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うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

475 古筆切





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 ● 特別展『 古筆招来 高野切・寸松庵色紙・石山切 』展      埼玉県比企郡川島町  遠山記念館

博物館のコーナーでも、書道については門外漢のため、いつも飛ばして録に観ていなかった自分である。
それでも筆で書かれた仮名文字などが少しでも判読できたら、きっと面白いことだろうと近頃思うようになってきた。
流麗な仮名の書が載った「古筆招来」のちらしを手にした、会場は遠山記念館とある。
遠山記念館へは、以前一度だけグアテマラの布を観に行ったことがあった、川越からバスで行ったけれど結構大変だった記憶がある。

今回、札幌に住む友人の川越での個展の案内を頂いた。
川越祭りに合わせて3日間のみ上京するという。

というわけで、川越+遠山記念館コースを立ててみる。





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 ● 結構ママチャリで徘徊してしまった。

日頃の運動不足対策で、ママチャリで決行してみたが、完全に読みが甘かった。
遠山記念館へは地図上では、川越よりロードマップ1頁分ともう少しの距離、ということは自転車で1時間ほどか。
川越までのいつもの退屈ルートのさらなる先は、交通量甚だしく大型ダンプなどが行き交う状態、歩道や路側帯などもとぎれとぎれで、地方の道路というのは車のためにのみ造られているのだなぁと痛感する。
途中川を越したが、先日の颱風の影響か、川辺の樹木がなぎ倒されていて凄まじかった。
記念館は田園のなかにぽつりとあるのだけど、この間圏央道など新に出来ていて、その周辺ですっかり迷ってしまった。
ほうほうの体でどうにか到着するも、開館時間の10時を少し過ぎてしまった。
駐車場には車が数台、さすがに自転車置き場には1台も駐車していない。
こんな辺鄙なところまで自転車で来るひとはいないのだろうな。





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 ● 遠山記念館・美術館のエントランス

一昨年前にリニューアルしたという記念館。
開館は1970年今井兼次設計、以前訪れたときはどことなく薄暗く随分と古めかしいタイプの美術館だと感じたものだけれど。
リニューアルして綺麗になったせいか、今回は70年代の近代建築がかえって新鮮に見えてきた。
薄汚れた展示壁のクロスなどが、真っさらになるだけでも、作品鑑賞の空間のイメージがまるで変わってしまうから面白い。

小さな館なので展示数も30点余りのみ。
今回は、日本名筆集のコピーや文学全集の古今和歌集などの資料も鞄に詰め込んで、じっくりと古筆切に向きあうつもりであったが、ここでも読みが甘かった。
見学者の勝手な私語が、古美術鑑賞の集中力を妨げる。
息を殺して作品と向きあう集中力が潰えてしまい、途中で主屋の建物を見るなどして時間かせぎするも、美術館に戻ってみると時間のせいか、さらに見学者が増している。
新たなおばさんグループは、輪をかけて姦しい限りで本当に閉口してしまう。
国立の博物館などではみられないようなマナーの悪さだが、なぜなのだろう。
運が悪すぎ、鑑賞の気勢を削がれたのが残念だった。





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 ● 特別展『 古筆招来 高野切・寸松庵色紙・石山切 』展より

石山切  (個人蔵)
四季花束に文字入模様小袖 江戸時代 18世紀
秋萩蒔絵手箱  鎌倉時代 13~14世紀


「高野切・寸松庵色紙・石山切」名品を館外から借用した初めての企画であるという本展では、副題である三古筆の連れを招来し、平安時代の名筆が16点、鎌倉時代以降の古筆や蒔絵調度など、都合30点を展観する。


蒔絵や小袖のなかにも和歌の書が微妙な配置で隠されていたりと、歌を識ることにより工芸品の鑑賞の枠が広がるのが解り、そんな点も面白くおもった。

「川之辺一朝 初音蒔絵十種香道具」(明治期)は、諸々の道具の中に『源氏物語』の<初音>「年月を松に惹かれてふる人に けふの鶯の初ね聞かせよ」の文字が散りばめられているとても美しい漆工芸だった。
未知なる香道の世界「聞香」という字をあて匂いを聞くというのが、日本独特の美意識観であり感心する。





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 ● 高野切第一種    伝紀貫之筆 (上;五島美術館蔵、下;館蔵)

下の館蔵の書は、古今和歌集の第9・10番

9  ゆきのふりけるをよめる
           貫之
  かすみたちこのめもはるのゆきふれば
  はななきさともはなぞちりける
<霞がたなびき 木々の芽も張るという春が訪れ 淡雪が咲かないこの里にも 綺麗な花を散らしている >

10 はるのはじめによめる
      ふじはらのことなほ
  はるやときはなやおそきとききわかむ
  うぐひすだにもなかずもあるかな
<春になったのに まだ梅が咲かないのは 春が早すぎたのか 花が遅すぎるのかと 聞いて確かめたい鶯なのだが その鶯さえも鳴いてくれない>


「高野切」は、弘法大師空海の開いた真言宗の本拠地・高野山に伝来したことにちなむ名称である。
そして「高野切」といえば、現存最古の『古今和歌集』の写本として名高い。
紀貫之らによって選進された当初の原本は現存せず、この「高野切」は百数十年後の所産になる。

白麻紙に雲母砂子が一面に撒き散らされた奥ゆかしい料紙は、光線の加減によってその雲母砂子が凛然と輝き出す。
美麗な料紙の上を、淡々とした筆運びで、典雅的な情緒を醸し出している。
連綿の巧妙さ、墨継ぎの自然の美しさなど、仮名古筆の精華ともいえる。





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 ● 寸松庵色紙     伝紀貫之筆  (上;館蔵 中;五島美術館蔵 下;個人蔵)

上;古今和歌集 46番
むめのかをそでにうつしてとめたら(ば) はるはすぐともかたみならまし
<あたり一面に漂っている梅の香りを袖に移して いつまでも残せるものならば たとえ春が通り過ぎ去ってしまおうとも その記念になってくれようかもの>

中;古今和歌集 218番
としゆき
あきはぎの花さきにけりたかさごの をのへにいまやしかはなくらむ
<秋萩の花がきれいに咲いた 都だってこのようにきれいなのだから あの風光明媚の高砂の尾上は 推して知るべしだ 鹿がその花を喜び今しきりに鳴いているのではなかろうか>

下;古今和歌集 214番
たたみね
山さとは秋こそことにわひしけれ しかのねなくにめをさましつつ
<山里では秋がほかの季節と比べ ひときわ寂しくてならないものだ どこかで鳴く鹿の声にしばしば眠りを覚まされると 次から次へと物思いに追われてなかなか寝つけない>


「寸松庵色紙」は、わずか13センチ四方の実に可憐な古筆で、その小世界に絶妙な書風が展開されている。
色紙とはいっても今日見るような色紙と異なり、襖や屏風などに型取られた色紙形に見立てた呼称である。
掛幅の表具の古裂なども渋く凝ったものが見られ、本紙のみを見るばかりではなく、表具も絵画と額縁の関係と等しく一体となっている点を、改めて面白く鑑賞した。
料紙には中国から舶来の美麗な唐紙が用いられている。
雲母の型文が光りの角度によって微妙に紙面に浮かび上がり、古筆にさらなる奥の深さを与える。
無機質な展示壁ではなく、ちらしの写真のごとく茶掛として、実際に床の間などで自然の光りで見れた場合は、どれだけの侘び寂び具合が発揮されようか。
想像するだにぞくぞくしてしまった。

館蔵(上)の古筆「むめのかを」は、唐紙の状態があまり良くなく、料紙には縦横に折れが入っており、記念館だよりにも一文が記されてはいるが、なんだか刻々と変化する空をずっと眺めているような深みを感じとても素晴らしかった。
この枯淡ともいえる美しさに惚れ惚れしてしまったわけだが、当然ながらもこれは当初の姿ではないという。
平安王朝人が求めたのは、舶載の珍奇な唐の紙に、最先端の仮名書で和歌が書かれた華麗な調度手本で、表紙や納める箱にも装いがこらされており、枯淡のあっさりしながら味わい深い趣とは対照的な世界であったという。

連綿書きされる仮名文字と運筆のリズム感がたまらない、小さな紙面ながらも果てしない広がりを感じさせる「寸松庵色紙」である。





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 ● 石山切   (上; 貫之集下 藤原定信筆 館蔵 下; 伊勢集 伝藤原公任筆 館蔵)


上;
賎するところによめる雨のふりけれはひさかたのあめもこころにかなはなむ
ふるとて人のたちとまるへく
みちのくにへたる人ををしめる
かりころもするなにおへるしのふやま
こえん人こそかねてをしけれ
とほくゆく人に
またもこそものへゆく人わかをしめ
なみたのこさすきみになきつれ

下;
よろこひけりつかうまつるみやすと
ころも后にゐたまひぬ宮をかつら
といふ所におきたてまつりてみつから
はきさいの宮にさふらふあめのふ
る日うちなかめておもひやりたるを
みや御覧しておほせらる
月のうちにかつらの人をおもふとや
あめになみたのそゐてふるらん
御かへし


「石山切」は料紙自体があまりにも華麗で、大胆で斬新であり、どこか一幅の画を見ているような気分となる。
型文様の雲母刷り、金泥銀泥での下絵描き、継ぎ紙の具合などのどれもが秀逸で、和製のから紙の美しさを随所に満喫できて魅了させる。
古筆による歌を組み合わせることにより、画を見る以上にその光景がリアルに想像させられていくのだから、料紙の世界はなんとも奥が深いかぎりだ。
これがさらに色あせや色焼が一切ない当初のままの姿であったならば、その流麗度は輪を増して煌びやかであったにちがいない。





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 ● 数寄屋建築の極み 遠山邸

のどかな田園風景の中に静かな佇まいを見せる遠山邸は、日興證券の創立者・遠山元一が、幼い頃に手放した川島町の生家を再興したもの。
2年7ケ月を費やし昭和11年に完成した。
2018年には遠山邸は、国指定の重要文化財となった。





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 ● 邸宅見学も魅力のひとつ

邸全体は建築様式を異にする3棟が渡り廊下で繋がっており、その部屋数の多さに驚かされる。
優美な和の意匠、実生活ではどのような調度が用いられていたのだろうか。





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 ● 凝った細部

欄間、壁、建具、天井、窓、照明具、敷石・・・・・・、数寄屋建築の粋を籠めて建てられた遠山邸。
時とともに風格を増す寂びた美。
現代では、このような良材や職人の技術も覚束ないにちがいない。





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 ● 観光客で溢れる川越

遠山記念館のあとは、川越での友人の個展へ。
川越へは、年に数回は行くけれど、骨董市や博物館を観るばかりで、メインの観光通りへ行くのは本当に久しぶり。
明日から川越祭りということもあり、紅白のだんだら幕で市街が飾られていて、普段とは随分と趣が異なる。
それにしても観光客の多きことよ、そして余所の観光地同様にアジアからの観光客で溢れていた。

友人と会うのも本当に久しぶり。
銅版画は劇薬を液材などに使用するので、近年では少しでも身体のリスクを軽減するために、コラグラフに代えたという。
コラグラフは、樹脂板にモデリングなどして版材とする手法で、原版の耐久度は劣るが、反面インクや絵の具などの自由度が効くという。
さらに木版を重ねたり、版画インクのほかにも、アクリル絵の具やメディウムなどを併用し、雲母のかわりにパールパウダーを混合したりして、色彩的にも随分と鮮やかで美しかった。
インクの載せ具合はなかなか難しいらしいが、それでも端正な銅版画とは異なり、ムラを含めた階調の幅も持て、モノタイプではないけれどそんな偶然による効果も面白い。
小品から大作まで、どの作品も軽やかで彼女らしい魅力に溢れていた
B全サイズの大きな作品は自宅のプレス機では刷れないために、札幌の芸術の森にある共用ラボを使用しているという。
身近に市民が活用できる立派な設備が完備されていて、予約も東京ほど混まず、札幌は結構版画制作の環境としては都合がよい地であるという。
東京から札幌へ引越のときに、銅版画プレス機はピアノなみに搬送料金もかさばり移動も大変だったという。
むかし遊びに行った時にマンションにあった版画プレス機が、なんとも懐かしい。

また個展では、友が友を呼び、本当に久しぶりに学生時代の友人に会えて、そちらも嬉しかった。

往きはよいよい帰りは思わぬ雨のアクシデント。
雨合羽はあってもこの距離の移動だとすっかり汗で蒸れてしまい、家に着いた頃にはすっかり濡れ鼠状態となってしまった。
まあ一応は予定がクリアーでき無事生還、明日からの筋肉痛以外は良しということにしよう。





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 ● 古筆を堪能

門外漢の古筆鑑賞ながらも、じっくりと書に向き合えてとても勉強になった。
今後は博物館の書のコーナーでも飛ばさずじっくり鑑賞してみようと思う。






チャリでの徘徊、川越から先は今後はなしだな!  (;_;)  





  1. 2019/10/18(金) 19:33:38|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

474 きのこのなぐさめ







静寂がボートを包む。
その静寂は大地の灯が消え、人の言葉、
曖昧な考えごと、夢が忘れられた時の星々のよう
私は交互にオールを下ろし、
また上げる。ふと耳を澄ます。
海にかすかに響く水滴の音で、静寂がいっそう強く迫る。ゆっくりと
もうひとつの太陽に向かって、霧の中、ボートの向きを変える。
凝縮された人生の無意味さ。そして漕ぐ。
漕ぐ。

       コルベーン・ファルクエイド (詩集『もうひとつの太陽』より)




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 ● 『 きのこのなぐさめ ”STIEN TILBAKE TIL LIVET” 』  ロン・リット・ウーン 著    枇谷玲子・中村冬美 訳  みすず書房   2019

著者のロン・リット・ウーン(龍麗雲)と、ササクレヒトヨタケ Coprinus comatus



きのこがひとつ、喜びがひとつ。きのこがふたつ、喜びがふたつ。

悲しみの淵にいた私を、そこから連れ出してくれたのは、きのこだった-。

マレーシア人の著者は、文化人類学を学ぶ交換留学生としてやって来たノルウェーでエイオルフと出会い恋に落ち夫婦となる。
夫の突然の死で、最愛のパートナーを失った著者は、喪失の痛みのさなか、ふと参加したきのこ講座で、足下に広がるもうひとつの世界、きのこの王国に出会う。
きのこたちの生態は、不可思議な魅力に満ちていた・・・・・・。
苔むす森でのきのこ狩りの効用と発見の喜び。
きのこ愛好家間の奇妙な友情と不文律。
専門家・鑑定士への「通過儀礼」。
絶品のきのこ、悪名高いきのこ、色・形・匂いの個性とその奥深さ。
とっておきのきのこレシピ。
悲しみの心象風景をさまよう内面世界への旅と、驚きと神秘に満ちたきのこワンダーランドをめぐる旅をつづけ、魂の回復を迎える、再生の物語。
訳120種類のきのこが登場。

                      ・・・・・・・・本書紹介文より(一部簡訳)


写真入りで多くのきのこについては紹介してはいるものの、
よくあるところのきのこ図鑑とは、まるで異なったきのこ本である本書は、前述の紹介文のとおり、死の話ときのこの話が順に織りなされる内容となっている。
はじめは、夫の死との悲しみときのことの一体に、何の関係があるのと戸惑うものの、やがてきのこを通じ心の痛みを癒し、光りを投げかけ、再生の道へと導いていく。
著者は悲しみという心象風景を行く内面世界と、驚きと神秘に満ちたきのこのワンダーランドと二つの世界に読者を誘う。
ノルウェーとマレーシアという大きく異なる文化を、社会人類学者である著者が、死生観や社会・家族・個人のあり方や食生活、風習などの違いや共通点を分析、思考している点も本書の大きな魅力となっている。


冒頭に載せた現代ノルウェーの国民に強く愛されているファルクエイドの詩は、本書の見開きに記されている。
1989年出版の『 もうひとつの太陽 ”En annen sol” 』という詩の一節で、25歳で自死した愛する娘を偲んで編まれたもの。
湖上の静寂と孤独感が息苦しいほどに迫る、この美しくも悲しい詩を、著者が死別した夫との悲しみを、きのこを求め森をさまよううちに癒していくように、読者もどこか緑深いノルウェーの森の中を歩いているような気分に浸されていく。


マツタケ、アミガサタケ、ベニテングタケ・・・・・など、わずかに食べたことがあるきのこや、毒きのことして知っているものも若干はあるけれど、そのほとんどは本書の写真で初めて目にしたきのこばかりである。

ノルウェーのきのこ本だから、当然和名にあてられない日本に生殖しないきのこも多く紹介されている。

それでも、有毒無毒を問わず、写真に載ったこれらのきのこを眺めているだけでも、いろいろあって見飽きない。

各々の細かな解説は、読み物としてもとても優れた本書を実際に読んでもらうこととして、まずは写真だけですが、ずらりと並べてみることにする。

** <各写真のきのこ名称は、左上→右上へと順次下がる羅列で記す>




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 ● きのこ8種

ツバフウセンタケ Cortinarius armillatus
タマゴテングタケ Amanita phalloides
トガリアミガサタケ Morchella conica
マツタケ Tricholoma matsutake
ユキワリ Calocybe gambosa
ムラサキシメジ Lepista nuda
サルコソマ・グロボムス Sarcosoma globosum
カラカサタケ Macrolepiota procera


日本人のきのこ観での最高峰といえば「香りマツタケ味シメジ」の、なんといってもマツタケといえようか。
このマツタケは、ノルウェー人のアクセル・ブリュットがオスロ郊外で発見したのを考慮して、1905年に初めて学術的にTricholoma nauseosumと記述された。
種小名の<nauseosum>に、不快という意味のラテン語を選んでおり、お国変われば何とやらで、きのこのもつ匂いの好みも随分とはっきり分かれてしまう。
米国の有名な菌類学者デイビッド・アローラにいたっては、マツタケの匂いを「汚い靴下」とみなしているほどで、なんとも辛辣だ。

1999年日本のマツタケTricholoma matsutakeと、ノルウェーのマツタケTricholoma nauseosumが同種であると証明されて、その後学術的伝統と学名命名法規則の「先着順」の原則を覆して、最終的に日本のマツタケのTricholoma matsutakeに統一された。
それはすなわちリンネによる学名命名法則が確立される以前のはるか昔に、既に万葉集のなかに「高松の この峰の狭に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ」とマツタケが詠われており。
国民の宝に永久に「吐き気を催すようなきのこ」の命名を見過ごせなかった点が発端をなし改名された特異な流れをもつ。


本書の「アロマ・セミナー」の章では、ノルウェーのきのこ文献で表現されているきのこの匂いと、きのことは関係のない他の匂いの専門家にきのこの様々な匂いを嗅いでもらって、どんな匂いがしたかを表仕立てで比較記録している。

木材、ボール紙、きゅうり、ラベンダー、アニス、サケ、アンモニア、消しゴム、苔、軽油、地下室、カビ、腐った魚、リコリス、リノリウム、新しい車、自然派石鹸、焦げたような、嫌な息のような・・・・・・・・・・・・・と、その表現は、ワインのソムリエをも凌ぐ語彙に溢れていて、実にいろいろだ。

果実や花などの甘い香り系の匂いはすんなりと理解におよぶが。
たとえばクサハツ<Russula foetens>などは、匂いの特徴として、甘ったるい、蜂蜜、メロン、苺、プール、塩素、アーモンド、濡れた黒板消し用スポンジとあり、被験者の印象では、良い40%、悪い40%、匂いがない20%と意見もさまざまだ。
それにしても、濡れた黒板消し用スポンジなんてちょっと感覚的にも想像もつかないような奇異な匂いの表現もあって驚かされる。

自分の場合は、高価なマツタケも、当時は地元に流通していなかったせいもあり、子どもの頃は貧相にも思い出すのは永谷園のマツタケ茶漬け(結構苦手な味だった)味といったわびしさだ。
以降は、ご馳走で土瓶蒸し、マツタケご飯、直火焼きなど幾度か高価なマツタケを頂くものの、これといった有り難さはいまだに感じられないままきてしまった。

現代では、シイタケ、エノキ、エリンギ、シメジ、ナメコなど人工菌床でハウス栽培されたきのこが普通に溢れていて、日々の食事できのこを食べる機会も増えている。
しかし地物の季節のきのこを食べることが一切なくなった。

春の山菜採集と、秋のきのこ狩り。
どちらも当時は野で得れる貴重な食材だったから、ワラビやフキの煮物は頻繁に食卓に上がったし、きのこの季節には、きのこ汁ばかりが延々と続いていた。
ぬめぬめとしたきのこばかりを食べていくと、自分のからだがマタンゴ(当時あったきのこの怪獣映画)化していくようでとても嫌だった。
だけど、親族総出の野外でのきのこ狩りは、とても楽しくよい思い出となっている。
牧場際の森林に分け入り、ラクヨウ、ボリボリなどの数種の食用きのこを探す。
子ども心にもしっかりきのこモードの視線が生まれ、各々が競い合うようにきのこを採集していく。
一人分がたかだか一袋程度の採集といえども、一同総計すると米袋数袋の多大な分量となっていく。
確かに一度にこんなに沢山の量は食せないはずなのに、特にきのこを日干しに乾したりしたわけでもないのに、きのこの週はきのこばかりが延々とつづき、やがて食べ尽くしてしまうことの不思議さよ。
あの時森で嗅いだどこか陰湿なきのこの匂い、鮮やかな毒きのこの笠の色など在りありと思い浮かべてしまう。
近年川釣りをして感じたように、きのこ狩りも釣り同様に環境さえ整えば、意識して系統的な自然観察の目を養うにはぴったりの世界である。

本書のようにきのこになぐさめを求めるわけではないけれど、きのこの魅力にどこか導かれたい自分がいる。





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 ● きのこ4種

カノシタ Hydnum repandm
ニンギョウタケモドキ Albatrellus ovinus
アカモミタケ Lactrius deliciosus
クロラッパタケ Craterellus cornucopioides




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 ● きのこ3種

アガリクス・アウグストゥス Agaricus augustus
プシロキュベ・セミランタケ<リバティキャップ> Psilocybe semilanceata
キンチャクヤマイグチ Leccium versipelle


上下写真の肥えたきのこに挟まれて、中央写真のひょろりとなんとも頼りない<リバティキャップ>は、いわゆるマジック・マッシュルームの類の幻覚きのこらしい。

本書の「名もなき者たち」の章ではそんな幻覚きのこについても触れている。

ノルウェー警察麻薬取締捜査部Kriposの「麻薬リスト」には、その他の幻覚誘発生きのこの一覧表が記されており、ビロード-ベニヒダタケ、ヒカゲタケ属が3種、そしてシビレタケ属では30数種ものきのこが登録されている。

シビレタケ属<Psilocybe>にはシロシビンという物質が含まれ、生や乾燥物を食用すると、使用者は知覚が鋭敏になるとともにすっきりした感覚になるという。
さらに周囲のものの色形が変化し、周りの景色が面白くスリリングに見えてくるらしい。
時間の感覚が弱くなり使用者は、自分と周囲の垣根がなくなり「自分と周囲とが一体となる」ように感じる。

リバティキャップは古くから人を惹き付けてきた。
民族菌類学の父R・ゴードン・ワッソンは1950年代にメキシコを訪れた時、約50種類のシビレタケ属のきのこがあると聞きつけた。
このようなきのこは、特に宗教上の儀式と関連して地域の住民に用いられていた。
ワッソンは複数の情報源から、メキシコの聖なるきのこは「神のおられる場所へと誘う」と聞き興味をもつ。


本書ではリバティキャップのヘビーユーザーのインターネット上の「レベル」表を記していた。


レベル1; 軽く「ハイになる」作用、視覚効果(明解さが増した色彩、コントラストの強化)、短期記憶にわずかな変化が出る。

レベル2; 強烈な色彩の視覚効果(物体が息をしたり動き出したり等)、場合によっては目をつぶると二次元の模様が見える。混乱が生じ、思考は一定しなくなる。

レベル3; 大変明確な視覚効果。壁のような凹凸のない面の上で全てが湾曲したり、あるいは模様になったり万華鏡模様になったりする。目をつぶると三次元の幻覚が見える。色を味わったり色調の匂いを嗅いだりなどの共感覚(感覚の混乱)が生じる。時間の感覚が湾曲し、一瞬が永遠に続くように感じられる。

レベル4; 強い幻覚が生じ、物体が互いに融合し形を変える。自我を失う、あるいは分散する(物体が話しかけてくる。思考が同時に矛盾するように感じる等)、現実を失いそうになる。時間が意味を失うような感覚に陥る。体外離脱感覚を味わう。感覚が混乱するばかりではなく、全てが融合する。

レベル5; 現実世界から完全に切り離され、自分の周囲とは何のつながりもなくなってしまう。目に入るものは全て幻覚である。自我を完全に失い感覚は通常通りには機能しなくなる。周囲の物体や宇宙全体と融合する。現実感の喪失があまりに強く言葉では表現できない。このレベルになると全てを超越してスピリチュアルな教えに到達できる。宇宙と融合し、悟りの境地に達する。



ともかく幻覚きのこの凄さをしっかりと感じさせるリポートで、共感覚を増していくとホドロフスキーのサイケデリックな映画『ホーリー・マウンテン』を地でやっていくような具合だろうか。

近所の薬用植物園の展示コーナーでも、覚醒剤としての原料は、大麻、ケシ、サボテン(ピヨーテ)などの警告展示はなされていても、このリバティキャップのきのこは見かけなかった気がした、今度確認してみよう。





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 ● きのこ4種

ドクツルタケ Amanita virosa
ミキイロウスタケ Craterellus tubaeformis
ジンガサドクフウセンタケ Cortinarius rubellus
ヤマドリタケ Boletus edulis



きのこの採取で敷居が高いのが、やはり食用となるものと毒をもつものの識別法にあるのではなかろうか。
外見が似たようなきのこが無限とあり、国によっても可食の基準が微妙に異なっていたり、「毒を制す」じゃないけれど加工・調理の具合によっては食用となるものもあったりもする。
有毒の場合は即座に強烈な神経反応のあるものや、ほかにも体内に内在し数年を経て発覚するタイプのきのこなどいろいろあるようだ。
きのこの料理は前菜からデザートまでさまざまなレシピが存在するが、店頭に並ぶハウス栽培の食用きのこですら、極微量の毒素を含むらしいから、絶対に生では食べないようにと知人が言っていた。
焼いたりソテーしたり、塩蔵や乾物にしたりと、きのこ料理の調理の可能性を見出していくのもきのこを身近に楽しむ方法のひとつだ。

かってタイで求めたきのこの乾物のパッケージには、なんとも怪しげな呪文のように「このきみみろいろし」と平仮名で記されていたが、逆さから読んでみればなんということはない。
シロキクラゲの乾物は一頃は結構見かけたけれども、この頃はすっかり品を潜めてしまった。
東南アジアの甘味風に、シロキクラゲを糖密で戻したデザートの、微妙な食感が好きだったので少々残念だ。

旅をしていたときを、いま思い出してみたらフクロタケを使った料理、さまざまな種類のきのこカレーなども頻繁に食べていたはずだ。
過ぎ去った思い出とはいえ、いま新らたにおなじ食べ物に接することができたなら、きっときのこを通して何倍にも興味の持ちようが増すにちがいない。





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 ● ノルウェーのきのこ(上)、環のように生えるベニテングタケ Amanita muscaria (下)

本書表紙のきのこを描いた油絵 "Mushroom"は、Sir William Nicholson 1940 の作品。

まずはじめに、皿上に、笠の部分を下にして裏のひだを見せるように幾重にも置かれた、じつに質朴な色遣いのきのこの油絵が目についた。
次いで、本書の和題であるところの「きのこのなぐさめ」なる音の響きと、漠然と連想させるそのイメージ。
そして、さらに本書を開くと、草や苔、落ち葉のなかに置かれ寝かされ撮られた、著者が写したであろうきのこの写真のオンパレードだった。
日本のきのこ図鑑のきのことは、まるで趣を異にした不思議な演出で、そんな些細な点に、未知なるノルゥエーにもしっかりときのこの文化が息づいているように感じられ、すっと魂を惹かれるようにこの本に魅せられたのだった。

まず一番目の口絵として使われていたのが”ノルウェーのきのこ”のこの写真。
どうやら期待は裏切らないようだ。
鮮やかな赤や、濃い紫、淡い黄色や朱色と多くの色彩にあふれたさまざまなきのこに出会え嬉しかった。


子どもの頃読んだグリム童話などの絵本のなかに、深く怪しげな森のなかに、紅く鮮やかなきのこがよく描かれていた。
食べたら絶対死んでしまう毒きのこ、子どもこころにも危険な毒きのこのイメージを植えつけていたその代名詞ともいえるのが、このベニテングタケだろうか。
写真のものも環状に、まるでそこだけ鮮やかな紅がお花畑のように美しく見えてしまう。
毒の強さが、そのまま美しさと素直に比例して表されている好例ともいえるケースである。
シベリアの古代壁画のなかには、ベニテングタケと重なるような姿のシャーマンの人画も確認されており。
ベニテングタケとシャーマニズムの結びつきを強く意識させる。
先に記した幻覚作用を有するきのこじゃないけれど、きのこの種類によっては人類の長い歴史の上でも、服用すると現れる深い幻覚の霊性に一縷の光明を見出してきたともいえる。

そして、きのことして普段私たちが認識させるのはこの笠をもった子実体の状態あっての姿のみ。
普段は目にみえない菌体である全体がきのこの正体であることはいうまでもなく、きのこの世界はその実体を含め不可思議な魅力に溢れている。






本書は一風かわった”きのこ本”、結構お勧めです!  (^_^)v  






  1. 2019/10/18(金) 19:00:31|
  2. 雑 閑
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473 ワンコイン






秋の連休、今年も市内の福祉バザーへ行ってみた。
人混みは苦手ながらも、このような一般の市民が芋洗い状態になっているイヴェントは、妙な活気に満ちており、逆にどこか楽しく感じられるからとても不思議だ。
最終日、残すところあと1時間ということもあって、半額セールになっている。
家の食器はもう十分に足りているのに、気付くと物欲にまみれて物色している自分がいる。





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 ● 黒ジョカとぐい呑み(5個)セット    ジョカ;160×径145×高さ135ミリ、盃;径62×高さ40ミリ

黒ジョカは既に2つ持っているけれど、これからの季節焼酎の燗付けに愉しめそうということで購入、50円。
黒釉に鉄釉の垂れのある仕上げ、箱には溶岩焼・漆間窯とある。




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 ● ボヘミアグラスのデザートグラス    径78×高さ80ミリ

コップは結構もっているほうだけれど、10円コップのなかにこんなものが混じっていたのであなどれない。
チェコスロバキアのボヘミアクリスタル、腐食線文の花唐草模様が綺麗だ。
ちびデブ薄手体形のグラスはデザートグラスの類だろうか、冷酒を飲むのに丁度良さそうな大きさである。
クリスタルなので、器同士を打合わせたときの音がとても澄んでいて美しい。




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 ● 和紙の銘々皿   110×110ミリ

ナッツ受けやコースターかわりになりそうな紙皿、6枚揃えで5円って使い捨ての紙皿の値段以下の有り様でなんともかたじけない。




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 ● 帯状の織物     長さ1220×40ミリ

屋内体育館では古着市が開催されており、その凄まじい様相はまさに芋洗い状態。
細巾の帯は綿で織られ、どこか中南米あたりの織物のようにみえる。
なぜかベルトのコーナーに混じっていた、30円。
カーテンの留め紐として使えそうだ。




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 ● 『殺しの烙印』 鈴木清順監督 1967年 日活  より

おまけながらも、連休の暇つぶしに借りてみたDVD。
パッケージには日本のフィルムノワールの傑作と詠われてはいたが、内容がはちゃめちゃの宍戸錠主演のB級殺し屋映画だった。
飯が炊き上がるのがたまらなく好きという主人公である殺し屋が、折りに触れ炊飯器の出す湯気を嗅ぐフェチズムがなんともたまらない。
しばしば登場するパロマのガス釜は、きっと当時の新商品だったのだろうな。
ハードボイルドを気取ってはいるものの、宍戸錠の絶対詰め物を入れているんじゃないかと思われる腫れた頬っぺがいつも気になり、つい笑ってしまう。
鈴木清順監督はこの作品で日活を移籍となったというが、晩年に撮られる『ピストルオペラ』は、この作品のオマージュといわれているからそれなりの思い入れがあったのだろう。
で、映画のなかで画面にトーチカが現れて、殺し屋同士の対決で火が放たれるシーンがある。
燃えるトーチカから抜けだした相手の殺し屋は、当初は火だるまとなって100m疾走する予定であったが、確かにそれではやり過ぎでしょう、「それじゃ絶対死ぬだろう」という宍戸錠の助言もあってこのシークエンスは結局17mに縮小されたという。

そしてよく見ていくと「えっ、これってあそこじゃん」、そんな軍事遺産に勝手に火をつけてよいのだろうか!!
・・・・・・・ということで、巻末附録の監督インタヴィユーには、しっかりとあの島の名前が載げられていた。




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 ● 猿島の遺物     横須賀市    2016年撮影

ということで、映画のロケ地は横須賀沖に浮かぶ軍事要塞、猿島が舞台なのだった。
同じく世界制覇を目論む、仮面ライダーのショッカーのアジトもどうやらこの猿島であったらしい。
規模が少々違う気もするけれど、きっと映画で建物の一部が損傷してしまったのだろうなぁ。




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 ● 福祉バザーと、本日の買物

買物というには、ペットボトルの飲み物一つ買うにも満たない金額となり、フリマを超えた福祉バザーのコスパの凄さには毎回畏れ入るかぎりだ。





ワンコインと謳ってみたものの、今日の買物は総額105円でした。 (^_^;) 





  1. 2019/10/15(火) 10:38:11|
  2. うつわ
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472 TOP








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 ● TOP(TOKYO PHOTOGRAPHIC ART) MUSEUM 東京都写真美術館 / 恵比寿ガーデンプレス内


久しぶりの写美、お目当ては『イメージの洞窟』展のOPEN対談だったけれど、当日は偶然にも都民の日(10月1日)ということで、入館料フリーデイ。
開催中の3展覧会をまとめて観てきました。





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 ● 『イメージの洞窟 意識の源を探る』展





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 ● フィオナ・タン、ジョン・ハーシェル、オサム・ジェームス・中川、ゲルハルト・リヒター、志賀理江子、北野謙

近年の写真事情にはまるで馴染みが薄いため、ここに載った作家もほとんど認識がないままの鑑賞となる。

ドイツの代表的な現代美術作家ゲルハルト・リヒターぐらいは知っているけれど、リヒターって近年はこんな作品(写真の上からペイント)も作っていたんだなぁ。
それにしても現代美術作品らしく大きな画面を想像していたけど、スナップサイズの小さなものだったので逆に意表を突かれてしまう。
そしてその小ささに引き込まれるように、数ある展示された作品の、ペイントの地となった微妙に見え隠れするオリジナルの写真の実像を探るように見入ってしまう。
出入り口が同じという洞窟ならば、これは洞窟の入口から未知なる内部を除くような行為といえそうだ。

同じように洞窟の内部へ向けて人影が投影しているのが志賀理江子の作品。
黒く潰れた人影のなかに、目を凝らすと更なる人物が確認できる。

ジョン・ハーシェルは19世紀英国の科学者であり、光学研究者。
はじめてフォトグラフィー(photography)という言葉で包括的に写真を定義し、独自の写真方式であるサノアタイプ(青写真)も発明した。
1816年頃からカメラ・ルシーダを利用したドローイングを制作し、これが彼の友人のタルボットによる世界初のネガポジ方式による写真技術の発明にも繋がっていく。
「海辺の断崖にある洞窟、ドーリッシュ・デヴォン」はカメラ・ルシーダを用いたドローイングの早期のもの。
洞窟内部の暗闇から、外部の明るい光りを求めるように記されたその構図は、本展のちらしの写真ともなっているフィオナ・タン「近い将来からのたより」にみる、洞窟を写した輪郭に重なるようなかたちとなっているのも面白い。

フィオナ・タン「近い将来からのたより」2003年(9分30秒)は、アムステルダム映画博物館の古い記録資料を活用したファウンド・フッテージ<既存の映像を部分あるいは全体に用い、新しく作品を作る手法>作品。船の帆、波、滝、洪水など水のモチーフを繰り返して提示し、流れる時間と記憶の関係を詩的なサイエンス・フィクションとして探ろうと試みている。
古映像に付随した当時のざらついた音響、折りに触れ流れるメランコリックでどこか不安を誘う音楽と相まって、気付くと大壁面に投影された画面と一体となって自身も水の流れのごとく流されていく、時間を超えた不思議な錯覚感がたまらない。
ビーズ・クッションに臥し、ゆったりリラックスしながら、現代から過去へ向けてのタイム・スリップ、すっかり気に入ってしまい4回も視てしまった。

オサム・ジェームス・中川が撮影した沖縄の洞窟「ガマ」(第二次世界大戦中の集団自決という歴史背景をもつ)は、真っ暗闇の洞窟内を人工光と超解像度のデジタルカメラで長時間撮影したシリーズで、幾重にも施したレイヤーワークのデジタル処理により、その諧調を微妙に仕上げた作品。
展示室中央には、環状に吊された洞窟写真(和紙にプリント墨で塗りつぶされた写真のなかに浮かぶ微妙な頃合いのテクスチャーを表現)がインスタレーション風に展示されていた。
日系米国人である中川は、日本とアメリカにまたがるアイデンティティの葛藤を軸に、記憶、歴史、家族などをモチーフに制作活動を行っていること。
一貫してデジタル技術と特殊なプリント技法を用いて、過去の記憶を想起させるとともに新たな写真表現を模索していることが、今回のTALKイヴェントで識れた。
作者の頭のなかには、展示作品をただ観ただけでは想像しえないさまざまな要素が集積されており、やはりこのようなTALKには聴くべきものがあると感じた。

北野謙の「N1」未来の他者より 2018年は、フォトグラム<カメラを使わず、物体を印画紙にい直接のせてイメージを写し取る写真の制作技法>を用いて、乳児の輪郭部を印画紙に焼きつけている。
数ヶ月前までこの世に存在しなかった人物の影を光りに記録することで、向こうの世界と現実のはざまにいる絶対的他者に思いをめぐらせている。
カラー印画紙を用いたこのフォトグラム制作では、光源が一切皆無の完全暗室の世界。
母体内に逆戻りしたような、そんな暗闇のなか、赤ちゃんが印画紙に接触した瞬間にギャーっと泣き出したり、オシッコを洩らしたりと制作最中のハプニングもたえなかったという。
赤ちゃんのもつ微妙な湿気や体温が、色温度の変化で印画紙にも現れ、現像して上がってくる最後の仕上がりまでは、実際に印画としてみないと読みきれない要素がとても多いという。
一昨年前、埼玉県立近代美術館の展示で発表された「未来の他者」シリーズでは、赤ちゃんを多重露光して、幾重にも動きが重なった、”増”的な作品であったから、今回のフォトグラムでは正に相反する表現ともいえる。
それでもフォトグラムで得た実像をネガに、さらに反転させたポジを得たものを同時に展示するなど。
つねに実像と虚像、内なる世界と外なる世界へと、両極へと移ろう狭間の汀を意識される作風が興味深い。






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 ● 『写真の時間』展

「TOPコレクション」は東京都写真美術館の収蔵作品(約3,500点)からの紹介展。
今回の『写真の時間』展は、写真が持つ時間性と、それによって呼び起こされる物語的要素に焦点を当てたもの。
一瞬の瞬間を切り取った写真ながらも、そのイメージは記憶の奥深くにまで働きかけ。
現在ばかりか、過去や未来に、あるいは音や匂いといった視覚以外の感覚をも喚起させる。
そのように、写真の時間の流れや物語性にスポットをあてた構成となっている。





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 ● 米田和子、畠山直哉、田口和奈、NASA<月面の影>、川内倫子、緑川洋一

ちらしに使われた6作家の作品。

米田和子(左上端)は、著名人の眼鏡越しに関連する手紙や原稿、写真などをメガネのレンズとともに写した作品。この作品は「安部公房の眼鏡-『箱男』の原稿を観る」
ほかにも、フロイト、ヘッセ、マーラー、谷崎などの作品が紹介されており。
鑑賞者は、眼鏡のクローズアップで時を超え、あたかも著名人自身の視線に同化したかのような不思議な錯覚を覚えてしまう。

畠山直哉(左上より2番目)の「Slow Glass」シリーズは、雨粒が付いた窓越しの景色を撮った作品。
ガラスに張り付く雨粒に焦点があうものの、鑑賞者はモザイクがかった背後の風景にどこか注視してしまう、そんなオール・オーバーな魅力がある。

田口和奈(左上から3番目)「あなたを待っている細長い私」は、女性ポートレイトを二重焼きしたもの、多重露出のように、実際の肉眼ではとらえられない、画像のタイムラグが時間を封印している。

「月の影」1966-69年(右上端)NASAが撮った月面写真、TOPコレクションのなかでもこういった科学写真は珍しいのではないだろうか。
写真も現代のようなデジタル処理が可能となる以前は、光学機器の限界もあって、細部を集めて全体をみせるのにはこのようなタイル張りして、出来る限り収差補正する方法がとられている。
わずかに半世紀前の最新鋭の記録方法とはいえ、この間の写真技術の進歩には凄まじいものがある。
パノラマカメラが流行った一時期もあったが、それ以前は似たアングルで水平移動させたカットを幾度も撮り、仕上がったプリントを並び合わせてパノラマ写真に仕立てていた。
いま観るとこのような作品もアートっぽくみえてしまうから何とも不思議だ。

川内倫子(左下)「無題 illuminance より」2007年 は、何気ない日常的な通学風景を撮ったような作品。
川内作品には、どこか私小説のような、とても私的な視線とイメージであふれている。
川内作品のコーナーのみがこの展覧会でも随一スナップ撮りが可能であり、また大小のサイズがバラバラな写真を壁にランダムに配していて、それ自体を含めてインスタレーションとなっており現代作家の自由性を強くかんじさせる。
制作者の意識とはべつに、鑑賞者によっても新たな視点でもって写真は自由に変化していくようだ。

緑川洋一(右下)「ほたるの乱舞<瀬戸内海とその周辺より>」1957年
緑川作品というと色彩鮮やかな風景写真のイメージがあったけど、
こういった実験的試みの作品もあって驚かされる。
夜間の長時間露光により、ゆったりと飛び交っていただろうほたるのその軌跡が、そのタイトルにあるがごとく乱舞した激しい光線に変化している。
儚き命の虫に潜む生への限りない強さを印象付けるも、現れた画像はどこか現代美術の絵画作品のようでもあり新鮮だった。


ほかも写真の黎明期のもの、ウジューヌ・アジェ、ロバート・キャパ、エドワード・スタイケン、アウグスト・ザンダー、ユージン・スミスなどの大御所、鬼海弘雄や杉本博司の劇場シリーズもまとめて観れてよかった。





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 ● 『しなやかな闘い ポーランド女性作家と映像』展

本年は、日本・ポーランド国交樹立100周年で、各地でさまざまな記念行事がなされている。
本展は東欧の文化大国ポーランドの同時代美術を、女性作家と映像表現のあり方に注目して紹介した展覧会。
21世紀のポーランドにおいて、女性たちによる多くの表現が、特に映像領域で存在感を放っているという。
同時にこれまで十分に語られてこなかった前世紀における女性作家による映像表現の先駆例について再検証しようという流れが生まれてきている。
本展はポーランドの同時代美術の歩みを、その時代背景をふまえながら新たな視点で読み解くとともに、世代を異にするアーティストたちが、自身の置かれた社会環境を見つめ、それぞれの表現方法で発信する述をいかに見出してきたかをたどる、きわめて意欲的な展覧会である。

                 ・・・・・・・・・・・・案内文より略載



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 ● アンナ・ヨメヒク&ディアナ・レロネク、ヨアンナ・ライコフスカ、カロル・ラヂシェフスキ、アンナ・モルスカ、ズザンナ・ヤニン、エヴァ・パルトゥム、カロリナブレグヮ


地下1階の本展会場は、暗幕で仕切られた映像ブースが多数、組子のように複雑に絡み合っている。
どこか見世物小屋のなかを彷徨っているような、妙な懐かしさを感じさせる。

初期のグループの70年代頃の作品では、渋いモノクロームの画面がいかにも東側といった趣で、その時代のアンジェイ・ワイダ、アンジェイ・ムンク、イエジー・スコリモフスキなどの映画作品と共通するような雰囲気を漂わせている。

総勢25名にも及ぶ見応えのある展示であり、映像の長さも数分から長時間のものまでとまちまちだ。
互いの作品が被らないように照明や音響を変えて展示するなど配置したり、椅子やビーズクッションが置かれゆっくり視聴できるような十分に考慮された展示プランとなっており、好感がもてる。

映像作品を鑑賞するには、しっかりとしたコンディションが必要となる。
今回残された時間は小一時間足らずだったので。
どの作品もさわりだけなぞった見方になってしまった。
ちら見ながらも、今回の映像作品にもどこか難解な雰囲気なものも多い。

その昔予備校生だったときに地元の美術館に「アメリカの実験映画」映像を見に行ったことがあった。
ウォーホール、スタン・ブラッケージ、マヤ・ディレン、ジョナス・メカス・・・・・・、はじめて観た実験映画はこれが芸術というものかと背伸びして感心はしたものの、実のところはどれもが理解の範疇を超える作品ばかりであった。

旧東側だったポーランドとて、現在ではなに隔てない自由な表現が可能なのだ。
グローバリズムは映像の世界にも蔓延し、これがポーランドの女性作家映像といわれても、事実ながらも、ピンと感じられるものがあまりない点も正直な感想。
都民の日のフリーデーで、三つの展覧会を観れたのはよかったものの、やはり数の見過ぎで食傷気味である。
ポ女展には悪いけれども、先に『イメージの洞窟 意識の源を探る』でフィオナ・タンの「近い将来からのたより」を堪能できただけでも見つけ物かもしれない。


ちらしを飾るアイマスクをつけた写真の、カロリナ・ブレグア「嗚呼、教授!」2018年
は、アパートの一室でアイマスクをつけた女性が、画面の中からひたすら「教授!」と、様々な声色で叫ぶもの。
よくあるような表現で特別な目新しさは感じられないと思ったが、じつはこれはとてもアイロニカルな作品らしい。
「教授」と呼ばれているのは、作者のウッチ映画大学えの指導教授のユゼフ・ロバコフスキで、彼は1980年代に、カメラ越しに見る者に問いかけるような実験的なヴィデオ作品を多く手掛けていて。
作者は尊敬する教授から多くを学んで作家として成長してきたが。
そんなカリスマ教授の芸術的な呪縛から解放されるためのオマージュ作品であるという。


ヤナ・ショスタク「ミス・ポーランド」(ひとつ上の写真右のマネキンのみえるもの)
は、アーティストとしての自分の声を、社会に届けるための手段として、さまざまなメディアを活用している。
その手段として、ミス・コンテストに入賞することで。今回は作者自身が、東京の観客に向けて、ヴィデオガイドを作り、自分の活動について説明している。
彼女は、現在数年にわたりミス・コンテストに挑戦してきた過程とその舞台裏を、ドキュメンタリー映画として発表する準備中で。多くのミス・コンの要項には、外面的な美醜だけではなく、内面的な知性も審査の対象となると記されていて。
それは美術作品の優劣を問うときの基準として、造形だけでなく、コンセプトが重視されていることに似ている。

簡易な鑑賞ガイドを手に、一日は十分に楽しめる濃い内容の『しなやかな闘い』展であった。




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 ● 東京都写真美術館ニュース別冊「ニャイズ」105号 略してポ女展はポ日友好の金字塔

写真美術館のユニークな別冊ニュースは、どこかそのゆるい雰囲気に思わず見入ってしまう。
崇高な芸術としての写真というよりは、身近に写真を楽しむツボに働きかけてくれて有り難いマンガだ。





来月11月10日~11月23日には、東京都写真美術館ホールで「ポーランド映画祭2019」が開催される。




久しぶりの東京都写真美術館 写真ってやはり面白い!!  (^_^)v 








  1. 2019/10/15(火) 10:21:08|
  2. 雑 閑
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471 はじまりは書斎の前の野草園






ママチャリ移動は結構小回りが効く、前回のブログ江戸の石神井公園の病退散展の後で寄ってみたのがこの牧野記念庭園である。
以前からこの前の道を通り園の存在は知ってはいたが、今回初めて観ることができてラッキーだった。




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 ● 『はじまりは書斎の前の野草園』 練馬区 牧野記念庭園記念館

牧野富太郎博士(文久2年生 1862-1957)は、大正15年にこの地(大泉)に居を構えられ、日本の植物学会に陸続として高説を発表する。
昭和32年(1957 94歳)に逝去された博士は、遺族の寄付申し込みによりその住居跡を「牧野記念庭園」として東京都で整備され、翌昭和33年に練馬区に移管され平成9年に練馬区登録名勝に登録された。
平成21年には国の登録記念物(遺跡および名勝地)に登録、さらに老朽化した施設の更新と展示品保存環境の向上を目的とした大規模な改修事業を行い、平成20年にリニューアル開園した。

ということで、上記のように本年は開園開館60周年で、その記念展特別展が展示室で開催されていた。

庭園内には晩年のブロンズ製の博士像が配置されていた。




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 ● 小さな敷地ながらも密度の濃い 牧野記念庭園


初秋ののどかな日和ながらも、園内のヒガンバナの花(左中)のほうは、そろそろ終わりにさしかかっていた。

園内に聳える区内では珍しい樹種であるヘラノキ(右上;シナノキ科 樹高13m、幹径1.9m)は、練馬区の名木として保護樹登録(平成6年)されている。

園内にみられる植物も長年の推移を経て、博士健在の頃の趣とは庭園は随分と変化しているようだ。
巨大な松ぼっくりの実をつけるダイオウマツ(左下)は、近年になりやっと結実したという。




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 ● 若かりし牧野博士の植物採集用具や植物画(クマガエザクラ)

博士自画像写真(左下)は明治20(1887)年 25歳 この頃、植物誌のために数多くの植物図を描いた。
博士愛用の植物標本採集の上野科学社製の牧野式特注の胴乱、竹の標本、愛用のドイツ製顕微鏡などが展示ケース内で目を惹いた。




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 ● 繊細な植物画および詳細な植物地方名方言記帳ノートなど


ムジナモ発見(右上) 明治23(1890)年、博士は東京府下小岩村(現江戸川区北小岩)で世界的にも珍しい食虫植物ムジナモを発見する。

『植物方言録』(右下) 大正9(1920)年 「植物方言録」と表紙に書かれた、大正から昭和にかけて書かれたノートが、5冊(2冊目は欠)あり。
博士の方言への関心が伺える。博士自身の調査のほか、江戸期の本草学の著書や、同時代の植物学者や地元の愛好家といった人脈など様々な情報源を活用したことがノートより分かる。
ノートには方言の由来が記され、民俗学的にも興味深い資料である。




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 ● 牧野博士 新種命名の4種

ビロードムラサキ Callicarpa kochiana Makino
コヤスノキ  Pittosporum illicioides Makino
ヤマトグサ  Theligonum japonicum Okubo Makino
トサウラク  Camelia reticulata var. rosa Makino


ヤマトグサ命名
当時の日本では新種を発表するだけの力はなく、海外の植物学者によって命名されていたが。そんな中、博士は日本で初めて新種「ヤマトグサ」(左下)を明治22(1889)年「植物学雑誌」に発表する。
これ以降博士が命名した植物は新種、新品種など1500種類におよんだ。




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 ● 博士ゆかりのアルバム写真より

植物標本で溢れる標品館内部(上左)
博士は沖縄を除く日本各地で植物採集を行った。採集した植物は、その日のうちに押し葉とされ。長い採集の旅に出た博士の自宅には、採集先から大量の資料が送られ、届いた押し葉を乾燥させるのが家族の役目だったという。
博士は、当時日本領だった台湾や満州にも出向いており、生涯で採集した植物標本は40万枚にもなり、この膨大な資料は現在首都大学東京(旧東京都都立大学)の牧野標本館に寄贈保存(昭和33年 1958に移管)されている。

泉州堺市(大阪府堺市)にて瓦屋根にのぼりツメレンゲを採集する博士のスナップ(上右)

1950年10月7日のスナップ(下左)

なんともお茶目な記念写真(下中央)は、富士山の須走口、登山道にて、カラマツの木に登る博士達。




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 ● 特別展で紹介されていた植物標本より    首都大学東京牧野標本館蔵

クロモジ(左上)
ユキモチソウ(右上)
キタミフクジュソウ(下)


博士が採集し押し葉にされた植物標本(40万点)は、前述の通り現在は首都大学に寄贈移管されている。
今回の記念展では、それらの標本の数点が里帰り展示されていた。
長年の経年変化か幾分退色はしているものの、植物標本としてはとてもよく残っていると思う。
肉厚なキタミフクジュソウなどは押し葉にするのも大変そうと感じたが、意外にもマムシグサやテンナンショウにも似たユキモチソウの標本作りが繊細で、技術的にもとても手間がかかり見事だときいた。
蔓性のヤマイモのような植物は、わざわざ巻き付いた状態を取り払わずササと一緒に標本にされていたりと、通常の植物標本と異なり、博士独特の視点が重視されている。
こうした押し葉的な植物標本も、識らぬながらもしげしげと観ていくと、たとえばヤマブキなどは根元に近い部分に発芽したままの丸っこい葉っぱが残って見られたりと、いろいろ新鮮な発見ができて面白い。

監視係の方の休息時間に交代で、偶然にも居合わせた学芸員のIさんは、5年ほど前に別件の資料整理の仕事でご一緒したことがあり、まさか当館に再就職されていたとは知らなかった。
彼女の研究テーマであった、街路樹として都市部に多く植栽されているネズミモチと、モチノキの違いなどを当時何気なく伺った話しが懐かしく思い出された。
展示の解説はあるものの、やはり学芸員の彼女にいろいろ訊くのとでは大違い。
植物学としての植物を見るポイントもさることながら、博士の植物と接する歩みに、より親しみが感じられていき、その点が一番よかった。
多少は迷惑ながらも、やはり居合わせた係りの方などにその都度訊きながら、資料をつぶさに観ていくと思わぬ発見もあり、とても勉強になる。




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 ● ネパールの植物

これは自製のおまけ品。
この押し花標本は、そのむかしネパールを旅した時に、見知らぬ植物の何気ない美しさにひかれ押し花にしたもの。
旅の道中に日記の頁に挟んで記念的に作ったもので、植物学とは一切無縁な方法で花の鮮やかさもすっかり経年変化で退色してしまった。
それでもこんな押し花をハガキ仕立てでよく残していたものと、今回ようやく陽の目がみれて嬉しい。
ネパールだと国花でもあるシャクナゲのラリグラス、ヒマラヤが原産といわれるサクラソウのプリムラ・シッキメンテスなど、少しばかり知っている植物も見たはずだけど、そんなものが漏れていて惜しまれる。
カトマンズ盆地にあるゴダワリには植物園があって幾度か訪れてみて、一度は日本から来ていた女性の植物学者!?(確か農文協から著書を出されていたと思う)にも偶然お会いした事があったけれど、そのとき交わした植物の話しについての記憶は一切欠如している。
ゴダワリというと、湧水の水場で泳ぐ青っぽい小さな魚(鱒類か)や、民家の壁に巣を造り居付くミツバチ(西洋ミツバチとは異なる)、生まれたばかりの仔山羊などの断片的な記憶が残るばかりで、本当に記憶というものは物憂げで怪しいかぎりだ。
それでも当地では奇異に見えた赤い花の咲くブラシノキなども、近年は日本でも時々見かけるようになったから、些末な断片ながらも植物というキーワードでどこか繋がっていくようで面白い。




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 ● 晩年の書庫で書物を見る博士と、「花あればこそ吾れも在り」の牧野博士93歳の色紙ほか


明治14(1881)年に植物学篤き熱意にかられ上京した19歳の富太郎は、東京で博物局の田中芳男と小野職愨を訪ね、最新の植物学を知り、植物学を志すようになる。
明治17(1884)年に再び上京して、東京大学理学部植物学教室に出入りを許され、大学では書籍や標本を使って没頭する。
その後帝国大学理科大学教授の矢田部良吉から植物学教室への出入りを禁止される嫌がらせを受けるも、友人の池野成一郎の計らいで、帝国大学農科大学の研究室で研究を続けることとなる。
昭和2(1927)年に周囲の推薦で富太郎は理学博士の学位を得るも、最後まで講師のままで47年間奉職し、昭和14(1939)年に退官する。
大学を辞めてからは、これまで以上に植物への情熱を注ぎ日本全国を飛び回ったという。


牧野富太郎といえば、ともかく日本第一の植物学者という認識のみで、博士の学問としての歩みとその生涯をまるで知らなかったけれど。
今回は展示より、簡易ながらもいろいろ博士自身のことが知れてよかった。
若き日の日本の博物学の黎明期に志した植物学への思いを生涯温存させた人生は、没年前年に記した一枚の色紙「花あれば」の言葉からとくとくと伝わってくる。
学徒というのは、このような人なのだなぁと、書斎に籠もる最晩年の写真を見ながら感じさせられるのであった。




小じんまりとした野草園ながらもとてもよい一時を過ごせた、今度は花の季節にでも訪れてみたい  (^-^) 










  1. 2019/10/14(月) 19:49:25|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0
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