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うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

428 お肉





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 ● 『 関野吉晴 ワンダースペース 』展     東京都小平市/ 武蔵野美術大学

関野吉晴と云えば、なんといってもぴんとくるのが冒険家のイメージの”グレート・ジャーニー”。
発祥の地アフリカより世界各地へ拡がりをみせた人類。
その人類の足跡を現代に於いて逆打ちで、南米大陸の南端より人力でもって、発祥の地アフリカを目指したこの壮大な旅はあまりにも有名だ。
先日行ってみたこの展覧会、旅の足跡を巡るべく世界各国さまざまな人々のくらしの写真が紹介されていた。

会場のメインの吹き抜けには、インドネシアのスウェラウシ島で、自ら巨大な樹を倒し造船した丸木舟「縄文号」がどーんと鎮座しており。
その見上げるような勇姿には、ただただ圧倒されるばかりだ。
この丸木舟で、GPSなどの現代の機器を一切用いず昔ながらの人力の航海でもって、インドネシアのスェラウシ島から日本の石垣島まで、3年に亘るのべ180日ほどの航海の記録が紹介されていた。
嵐に出会い帆柱が折れてしまうようなハプニングがあったり、荒れ狂う海原にあっては波にもてあそばれる木の葉のごとく漂う状態。
なんといってもその壮大な航海の映像が迫力ものだった。
そしてこの航海を通じ、かつて人類の足跡が多分そうであったように、この黒潮ルートによる人類移動の流れが実証された。

併せて、「縄文号をいちからつくる」 映像もあり。
九十九里の砂浜で砂鉄を集め、鞴で火を熾してタタラ製鉄し、生みだした鉄を更に鋼に鍛え斧や手斧、鑿の道具に仕上げる。
繊維から縄を綯い帆布を織るなど、有志と共に造船技術に必要な周辺要素も検証し実際に仕上げてみる映像が興味深かった。
今回の関連イヴェントでは、「縄文号」出航までの流れを記録した、映画『僕らのカヌーができるまで』の上映会+トークがあり。
この映画は、以前ミニシアターで視てはいたものの、今回改めて気付いた点が非常に多く面白かった。

また、展示されていた400点ほどの写真のなか、食に関わるものも多く。
その中でも、特に食肉として動物を解体しているシーンが印象に残った。



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 ● 『愛と憎しみの豚』 中村安希 集英社 2013 /  『世界屠畜紀行』 内澤旬子 解放出版社 2007

近所の図書館で、”原書房の食の図書館シリーズ『モツの歴史』”を読んでいたら。
書棚の並びにこの2冊を発見、借りてみることに。

『愛と憎しみの豚』のほうは以前文庫版で既読済みながらも、細かな内容はすっかり忘れてしまったが。
宗教上の縛りや、民族的な忌避観から豚肉や動物としての豚そのもの好き嫌いが大きく分かれている点を、著者独自の視点で掘り下げ考察したレポートが新鮮だった。


美大で文化人類学を教えている関野吉晴教授の授業に、以前潜り込んでみたことがある。
そのときは偶然にもゲスト・トークの回で”東京・芝浦屠場”の方を招いてのお話しだった。
日々の生活であたりまえに口にしている肉だけど。
それがどのような工程を通じて加工され、肉として販売されるまでに至るかは、特に気にもせず過ごしている。
食肉として食らうには、その最初に家畜として飼われた動物の命を殺める工程があり。
さらに肉味を落とさないためにも、迅速に血抜き処置をしなくてはならない。
それから、家畜の1体ずつの内臓を丁寧に取り出し、食べられる部位を選別し、メインの枝肉までに加工する。
それを自分の知らない誰かが代わりにやっている。
屠場の歴史、屠畜の方法から、はては差別の問題までと話しが拡がり、何気なく口にしている肉についてとても考えさせられる授業だった。

もう一冊のほうの『世界屠畜紀行』の出版は、ちょうどその授業と同じ時期の本。
芝浦屠場のルポをはじめ、世界各地の屠畜の現場。
なじみある肉である豚・牛・羊・山羊にはじまり、はてはラクダ・犬などと、対象となる様々な食肉加工の様子を取材し、豊富なイラストでもって紹介している。
食肉を得るために、生きものの命を殺めるという問題上、タブーや差別に触れる場面も多く、このルポでは基本的に写真撮影は成立しない。
著者はイラストルポライターである。
イラストを描くことで、自己のフィルターを一度通して改めて屠畜について考察されるためか、繊細なイラストと併せて、その場の雰囲気と内容がとても解りやすいルポとなっている。
写真でルポするとは別物な、描くルポの持つ情報の深さをしみじみと感じさせる良書だ。



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 ● 豚の丸焼き

 上; 関野ゼミのイヴェント 仔豚の蒸し焼き   東京都小平市 2010年

土中に穴を掘り(左上) 豚の周囲を丸石で覆って上から焚き火をする(右上)
石による遠赤外線効果の熱源を活かした豚の丸焼き。
この方法は、ミクロネシアだったか南洋の各地に伝わる調理法という。
仔豚を埋める多量な丸石は多摩川河原で採集。
4つ肢動物の屠畜には資格が必要なため、屠殺して内臓を取り出し脱毛した状態の豚(左下)を業者から仕入れる。
仰向けに寝かされた仔豚が、どこか人っぽい。
やっと準備が整い着火したまではよかったが、新設された市営キャンプ場のオープン前段階で芝生を掘って汚してしまったということで、当局からクレームがついて頓挫した。
折角掘った穴を虚しく埋め直す <その後しばらくはそこだけ芝生が育たず禿げており気になった>。
仕方なくキャンプ場設営のBBQ焜炉で、仔豚を切り分け焼くことに。
枝肉にするにも、家庭用の包丁ではまるで上手く切り分けることが出来ず難儀する(右下)
なんだか焼き鳥会のようになってしまいとても残念だった。
もし当初の計画通り、じっくりとこんがり蒸し焼きにしていたら、骨以外の部位も上手い具合に全部無駄なく消費されたことと思う。
数十名で食すも、食べ慣れていない豚の脂身層のほとんどが廃棄となる。
そんな脂身をもったいないと少し貰ってみたが、やはり家で完全に使いきるまで随分時間がかかったおぼえがある。


 下; 『世界屠畜紀行』に載っていたイラストは、インドネシア・バリ島の豚の丸焼き ”バビ・グリン”の様子

豚の口から肛門まで、ぶすっと棒を刺通しての竹輪状態。
お腹の内部に香辛料のペーストをたっぷりすり込み、2匹を並べ、薪で炎を調整しゆっくりと回しながらじっくり焼いて仕上げる。



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 ● 皮鞣し


屠畜の場面では内臓や肉などの食肉以外に、皮や脂、骨などの部位は捨てずに原材料として専門の業者に卸し加工され製品に生まれ変わる。
皮は革へ、油脂はラード・石鹸・化粧品・フィルム原料に、骨は骨粉にして肥料となる。
浅草近辺はむかしから革物の町という認識はあるが、実際に皮がどのような工程を経て革へと生まれ変わるのか、見たことがない。

『世界屠畜紀行』ではそんな革作り(下;イラスト)についても取材していている。
場所は皮革業者が多く残る東京都墨田区の木下川(きねがわ)で、国内で生産される豚革の8割がここで製造されるという。

また『 関野吉晴 ワンダースペース 』展では、外国もの以外にもアイヌの儀式、マタギや鷹匠などの狩猟の様子、焼畑、地域の祭禮など国内で撮られた写真も展示されており、そんなひとつが同じく木下川の皮鞣し工場の写真(上:写真)だった。
この写真を関野展で最初見たときは、まだ『世界屠畜紀行』を読む前だったから、
「あれっ、大きなドラム筒が並んでいて、屠畜場でなくて皮鞣しなのか」という程度の認知だったが。
この度屠畜関連の本を読み、写真とイラストを見比べてみるととても興味深い。


関野展の最終日に開催された退任記念講演会では、グレート・ジャーニーを始めた経緯に触れ、そのダイジェスト版映像を鑑賞した。
その後話しがこのまま続くのかと思いきや、この木下川の皮鞣しの話しへとシフトしていくのだった。

どうやら関野氏の生まれはこの地区ながらも、子供の頃の学校教育では規制されていて、この地区の産業である皮革業にまつわる差別の歴史に触れることがなかったという。
成人してから初めてその現実を知り、木下川の皮鞣し工場に自ら工員として通い、現場を通じて得難い体験をする。
当時の工場では、高齢化問題と重労働も重なり、20数名の作業員の半数はアフリカやアジアから来た不法滞在のイスラム系外国人労働者でしめられていたという。
彼らは、警察による不法滞在の締め付けが厳しくなって、工場と寄宿舎より一歩も外へ出ることもできない厳しさだった。

かっては大量に生産していた豚革が、1980年代に入り、手間の安い国へ原皮(げんぴ)が輸出されるようになり、不景気に追い打ちをかけてどんどん工場が閉鎖されていく。
国内の生産された原皮の8割が中国へ、残りが台湾やタイへ輸出されているという(世界屠畜紀行より)

また劇薬を多量に用いる酸化クロム鞣しでは、従来の原液の廃棄処置より環境基準が厳しく変わり、そのために莫大な工場施設の改良資金が必要となった時代だった。
工場を維持するために、敢えてタンニン鞣しに切り替えながら製品の質の向上を目指した転換期だった。
安全管理の維持、労働と役割、短い休憩時間の過ごし方など、酷な重労働でストレスも多い現場では些末な点が、お互いのコミュニケーションと肉体に大きな影響を与えるという体験談が印象的だった。
作業後いくら身体を洗っても消え去らない皮革鞣し独特の臭気に悩まされ、ある時おもいつき自分の鼻毛を洗ってみたら途端に消え去ったという、笑い話のような体験も語られた。

その後、この地区に携わる個人を通じ部落解放運動より見た被差別の流れへと話しの核心へ及んだが、話しの半ばにして時間が来てお終いとなり、なんとも残念だった。

講演会の最後に。
”グレート・ジャーニー”は、実は”グレート・イミグレーション”である。
その地に定住が叶わなかった弱者が、しかたなく心太式に新天地へと押し出されていく。
フロンティアでパイオニアになった人々が残された歴史の積み重ねであり、その行き着く先が英国と日本だったとまとめられた。



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 ● 豚の屠畜
上; 映画 『 いのちの食べ方 ”OUR DAILY BREAD” 』 ニコラウス・ゲイハルター監督  より
下; 『世界屠畜紀行』 内澤旬子 解放出版社 2007 より


今回屠畜紀行を読んでみて改めて見直してみたのがこの映画。
映画の特典インタビュー(2007年 ウィーンにて)では、監督のニコラウス・ゲイハルターに内澤旬子自身がインタビューしている。

デンマークの豚の屠畜場の有り様を撮ったこのシーンでは、女性の作業員も男性と一緒に混じり、カメラの前でも黙々と仕事をしている。
人工的な種付けの様子。
気絶され、ラインに送り込まれる豚。
手早く放血し、腹を裂き臓器を残らず取り去る。
枝肉までの処置。
取り出した臓器を部位ごとに細かく選別。
近代的な設備のなか、流れるラインの速度に合わせて、どの作業も正確に迅速に行われている。
工程ごとに変化を見せる食材と、それを扱う作業員までもが、あたかも稼働する機械の一部に融合していくような寡黙な映像が途切れなく続いていく。
食肉の文化に長じている西欧では、肉の加工は誰もがやって貰っているという有り難い感覚であり、その作業にあたる個人に対しては特別な差別はないという。
また実際に作業にあたっている作業員自身においても、仕事として職能に対する卑下た感覚はないらしい。
ただし企業側は、屠殺の持つマイナスイメージを払拭するる傾向が強く、その交渉が映画撮影の要になる。


一方、東京・芝浦屠畜場のラインでは、この本の刊行時点では女性がたった2人きり。
現在の東京都職員へと切り替わる以前より男のみの世界だった。
日本の場合は、ふるくから屠殺には被差別問題の微妙な要素が複雑に絡み、簡潔に一筋縄とはいかない。
この屠畜場の取材でも、作業員の顔が誰かと判明するのを畏れ、著者はカメラの撮影を全面禁止されているため、幾度も現場に足繁く通い緻密なイラストに仕上げている。

豚を追い込み→炭酸ガスで麻痺させる→胸割りして素早く放血→鉤に吊し移動→
肢切除→皮剥ぎ→尻まわり剥皮→頭の切除→テッポウ抜き→腹出→
ホッグマシンで総ての皮剥ぎ→背割り→整形→枝肉検査→洗浄


芝浦屠場の場合、さらに豚の内臓と頭の処理は、都の所員ではなく民間業者の扱いとなる。


映画では解説が一切なく、屠畜場内で機械音が響くのみ。
追い立てられる豚の鳴き声、蒸した室内や、血みどろとなった場面でも、その騒音や臭気温度差による不快感を一切感じることなく、涼しげな自室でスクリーンを見つめている状態ながらも、映像にはやはり腹から裂き出た臓器の生々しさなど、図説や解説より汲み取れないリアルさがある。

効率と生産性を求めて近代的な屠畜場の様子を載せてみたが、『世界屠畜紀行』には世界各地の民間による、豚やそれ以外の動物に関してもローカルな小規模な屠畜の様子が沢山掲載されており面白い。


  ** 以後、イラストは全て『世界屠畜紀行』より。 
      牛と鶏の屠畜のライン工程は、映画 『 いのちの食べ方 ”OUR DAILY BREAD” 』よりとした。



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 ● 中華人民共和国 雲南省大理近郊、定期青空市(上4点)/ 中華人民共和国 雲南省廬胡湖、モソ人の住居内(下3点)

青空市写真では近郊の農家から片肢縛りの仔豚が連れられていた。
台にごろりと並ぶのは脂身を含んだ肉の塊か。

廬胡湖湖畔のモソ人は隣在する普米族(ぷみぞく)とは異なり、母系制社会である。
普段は母家には男の姿がみられず、男達は夜に寝に帰る。
女性の通過儀礼では、豚肉の上に立たせる慣わしがあったはず。
母家には大型の鉄製鼎(左下)が置かれており、天井には豚の膀胱や顎骨が吊られていた。
特に豚の脂身は儀礼にも用いる貴重な食料であり、食事の際に握りこぶし大2つほどの大きさの豚の塩漬けがだされたが、さすがに半分を食べた時点ですっかり胸焼けしてしまい残してしまった。



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 ● 牛の屠畜

牛はさすがに豚と違って余りにも個体が大きく、屠畜の現場では更なる注意が必要となる。
首枷で頭部をしっかり固定された牛がドラムから顔を出している。
牛のこめかみに正確にノッキング銃を当てて打額し気絶させる。(写真左上)
ダウンプーラーに巻き付けて表皮をすべて剥ぎとる。(写真中下)
昇降機に乗って、大型のバンドソーでもって背割りしていく。(写真左下)

また当時は日本でもO-157やBSE(狂牛病)感染を危惧し、それ以降牛の屠畜の衛生管理、病原体調査の厳調さが一起に増し現代にいたる。
日本では牛の個体それぞれに識別番号で登録され、一頭一頭延髄のかんぬきを取り出しBSE検査をする。
食肉検査では、頭部、舌、内臓、リンパにおよび検査の結果が判正確に明するまでには実に6時間も費やすため、翌日出荷する現状となっている。



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 ● 水牛の屠畜   ネパール

初めてネパールを訪れたとき、カトマンドゥのテク地区で、早朝に水牛の解体をやっていると聞き見に行った。

ネパールの国教はヒンドゥ教であるが、水牛の肉は神聖な牛とは別物で食される。<水牛と牛とでは一代交雑種が生まれないため>
水牛の肉は、羊肉のラムやマトンのように、肉にされた段階でもバイシ(雄水牛)・ラーゴ(牝水牛)と正確に性別を区別する。
そんな初歩的なことすら一切知らずに、英語でもって”TEKU! OX COW BEEF” と頭に指をかざして角に見立て、道行く人に牛を真似て闇雲に問うてみたが、やはり一向に通じない。
日の出間近にどうにか現場に辿り着くが、民家の片隅では数名が集まり既に水牛の解体の最中だった。
頭部は既に断ち落とされ、丁度皮剥と臓器の取り出しの工程だった。
本体の太骨を斧でもって二分に切り離し(左下)、卸しの時刻が迫っているのか、肉切り包丁でもって素早く小分けに肉を切り刻み天秤に載せていく(右下)。
摘出された腸をしごくと中から未消化な草が多量に出てきて(右3段目)、もわっとした青臭い匂いが拡散される。
それを目指し周囲から家鴨が内臓物のカスを食べに集まりだす。
腸の部分は女・子供も参加して、洗面器に入れて丁寧に水洗いしていた。
カトマンドゥ盆地にはネワール(族名)が多く、ネワールの儀礼では水牛の脳味噌や、煮こごりなどと一風変わった水牛料理を食べたこともあるが、腸などのモツの部位はどのようにしているのだろうか。
各々のカーストの地位や民族・宗教によって肉や臓器に対する禁忌も厳密に存在しているに違いない。

タルタルステーキではないけれども、水牛の生肉をミンチにしてニンニクなどの香味野菜と香辛料で和えた”カチラ”というこの地域では珍しい生肉料理があり、衛生的には大丈夫なのかと心配しながらも、火の点くような焼酎の”ロクシー”と合わせて食すと最高に美味だった。

写真ではストロボが乱反射して鮮血の生々しさが強調されているが、煉瓦敷きの屋外での作業であったため、初めて見る屠畜現場は壮絶ともいえる光景ながら、命を殺めるその瞬間を見逃したせいか思ったほどの違和感もなく、この環境にあって極自然に感じられるのだった。
この日は2頭の水牛を捌いたようで、もう一頭は藁を被せて毛焼きの最中だった(左上)
皮の加工には、”サルキ”という職能カーストがいるが、水牛の屠畜をしているこれらの人々はどういった位置づけなのだろうか。
ばらされたスライドのコマをPCに取り込んだデーターしかなく、時間の経過は写真の並びのかぎりではない。
もう随分昔のことだから記録の甘さだけが残り、今回屠畜紀行を読んで、この地区の現代の屠畜はどのように変わっているのか、いま一度確認してみたい気分となった。



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 ● 映画場面より 鶏の加工(左) / 小祠に生け贄の鶏を捧げる。ネパールにて(右)

 左;映画では、飼育場の床面が見えなくなるほどの凄い量のブロイラーが追い立てられて加工ラインへと送り出される。

毛をむしられ鉤に吊られた丸裸の状態の鶏の姿は、小学校の低学年のときに通学路にあった牛乳屋のとなりの小屋でなされていて、小屋の隙間から中を覗きながら腕白坊主達の格好の見世物となっていた。
いま思えば子ども心にずらりと裸の鶏が並んでいたとはいえ、とても小規模であったに違いなく、それほど強烈な印象にはなっていない。

驚くのは、この映画のように巨大な工場に途切れることなく並ぶその量であって、これまでの人類の歴史には存在しなかった、食料を工業製品のようにとても安価に供給できる現代のそのシステムである。
その疑問こそが、この映画を制作する発端となったと監督はインタビューで答えている。


 右; ヒンドゥ教のカーリー女神はどうやら血が好きなようだ。
カトマンドゥ盆地南側にあるダクシンカーリ(南のカーリーの意)では、女神の縁日に生け贄を捧げに多くの人々が集う。
この日のローカルのバスの車内は、参詣者と共に生け贄にされる鶏や山羊なども便乗して賑あう。
女神を祀った小祠に、生け贄とする動物の首を刈り、吹き出す鮮血を散々と浴びさせる。
その後は直会となり、犠牲にした動物を調理して一同で分かち合いちょっとしたピクニックの雰囲気となる。

日本の屠畜法では四つ肢動物には資格が必要だが、鶏は誰もが潰せるはず。

以前、美大の絵画科の講評で、主婦でもある女学生が鶏を潰して分けあうパフォーマンスを企画したが、教授側から禁止されたという話しを聞いたことがある。
一般的な道徳観に照らし合わせてみても、確かに安易に命を殺める行為自体は芸術性となんら繋がりはないし、当人がどのような意図でもって企画したかは知らないが、現代では命を殺めることなく食べ物を得る状況にあまりにも鈍感になってはいないだろうか。

余談ながら、アンドレイ・タルコフスキーの映画『鏡』では、幼い主人公をひき連れた母が、訪ねた家の主婦に強引に依頼されて鶏を潰す場面がある。
鶏が斧でもって首を刈られる際の雄叫びと静寂、ふわりと静かに宙を舞う鶏の羽、まるでムンクの描く長髪姿の女性のように、振り乱れた髪から顔を覗かせる蒼ざめた母の放心した表情が、恐ろしいまでに幻想的なシークエンスとなっている。


映画『いのちの食べ方』の宣伝映像には、映画監督でありドキュメンタリー作家でもあり、また少年向けに食肉を問いた著作もある、森達也の印象的な言葉が添えられていた。

 食べ方の作法はどうでもいい。
 見つめよう、そして知ろう。
 自分たちの業(ごう)と命の大切さ、
 そして切なさを



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 ● 『世界屠畜紀行』より

 左上; カイロのラクダ屠畜
 左下; エチオピアのイースターの鳥料理 / 日本での狩猟 コガモとキジ料理
 右上; 犠牲祭のいろいろチュニジア(羊)、トルコ(牛)
 右中; タルバガン ボートグはロシアンマーモットの石焼き。
首を切り落とし内臓をずるりと引き出しネギ、ニラ、塩などをまぶし焼いた石と共に再び体内に戻し、口を縛って仕上げる料理。
 右下; インド、デリーのイドガー屠畜場で 大量に捌かれる山羊



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 ● 羊の屠畜

イラストは『世界屠畜紀行』より モンゴルの羊の屠畜の様子。

モンゴルの屠畜は、腹を小さく裂いて手をさしこみ横隔膜を破り、大動脈をはじくように断切る。横隔膜の片面だけに血が溜まり全体に広がらないのだとか、血を外に一滴も落とさないやり方で”オルルフ”という(右上)
同じく(左上)、映画『ウルガ』< ”URGA - CLOSE TO EDEN -”1991年 119分 フランス制作 ニキータ・ミハルコフ > より
ロシアの作家ニキータ・ミハルコフの『ウルガ』はモンゴルを舞台に描いた映画。
ゲルにやって来たロシア人のセルゲイは、この屠殺のシーンをみてビビッたものの、その羊の旨さにびっくり・・・・・・・と書かれていた。

むかしビデオでこの映画を借りて見たことがある。
モンゴルのゲルの壮大な景色は覚えているけれど、このシーンはさっぱり記憶落ちしている。
ゲルの女の子がアコーディオンを急に弾き出したり、セルゲイがロシアの歌を唄いながら酒場で酔いつぶれているシーンしか思い浮かばない。
ニキータ・ミハルコフはむかしは『愛の奴隷』、『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲』、『オブローモフの生涯より』、などむかしのロシアを彷彿させる結構渋い映画を撮っていたけど、近頃のものはどうも。
『ウルガ』もDVDレンタルされていればよいのに。

左下は、ネパールのバクタプールで見たケタ・プジャ(男の子の七五三のような儀礼)で川辺りのヒンドゥ教の小祠で山羊を生け贄にしているところ。
切れない鎌でもって幾度も山羊の喉笛をぎしぎしとやっていたため、この世のものとは思えないような断末魔の叫び啼きがとても気色悪かった。
このように儀礼の際に生け贄の鮮血を神に浴びさせることは日常的なのだろう、近所の子ども達も平然と見物している。

右下は、インドのスリナガルでみた通りを塞いでいた羊の群れ。



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 ● 山羊の生け贄     ネパール

山羊はバックラ、ボカ、コシと、それぞれの肉質に微妙な臭みの違いがあるからなのだろうか肉になってからも牡山羊肉・去勢山羊肉・牝山羊肉と区別されている。
手頃な大きさの家畜である山羊は儀礼や祭りの場で、よく生け贄にされている、鶏を潰すの同じように、ちょっとしたコツで誰もが屠殺できるからかも知れない。

左下;  ダクシンカ-リ  
他3点; コンケスワリの女神を載せた輿が寺院までと街路をねり歩く。
移動の最中に、連れられた山羊の首を落とし輿に鮮血を浴びさせていた。



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 ● 犬の屠畜

 イラストは『世界屠畜紀行』より、 韓国城南のモラン市場
ソウルオリンピック開催にあたり海外諸国の印象を気にして、犬鍋(ボシンタン)を一帰しようとした話しを聞いたことがある。
韓国の場合、ことに犬の屠畜はふるくから『犬白丁』と呼ばれ、牛・豚の屠畜以下の低いものとし蔑視された歴史がある。
取材では、写真もスケッチもだめなので著者はこのイラストを記憶で描いている。
円筒形のドラムは遠心分離式の脱毛機。


 上; 華人用ホテルに連れてこられた食用犬    ラオス、ムアンサイ
早朝散歩を楽しんでいたら、可愛らしい犬を連れた人を見かける。
後をついて行ってみたら実は犬の散歩でなくて犬売りだった。
いわゆる狗肉というものを食べたことがない。
スマトラで出されたジャーキー状の乾し肉は犬だと云われたけど、なんとも判然としない味だった。



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 ● 手を汚すことなく旨い肉にありついている。




今回は食肉・屠畜についてなにかと考えさせられました。 肉の好み、こってりとした脂。それぞれの国・民族・宗教における食肉文化も興味深くおもいました。 (^_^;) 



  1. 2018/11/14(水) 17:01:24|
  2. 食品
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427 東京蚤の市






春秋と年に2回の『東京蚤の市』も今回で14回目。
今回のテーマは「秋って、こんなに楽しかったっけ?」
この春に引きつづき4度目の入場です。
さて戦果のほどはいかほどに。



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 ● 『第14回 東京蚤の市』    東京都調布市/ オフト京王閣   2018. 10-11.Nov.

 家でまごまごしていて、京王閣に着くと既に1時となって完全に出遅れてしまった。

「暮らしのパーツセンター」、「おみやげ屋さん通り」などの新分科会が出来てます。
「古書店街」、「東京豆皿市&箸置き市」、「ワークショップ」など屋内のイヴェントは「東京北欧市」を除きすべてパス、駆け足で巡ること3時間。
お宝を探すというよりは、初っ端から人酔いしてしまうごとく凄い混み具合。
物欲に徹せず、催事モードでお気楽な店巡りに変更に。



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 ● 東京蚤の市の様子

一緒した友達は”七尾旅人”のライブが目当て。
春にひきつづき”海藻姉妹”も出ていて、昭和歌謡「津軽海峡冬景色」の音楽パフォーマンスが哀愁を誘い凄すぎて笑えた。
ありとあらゆる物品、それを目がけ蟻のごとく群れる人々で場内は完璧にカオス化している。



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 ● やきもの

灯明皿、碍子、捏ね鉢、団子皿、行灯皿、戦時中に製造された統制陶器といった和物に、スリップウェアなどの作家物、オーバールプレート、ピッチャー、酒瓶などの西洋物が一堂に集結。
普段馴染みの浅い西洋陶磁器はこれだけ揃うと流石に面白い。
左上の睨みを効かしたダルマは、高崎のダルマ弁当のむかしの駅弁容器。



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 ● かご

竹・木質・シダ・マタタビなど編まれたかごの素材とかたちもいろいろ。
1点1点微妙に造りが異なる編組品は見ていて飽きることがない。
右上2段目は茶席で用いる花籠で、魚籠を模した松葉崩編みのこのかごは京都の宗膳籠というもの。



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 ● かなもの

アルミ、アルマイト、ブリキ、琺瑯、鉄もの、銀器などの素材の持ち味。
長らく使うと草臥れ具合に味が出て美しく育つのも”かなもの”の魅力となっている。
赤いアルマイトの水筒(1200円)は横長の楕円形のかたちが珍しく美しい、内栓のコルクがへたっておりパスした。
左下の筒型ストーヴはアメリカのパーフェクション、タンクのゲージは古いピンタイプのもの。
右下のアラジンはリメイク品だろうか? ガラス筒のチムニーがとても洗練しており粋だった。



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 ● リンゴの皮剥き機

特許品や変わり物グッスに出会えるのも、このような催事の利点。

上左のリンゴの皮剥き機はRemaという店舗に出ていたアメリカ製の古い物。
この春の会でも見かけた。
ハンドルを回すと刃が微妙な角度でもって動き、最後に絡繰り機構のストッパーが外れ、リンゴを自動に前にぽんと押し外す式の優れもの、1889年のパテントナンバー付き。
ちょうど目の前で売れたところだったけど、店主の方の好意でハンドルを回させて頂いた。
また現地に買い付けの際の、この品物との出会い話しも伺え面白かった。

右中は別の店舗にあったもの、やはり何かの剥き機のようだけど意外に簡素な構造のもの。

下はニッカウイスキー余市工場の資料館に展示されていたもの。
撮影が不味く機械の構造がいまひとつ判然としないのが残念。
ニッカの企業名は「日本果汁株式会社」の略、ウイスキーを醸し商品とする前段階でリンゴ果汁を搾取しリンゴジュースを製造していた



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 ● にんぎょう

”可愛い”ブームのなか、普段はまるで馴染みのない細々とした人形を見つめるのも愉しい。
アンチモニーで出来た鉛の兵隊、クリスマスのお飾り、企業のノベルティー人形に陶製人形。
日本の郷土玩具の張子は、仙台の”松川ダルマ”、鳥取の”奉公さん”。
かって宮内フサ102歳時作の”奉公さん”を見たことがあるけど、この人形とはまるで表情が異なっていた。



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 ● 洋もの  その1

馴染みの浅い西洋物が多く見られるのもこの催事の魅力。
同じ用途であっても国や時代によって微妙に形が異なっており、やはり実用具の世界は見飽きることなく面白い。
1個200円で販売されていたフランス製の洗濯挟みは実に簡素な仕上げだった。
右下の革財布に付く根付けはヒシの実だろうか。



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 ● 洋もの  その2

道具としての用途が読めるもの読めない道具といろいろ混在。
黒革で包んだオーストリア製のガラス瓶(右列3段目)が美しかった。



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 ● その他雑多

和菓子木型、リネン類、戦時下の子ども用国民服、水嚢、小抽斗、作家物のクラフト品、カトラリーにステンレスの医療容器、鼈甲縁の水中眼鏡に幼児の靴、「疊位置表示板」、医療具のガラス器、「英語湧信學校 ANKIKI」、塵取?(不詳)

”塵取?”と表記のあるのは、製粉作業場で用いる粉掬いと似ているように思う。



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 ● 幻灯機用ガラス絵

前の晩に一緒に飲んでいたU君と偶然にも会場で出くわす。
これは彼がゲットしたもの。
その際に彼が幻灯機用ガラス絵蒐集を趣味にしていると初めて知った。
丸窓に彩色されて4コマ1組となっているガラスの種板。
通常は1200円以上が相場というガラス板が、この店舗(フォトノスタルジア)ではドイツ製が900円というお買い得価格だったらしい。
今回は数ある中から入念に3点を厳選したという。

** magic lantern (マジック・ランタン)は、17世紀半ばにオランダにて発明された投影装置。蝋燭やランプの灯りでスクリーンや壁にガラス絵を投影した。



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 ● フラスコ

 上; 酒好きの友達がゲットしたフラスコは英国の労働者階級が持つタイプのもの。
本来は上部に包み革、下部にピューター製のコップが付くタイプだけど、これはそれらが紛失しているため800円のお買い得品。
ピューター製のしっかりとしたスクリュー栓にはコルクのパッキン。
瓶の下部に大きな気泡が閉じ込まれていて景色となっている。
冬を迎えるこれからの季節、このスキットルにウィスキーを懐中させ大活躍しそうな代物だ。

 下; このフラスコはうちのもの。 90×30×高さ236ミリ
楕円形で上のものより若干小型、懐中にすっぽり納まる具合が利点だけど。
ピューター製のコップの装着具合が甘いのと、瓶やコップが曲線意匠のため立てられないのが難点。
山梨へ通っていた頃は各駅列車の車中より車窓を愉しみながら、つい飲み過ぎてしまうのだった。
革に開けた窓は所有者自らが切ったのか若干歪な仕上がり。
こちらも英国の労働者階級のものだから、呑ん兵衛が酒の残量を気にしながらちびちび飲んだ心情が、手に取るように解るのだった。
価格は当時で確か4-5千円だったか。



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 ● 本日の買物

 上; 容器  色ガラス製   径38×高さ38ミリ
むかしの歯科医や治療院で用いられていたような医療用の薬剤容器ではないかと思う。
色違いを丸孔のある台に納めて並べていたのではないか、引き出す際の懸かりが良いように筒形の胴に3輪状の凸凹がつく。
口縁は断切り仕上げ、金属製の被せ蓋を載せたのではないか。
前掲の<その他雑多;の左下に写っている> 同じく透明、緑、茶、青の色ガラスの篦容器(各400円)なども見られる。
そちらも惹かれたけど花器の代用ぐらいにしか使えないのでパス。
大阪の業者”つむぎ商會”扱いで、この2つが残っていた(各300円)盃として代用することにする。
写真のような北欧のスプーンと一緒に並べてみると(この容器を若干大きく撮っているため)どこか北欧ものっぽいコップに見えてしまうけど。
実際の容量はショットグラス程度の小ささ、さっそく会場で友達とぐい呑みかわりに使い下ろしてみる。
断切仕上の口縁部は意外に気にならず、くいっと一飲み出来てしまう。
お蔭でライヴも心地よく小酊で愉しめた。

***ちなみに『うちの医療器具』こんなかんじです。

 下; スプーン    長さ166×37ミリ
東京北欧市会場で京都の業者”retro number”扱い、500円+消費税。
<かなもの;(中下)>の写真にあるずらりと並ぶティースプーンと一緒にあった。
そちらに若干金属味があるものもあったが、ティースプーンよりは一まわり大きいこのサイズがこれのみ残っており使い易いと選択した。
なんの変哲もないデザインだが刻印の文字にどこか魅かれた、柄の肩の部分が微妙に窪んでおり、スプーンを握った際の具合がすこぶるよい。
値段的にはどうなのか? まるでこの催しの雰囲気に呑まれての記念買い。
柄には” Vihdin puul, Hiihto ”の刻印(企業名か?)、メーカーはフィンランドの”IIP”のtype ”-65”



今回も小金遣いの簡素買い、人波に溺れた蚤の市でした! (^_^)v 





  1. 2018/11/12(月) 19:33:57|
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426 ニュウもん




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 ● 山本 萠   書とカレンダー原画展

近所のギャラリーでやっていた山本萠展へ行ってみました。
包み込むようにやわらかな萠さんの書は素晴らしい。
ロシアの画家のマルク・シャガールの和訳の詩の書(上)がお気に入り。
・・・・・・・・といっても、書はおろか詩集やカレンダーもなにも求めず失礼千万の限りです。

会場入口に設けられた、萠さんの骨董販売コーナー。
フランスのカフェオレボウルやデンマークの絵鉢などの西洋ものは、使い込まれた古びれ具合がとても美しかった。
大正時代のプレスガラス皿、作家物のモールグラスなどはお買い得の価格でどうしようか迷ったけど、3回目の来場の最終日には売れてしまっていた。
で結局求めたのが、初め見たときから結構気になっていたこの高麗皿。
いつものガラクタ漁りとは少しばかり背伸びした価格の4000円
シンプル・イズ・ベストの皿で使い勝手も良さそうです。



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 ● 高麗皿   径153×高さ32ミリ

見込部分に若干のカセ、縁周りのホツ数カ所に漆の直しあり。
皿の立上がり部分と縁に1本の線刻、高台はとても浅い。
大量生産で重ね焼きされた目跡が荒々しく、日本のものとは異なる半島ものの大らかさを感じさせる。
器面の裏面は意外に新しい感じで、長らく使われたものというよりは、発掘した窯から出たものなのかも知れない。
全面に細かな貫入<細かなヒビ>あり、緑褐色に発色された釉なのでこれは所謂青磁のやきもの。
家では普段使いの雑多なやきものばかりで、このような時代ある青磁のうつわも初めてです。



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 ● さっそく一杯

展覧会の最終日、最後まで居残って片付けした方々10名ほどで流れてのごはん会。
編集者、人形作家、詩人、音楽家、工芸店の方などと萠さんの交友関係は実に個性的な方が多く面白い。
行ったお店が店主の趣味のスヌーピー・グッズであふれており、なんだか我々にはその余りにもキュートでポップな空間が幼稚園のお遊戯会に招かれたようでとてもミスマッチだったけど、逆に町の酒場で飲むのとは異なりとても新鮮で楽しかった。
萠さん所有の骨董、『くらわんか』碗でコップ酒ならぬ豪傑にワインを飲む女史もいたりと、現代における”くらわんか”本来の庶民の気さくなうつわの使いまわしで可笑しかった。
しかしながら今回自分が求めたこの高麗皿では、この場で使いおろするには余りにもったいない。
というわけで家に帰ってから独り晩酌をして愉しみました。
高麗皿に一品盛り盃を傾けながら見入っていると、器体全面に細かに走る貫入の美しさに魅了されます。
完品を重視する骨董の世界では貫入は、ものの値打ちを一起に下げる瑕疵ながらも、このうつわが歩んできた歴史を垣間見るようでそんな想像をめぐらしてのままごと飲みでお酒も勧みます。

おまけの写真ながら、半島ものがまた一つ仲間入りしたということで壷と匙と一緒に記念写真(上)してみました。

家で使っている半端もんのうつわも考えてみると、貫入もんが結構あります。
瑕疵のオンパレードということで、今回は少し”ニュウもん”を挙げてみましょう。



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 ● 菊皿    径132×高さ35ミリ

ガラクタは類を呼ぶ。
窯のなかでの焼成が上手くいかなかった失敗作だったのでしょう、白磁の色も白から微妙な肌色までと幅がみられてのいびつ具合が気に入ってます。
高台部分は一風変わって眼鏡底ですが、江戸末ぐらいの皿ではないかと思います。
いまの埼玉スーパーアリーナ会場となる前の、昭島のアンティークフェア会場の時代に求めたもの。



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 ● 皿     径157×高さ27ミリ

吉祥寺の料亭で使われていた皿。
表面にのみ薄く透明釉がかかるいわゆる焼物用の皿。
裏面には焜炉にのせた焼け焦げが残る、和食器ながらもどこか洋食器を匂わせるような雰囲気がある。


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 ● 皿     径230×高さ25ミリ

まるで捻りのないボーンチャイナのリム皿、鎌倉は八幡さま境内の入口にあった茶屋で使われていたもの。
裏面のトレードマークの象の印が可愛らしい。
多分昭和の一時期にはこういった食器が海外へ向けて多量に輸出されていたのだろうか、量産食器の安物で焼きが甘いせいか、使い込むと貫入部分から胎土にシミ模様が出来てしまいそれを景色として愉しんでいる。
ただしカレーには要注意、ターメリックで黄色に染まってしまう。
そういえばこのようなあばた顔の皿が、近頃見たある料理本に使われており面白く感じたことがある。



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 ● 灯明皿    径108×高さ23ミリ

骨董市巡りを始めた当初、世田谷ボロ市で求めたもの。
灯明皿として長らく使われ油焼けした貫入模様が独特の景色をつくっている。
茶菓子受けとして一時期は使っていたが割ってしまい、修理後は乾き物をのせる程度の使用に留まっている。



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 ● 皿     径90×高さ23ミリ

これはタイの菓子皿、ピサヌロークの川沿いに出ていた屋台のおばちゃんが使っていたもの。
米粉にココナツ・フレークを混ぜた甘い菓子をこの皿に入れそのまま蒸籠に並べ蒸して仕上げる。
幾度も菓子作りに使いまわされ、ピッカピカの白磁がこのような貫入姿になってしまった。
その見事な変貌ぶりに魅入られ、おばちゃんに2バーツ(当時レートで10円ほどか)ぐらいで譲ってもらった。
ピサヌロークへは幾度か訪れたけど、鋳造仏工場のオーナーが所有する個人の民具博物館がありとても興味深い資料がたくさんみられた。
多分そこで刊行された民具本がタイで一番最初に作られた民具の本ではないかと思う。
最後に訪れた際は、丁度新館を建築中で多くの民具が広い中庭に野ざらしにされており痛ましかった。
可能であればいま改めてタイの民具をじっくり観察してみたいものだ。



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 ● 盃     径64~69×高さ35ミリ

産地来歴不詳の盃ながら、黄瀬戸のような雰囲気もどこかあり時代も若干古そうだ。
三者三様に貫入が育ち、三人飲みするときに重宝している。



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 ● 蕎麦猪口   径70×高さ55 / 径75×60 ミリ

現在のように谷中が賑合うはるかむかし、朝倉彫塑館並びにあった蔵のある家のガレージセールに出ていたもの。
1個500円というお買い得価格だった。
高台の形式から江戸中期、細かな貫入が器面全体に入り骨董的な価値はゼロながら、一切絵付けのない無地の白磁が逆にシンプルな蕎麦猪口の美しさを高めている。
手のアタ(親指から小指の先まで開いた長さ)が小さい自分としては2個のうちサイズが小さいほうがしっくりくる。
このコンディションで流石に熱いお茶は御法度のため清酒用にしている。
現代のプロダクトものにも勝るこのコップ感がなんともいえなく、瑕疵であるはずの貫入も景色となって美しい。



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 ● 並べてみましたうちのニュウもん

今回の貫入くんは無地もののシンプルなうつわながらいずれも半端品。
こうやって見てみると自分自身がもっとも半端者のようで笑えてしまう。

こちらは以前載せた絵柄パターンの中国ものの雑器です! よろしければ参照下さい。
ブログ№103 碗ならべ

高麗皿で今宵も一杯を愉しみに!! (^_^)v 




 
  1. 2018/11/07(水) 15:28:12|
  2. やきもの
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425 つくえ






二年ぶりの『家具の博物館』です。
前回は椅子でした。

そのときの展示 315 昔の椅子
こちらは北欧の民間椅子 392 ちび椅子
そして北欧のモダン椅子 310 Yチェアの秘密

そして、今回はつくえです。



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 ● 『つくえ』展    家具の博物館 / 東京都昭島市  2018年11月18日(日)まで開催

ちらしにある、緑色のフエルト張甲板の細かな細工がなんとも美しいライティングビュローに魅かれ行ってみる。
轆轤細工や装飾金具も精巧で、この手の木工意匠には確実に自分の好みのツボに嵌ってしまいいけません。



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 ● 『つくえ』展  むかしの和机の数々

佛式で螺鈿などの装飾過多で工芸的にも凝った仕上げのものから、簡素な板材を組み合わせたものまで、むかしの和机には様々なタイプがみられる。

用途的には脚に甲板を載せれば、いわゆる台状の家具である”つくえ”の誕生。
神に供物を捧げる台として用いられたのが起源といわれ。
”つくえ”という言葉は古くからあるやまと言葉で、几、机、案、卓などの漢字が用いられる。
椅子に腰掛けて用いる立机など多種多様な”つくえ”があり、これを生活の場で使い分けて用いるなど、”つくえ”は生活に欠かすことのできない家具となっている。

今回の展示では、一点一点昔ながらに職人が手仕事で仕上げた机から、工業品として企画量産された学校机まで多種多様な”つくえ”が紹介され、歴史と文化に焦点をあて考察された構成となっている。




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 ● 鞨鼓台      東京国立博物館

今回の家具の博物館の『つくえ』展では、能の観世流の「謡曲用見台」が1点展示されていた。
謡曲本を載せるただの小台ながらも、これも広義でみれば”つくえ”の一種か。
側に観世流を示す八分目の月とヒサゴ模様の透かしがあり、白木の紐繋ぎの薄板を使用時に組立仕上げる式で、簡素ながらも携行性に優れた造りが魅力的な一品だった。
古来のつくえの種類を図示した展示パネルには、よくみると卓状の「鼓台」も描かれていた。

先週久しぶりに東博の法隆寺宝物館を観たとき、伎楽面のなかで脱乾漆整形の面が2点ほど展示されており改めて漆製品を面白く感じたけど。
雅楽で使う鞨鼓(かっこ)の隣りに漆器が置いてあり、気になってよくみたら鞨鼓台だった。
これまでもずっと置かれていたのだろうけど、まるで気に留めなかった。
パネルの鼓台図には窪みがなかったけれど、こちらには鞨鼓が転がらないように甲板の両端に細い窪みが刳られている。
雅楽の演奏会はこれまで3回ほど聴いたことがあり、大音量でつんざくような篳篥(ひちりき)や、舞に併せ弾けるような鞨鼓の音色は脳裏にしっかり刻み込まれてはいるものの、鼓台の記憶は一切欠如している。

また今回の展示品には、中華料理屋の卓上でよく見かける円形の小型の回転テーブルがみられた。
これは中国の食文化で生まれたものではなく日本で考案され、昭和7年頃には既に目黒雅叙園で用いられていたらしい。
大皿より各自の器に料理を取り分ける食事形式の中華料理。
文化の異なりによるマナーをスムーズに融合させよそおう日本的な一工夫は、確かに改めてみてみるとなかなかのアイディア品といえる。
展示品の回転テーブル(径440×高さ110ミリ)は布目漆仕上げで、回転部分の金属胴部には多数のボールベアリングが仕込まれていて、構造的にもなかなか凝った造りだった。
このような卓上に付随する小物にまでも焦点があてられており、展示された”つくえ”の世界はなるほど興味深い。



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 ● 文机    750×330×高さ365ミリ

これは知人主催のフリマで求めた、現代のカリモクの文机。
抽斗は桐材、背板は合板、上段には硯箱が納まり、甲板は3折れ式でコンパクトに畳める。
一応は真摯な造作ながら、塗装具合や引き手金具などは量産向けの仕上げとなっており、使い込んでも家具が育つ様子が感じられずどことなく味気ない。
いまでは狭い室内に畳んだまま納まっていて使用頻度は低い。



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 ● 『つくえ』展より  丸ちゃぶ台とダイニングセット

むかしの町の食堂にあるような、或いは小津映画にも度々登場する団地のアパートにみるような、ひとむかし前の昭和の時代にはどこの家でも普通にみられたようなダイニングセットが展示されていた。
ビニールレザー張りの座面、鉄のパイプフレームにデコラ<高圧メラミン化粧版>張りの甲板、家具としての高級感はまるで感じさせないものの、日本の家具史においてはやはり抜きにして語れない貴重な資料といえる。

戦後の都市部の住宅難で発足された集合住宅(団地)の建設がすすめられる。
昭和22年(1947)年に、耐久性と不燃化という条件を満たすRC造(鉄筋コンクリート造)の都営高輪アパートが完成する。
これをきっかけにRC造の住宅が各地で建設されていった。
さらに公営住宅では、寝食分離の家事優先の住まいへ変換を目指すDK(ダイニング・キッチン=食堂と台所を一つの部屋にしたもの<和製英語>)を供えた住まいとなる。
これまでの庶民の暮らしの使用時に設置するちゃぶ台で床に座って食事するスタイルから、ステンレスの流し台を備えた板の間の台所に、ダイニングテーブルを設置して椅子に腰掛けて食事する欧米型の食事スタイルがもたらせられる。

写真のこのダイニングテーブルには補助板が付いていたが欠損している、三角形のブラケット(支持具)のみが甲板下に残される。

*** 「メラミン化粧版」は、紙に樹脂を含浸させ積層硬化させたもの。戦後耐久性に優れた材料としてテーブルの甲板などの化粧板に盛んに用いられるようになる。材芯にはフェノール樹脂やユリア樹脂が、表面にメラミン樹脂が用いられた。
尚「デコラ」は住友ベークライト社の商品名。


展示の戦前の丸ちゃぶ台のには、七厘が使えるように甲板の中央に蓋が付くものがあり「煮炊きも出来るちゃぶ台」として紹介されていた。


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 ● 丸ちゃぶ台  径455×高さ240ミリ / 角ちゃぶ台  735×555×高さ295ミリ

「ちゃぶ台」 
使用時に組立、済むとぱたんと脚を畳み狭い部屋でも場所を占有せず納めることが出来る簡便で機能的なちゃぶ台は、関東大震災後に広まり、庶民にとって欠かすことの出来ない家具となる。
その語源の云われは、卓、卓袱などの中国語、横浜の方言で英語のchop「ちゃぷや」が訛ったからなどと諸説あるようで、食机、餉臺、卓袱台、茶部台など充てられる漢字もいろいろだ。

一尺五寸のお一人さまサイズの丸ちゃぶ台は、以前川越の市で求めたもの。
値段は1000円ぐらいだったか、脚部分はネジ止めの造り仕上げで折り畳めない。
脚部には長らく使って割れが生じたためか小釘で直した痕が残る。
ごろりと横になって使ったり、しゃんとして座るとなんだかままごと遊びのような気分となるが意外と使い勝手がよい。
小型なので使わない時にも、そのまま押入に仕舞っておけるのもよい。
むかしのアジアの旅でミャンマーの空港からボロタクシーでヤンゴン市内に着いた時、路上の真っ暗な暗闇の中で、人々がこのような小さな丸テーブルを風呂椅子のような小椅子に座り取り囲んでお茶を飲んでおり、何だか幼稚園の学芸会にでも迷い込んでしまったような”おままごと感覚”に圧倒されたけど、この小さなちゃぶ台も1人2人の茶遊びにはもってこいのサイズで気に入っている。

よくある角ちゃぶ台は、農家の大家の蔵を壊した際にゴミとして出されたものを譲り受けた。
木痩せしてがたついた締め具部分の構造を補修して使っている。
今回の展示でも、ハンズオンコーナーにこれと同じちゃぶ台が「角丸ちゃぶ台」として置いてあり、「ぱたんと畳める昭和の音を楽しもう」 というコピーが書かれていた。
このサイズでの使用はせいぜい4人までで、その点ある大きさのある丸ちゃぶ台だと、数名で座っていても円という形状か、向き合うポジションや関係性に画一感が問われずどこか和める雰囲気となる。
以前は一回り大きな二尺五寸の丸ちゃぶ台も持っていたが、あれはとても使い勝手がよかった。




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 ● 文机    690×420×高さ330ミリ

こちらの文机はかって清澄の同潤会アパートで使われていたもの。
取り壊しの際に譲り受けたが、その時点でオリジナルの机の甲板は損失しており安易なベニヤ板で増補されていた。
甲板をリメイクして補彩、同じく壊れた6抽斗3列の箪笥を4抽斗2列に詰めて直し、その箪笥を載せる台として代用している。
抽斗の飾り金具、脚部の透かし模様が和家具ながらもどこか洋風の雰囲気のある意匠。
抽斗内部の合板の粗さからみると、戦前のものかもしれない。



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 ● 机     600×455×高さ760ミリ

かって荻窪の車寄せのあった昔の医院の、離れの台所(厨房)で使われていた机。
下板で強度を保つ、いたってシンプルな硬木の机。
高さが若干高めだから(脚先部分は若干テーパーをとって刳ってある)、立ち仕事で調理時の作業台として使ったものと思われる。
同じ仕様の一間ほどの長机もあり、そちらにはチキリの形が鼓形でなく亜鈴形であった、補強の当て材にも丸く加工され膠止めだった、おそらくこの机もそれと同時期の大正ころのものと思う。
シンプルな意匠は飽きがこなく、やはり使い勝手も良く気に入っている。
長机のほうはその後手放してしまったが、あの机もとても素晴らしかった。
現代にリプロダクションされたら、興味をもつ方も多いと思うような秀逸な意匠である。

経年変化による木部の暴れは、甲板の裏で見えないようにL字金具で補強した。
下板部分をさらに背後にを拡張し、ジャストサイズのスピーカーとCDプレイヤーを納めている。
ちゃぶ台で座りながらだと丁度耳の高さにスピーカーがくる仕様となった。



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 ● ロールトップデスクと和風ライティングビューロー   『つくえ』展より

桟木を筏状に多数並べた扉を持つ洋風のロールトップデスクは、本展のポスターを飾るもの。
ロクロ細工の装飾、細かく仕切られた桟棚、抽斗の引き手金具、凝った意匠のバランスが実に美しいデスクだ。
銀行で使われていたものらしく、抽斗部分はトレイとなっている。
今回の展示ではほかにもロールトップデスクがもう1点あり、そちらは医院で用いられたもの。
同様に細部も素晴らしく、この時代の職人仕事の技を比較してみられるのが嬉しい。


和風のライティングビューローは、正面上部の揚蓋式の扉を前に倒すようにして開けると、内部には棚と小抽斗が設けられており、扉が机の甲板となる。
洋家具のライティングビューロー(戸棚兼書机)から脚を取り除き、床座生活に合うように和風化したもの。
扉や抽斗には、大正時代に流行した台形の引手金具が取り付けられている。
扉には蝶番が付いておらず、ビューロー本体に施された丸い溝に差し込まれている。
また、扉の両脇には腕木状の金具(ロータリーステー)が取り付けられており、扉を開けた際に本体の溝と両脇の金具によって扉が支えられるようになっている。
透かし装飾や、木象嵌など美しい。
椅子が家庭道具として普及していなかった大正時代、純粋な和家具でも洋家具でもないこのような家具が、中流階級の生活環境に適した新しい実用的な家具として人気を博した。
展示では蓋が閉じた状態だったが、学芸の方に御願いして甲板を開けて見せて頂いた。
想像以上にごつい腕木状金具ではあったが、蝶番を使わない開閉の仕組み仕様などよく解りとても参考になった。
当時の百貨店のカタログにみる和風ライティングビューローには、「整理箪笥」、「実用新案帳場机」と掲載されているものが確認でき。
整理箪笥では、手紙、帳面、筆記具などのほかに、身の回りの小物などを整理保管する女性用の小箪笥として販売されていたようだ。



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 ● ライティングビューロー     735×325×高さ800ミリ

このライティングビューローは、羽村のかっての蠶種屋の納屋に埃をかぶり放置されていたもの。
甲板の脇にも小抽斗など付き(幅は写真の柱のところまである)以外と大きいもの、残念ながら甲板と脇の小抽斗が1個損失しており、抽斗の前板は欅材で埋木して、失われた甲板蓋はアレンジして慳貪蓋(けんどんぶた)に細工してみた。
慳貪蓋は合板を使った素人細工ながらも、渋染めの型染紙などを加工して貼り付け家具に見合った時代の雰囲気に合わせてみた。
慳貪蓋の場合どうやら一般的には手掛部分は上部三分の一ほどにくるようだから、この場合引手金具の位置が若干高いようでバランスを崩しており失敗、後悔している。
本来甲板には蝶番式で、その蝶番がふたつ残る。
また腕木状金具は斜めに付いた鉄の細棒となっており、折れた破片の1個が棚内に残されていた。
内部に仕切棚があるため、本やカメラ、焼き物など細々とした物を結構詰め込んでしまった。
富士をアレンジしたトップの飾り、木象嵌の装飾、引手金具など結構凝っており。
養蚕が産業だった当時を鑑み、田舎にありながらもやはりその毛蠶を供給する蠶種屋とした家格に見合った家具だったのだろう。
硬木製で重量はあるものの、一間ほどの腰高の棚の上にに小抽斗、鏡台の抽斗部分などの小家具と一緒にずらりと並べ乗せ、この壁面は抽斗のオンパレードにしている。



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 ● Old meets New 東京150年

1968(慶応4年) 江戸を東京に改称してから本年で150年。
昭和の一部の時代と平成しか知らないものの、この間の世の中の変化、技術の進歩には目を見張るばかりだ。
今回の家具の博物館の展示も「東京150年」関連事業の一環となっており、イメージキャラクターのカッパバッジ表示で入館料無料の特典付きだった。
入館時に頂いた東京150年関連事業の配布品は、ボールペン、ポストカード、ジグソパズル(150年にちなんだ150ピース構成)、シートフォルダーの4品。
特典効果のあるカッパバッジはどこで手に入るのか?

どちらかといえば今回の150年記念カッパよりは、清酒黄桜のカッパちゃんのように右側のむかしのカッパマークが愛らしく好みである。


最後のおまけは人参写真。
秋の稔りを現すような人参は、家具の博物館へと向かう玉川上水沿いの畑で売られていたはじき品。
ごろごろと大きな人参が5個で100円。
袋を開けてみてびっくり、いびつというよりはどう見ても立派な夫婦もの。
「おぬしも好き者よの~」の気はないながらも、ついつい自然が生み出すリアルな造形に見入ってしまう。
聖天(大歓喜展)さんの好物で、見事な二股大根が供えられていたのはみたことがあるけれど、さて人参は祀れるのだろうか・・・・・・・・・
なんだか珍しいから、しばらく盆に載せて置いておこう!




毎回ながら、誰も見返らないガラクタばかりだけど、よくみると”つくえ”も実に面白いと感じた次第です!! (^_^)/~ 




  1. 2018/10/31(水) 14:59:44|
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424 雑多な休日





この連休は近場のフリマやバザーでつぶしました。



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 ● はけのおいしい朝市     小金井市 小金井神社   10月7日

はけの森美術館にほど近い場所にある小金井神社、はけで段差もグッと低くなり自転車で急な坂を下ります。



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 ● 食べもの、ワークショップ、手仕事のもの・物販などでにぎあう。

初めていった朝市だけど、毎年10月のこの回は出店規模も大きくなるということで、なかなか賑やかです。



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 ● 前回の颱風で神社の木もぶっつりと裂けている。

前回の颱風24号はなかなかの強風でしたが、神社の巨木もこんなにひどい有り様となっていて驚きです。
はけの森美術館の庭園も颱風被害で入庭禁止となっていた。
右下の写真はうちの前、朝起きてみたら颱風で前の畑のビニールハウスが吹き飛ばされて電柱にひっかかっていた。
部屋に直撃してたらひとたまりもなかっただろうとびびる。



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 ● リキュールグラス ガラス製  径30×高さ75ミリ、 焼き菓子型 ステンレス製 98×51×高さ13ミリ。

朝市での買物は、ステム付きのショットグラス。
手吹きなのか2つ並べると微妙にかたちが違っている。
ステム部分は綺麗に面取り仕上げとなっている。
和製でしょうか? 色もあまりみないような微妙な緑色です。
お店はレインドロップス 1個400円。
菓子型2個分はおまけしてもらった。ナッツ皿として使えそうです。
通常出店の骨董市と若干異なった品揃えなのも面白い。
戦前ぐらいの時代の総桐仕上げの小抽斗が素敵でした。



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 ● 『彫刻コトハジメ』    小平市平櫛田中美術館   10月7日

同じ市内とはいえ平櫛田中美術館も久しぶりです。
秋のこの時期は特別展の季節。
入館料は割り増しですが、この土日は人形芝居の公演のイヴェント(無料)がありました。
糸あやつり人形は、もうずいぶんと昔に府中市の市民講座の日本の芸能ものの回で、寛永年間からつづく結城座のものを観たことがありますが。
大きな舞台に余りにも人形は小さく、まるで印象に残っていない。
今回の一糸座は、2003年にその結城座から独立した座。
演目は、「伊達娘恋緋鹿子八百屋お七」と「田能久」の二本立。
田中旧宅の廊下に亘る濡縁を舞台に中庭からの見学。
庭にはち切れんばかりの見物となりました。
長時間茣蓙に座りお尻はかなりつらかったけど、真ん前でかぶりつきで観れてラッキーでした。
浄瑠璃に三味線の音も素晴らしかった。
日本独自の四角の手板<ていた>には糸が20本ほどさがり、おでこ・肩を支える利き糸と 手・脚・爪先・肘・腰・首などを結ぶ遊び糸を巧みに操ります。
身の丈わずか2尺に満たないような「お七」の人形がまるで生身の人間のようにとてもリアルで繊細な動きをみせます。
上着をはだけ髪を振り乱し、自らの命を顧みず恋人の命を救うために火の見櫓の梯子を登っていくラストシーンは本当に感激ものでした。
昨年観た『阿波木偶まわし』も素晴らしかったけど、今回の江戸あやつり人形公演でも、あらためて日本の伝統芸能の奥の深さを感じた瞬間でした。

「田能久」は有名な古典落語に則し、義太夫を交えた人形芝居。
誰もが解る現代の語りで、ストリーもコミカルで明解な歌舞伎仕立ての作品ながら、
なんといっても細長い廊下をうねりながら縦走する特大サイズの大うわばみ(大蛇)が圧感でした。

明治150年記念にちなんだ特別展『彫刻コトハジメ』は、日本の近代彫刻の歴史を辿る展示で。
西洋の彫刻作品に影響された、このような日本の具象の近代彫刻ばかりを通しで観るのは初めてながら。
普段はさほど興味がないジャンルとはいえ意外と新鮮で面白かった。
ブロンズでこれまで幾度も観た、中原悌二郎の有名な「墓守老人」などのオリジナルの石膏原型像(個人蔵)が観れたのもよかった。
国立劇場に飾られている、平櫛田中作「鏡獅子」の制作をまたぐ数々の彫刻も、一つの作品を生みだすための工程が感じられとても勉強になった。
美術館では10月28日に津軽三味線のイヴェント、ほかにも秋のお茶会&菊展示もあるので、また行ってみたい。



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 ● KODAIRAわいわいバザール    10月8日

翌日は東京障害者職業能力開発校のこのバザー。
偶然やっているのを知って今回で4回目の入場。
最初は古着に群がるあまりの人混みに驚かされたけれど流石に馴れてきた。
ここぞとばかりガラクタの山よりめざといお宝を発掘する。

右下は今回の購入品:サラダボウル(100)、豆皿3枚(15)、コースター(10)、黒塗蓋椀(50)、枡(25)、重箱(200)、三脚(50) 合計450円



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 ● 会場は今年も人でごったがえしていた。

福祉関連の出店が多く、食品、古着、古書、雑貨の山となっている。
骨董市や企画フリマと異なり、バザーならではの廉価な掘り出し物が多くみられる。



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 ● 重箱 アルマイト製 192×192×高さ<組立時> 110ミリ

昔懐かしいアルマイトはハナヒサゴ印。
図柄はステンシルっぽい南天模様、当時の弁当箱にこのような図柄のものが結構あったっけ。
流石に塗りの重のような高級感はなくとてもチープだけど、金属特有の薄さでもって下段の重を入れ子にしてコンパクトに収納できるのがよい。
模様がなければ、なんだかMUJIの製品にも匹敵するような、とてもシンプルなデザイン
デッドストックだったのかほとんど使われた形跡なし。
本当は無地が好みだけども、懐かしさを重視して購入。



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 ● コースター    径87×高さ9ミリ

縁周りが少し色焼けしたコースター。
米粒のような刻印を帰ってからルーペで確認したら”CHRISTOPLE”とある。
高名なフランスの銀食器ブランドだった。
プレス加工で流石に素材は純銀というよりは、硬度や重量から察するに洋銀(銀メッキ)ではないかと思う。
意外なめっけもん、ステンレスのコースターより、やはり品がある。



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 ● 銘木桧枡    <一番大きな枡> 65×65×高さ42ミリ、<盃> 径34×高さ25ミリ。

この雛道具のような三つ組みの木枡の箱には「全国観光土産連盟奨励品」のシール。
一斗・二升・五合の木枡に「酒飲人」と書かれたちょこのおまけ付き。
しかし全部に酒を満たしても遙かに一合にも満たない容量のなさ。
こんな下戸仕立ての酒器でも気分もでかく大酒飲みとなれるのがウィットでよい。
何年お蔵入りしていたのか? それでも酒を注ぐと桧の香りがぐっと引き立って味わえるのがよい。
おちょこにいたっては溢れさせずに満たすのが難しいぐらいの容量のなさ、中国でみた闘蟋蟀用のミニチュア水飲みを連想させてしまう。
ああ酒飲人。



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 ● 三脚      <ケースサイズ> 280×45×60ミリ、(脚を最大に伸ばすと95センチほどの高さとなる)

付属の革ケースが新品同様で、この三脚はほとんど使われなかったのではないだろうか。
以前骨董市でこれより更に古いタイプの三脚を買ったけど、そちらは雲台の角度調整が効かないタイプだった。
50~60年代ころの製品だろうか!? YUTAKAブランドは不詳ながら、ケースのなかに押し込まれていたビニール袋から東京の会社だったようだ。
もはやコンデジ撮りばかりで三脚を使うこともないけれど、このような携帯携行品の三脚はやはり素敵だ。
たったの50円ではまったくもって偲びない。



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 ● ちびな器でちまちまとままごと飲み。

ままごと遊びが面白い。
こんな器でちびちびながらも、気付くと結構な量の酒を飲んでしまうから要注意!



バザーは楽し!! (*^_^*) 



  1. 2018/10/09(火) 22:34:42|
  2. うつわ
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