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うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

423 ドン





むかし旅したアジアの国では、小額紙幣は財布を使わずにポケットに入れるのか
どれもがよれよれのボロボロだった。
そんな中、ピン札を見つけるとついつい嬉しくなって旅の記念に持ち帰るのが常だった。

前回のヴェトナム話しついでに、今回はベトナムの通過のドン札です。
★ お札はすべて当時の旅の時代のものです。
現在はどんなデザインなのか? 余りにもの小額紙幣は使われていないにちがいません。



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 ● ドン札にはすべて統一の父 ホーチミンの顔が。



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 ● 100ドン

寺院にパゴダ。
この札は当時にしてすでに通貨としての役目は終えていたのではないか?
紙屑同然のボロボロながら珍しくキープしたもの。
小額紙幣はべたべた多量に貼り付けて、輪飾りなどにして寺院に奉納されているのをよく見かけた。



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 ● 200ドン

農作業の様子 トラクターを大きく配し近代農業っぽく斬新なデザイン。



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 ● 500ドン

栄える港湾。



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 ● 1000ドン

象による木材運搬の様子。



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 ● 2000ドン

紡績工場で働く女工さん。



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 ● 5000ドン

ダムと水力発電。



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 ● 10000ドン

ハロン湾の風景か? ジャンク船が。



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 ● ドン札7種類 これだけでいったい何が買えるのだろう!?



社会主義の国のお札には、その国の国力を感じさせるデザインとなっていて面白い!! (^o^) 




  1. 2018/09/18(火) 19:10:24|
  2. 雑具
  3. | コメント:0

422 ヴェトナム土産





先頃ヴェトナム旅行を終えた友達の旅の土産話報告会。
久しぶりに旅の到来品を交えての宅飲みです。




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 ● お土産に頂いたやきもの4個

新聞紙に包まれて出てきたのがこれらのやきもの。
なんの変哲もない屋台で見かけるような、ごくありふれたやきものだけど、
現在は屋台の食器はほとんどプラスチック製となってしまい、このような質朴なやきものは用いられていないとのこと。
量を優先させた速描きながら素朴な草花模様が美しい。
百戦錬磨して使い込まれてきた痕跡の、欠けやニュウ、カセなどがうつわのあちこちにみられる。



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 ● 上より、皿 径98×高さ48ミリ、小鉢 径97×高さ30ミリ、皿 径153×高さ34ミリ、碗 径98×高さ48ミリ

一番上の皿は磁器製、ほかは相当あまい焼成の陶器製。
重ね焼きの目跡があったり、高台部分などかなりいい加減で雑把な仕上げです。
しかしながら、そんな点が逆に屋台などで荒く扱われる大衆食器のもつおおらかな魅力となっている。
自分では選ばない類のうつわだけど、こういったうつわに盛りつけてご飯を食べていると、どこか旅先の屋台飯をがっついているような気分となる楽しさがある。
厳格な荷物制限のあるLCCだったのに、わざわざこんなに重いやきものをお土産にいただき有り難う!
折々の食事シーンで愉しく活用してみたくおもいます。



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 ● お土産に頂いた食品など

インスタント麺、香味油、白胡椒、なぞのスパイス、ライスペーパー、お酒

胡麻が練り込まれたライスペーパーはぱりぱりに焙り、蜆を揚げたチジミのようなものを載せて香菜を山盛りにトッピングしての一品がとても美味だったとのこと。
今回は瓶詰めの現地の怪しげな調味料など沢山買いこんできたのだが、残念ながら瓶詰め物は基本アウトで、出国の際の税関であえなく没収の憂き目となってしまったらしい。



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 ● 30%の蒸留酒

米でつくったラオスのラオラオのような焼酎かと思いきや、開栓して匂いを嗅いでみたら、なんと茹で上げたトウモロコシのヒゲ根のような不思議な香りだった。
味は更に摩訶不思議、あららまるでアイスもなかの皮のような味だワ。
まず舌に感じるコクのある甘味、そしてきりりとした後味。
いちおうVODKAの表記はあるけれどウォッカとはまるで異なる別物だ。
米ベースだけど麹でこの微妙な香りと味を紡ぎだしているというよりは、なにか別のスパイス類で香り付けしているのかもしれない。
ヴェトナムには蓮の香り付けしたお茶があるように、この酒もどうやらそのように一工夫されているのかも。
はじめて飲むこの不思議な酒に驚かされるものの、飲み馴れてくると一緒に飲んでいた芋焼酎の海童がチェイサー的に軽く感じられてしまうほどの心地のよさ。
強い酒がもつ独特のヤバさだワ。
ちびちび飲みつつ、気付くと瓶のなかも既に半分になってしまった。



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 ● 新たに仲間に加わったお皿を用いて一杯

9月になりようやく過ごしやすくなりました。
今回は久しぶりにモツ煮に挑戦。
コクのある熱々の料理が、ヴェトナムの強いお酒とばっちり合う。
お土産に貰った皿も飲みに使ってみました。
うつわの欠けた部分も、適度に痕跡の味を残しつつ直さねば。
そんな修理もこのようなお土産ものの愉しみだ。



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 ● 以前もとめたうちのヴェトナムのやきもの

こちらはひと昔前アジア雑貨がブームだった頃に雑貨屋で買ったもの。
いずれも200-300円ほどの安価だった。
胎土もやわらかく焼きも相当あまい雑把なつくりの陶器です。
丼鉢と同じ花柄のものは、ほかにもコーヒーカップも持っていたけど手放してしまった。
食器も気に入ったものを長くずっと使用というよりは、移り気で呆きやすい性分のため、このところヴェトナムものの出番がない。
いまでは丼鉢(径167×75ミリ)は、たまにヴェトナムの汁そばフォーを作るときに使うぐらい。
一時はがしがし使っていて、焼きがあまいため欠け易く口縁の欠けはその都度補修してきた。
カフェオレボールのようなモール模様の碗(径127×高さ60ミリ)はサイズ的には飯碗ながら、飯碗としては重すぎて難があり、存在そのものを食器棚の奥に封印し忘れていた。
いい加減に仕上げた口縁の青い刷毛模様が屋台の雑器っぽくどこかヴェトナムチックだ。



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 ● 中国系のやきものと覚しき雑器はホイアンの古物屋で購入

自分の場合ヴェトナム旅行は一度きり、カンボジアから陸路でホーチミンに入り中部の国境を抜けてラオス、タイへ。
そのためヴェトナムは国の南半分しか見ていない。
当時は統一20周年記念で、いまの自分の眼で探せば相当にキッチュで面白い雑貨も多くあったはず。
欲を出してもっと色々なものを買い込んでおけばよかったと残念におもう。
荷物はDパック一つに軽量化、ダラットで求めた山岳民族の背負カゴに詰め込んだカゴやザルなどの雑品はホーチミンから既に船便で送ってしまった。
古タイヤを素材にしたヴェトコンサンダルは大丈夫だったけど、草色をしたヴェトコンヘルメットは、なぜか軍事物資ということで輸送検査で没収された。
あれから随分とたってしまった。

今回の旅で友達が求めた、アートブックのヴェトナムポスター集を見せてくれた。
いずれも社会主義バリバリのプロパガンダポスターなのに、いま見ると色遣いやデザインなどどれもがとてもお洒落で目を惹いた。
中国とは異なりヴェトナムはソ連の傘下で、ソ連や東欧を匂わせるようなものもあったけど、やはり共産圏といえどもキューバなどとは随分異なってどこかアジアチックなデザインとなっている、その点もなんとも魅力的だった。

当時旅したダラットの田舎の本屋では、売れ残り品なのかソヴィエト時代のロシアの絵本が店先にたくさん積まれていた。
「不安が荷を重くする」の諺が浮かび、灼熱のなかの移動中にロマンあふれるロシアの冬が描かれた絵本を持ち歩くのをためらってパスしてしまい、いまとなっては買わなかったことがとても悔やまれる。

中部ヴェトナムのホイアンは、古くは茶屋門左衛門など日本との公易のあった歴史のある町で、観光地らしく土産物屋であふれていた。
写真に載せた、日本では見かけないかたちの独特な広鍔がついた鉢(左;径165×高さ62ミリ、右;径157×高さ63ミリ)を古物屋で求める。
器体には七宝繋ぎや宝尽くし文がざっくり描かれており、一方の見込み部分にはへなちょこな兎が確認できる、つい少し前までは日常的に普段使いされていたような雑器だ。
磁器ながらヴェトナム製の安南焼とは若干異なり、雰囲気的には中国南部あたりのやきものではないかと思う。

今回の友達のヴェトナムの旅では、以前とまるで異なり屋台で使う食器がやきものからプラスチック製に一新されており驚かせられたとのことだが。
叶わぬこととはいえ、この写真の鉢が使われていた時代のような少し前にタイムスリップして、まるでマルグリット・デュラスの在越時代のようなヴェトナムの町を体感できたらどんなにか面白かったことと思う。
真っさらで新品な器物より、使い込まれた古びた物が好きなのは、その背景に潜む物語を感じるからであり。
いい気になってやきものを仕入れたまでは良かったものの、たった2個のみとはいえヴェトナムからバンコクまでの長い陸路の道中で随分泣かされた。
鍔の内側の窪みに料理を少し盛ると、飲み助のうつわとしては案外様になる。
逆に麺類などの汁物には容量を満たせず、幾分物足りないかんじとなるうつわだ。
端正な日本の磁器と比べ量産品といえどもその雰囲気は若干異なる。
いわば、その歪なくたびれ具合がこのうつわの味といえる。



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 ● ヴェトナムのお土産皿を並べてみる。

今回は沢山のヴェトナム土産を有り難う!
新たなうつわが仲間に加わって食事の愉しみも増えました。
次回の飲みに使わなかった食材でヴェトナム風料理をアレンジしてみたく思います。
ヴェトナムのポスター集も、またじっくり見せて下さい。



お土産に頂いたうつわ先ずは補修を愉しみに!  (*^_^*)  




  1. 2018/09/17(月) 12:44:24|
  2. やきもの
  3. | コメント:0

421 北のレトロ建築






レトロな建物が好きです。

図書館で借りてみたのが、この都区内の戦前のレトロな建築を紹介した本。
なかには実際に訪れて見たことのある建築も若干あるけれど、プロのカメラマンが撮った建築写真はディテールを含めとても決まっていて美しい。



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 ● 『東京レトロ建築さんぽ』 倉方稔輔著 下村しのぶ写真 エクスナレッジ 2016




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 ● 凝った造りの建築の数々

なかを開いてみると、こんな感じ(一部をトリミング抽出した)
むかしの建物は、そのデザイン・素材を含め洒落ていてなんて美しいのだろう。
ついついその写真のレトロさに見とれてしまう。


レトロな建築ついでにということで、今回はちょっと北のレトロな建築を紹介してみよう。

7月に北海道へ帰省したときに寄ってみた小樽。
今回は、市外の手宮公園にある、青森県の縄文時代の山内丸山遺跡と同じDNAを持つという、クリの木を見るのが目的だったけど。
手宮線の廃線跡を歩いていくと出くわしたのが旧日本郵船の建築。
前回の見学では時間がなく軽く流して見たので、今回は魂を詰めてじっくりと見学してみる。
ボランティアの方の懇切丁寧な解説を聞きながらとても勉強となる一時だった。



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 ● 国重要文化財 旧日本郵船株式会社小樽支店<1906年 明治39年建築 佐立七次郎 設計>      北海道小樽市

近世ヨーロッパ復興様式(ルネサンス)の石造2階建て建築の豪荘な外観。
その特徴は外壁の石柱の飾りや内部の円柱彫刻に表れている。
外観はクリーム色と薄紫色の2種の石を組み合わせて積み上げ。
内部は漆喰壁に道内産の木材のワニス塗装で落ち着いた温厚なデザイン。

石材<外壁は厚さ75㎝の小樽天狗山産軟石、腰・胴蛇腹・軒部分は登別産中軟石>や木材<セン、タモ、マツ>は道産製を使用。
スチールシャッター・建築金具・照明具ソケット・ロールブラインド・スチームなどは米国製。

暖房は地下にボイラー室を設け蒸気暖房とし、窓は二重ガラスで北国の冬を考慮した当時としては最新式の設備を備えた。



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 ● 1F 営業室   旧日本郵船株式会社小樽支店

照明器は方向も高さも自由に可動でき、エジソン球が用いられた。
二重の窓ガラスには、緑色のすきま風止めのパッキンがつき寒波を防ぐ。
スチーム暖房に、窓の外側に鉄製シャッターを設置。
床面は、客船にも用いられていた、当時としては高価なドイツ製リノリウム材(左下)が前面に貼られている。



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 ● 2F 貴賓室(左下) 会議室(右上)     旧日本郵船株式会社小樽支店

壁面の壁紙には、オランダの革製品をヒントに日本で独自に発展した、和紙で製造した金唐革紙(明治期に産業化し欧米にも輸出、昭和初期に工場とともに技術も消失した)を使用。
会議室の天井はたまご色、シャンデリアは大正期ののものと思われる。
会議室の絨緞は60畳。

明治39年11月、この会議室で日露国境画定会議<日露戦争後のポーツマス条約により樺太の北緯50度以南を日本領土とする作業順序方法の協議>が開催された。



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 ● 建物の老朽化が進む     旧日本郵船株式会社小樽支店

昭和30年に小樽市が日本郵船より譲り受け翌年に市の博物館に。
その後、昭和62年老築化にともなう全面修復工事が完了(明治後期の優れた商業建築遺産として当時の姿に再現され甦る)するも、さらに平成の時を経て老築化が進行する。
5・6年前に寄ったときには一向に気にならなかったものの、この間、漆喰の壁の剥落や雨漏りの進行が著しくなり、この秋より再度の修復工事が開始されるという。
玄関天井など垂木で簡易補強された頼りない状況だったが、今後の修復完了を願うかぎりです。



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 ● 凝った細部の意匠      旧日本郵船株式会社小樽支店

漆喰飾り、シャンデリア、階段手摺、ラジエターの装飾、壁紙などなど、細部の意匠が美しい。



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 ● 趣あるレトロな建築の数々   小樽にて

大企業の豪華な建築以外にも、個人の商店、民家、倉庫、工場など、かっての商都小樽の栄華の歴史を刻んだような建物が町のあちらこちらに垣間見れ、鄙びたその趣きがなんとも興味深い。



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 ● 小樽運河の昨今(左)、寂れた市場(旭川市;右下)

観光化され公園もできすっかり綺麗になった小樽の運河周辺。
小樽から札幌へと向かう列車では、車窓の下が海に間近な場所も多い(右上)

子供の頃には市内の市場はとても活気に満ちていた。
小学校の通学の往き来にはこういった市場の中を通り、寄り道して歩くのが常だった。
八百屋、魚屋、酒屋、お茶屋、豆腐屋、呉服屋、靴屋、食品・雑貨販売、金物屋、食堂、花屋、飲屋、床屋、時計の修理屋、文具屋、駄菓子屋・・・・・・、市場の中には実に様々な店舗がてんこ盛り状態に詰まっていた。
ある店にかかった幕の向こうから、低い男の唸り声が聞こえてくる。
そっとなかを覗いてみたら、ヤクザ者が墨を彫られていたりと・・・・・・。
スーパーマーケットやコンビニが幅をきかす以前の遙かなむかし、まるで商店街のような北国の市場はとても活気に満ちていた。
わずかに半町ほどの市場建築、この鰻の寝床のような細長い運命共同体。
可能であれば当時の市場の空間にタイムスリップしてみたい気分だ。
いまではこういったむかしの市場で買い物する人もすっかり減ってしまい、どの店もほとんどは廃屋となっている。

それでも北国特有の市場建築はどこか懐かしい。
町場に銭湯が機能していた時代同様に、市場の記録を撮るにはいささか遅すぎたようで残念だ。



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 ● 北海道大学総合博物館     北海道札幌市

重厚な煉瓦造りの博物館のある建物、ただし博物館の設置は1999年と新らしい。
札幌農学校時代から収集・保存・研究された400万点にものぼる学術標本・資料が蓄積されている。
特に1万点以上にのぼるタイプ標本は貴重である。
北大植物園内の木造建ての博物館建築群(1989年に国重文指定)も、趣があり美しい。



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 ● 札幌農学校第2農場     北海道大学

どことなく北国らしい風情の赤いトタン屋根が魅力的な、第2農場の木造建築の数々。
いずれの建築も、明治になって欧米式の近代農業建築に倣って建てられたもの。
農場には北海道らしいハルニレの巨木が聳えていた。

国の重要文化財(建造物)に指定されている札幌農学校(正式には東北帝国大学農科大学)第2農場を構成する建築群は、明治期の建築として高い評価を受けているだけでなく、景観的にも優れているその佇まいは、有名なポプラ並木とならび北大の観光名所の一つといえる



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 ● 札幌農学校第2農場     北海道大学


 牝牛舎<1909年建築> (左上より1段目)
 産室追込所及耕馬舎<1877建築> (右上より2段目)
 製乳所<1911年建築>、竈場<1911年建築> (左上より3段目)
 穀物庫<1877年建築> (右上より3段目)
 サイロ<1912年建築> (右上より4段目)


第二農場にあるサイロなど、現存する石造円筒サイロとしては日本最古のものなど、希少な古い建築も含まれる。

見学用に開放した建物内部は、農機具などを多数展示していて圧巻だ。
明治初期に欧米から輸入された大型の畜力農業機械、初期の農用エンジン・トラクタ・作業機、日本全国の鍬などと見どころ満載だ。
農業機械技術や北海道開発の過程を考える上で貴重な資料である。





レトロ建築はやはり面白い! (^o^)   




           
  1. 2018/08/24(金) 21:47:26|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

420 忘れがたみ





先月前半は、史上初の梅雨時のような北海道に帰省していたけれど、東京に戻ってからのうだるような猛暑のギャップに身体がついていけずすっかり夏バテしてしまった。
楽しみにしていた行楽の地元での川釣りは、川が決壊して釣りどころじゃない凄まじいもんだったし、その後の完バテもあり思考回路が停止してしまい、勝手ながらブログのほうも停止したままでした、すっかり怠け者になってしまいかたじけない。

今回の帰省に際し博物館や資料館の展示を観たなかで、意外に面白かったのが、北海道博物館の人類系学科の異文化交流ブースで、土産物品がずらりと並んだキッチュな雰囲気のこの新設展示だった。




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 ● 北海道大学博物館    札幌市

「ここに展示されているお土産は、すべて北九州の骨董市やフリーマーケットなどにおいて収集されたものです。その多くは特別に作られたもので、約50年ぶりに九州から北海道への里帰りとなります。そのひとつひとつに旅の思い出がつまっています。」

ずらりと一堂にした土産物の数々に圧倒されながらも、いまの時代、改めてその新鮮さに感動する。



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 ● 北九州で集められた「アイヌ」のお土産  北海道大学博物館

「アイヌ」のお土産とは何なのでしょうか。
アイヌ民族が作ったものでしょうか。
アイヌ民族やアイヌ文化をモチーフとしたものでしょうか。
そのモチーフは、現実のアイヌ民族やアイヌ文化とどのような関係があるのでしょうか。
参考にすべき点、反省すべき点は何なのでしょうか。
本展示は、これらの疑問を含んだままです。
観光地という異なる文化が接触する領域において生みだされた「アイヌ」のお土産を考えることは、未来のアイヌの工芸やアートを考えることにもつながっています。



上記のパネル解説にあるどこか示唆的な問いかけで、土産物品は自分の趣味ではないものの、時代的文化背景が濃縮されておりやはり注視してしまう。

普段ならすんなり通り過ぎてしまうようなこのコーナーも、「確かにこんなのあったっけ」とじっくり観ていくとやはり面白い。
気付くとケース越しに細かにパーツ撮りして比較分析してしまう嫌な性癖。
骨董市での掘り出し物も自分の場合どうやら、このようなガラクタ物が多いと薄々認識していたところ。
それにしても誰が考え出して作ったものか、いまこうしてむかしの土産物をみると結構アートしている。
ループタイには、アイヌの木彫り技術が上手く活かされており、なかなか手間がかかっている。
むかしの信州の農民運動の風俗人形にみるように実直的で写実的なアイヌの民族人形があり、その対極に土産物度ばりばりの布人形や創作コケシ風の製品の数々もあったりする。
木彫り熊が付いたブックスタンドなんかは、骨董市で見つけたら求めてしまうかもしれないなかなか好みのよい味をだしている。
アート好きというよりは、自分の場合は単なるサブカル好きなのかも知れないと反省。



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 ● 判明した『橇』の正体

「あれれ、まったく同じだ!」

そうそう以前入間の骨董市で求めた木彫りの橇(写真上)を発見。
その時はこの橇はかなり民芸品ぽいよなぁと案じていたら、今回の北海道大学博物館での展示品(写真下)にはこの橇の上に熊が乗っているスタイルのものだった。
同じく展示ケースにあった道産子の橇曳き姿を模した『風雪と共に歩んだ 北海道開拓馬橇』とプレートのある置物(写真下)などと共に、どうやら北海道のイメージのいいとこ取りにあやかった製品らしい。
そしてこの熊と橇は紫色の紐で結束されている。
骨董市での橇には何故か半端なこの紐が残っており気になっていたのだけど、理由は的中、無理矢理切り離したようだ。
確かにこの手の熊ならバランスも悪く自分もいらないな。
橇の作りと、熊とではどうやら別々の仕上げのようだ。
そしてさらによく見たら、熊の足元に貼られたシールには「旭川の民芸品」とある。
いやいや、まったくもってうちの田舎じゃないか。
なんだか入間で、うちの田舎の民芸品の”忘れがたみ”に出会ったのだったというストリーを、いまになって知り感無量。
やはり土産物品といえどもバカにせず、まじまじ見て正解だった!
自分がガラクタに求めるものは、案外このようなストリー性の部分なのかも知れない。
部屋で鍋敷き代わりにつかっていたこの橇も、一気に昇格した気分です。
偶然の再会にまずは多謝。



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 ● 実家にあったお土産人形

まるで絵に描いたような、おばあちゃんの家の茶箪笥のなかのお土産品。
写真は一昨年前の実家の雨漏れの際、片付けようと出してみたときの記録。
当時の民芸品、観光ブームの流れか、うちの実家も北大の土産物品展示状態。
亡くなった祖母の茶箪笥、孫のだれかが買ってきたような人形で溢れかえっている。

みうらじゅんの命名”いやげもの”の、オカンが買ってきた栃木のふくべ細工のヒョットコの鼻毛表現じゃないけれど、観光地の土産物品のなかにはどこか品に欠ける品々も多い。
それでも各地の旅先で求めたであろう人形の数々は、家にあってどこか微妙な温かさを紡ぎだしている。

ごっついアイヌの木彫り人形、名古屋の金の鯱、福岡の夫婦ダルマ、琉球人形、布製のアイヌメノコ、余市のリンゴ娘、ちゃぐちゃぐ馬コ、スイスのチロル人形、枡ダルマ、おけさ人形、あやしげな創作コケシなどその他諸々・・・・・・・・・・
そんな中で一応母の命令で生残り組指定となったもの。
どういった基準判定なのか母の頭の中がさっぱり理解できない<今回帰省してみたら一番上の写真の一群は捨てられて、かわりにアイヌの木彫り人形が狭しと鎮座していた>

美意識とは人それぞれながら、やはり自分の部屋のなかも物で溢れかえっている。
「いらないものが多すぎるが捨てられない」というこの性も、いったい家の誰に似たものだろうか!?

雨漏れの雨を被ってか、アイヌのメノコ(女子)人形は、目周りのシャドウが流れ落ちての失恋状態で黒ずみ、なかなか怖い顔となっていた。
今回は家にあった大きな十勝石(黒曜石)の持ち帰りと、この人形を再度観察してみる予定であったが、両者とも紛失しており果たせず無念。



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 ● 木彫り熊     北海道大学博物館


会場のVTR映像は『平成28年度アイヌ文化伝承活動アーカイブスDVD「技」vol.1』より。
1940年札幌生まれのアイヌの荒木繁氏の木彫り熊のVTR15分。


近年では制作者も少なくなったというが、時代とともに変化しながらも作り続けられているというこの木彫り熊。
実は北海道の特産品ともいえるこの木彫り熊の誕生には、当時の産業課がスイスのチロル地方の木彫り熊を奨励して模した流れを汲む。
最近読んだ『大沼ワルツ』谷村志穂 では、戦後の観光ブームにのった産業興しとして、このような木彫り熊の製造を着手して一家で奮闘する場面が描かれていた。
確かに!
当時を思い返しても民芸品ブームの名残か、子供の頃には近所にはこのような木彫り熊を製造する工場がまだみられ、店先には失敗作の手足がもげた熊が山積みとなっていたかすかな記憶がある。

骨董市などで熊の木彫りを度々見かけては、しげしげと観察しているのだけど、
今回の展示のように一堂に集結すると、熊の毛並みの一本一本まで懇切丁寧に筋彫りしたもの、鮭を食わえたもの背負ったものと、製品の違いにも作り手ごとに様々なバリエーションが感じられて面白い。

”TOUCH ME!”のコーナーでは、アメリカンスクールの見学と思しき女子のグループが、木彫り熊を抱いて、キャッキャと自撮りに盛り上がっていた。

”こけし+マトリョーシカ”ブーム同様に、近年の北海道では木彫り熊の人気もリバイバルしてピカ一なのだとか。
そのため、現存する木彫り職人の数に対して、製作の需要と供給が追いつかないほどの状態であると、郷里で木工をしている知人が言っていた。
昨年観た地元のクラフト展でも、「何故いまさらながら」と思わさせるような、木彫り熊がデカデカと展示ブースを占領していたのだった。



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 ● 旭川空港の売店で


すっかり下火となっていた地方のさえない動物園が、発想を転換して戦略化してのイメージアップ。
一時は上野を凌ぐ動物園革命を果たしたほどの旭山動物園。
旭川はつかみどころのないありふれた田舎町だけど、市外にある動物園だけはいつも海外からの観光客で溢れている。
その多くは中国・台湾・韓国・タイなどのアジアからの観光客だ。
アザラシ、ペンギン、シロクマ、カバ・・・・・・・・・・・・・
動物園のガチャガチャには、園内の人気者を模したKAIYOUDOUの精巧なフィギャも販売されている。
空港ロビーのブースには、特産品として時に熊の木彫りの実演などされており、なんとなく気にはなっていたが、その理由は前出のとおり。
旭山動物園のオリジナル 「白クマ塩ラーメン」は市内の藤原製麺製で、一時は人気インスタントラーメン №1にもなった製品、ちなみにそのデザインは義兄の手によるもの。
”かわいい”ブームにあやかり、独自の進化を遂げた熊グッス。
木彫り熊のヒグマを白クマ化した製品、土地の名産品+道産品イメージである、メロン、
トウモロコシ、イクラ丼など奇妙にキッチュといえるほどハイブリッド化した合成クマなどなど。
小金持ちと化したアジアの観光客に、手頃でお安い土産物としてストラップなど小間物に多くのバリエーションと工夫がみられる。
嫌だいやだと思いながらもよくみると、なかなか凝っていて面白い。
原価価格はいかほどか、鋳型の抜き型の工程などどうなっているのだろうか?
そんな自分がマニアックすぎて時々嫌になる。



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 ● むかしから熊をモチーフに

    上:北海道大学博物館にて
『ヒグマをかたどった骨偶(礼文島香深井1遺跡 ネズミザメの吻端骨製)』
『家のなかに祀られたヒグマの頭蓋骨(礼文島香深井1遺跡)』


オホーツク文化では竪穴住居内の上座にヒグマなどの頭蓋骨を祀る動物儀礼・信仰があった。
アイヌ民族では頭蓋骨の側頭部に穿孔したものが少なくなく、脳を取り出すためと考えられる。脳を取り出した後でイナウ(木の削り掛け)を挿入しており、同様のことがオホーツク文化にも想定できる。

近年ユニークでかわいい縄文の土偶が巷でブレイクしているけれど、動物の骨を加工した骨器具もとても興味ぶかい。
骨具では、ほかにも実用道具の銛先などに海に生きる人を描いた装飾ゆたかな線刻模様が見られたりして面白かった。



    下:北海道立埋蔵文化財センター『続縄文文化の墓』展にて
『芦別市 滝里安井遺跡P-45副葬品』
『有孔動物形彫像の分布図』


 縄文末期~続縄文前半にはクマなどの動物をモチーフとした彫像がみられる。
ほとんどは頭部のみの表現だが、滝里安井遺跡では大変珍しいクマの全身彫像が出土している。
類似の文化として、アイヌ文化では、儀礼の際に男性がサパンペという頭飾りを付ける風習があり、クマなどの彫像を取り付ける例がみられる。


ママチャリで札幌よりはるばる行ってみた(豊平川を越えてからも結構距離がある)埋蔵センターも2年ぶりの2回目。
前回は縄文時代の特別展だったけど、今回は続縄文文化特別展。
北海道は、弥生時代・古墳時代がなく、かわりに続縄文時代となる。
郷里ながらこれまで続縄文文化や、その後にくる擦文文化にはそれほど興味がなかったけれど。
改めて見直してみると、日本の余所の地域には見られない独自の文化が遺物より推測されてとても面白い。
展示のケース内に、滝里安井遺跡副葬品の貴重な首飾りにされたと思わしき平玉琥珀連珠や、鉢形土器とこのクマの石製彫像が飾られていたけれど、残念ながらこの彫像のほうはレプリカだった。
しかしながらそれはとても精巧で緻密な仕上げで、手にとってじっくり見てみたい気分の素晴らしさ。
琥珀珠の孔を穿けるのも難儀したであろうに、改めて当時の人が持っていた塑像技術の高さに感心させられた。



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 ● アイヌのサパンペ(頭飾り)にみられる熊の飾り   北方民族資料館

昭和10(1935)年 旭川市近文アイヌコタン<主催:川村カ子ト 監修:北海道帝国大学教授 犬飼哲夫>


広大な北大植物園の敷地の片隅にあるのが北方民族資料館。
小さな展示室ながらも、戦前のふるい時代のアイヌ関連の資料がまとまってみられ充実している。
同じく園内にある北方民族野草園もお勧めです。

これは昨年撮った写真で、昨年はアイヌ関連資料を集中的に観た。

日本の近代国家成立にともない、明治時代の早くから、先住民族の生活文化を規制する悪評高い「旧土人保護法」<* 実質的には、和人による一方的な目線での、先住民族のアイデンティティーをはじめ文化抹消法ともいえる過酷なもの>に現代まで縛られる。
映像のVTRも、その時代にして恒例的に開催されていたものというよりは、演出的に再現されたものと思われる。
無声のテロップ映像ながら、それでも情報量がとても多くとても貴重なフィルムだ。
ちょうど通っていた高校の裏がこの場所で、ここに旭川アイヌの資料を集めた『川村カ子ト記念館』がある。
小学生の遠足で一度いったきりで、それ以降は在住していたときには一度も振り向きもしなかった。
一般的に北海道というとアイヌのイメージが高いと思うけど、お土産品にみるようにアイヌの人が日常的にこのような民族衣装を着ているわけではない。
差別というわけではないけれど、当時は現代のように郷里を学ぶ授業ではアイヌに関してまるで触れることはなかった。
国際少数民族年以来の影響か、現在では道内の博物館や図書館に、郷土を学ぶアイヌのコーナーが特設されていたり、河川や地名などの看板にも原語となるアイヌ語の解説がすっかり表記されておりとても良いことと思う。


子供のころ家族旅行で行った阿寒湖畔には、時代的というかとても観光的なアイヌの土産物屋がたくさん建ち並んでいた。
そこでは観光的に演出はなはだしくアイヌの踊りを見せたり、土産物屋で熊の木彫りを実演していた。
当時は道民でありながら、なんだか一抹の寂しさを覚えたものだ。
それでも高校の写真部で初めて紙焼きしてみたのが、このアイヌの人の木彫り熊作りの写真であり。
高校の美術部で描いた大作(F100号)では、家にあった百科事典の写真を参考に、アイヌの人がこの写真のようにクマを射る『熊送り』(イヨマンテ)だったりと、頭の中で民族衣装に身を包んだどこか一方的な理想姿のアイヌ像だった。
高校時代にアイヌの造形作家・砂澤ビッキの個展で、まるでヒグマのような豪傑なビッキ本人が滞在しており、その強烈な目力に圧倒され、自分としては初めて異人としてのアイヌをみた気がした。

大学時代の考古学のレポートでは、身近に対象となるものも少なく、むかしの郷土資料館や図書館で、苦肉の策でアイヌ関連の文物を調べてみたが、当時はいまほど資料も情報も少なくとても難儀した。
このレポート、許可を申請して折角撮った写真を、フィルムの巻き上げを忘れカメラの裏蓋を開けてしまいパァとなった(とほほ、銀塩時代の寂しさよ!)苦い思い出がつく。

その後道外に暮らすようになって、あらためて郷里のアイヌ文化に注目するようになり、この頃は帰省の度に、できるだけしっかり観るように心がけている。

近年では沖縄の八重山の竹富島で、島民と上川アイヌの交流会に居合わせたことがある。
島民側はおとなりの黒島のクロブタを、アイヌ側はエゾジカをお互いに持ち寄っての宴会だった。
アイヌの人の「言ってくれれば、いつでも島へ鹿さ送ってやる」という言葉や、民族衣装でバッチリきめた民族舞踊のお披露目に、これまたどこか一抹の寂しさを感じてしまった。
それでも横隔膜を自在に共鳴させたアイヌの口琴(ムックリ)の圧倒的な奏法と音色に、また生まれたばかりのアイヌの乳児の瞳のなかに、現代においても脈々と継承される民族の逞しさを垣間みて、えらく感動した。



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 ● 羆(ヒグマ)の剥製と木彫り      北海道大学博物館

ヒグマの剥製標本と木彫り、こうして写真を並べてみると木彫りといえども、要所を得た実にリアルな描写の技術の高さに畏れ入るのだった。

民族造形と工芸品の間を繋ぐ、一筋では簡易には見えてこない両者の関係をとても興味深く感じた。



この度の感想、土産物はやはり面白い!!  (*^_^*) 




  1. 2018/08/10(金) 14:11:16|
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419 先端





”NICT”オープンハウスのちらしを手にする。
そういえば小金井のサレジオ通りにある、なにやら国の大きな機関のあれかぁ。
まえまえから少し気になっていたのですね、あの建物。
ということで行ってきました。(2018年6月30日)



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● 国立研究開発法人 情報研究機構 ”NICT”     東京都小金井市

近所のバザーに行くように、お気軽にサンダル履きで行ってみたら。
どうやらオープンハウスといえども、一般市民に比べ圧倒的にスーツ姿の業界関係者が多い。
受付で「御名刺を頂戴しております・・・・・・・・・・・」といきなり云われ、場違いな出で立ちで来てしまいすっかりひいてしまう。

なんとも聞き慣れないこの情報研究機構。
その発端は意外に古く、明治29年の逓信省電気試験所の無線電信研究に遡る。
以降、逓信総合研究所(CRT)、通信・放送機構(TAO)が統合され、独立行政法人情報通信研究機構(NICT)が発足(2004年。2015年には国立研究開発法に名称改正)
小金井のNICT本部のほかにも、全国にこの機構の諸施設がある。
耐災害ICT研究センター(宮城)、おおたかどや山標準電波送信所(福島)、鹿島宇宙技術センター(茨城)、イノベーションセンター(東京)、ワイヤレスネットワーク総合研究センター(神奈川)、北陸StarBED技術センター(石川)、ユニバーサルコミュニケーション研究所先進的音声翻訳研究開発推進センター(京都)、脳情報通信融合研究センター(大阪)、未来ICT研究所(兵庫)、はがね山標準電波送信所(佐賀)、沖縄電波技術センター(沖縄)など。
字面よりなんとなく想像できるセンターもあれば、まるでなんのことやらまったく判らないセクションがほとんどながら。
どうやら、通信・放送・ネットワーク・サイバーセキュリティー・知能科学開発などを軸に展開している機構のようだ。



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● 日本標準時を決定・維持・供給する日本標準時グループ

見学順路に従い階上に現れたのがこの部屋。
モニターにはデジタルで時刻が刻々と示されている。
NICTには18台の原子時計があり、それぞれの時計がつくりだした時刻を合成して日本標準時がつくられる。
原子時計はセシウムの一定量振動数を1秒に定め、その誤差は数十万年で1秒という精度さ。
しかしながら原子時計(原子時)の1秒と不規則な地球回転による時刻(世界時)の1秒の差が0.9秒を超えないように、うるう秒が実施される。
1958年から2017年までに27回実施され、これにより原子時と世界時の差は37秒となり、平均すると約1.5年に1秒遅くなっている。
NICTでは、日本標準時(JST)を生成する協定世界UTC(NICT)と協定世界時(UTC)との差が±10ナノ秒(1ナノ秒=10億分の1秒)以内を目標として調整管理している。

本部であるこの建物の正面にはどデカなデジタル時計が表示されていて、この通りを通る度につい時刻確認してしまっていたけれど、この時計こそが日本標準時の本元だったのですね。
時刻もほかの度量衡などのように正確に標準化を計らなくてはと、それに向けての複雑な手順を知らずとも妙に納得。
㎏原器をテーマに 『1001グラム ハカり知れない愛のこと』 ベント・ハーメル監督 2014年 といったノルウェイのコメディー映画があり、先日の国立科学博物館の常設展示に映画と同じようなガラスのケースに入った㎏原器を見つけて妙に嬉しかったけど。
となり町にあるこの機構が日本標準時を供給していたという発見もどこか新鮮で得した気分。



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 ● 電波、レーダー、光通信、ドローンなど様々な先端技術が紹介されている。

研究紹介ブースはB全パネルの解説ボードで覆い尽くされている。
最新鋭の技術・機器、内容を読むも専門用語ばかりで一向に頭に入ってこない。
それぞれに専門職の解説員が配置されており、初心者でもとても解りやすく説明下さるのがとても良い。
これらの通信技術などの恩恵は、少なからず誰しもが受けている面も多いはずだけど。
日頃ネットに依存しない生活を信条としている身としては、ただただ現代の技術よりガラパゴス空間に放り投げ出された感を強くかんじてしまう。
原理はまるで解らないながらも、並んでいる普段馴染みのない機械類をみるのが楽しい。



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 ● 講演会、企業開発のブースなど。

今回の2日間にわたるオープンハウスでは、研究者講演会、サイエンストーク、学生によるポスターセッション、ラボツアーなどの様々な催しがある。
ラボツアーは事前予約制のため参加できなかったけど、大型望遠鏡を覗いたり、クリンルームに入るコースがあったりと面白そうだった。
スマホ所持が前提となっている現代では、それぞれの解説パネルのQRコードより詳細データーをダウンロードする設定となっているけど。
この時代にしていまだにガラケー所持の身としてはその恩恵とは一切無縁のため、解説を聞く度にどこか肩身が狭くなる一方だ。
それでもNICTのAI・脳情報通信研究群での音声翻訳・対話システム高度化技術が開発したVoiceTraのスマートフォン用多言語音声翻訳アプリ(左中・右中)がとても興味深かった。
この無料アプリは、翻訳出来る言語が31言語(音声入力は17言語)対応という優れもの。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて10カ国語(日、英、中、韓、泰、越、尼、西、仏、緬)を対象に、旅行、医療、防災等の生活分野に対応した音声対応化を目指している。

デモストレーションで係りの方が、端末を手に取り実際に日本語で音声入力してタイ語やネパール語翻訳して下さったけど、想像以上に勝手がよく面白い。

体験もできますよということで、パーテーションで仕切られたコーナーで実践してみる。
まずは片耳に小型のイヤーフォンを装着、この機械が相手方言語の音声を拾い日本語訳してくれるものらしい。
ブースには中国人の若いお姉ちゃんがいて(どことなく嘘くさい民族衣装風の格好)、「ニーハオ」→「コンニチワ」。
中国のお菓子が並んでいて「オヒトツイカガデスカ」と手渡される。
菓子の包みには果物の絵が印刷されておりその名前が中国語で記されていたので。
試しに指で指しながら「これは何ですか」と訊いてみる。
それは「ライチ」、「パイナップル」、「サンザシ」、「イチゴ」と正解。
さらに包みにあった「餅」という文字を指し。
「日本語の餅(モチ)と中国のピン(餅)では字のかたちが同じ餅で一緒だけど、食品の加工方法や素材自体が異なっていると思うのですが、中国では餅はどのようなものなのですか?」と訊いてみる。
日本のモチと異なって中国の餅は小麦粉の練り物の総称だったはず。
他にも菓子包みにいろいろな食品の文字がみられたのでそれぞれの加工法や違いを知りたく訊いてみたけど、どうもちんぷんかんぷんな言葉が返ってくる。
翻訳にはタイムラグがあるため多少まどろっこしい。
さらに畳みかけて質問するも、途中からまるで言葉にならないごったまぜの日本語「■◇☆◎◎☆▲●★……」がイヤーフォンから聞こえてくる。
「ひょっとしてこれって自分が発した日本語が相手が聞いている言葉!?」
お姉ちゃんの表情が次第に険しくなって、憮然として突然菓子包みを破ったかと思うと、中味を出して「ダカラコレガ”モチ”!」と目の前に突き出す。
「うわぁ、怖わぁ~!」
菓子を渡されれば「美味しいですね」というようなシチュエーションを期待した対応なのに、余りにもマニアックな食文化の質問をしたためか、翻訳システムが上手く作動せず完全に決裂。
係員の苦笑のなか、飴玉を1個渡されその場を後にした気まずい瞬間であった。
言葉というのは人それぞれで、ともかく難しいと実感する。

先端技術が満載、ともかく世の中こんなに進歩していたのかとすっかり浦島太郎状態になってしまった、情報通信研究機構のオープンハウスなのだった。

オープンハウスの帰り道、わが町の鈴木遺跡資料館へ寄ってみる。
前を通るたび、プレハブ造りの建物が開いているのかいなにのかいつも疑問におもっていたけれど。
最近開館していると知り、今回が初めての見学となる。



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 ● 小平市鈴木遺跡資料館       東京都小平市鈴木町。

資料館のドアは閉じられてはいるものの「開館中」とプレートが掛かっていて恐る恐る開けてみる。
壁面中央に資料を並べた部屋がひとつに、解説員の方と見学者が一人いた。

石神井川の最上流部に位置していたここ鈴木遺跡は、1974年に江戸時代の水車が見つかったことに端をなし、掘り進めていったら旧石器時代の遺物がたくさん出土した。
大型の縄文時代の落とし罠の展示品など別室にしまい込んでいるために、縄文土器1点以外がすべて旧石器時代の遺物のみの展示となっていた。

壁面一面には近年地層剥脱した地層断面が覆っている(右上)
中央にあるごろごろとした石の集まりは、炉跡や焼き石を用い調理した跡で、熱により半割れとなったり黒く焦げたものが混っている。

壁面ケースには時代区分された旧石器時代の石器がずらりと並ぶ。



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 ● 目玉は入口脇に展示している文化層(右)

考古展示の時代区分展示ではかならず最初部分に登場するような石器がずらりと並んでいる。
いわゆるナイフ状だったりスクレッパーだったり斧の刃先だったりはするものの、旧石器時代ではまだ鏃(やじり)のような複雑なかたちのものは出てこない。
これまで余所の考古展示でも、この部分はすっかり飛ばしていてまるで興味がなかったので、この展示室も10分でもう見学十分な感じだったけど。
受付の解説員の方の説明がとても面白く、これまで注目すらしてなかった石器の石質の話しなど伺っていたら結局2時間も過ごしてしまった。

これまた地味な剥脱した文化層(人の暮らしの痕跡がある層)ながら、ここでは12枚(多くは2~3枚)も見つかっている。



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 ● 解説パネルや石器など

どれもが同じただの石器と一色単に見えるけど、よく見ると用途ごとに形が微妙に異なっており面白い。
石斧、スクレブラ、磨石、ハンマーストーン、礫器、スクレイパー、グレイバー、ナイフ形石器、ポイント、細石刃、石槍などがある。
特にⅨ~Ⅹ層で発見された石器のうち石斧(斧形石器)は、打製のもので打製石斧と呼ばれるが、その中には刃の部分を砥石で磨いて鋭くしたものがあり、これを局部磨製石器と呼ぶ。
それまでは磨製の技術は新石器時代とされていたので、発見当初は世界最古の磨製石器とも呼ばれた(現在では日本だけでこの時期の局部磨製石器は100点以上見つかっている)。

また石器に使われている石材も、チャートなど6種ほど確認できて。
なかでもガラスに似た黒曜石が目を惹く。
当地では黒曜石は産出されないため余所からもたらされたものであるが。
現代では蛍光照射分析による正確な産地同定も可能となり、鈴木遺跡の黒曜石は現代の長野県和田峠や神奈川県箱根、神津島からもたらされたものらしい。
割れ口がガラスのように鋭い黒曜石は勝手がよく一番人気で、遠くから運んでくるだけの価値のあったことが窺える。

ナイフ形石器はその握り部分は両面一緒の形ではなく、その多くは右手持ちに合わせて加工してある。

小さな石片をまるで鋸歯のように周囲に埋め込んで道具を作る細石刃は、道具を軽量化させる技法で、これはロシア方面の技術が承来されたものという。

一見単調に思える石器の世界ではあるが、蓋を開けて子細に観察すれば、質材・加工技術・使用勝手などどんどん拡がる世界に一変してとても面白い。



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 ● 北海道は黒曜石王国         北海道埋蔵文化財センターにて

北海道から九州まで幅広く産地を有する黒曜石ながら、とりたて北海道のものはその埋蔵量が群を抜いている。
北海道埋蔵文化財センターの入口には黒曜石の巨大な原石が置かれ(左上)、中庭には北海道各地の黒曜石が地域ごとにディスプレイされて美しい模様を成していた(左中)
また当センターでは、黒曜石の剥離片を加工前の元の形に戻す修復作業もなされており興味深い(下)
実家の本棚にも十勝石(道内での黒曜石の呼称)の原石が飾ってあったから、重そうだけど今度帰省した際にでも持ち帰ろうか。



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 ● 壁一面の地層展示(左)、礫群(右下)

展示室半分に及ぶ天井面には細長い色テープで鈴木遺跡が歩んできた日本の時代の長さを示している。
1年1㎜換算で平成はわずかに3㎝という短さ、それに比べて石器時代は全体の3分の2を占める膨大な時間となっている。


今日は情報の最先端ということで 政府研究機関の情報研究機構に触れ、そして時代の発端ということで鈴木遺跡の旧石器時代の石器に触れてみたけれど。
まるでキューブリックの映画『2001年宇宙の旅』のオープニングシーンでの、骨を道具に用いた猿が人類へと繋がっていく流れを見ているような時間軸のはなはだしさながらも。
技術は時代と共に塗り替えられていく点を踏まえ、情報研究機構の最先端の技術も旧石器時代に生きた人にみる石器の技術も、時間軸での先端という面では同質だったのではないかとどこか不思議に感じさせられた一日となりました。



普段はあまり使わない脳の一部が刺激された面白い見学でした。 !(^^)!




  1. 2018/07/02(月) 18:07:52|
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