.jpg

 ● 町中に残る看板建築

こちらは自分で撮ったものながら、近郊の看板建築風な建物。
台東区(左上)、田無(左中)、飯能(左下)、川越(右3点)
いずれも小さな二階家ながら、モルタルや銅板装飾など細部は結構凝っている。
きっと建造当時はとてもハイカラで目を惹いた建物だったと思う。
窓をサッシに替えたり、エアコンを設置したりと細かな修繕を重ねながらも、平成のこの時代まで実際に使われてきた様子は、たてもの園にある整備された復元看板建築とはまた異なり、時代・人・暮らしと現状までの変化の推移を感じさせとても興味深い。



B418_10.jpg

 ● ミュージアムショップ      江戸東京たてもの園

ミュージアムショップで目を惹くのはやはり季節柄か、夏らしいデザインの手拭いやガラスの器。
ガラスの焼酎コップやトタンの米櫃など、その仕上げ具合を家で使っているむかしのものとつい比較してしまう。
ついひと頃前までは当たり前に町の荒物屋に並んでいたような、トタンやブリキ、アルミなどの雑貨も、この売店でディスプレイされるとお洒落で斬新に見えるから不思議だ。
両国にある本館の江戸東京博物園の売店でも、書籍やオリジナルの商品のほかにも、ここと同じように”ちょっと昔”をキーワードに荒物屋にあったカゴ、箒、バケツ、食器などの日常雑貨とおもちゃや駄菓子などを並べたコーナーが一画を占めており人気を握くしていた。
たてもの園で懐かしい昔に触れて、昔使われていたものを改めて現代の暮らしで日常使いしてみるのもよさそうだ。



B418_11.jpg

 ● 看板建築その魅力的なディテール

日本の左官技術を駆使して腕試し、モルタルによるギリシァ・ローマの柱頭を模した装飾仕上げ。
矢羽根、亀甲、青海波などのタイル目、メダイヨン、デンティル(歯飾り)、ペディメント(櫛型)などの打ち出し模様で様々に加飾し建物のファサードを飾る鋼板仕上げが、時が生みだす緑青の錆びた表情と相益してなんとも美しい。
看板建築の細部には当時の諸々の職人の独自の技が集約されており、見ていて飽きることがない。

お茶を持参で看板建築に触れ、たてもの園でのどかな時間を過ごす一時となりました。




江戸東京たてもの園の『看板建築展』 会期は残すところあとわずか7月8日(日)までです!!  (^^) 



 
  1. 2018/06/27(水) 18:23:52|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

417 人体のかたち





気になっていた展覧会を観に、久しぶりに科博へ (2018年6月13日)
そろそろ会期も終わりに近づいて、平日の昼前だというのにチケット売り場は長蛇の列で20分待ちという混雑さ。
家族連れ、アベック、老いも若きもと幅広く、あきらかにお隣の東博にみる客層と異なっています。
なんていうのかなぁ、むかし見た『人体の不思議・プラスティネーション』(樹脂充填標本)展と同じような、見世物見物に集う人たちといったお気軽な雰囲気です。
察して知るべく、会場内の混雑さはまさにトコロテン押し式の有り様。
狭い順路の中、なんだか自分が食べものとなって消化器官のなかをゆっくりと移動していくような気分です。



B417_01.jpg

 ● 『人体』展ちらし(国立科学博物館)と、『解剖手稿A』本(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

展示されている博物史的なむかしの医学標本は自分の好みのツボをしっかり捉えていますが。
ともかく解説パネル、VTR、構造模型など最新鋭の学術情報のてんこ盛りのこの展示。
知識を得るのに骨が折れるというのか、その情報量の多大さにアップアップ、細かな資料も多く一見的にはなかなか手強い展示です。



B417_02.jpg

 ● 『人体』展会場の様子

体内の臓器の役割や、骨の部位のなど広く人体を一通り学べるという構成です。
圧倒的に解説模型が多いながらも、なかにはダ・ヴィンチの解剖図も数葉きており。
その紙面の小ささと描かれた人体の詳細さに驚異を覚えるものの、一人見の長居は問答無用の状況なのが特に残念でした。

会場出口にあるお決まりのグッズ販売を見るのも結構楽しい。
購買意欲を掻き立てるゆるいグッズの数々にわけもなく見入ってしまった。



B417_03.jpg

 ● レーウェンフックの顕微鏡と、現代の最新鋭の顕微鏡画像

科博の常設展には、時計などの一群のほか顕微鏡も数多く展示されており。
そのなかには顕微鏡の元祖でもあるレーウェンフックの顕微鏡がありますが、そちらはレプリカ。
今回はオリジナルが出展されていましたが、安全剃刀の刃ほどの大きさのため多くの方が気付く間もなく素通りしていきます。
確かにガラス越しにはあまりに小さすぎてよく見えないのがとても残念でした。
それでも魚の鰭の観察記録など、この顕微鏡で見た画像と、現在の最新鋭の顕微鏡を使った画像など、両者を比較するVTRなどもあり。
レーウェンフックはよくもこんな小さな豆粒大のレンズを通して、生きものの微細な世界を観察し記録していったその凄さに驚かされます。



B417_04.jpg

 ● 最新顕微鏡画像

展示室との連絡通路にずらりと並べられていた、マウスの内部組織の顕微鏡写真(着彩はイメージらしい)がとても美しかった。
そこには生きものの体内が、あたかも一つの宇宙ともいうべき独自の世界が広がっています。
今回の展示では母体内の胎児の生育状況の模型も展示されていましたが。
以前このブログで載せた、受精から出生までの写真集も、まさにこのマウスの組織写真と同じく美しく、ついこれを見ながらその写真集を連想してしまった。



B417_05.jpg

 ● 『人体』展ちらしより

アンドレアス・ヴェサリウス 『ファブリカ』1543年 (左上、下中)
心臓の比較 (右上)
脳の神経線維模型 (1893-1910年 左下)
女性の頭部、胴体の解剖模型 (1850-1900年 右下)


古風な標本模型が圧倒的に好きなのですが。
今回感動したのが、日本人の科学者がつきとめた最新鋭のネコのゴルジ体解析の解説図です。
微細な組織を拡大して記録したこの図は、会場で額装展示されており、その繊細な組織情報図はあたかも現代美術の抽象作品をみるような美しさでとても惹かれました。
生物が内包しているミクロコスモスに感動させられます。

臓器などの液漬け標本は展示用にか、すべてボックス型のケースに移し替えられており。
見やすくなるよう工夫する、そんな細やかな配慮にも好感がもてます。



B417_06.jpg

 ● 『解剖手稿』より 消化管と腎臓、尿管部分(左) 頭部断面、脳と眼の結びつき部分(右)

本展に出品されていた ダ・ヴィンチの「解剖手稿」数葉のうちの一葉。
人体の内部組織を克明に描いている。
ルネサンス時代の万能人の力量に打ちのめされる。
大判のスケッチブックサイズと思いきゃ、用紙サイズはハガキ2枚ほどの大きさと、想像していたものよりはるかに小さい。
さらに蟻のように微小な、ダ・ヴィンチ特有の鏡文字で記述されており、ルーペ持参でないと細部が見えないような細やかさ。
個人的にはこの展覧会では一番興味深い展示物であったけど、観察の滞留時間は押せ押せだったため長居できなかったのが残念。
メモ帳を手に些細な書込をしていた若い女性は、たぶん解剖学方面の研究者なんだろうなぁ。



B417_07.jpg

 ● レオナルド・ダ・ヴィンチの「解剖手稿A」  マーティン・クレイトン、ロン・フィロ     グラフィック社 2018

本展に併せてというよりは偶然ながら図書館で借りていたダ・ヴィンチの解剖本<「解剖手稿A」1510年>
ポンペオ・レオーニの装丁、ミラノ装 1590-1600年頃(左上)
図にみられるダ・ヴィンチの記述が、図に合わせたままの位置で日本語訳されている。
骨や筋肉など克明な画と、些細な考察は、彼と同時代の解剖図譜のなかでも群を抜いているのではないかと思う。
美術的な素描としてもとても美しい。



B417_08.jpg

 ● 日本各地の頭骨(上) エナメル質減形成が認められる江戸時代人男性頭骨

こちらは科博の平常展示。
これまではまるで素通りだったけど、本展を観たあとではこういった頭骨だけずらりと並んでいるだけでも、それぞれの微細な違いをつい観察してしまうので面白い。

エナメル質減形成が認められる江戸時代人男性頭骨(下)では、成長期に病気などのストレスにより歯が線状や小窩状の欠損を示し、骨の状態から推測される健康状態などとても興味深い。



B417_09.jpg

 ● 港川1号人骨の復元人体(上左、上右)、白保4号人骨(2万7千年前、左下)と頭骨の再現頭部(右中、右下)

こちらは日本館で開催されていた沖縄の石器時代展示より。
今回の特別展の人体展でも近年DNAのヒトの「ゲノム」情報が完全解明されたながれで、北海道の礼文島から出土した3800年前の縄文人の頭骨より顔相を再現して展示されていたけれど。
そこにはゲノム情報によりこの主の頭髪が縮れていた、顔部にシミが多かったなど、そんなに子細な点まで個々の情報が解明されていて驚かされる。
さらに近年の復元技術はめざましく、従来と異なり3Dプリンターなどを用い欠損部位も的確に再現され、顔相などの再現もどんどん変化している。
写真右上の港川人の顔相も、わずか十数年ほどの期間でこれだけ違った再現となっている。



B417_10.jpg

 ● バンビラプトル(上) デスモスチルス(下)

こちらは常設展の恐竜の化石より。
これまでは恐竜といえば蛇やトカゲなど爬虫類に近い仲間と思われがちだったけど、近年になりどうやら恐竜はトリに近い仲間とされるようになった。
バンビラプトルの再現像も手部の腕にはトリのような羽が生えていて面白い。

これまで余所の館でも幾度か目にしたデスモスチルスには、やはり海苔巻き状というか特徴的な円柱状の歯が確認できます。
デスモスチルスは極端に面長でありながら歯の数は減少しており、現在の哺乳類でルイジするものはまったく存在しなく、この標本はホロタイプに指定されている。



B417_11.jpg

 ● ジャイアントパンダの手骨(上)、クビワオオコウモリの手骨(左下)、チンパンジーの手骨(右下)

手骨だけ見比べてみても、ヒトとほかの動物ではいろいろ形も異なっていて面白い。



B417_12.jpg

 ● ヒトの手骨

ダ・ヴィンチの解剖図と並べてみました。
ヒトの手骨が握手しているのはオランウータンの手骨。



B417_13.jpg

 ● 展覧会の後は一杯飲み屋で

科博の後はそのまま知人の展覧会を観に銀座へ。
描かれている作品の人体をしげしげと、内部の骨格がどうなっているのかなぁと気になり見てしまう。
展覧会の後は新橋ガード下で軽く一杯。
出される焼き鳥の部位の役割などを想像し、科博展がしっかり後を引いているのだった。



久しぶりの科学博物館での人体展、とても面白かった。 (*^_^*) 




   
  1. 2018/06/21(木) 20:53:48|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

416 ヤキリブ





B416_01.jpg

 ● 『草・草木を愛でる、育てる』     中野区歴史民俗資料館

大きく綺麗な牡丹が配置された一枚のちらしがこの展示。
普段よりの運動不足、久しぶりに自転車で行ってみました(2018年6月2日)
新青梅街道をひたすら東へ真っ直ぐ、環八環七と越えたところでやっと博物館に到着です。

博物館前には巨大な製粉用石臼が、そして隣には巨大な椎の木(ツブラジイ)がみられる。



B416_02.jpg

 ● 会場の様子

江戸時代には園芸ブームより珍しい形や模様の植物が好まれるようになり、出版があいつぐ。
それにともない花見が大衆にも浸透し、各地で花の名所が賑わうようになる。
本展は、花や草木を「鑑賞する」「育てる」という視点から、どのようなものが好まれたかを近世から近代にかけての絵画や書籍からたどったもの。
8代将軍徳川吉宗が桃を植えてにぎわった中野の桃園など、中野区内の花の名所もあわせて紹介されている。

江戸時代に盛んに品種改良された朝顔や牡丹や菊などの絵図は、その絶妙なかたち・名前の付け方などみていて飽きることがない。
普段はまったく馴染みのない華道の免許状をしげしげとみる。
注射器のような金属製の小さなシリンダー筒が活け花用の水上げポンプであったりと、その方面にはお約束の道具であっても、なるほどと感心。
浮世絵にみる名所図絵の名園に添えてあるむかしの写真(大正時代)との比較も面白い。



B416_03.jpg

 ● 「高橋圀夫」展        中野区江原町 / nohako

S君と会うのも何年ぶりだろう。
博物館後に江古田通りを北に少し進んだとこにあるのがこのギャラリー・ノハコ。
知人のS君が自宅の下をギャラリースペースに設計し、年数回の企画展を開催している。
打ちだしのコンクリートのモダンな建物に倣い、展覧会のDMもグレーのボール紙の一辺を隅切として統一したセンスあるデザイン。
毎回案内は頂いていたけれど、開館4年目にしてこの度やっと伺えることができて感激です。
S君が以前住んでいた飯能の山の中の古民家を改装したギャラリー・マノクロザスも、養蚕農家の蚕室の空間にモダンアートが響き合っていてとても美しかったけれど。
このノハコの無機質な打ちだしコンクリート壁も、美術作品をとても美しく見せ素晴らしい空間です。
本展の作品はとても90近い御齢の方が描かれたとは思えないほど新鮮で作品にパワーが溢れている。
S君の歩んできたトータルセンス溢れる、美術作品と違和感な向き合える素敵な空間となっている。
学生時代以来まるっきり離れていた美術のはなしも久しぶりにS君と出来て嬉しかった。
偶然居合わせて紹介された作家の方は、張子の技法を用い制作している方だった。
話していくと民俗学や郷土玩具について拡がり、その知識も豊富で、美術作品という枠にとらわれずひとが生みだす造形について改めて考えさせられ、とても面白かった。


・・・・・・とここまではよかったのですが、
「ああ米櫃だ!」 目聡くゴミセンサーが駆動して、
その帰りがけにゴミに出されていた金属の箱につい目がいってしまう。
うちの部屋の中はもうてんてこまいと認めつつも、やはり「もったいない」が最優先。
今回は自転車で来たのが幸いか!? 欲に勝てずしっかりこの箱を荷台に縛り付け、中野より持ち帰る。
大きさはミカン箱ほどもあるから、なんだかその自転車姿はすっかり行商風情で、新青梅か移動を走っているとかなり怪しい感じです。
どうにか道中無難に職質にも合わずミッション完了。



B416_04.jpg

 ● 米櫃   280×400×高さ245ミリ

これが件の拾った米櫃。
ラベルには「二十二キロ」、「若葉板金工業有限會社」
この箱のなかには不燃物として陶器などがぎっしり詰め込まれていたけれど、同時に米粒もパラパラと少し確認できたから、つい最近まで実際に米櫃として使われていたのかも。
家ではコメは5キロ袋買いだから、さすがに一斗のこの缶では米櫃として大きすぎるし台所下にも収納の余地はない。


ところで今回のブログの題名の”ヤキリブ”とは、以前なにかのエッセイに載っていた嘘のようなはなしをもじったもの。

「ねぇヤキリブってなんのこと?」
逆さから読んでごらん
「ブリキヤ って・・・・・??」

昔は看板などの横文字を右読み表記していたことを既に知らない世代。
茶筒や缶詰はブリキ缶なのに、”ブリキ屋”といわれてもそんな職業があること自体が認識されておらずという二度落ちのはなし。
いわゆる板物を加工する町場の板金屋なのでしょうが。

幼少の頃には、近所にはまだこのような板金屋が健在で。
窓越しになかを覗くと、トタンの板がみるみる立体に蝋付され仕上げていく職人技にすっかり魅せられたものです。


 ブリキ; 鉄板を錫メッキ blik(オランダ語)
 トタン; 鉄板を亜鉛メッキ tutanaga(ポルトガル語)

両者のメッキ素材が異なることは、基礎知識としてもちろん認識済みですが。
ニュアンス的にはトタン屋根はトタンなのに、トタンのバケツはブリキのバケツといってしまうようなかんじでしょうか。
自分の場合もひとのことはいえず、ブリキ・トタンの区別が微妙につかないところです。

今回は偶然にもトタン製の米櫃が収穫ができましたので、
以下、うちのガラクタ・トタンもの(として)を紹介しますね!



B416_05.jpg

 ● 箱     340×770×高さ255ミリ

押入の天袋に二段重ねて丁度の大きさの箱。
家ではこの箱を二段重ねとし、衣裳ケースとして使っている。
蝶番蓋で鍵つきの変形細長サイズは、受験の答案用紙保管箱だったため。



B416_06.jpg

 ● 箱の中から出てきた写真

箱の撮影のため衣裳を出してみたら底からスケッチブックが現れた。
おまけながらこれも載せてみますね。
開けてみたら、学生時代に彫刻を意識して造った焼物の写真だった。



B416_07.jpg

 ● コークスバケツ    435×320×高さ230ミリ

こちらも学生時代、池袋のハビタのインテリアで求めたもの。
当時は白いペンキで塗装(底の部分に若干当時のペンキが残る、右下)され”KOKUS”のステンシル文字が書かれていた。
あの頃のインテリアの流行は、なににでも横文字を書くとお洒落といった感じで、現在思うととてもはすかしいけれど。
長年の風雨ですっかり変質してペンキが剥がれ、素地がいい味に錆れてきた。
持ち手部分の木筒が欠損してしまったのが少々残念。



B416_08.jpg

 ● バケツ   径295×高さ207ミリ

質実剛健を旨としたバケツながら、ブログ(バケツ)で紹介してからまた結構古びてきた。

ちなみにラベルには

かめ印丸揚バケツの特徴

一、厳重な調査に合格した材料で使う身になって造られています
一、新案釣手の使用により、はずれたり衣類を破ったりしません
一、亜鉛を厚くつけてありますから錆びません
一、継目や底の補強輪が半ダ止めでないからこわれません
一、他品の数倍水持ちしてお徳です
一、水質の悪い地方には特に好適
一、三年間保証の愛用カード付

かめ印丸揚バケツ 朝顔型1号、丈夫なバケツ 商工大臣賞、株式会社 東京生活金物製作所。
容量;8立 口径;295粍、底経;175粍、深サ;185粍





B416_09.jpg

 ● 塵取      幅275×245×高さ50ミリ

中学校の”技術の工作”(現在の中学校ではこんな授業はあるのかなぁ?)に、トタン板を裁断し折り曲げてリベット止めし、このような塵取を造ったことがある。
長い刃物がついた大型の足踏み裁断機が、おもわず手を切ってしまいそうでとても怖かった覚えがある。
金切り鋏やセンターポンチなどの道具もこのころ初めて手にしたのだった。
この塵取は塵受けとして微妙な凹凸模様が打ち抜かれ、角の処理は蝋付ではなくかしめた仕上げ(右上)となっている。
このような質朴な塵取が、現在は荒物屋でもなかなか見つからず、これは骨董市での出物で500円だった。

家での掃除は箒派で箒は数個持ってはいるけれど塵取は気に入ったものを探すのがなかなか難しいアイテムです。



B416_10.jpg

 ● そとに並べて記念撮影、しかしガラクタ以外のなにものにも見えない。



ガラクタブログゆえ、毎回ながら芸術とガラクタが混在してしまい失礼しております。  (-_-;) 



  1. 2018/06/06(水) 22:29:49|
  2. うつわ
  3. | コメント:0

415 てのわ市と






B415_01.jpg

 ● 『てのわ市』    都立武蔵国分寺公園 こもれび広場

”あったらいいな”をみんなでつくる公園プロジェクト 『てのわ市』へ行ってきました。<2018年6月3日(日)>

府中街道より国分寺駅へと抜ける道路の両脇に、大きな公園があるのは知っていましたが。
この都立武蔵国分寺公園は、木々に囲まれてのちょっとした丘陵の杜。
雨天中止のイヴェントながら、丁度天気も梅雨入り前のピーカンの夏日となりました。
今日は骨董市で置いてあったこのチラシを手にしての自転車散策です。



B415_02.jpg

 ● 手作りクラフトなど

第一回目というこの企画、飲食店舗エリア、キッチンカー、店舗エリア、クラフトエリア、ワークショップエリア、野外展時エリア、絵本コーナー、こおくベジ販売、MUSICステージなど区画分類されており、店舗数も90ほどとなかなかの規模でした。
クラフトだけでも全体の半数ほどを占め、手作りもので多く溢れています。
見に来たお客は若い世代の家族連れが多く、ショップのモダンさもあってとても華やいだ催しです。



B415_03.jpg

 ● 欲しいものがいっぱい

「紙博」の案内ハガキが置いてあった紙ものの店”九ポ堂”では、昔懐かしい凸版印刷機を発見(左上)
本日はこの印刷機でハガキ印刷が無料サービスでしたので、試しに一枚ガッチャン、頂いてきました。
店舗販売や、クラフトものなど自分としては普段は覗かないようなジャンルの商品も多く。
現代の若者世代の流行を垣間見たかんじでなかなか面白かった。



B415_04.jpg

 ● ガラス皿    径170×高さ25ミリ

アンティーク関連の出店は”Rain Drops antique”の一軒のみ。
このお店はよく行く骨董市にも出店している、素敵な女性店主の西洋アンティークのお店。これまでにスープ皿、カトラリー、菓子型、組立おもちゃ、計測具のキャリパー、パン種の発酵鉢などを買って部屋で使っています。

本日求めたのがこのガラス皿。
1枚400円という破格の値段だったので、飾ってあった2枚をそのまままとめ買い。
西洋や日本のものでは無いかも知れないまるで不詳の皿ながらも、なかなかよい雰囲気の小皿です。
得体が知れずでこの価格設定でしたが、ひょっとしたら少し時代もあるのかなぁ。
縁が立ち上がった一風変わった形状と大きさ、皿底の中央部には吹き竿の切口痕のような微妙なボッチ跡が確認でき(右下)、手吹き型成形で仕上げたものでしょうか。
水色の微妙なガラスの色調と、これからの夏の季節に活躍してくれそうで決めました。
真夏日に冷菜を盛る器としてピッタリな感じです。
晩酌タイムのアイテムがまたひとつ増えました。



B415_05.jpg

 ● 旧本多家住宅長屋門     東京都国分寺市西元町

国分寺の地名ともなっているように、この辺りはむかし武蔵国分寺の寺院があったところ。
てのわ市を後に、公園の丘陵を下った先にあるその資料館に行ってみました。
旧本多家の敷地内にある資料館、入口には昔ながらの大きな長屋門(江戸時代末)がみられその2階が展示室になっています。
製糸用の上げ枠や、名家で医者でもあったこの家らしく藥棚が展示されており、抽斗内部の生薬が細かく分析されていました。



B415_06.jpg

 ● 武蔵国分寺跡資料館

敷地内には武蔵国分寺の七重の塔の縮尺模型が(左)
武蔵国分寺の再現ジオラマ(右上)
国分寺市の文化財のケースには、縄文土器や板碑が並ぶ(右下)



B415_07.jpg

 ● 武蔵国分寺の瓦展示室

この資料室で圧巻なのが、やはりずらりと並んだ瓦がみられるこの一室でしょうか。
様々な模様があり、また地名や人名、動物図などが線刻されており、それらを詳しく解説しています。
中に入ると先客が一人。
小学生高学年くらいの男の子で、スマホで細かく瓦を撮影しています。
出来た心がけ、マニアかなぁ小学生といえどあなどれません。
瓦の実物を触れるコーナーもあったり(右下)と、断片とはいえ触覚から得れる情報は多大です。
てのわ市はどこへいったのか、既に頭のなかはすっかり瓦モードとなってしまいました。

ということで、以下2点はうちのガラクタの瓦です。



B415_08.jpg

 ● 平瓦    150×245×45ミリ

なんの変哲もないただの平瓦、時代は現代。
既に半分に割れていますが俎板皿よろしく、盛り皿としては土味も幾分あって気に入っています。



B415_09.jpg

 ● 軒先瓦   径140×30ミリ

蓮弁模様のこちらは少し時代も古く新羅のもの。
朽ちた付箋と墨書には「四天王寺」



B415_10.jpg

 ● 真姿の泉

紫陽花の美しい季節を迎えました。
「おたかの道湧水園」のとなりには弁天様を祀った真姿の池と源泉がみられます。
清い泉に網を寄せ、親子連れがザリガニ獲りをしていました。



B415_11.jpg

 ● 居酒屋での映画会    東京都東村山市

国分寺の後は東村山へと移動。
春にKさんと寄った踏切脇のこの居酒屋では、月に2回映画の無料上映会があり今日はそれに参加です。
本日上映が川島雄三の『洲崎パラダイス 赤信号』は好きな日本映画のひとつです。
先日小説の『洲崎パラダイス』のほうも読み、ますます映画に興味を持ったばかり。




B415_12.jpg

 ● 『洲崎パラダイス 赤信号』    川島雄三作品  1956年

時代は赤線禁止法の前夜、同じく同時代に撮られた映画に『赤線地帯』がありますが。
そちらは廓内の描写であり、”パラダイス”のほうはあくまでも橋を渡った先にある廓は一切撮らず橋の手前のぎりぎりの堅気の世界を描写しています。

主人公が世話になっているお酒の店「千草」では、夜になり窓を開けると、橋に掛かった”洲崎パラダイス”のネオンが燦然と輝いています。
弟;「パ・ラ・ダ・イ・ス、パラダイスってなに?」
兄;「天国のことだよ」
弟;「テンゴクってなに?」
兄;「天国は天国だい」
店の子供の会話が微妙な狂言廻しを演じます。

度々写される橋に掛かったパラダイスの5文字が、橋が人間としての一線を超すか超さないかを暗示的に示唆しています。
橋の先なのか手前なのかでしっかりと線引きし、あえて廓内を一切描写しない点が逆に廓自体の存在を象徴的に感じさせて秀逸です。

「住めば天国、出たら地獄」
既に廓自体が消滅してしまった現在、この映画の背景を体感的に知る手立ては東京にはありませんが。
大阪のドヤ地帯では飛田新地の引き手茶屋ように、現代でも往時を彷彿とさせる色街が少なからず残っています。



B415_13.jpg

 ● はじまりと同じ橋の上に再び戻るラストシーン

物語の初めは勝どき橋でしょうか、橋にたたずむ食い詰めた男女の義治(三橋達也)と蔦枝(真珠三千代)。
自棄になり飛び乗ったバスを降りてみたら、そこは蔦枝の古巣の洲崎パラダイスの入口。
百円札を払い煙草を買った残りの60円が全財産。
偶然見かけた「女中募集」の貼り紙、お酒の店「千草」に乗り込んで物語が繰り広げられます。
初めての汚れ役ながら、真珠三千代の蓮っ葉な迫真の演技が女優としての力量を感じさせます。

川島雄三監督によってこの映画と同年撮られた『風船』では、監督おなじみのこの面子が出ているものの、役柄がまったく対極的でそんな比較もこの映画を観る楽しみのひとつです。
随一変わらないのが偶然なのか、芦川いずみの配役が、両映画とも”たまちゃん”と呼ばれているところ。
”パラダイスのたまちゃん”は食堂「だまされや」で働く聡明な娘だけど、”風船のたまちゃん”は世間知らずの幾分頭の弱いお嬢さんであるという点も面白い。

画面の端々で目に付く細かな点が、繰り返し見るたびに観えてきて興味深い。
飲み屋や食堂にみる物価、当時の食器などにみる飲食風景。
泥酔のシーン。
芝居小屋。
人々の服装。
着ている着物の着付けや絵柄、着物を着て下駄履きでの駆けかた。
華々しい秋葉原の電気街と、つましい道路工事人夫との対比。
落ちていたコンドームを風船として遊んでいた子供をたしなめるわずかなカット。
父に買ってもらったチャンバラの刀が、無惨にも川の彼方へ流され消えていくシーン。
そして、橋の手前でどうにか堅気を守り通した二人が、最後にはやはり同じ道をたどり戻っていくというエンディング。
科白として総て語らずとも、男女がとりなす微妙な心理描写が感じられる脚本の上手さ。
などなど・・・・・・・・・。

映画終了後はそのまま居酒屋で一杯できるというのも嬉しい。
店の年配の常連さんに交じり、当時の時代的背景などをいろいろ教えて頂きながら映画の話しをしていくと、ついつい一杯が二杯とお酒も進みいけません。
いつもの悪い癖で、すっかりお酒も過ぎてしまいました。
次回はボトルキープもありかな。
映画会また楽しみにしています。



いろいろ見れた楽しい一日でした!  (*^_^*) 




   
  1. 2018/06/05(火) 00:04:33|
  2. うつわ
  3. | コメント:0
TOPに戻る 次のページ