うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

377 ぶらり





知人の企画のフリマを見に、千駄木へと出向く。



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 ● まずは日暮里で降りて、てくてくと歩き出す。



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 ● 朝倉彫塑館では「猫百態」が開催中。



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 ● 空中庭園では、なぜか下界を見おろす青年像が独り佇んでいた。



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 ● フリマは谷根千記憶の蔵にて開催。



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 ● アンティークのシェブロン玉が美しい。



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 ● 千駄木のあとは根津でお湿り、鯖の一本鮨は酢の〆具合が絶妙で絶品。



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 ● さらに御徒町へと流れ、焼豚で一杯、バイス割りは初めて飲む庶民の味だ。




ぶらり、ぶらぶらと知らない路地歩きが面白い!   (^^) 



  1. 2017/10/08(日) 17:59:13|
  2. 雑 閑
  3. | コメント:0

376 茶々




このところすっかり冷めてしまったガラクタ熱。
たまには運動がてらということで、自転車で入間まで行ってみる。




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 ● 「愛宕神社骨董市」  毎月27日開催   埼玉県入間市。

朝の通勤通学の人を自転車で追い越し、多摩湖狭山湖を抜けて入間まで1時間半。
このところの運動不足でそれなりの運動となったかなぁ。
この市に来たのも、ほぼ一年ぶり、特にお目当てはなかったものの、箱ものを見るとつい欲しくなってしまう。

付板仕上げのモダンな小抽斗は、変わりサイズでいったい何に使ったものなのか? 3500円は買い得値段だけど流石に家に置き場はなし。
ほかは特にアンテナはなびかなかったけど、雑多なこちゃこちゃした小物などをつい見てしまう。

以前農具の雁爪を買った店では、自分も持っている独特のかたちをした銀糸織りの杼があったり、漆塗りの椀を固定するボッチのような軸が売られている。(右上)
いったい、どういった経緯でこんなものが揃うのだろう。
戦時中の軍用食器や、崎陽軒のきゅうちゃんの醤油入れに交じって並んでいた、粗雑な磁器の蓮華はいったいどういったものだろうか? どこか中国っぽくもあって結構気になる。(右中)

アジアものの店で、ネパールの頭上運搬用の頭輪を見せてもらったり、最近仕入れてきたというナガランドの物品を見せてもらう、店主が進める小安貝を加工した首飾り、怪しげなお面などはまるで興味が湧かないけど、薄汚れた織物の男性用前隠しが美しく手にとってみる。

結局、ガラクタ・センサーにぴーんときて引っかかる物は、常にしょぼい物ばかりで、人間がお安く出来ている。
求めたものは、誰が自製したのか竹筒の水入れらしきもの、そしてヒョウタン形の箸置きなど、いずれも100円、骨董市では消費税はかからないので、これでは100均以下の体たらくだ。(文末に掲載)

いつもレトロな音楽がながれている、ラジオの店で、店主にむかしの真空管ラジオについていろいろ話しを伺う。
むかしの学校家具や事務備品と同じく、この時代のラジオの側の木工デザインが結構好きだ。
スピーカーの貼り布や透かし模様、セルロイドのゲージ窓やベークライトのつまみのデザインも各々とても味がある。
この店では現役品として、ラジオ放送がちゃんと聴けるように、経年変化で劣化した布コードなどは新しく現代のもので代用してレストアしている。
日本のマツダ製の球が品質管理の面でアメリカ製の球に比べいかに優れていたかにはじまって、不安定だった当時の日本の電力供給度の話しとなり、球と電力の兼ね合いが招く音事情、ラジオを通じて見る自分の知らない技術史を訊くのは本当に楽しく面白い。
愛宕山で日本のラジオ放送が開始されてから、まだ100年経ていないという。
この間100年を待たずして、すっかりNET社会となってしまったけど。
見えない電波を拾い上げ、むかしのスピーカら流れるくぐもった真空管ラジオの音色は、現代のオーディオ製品とは異なり、どこか温かみのある安心感がある。
SP時代の蓄音機や、ある種の楽器が持つ独特な狭雑音と同じく、このようなノイズのなかにも、人間にとって心地よい何かが結晶化されているのかも知れない。
電気が通じ球が赤く暖まることにより、音が徐々に厚みを帯びて鳴り出すラジオやテレビなどの真空管製品は、どこか生きものにも似た親しみを覚えさせる。



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 ● 被服関連の展示      入間市博物館

骨董市を後に16号を走り、入間の博物館へ寄ってみる。
この館は、市内出土の縄文土器の一部がハンズオン(接触可能展示)ということと、茶所らしく広くお茶の世界を紹介したコーナー展示に特色がある。
平日の午前中ということで、ゆっくりじっくり土器に触れあおうと出向いてみたけれど、
この日は生憎の見学授業が入り、市内の小学生、中学生などの団体で目白押しとなっていた。
そのため考古コーナーは諦め、隣の民具コーナーに移ってみる。
戦時下での生活道具と、かっての基幹産業でもあった養蚕・紡績・織り関連の民具が充実している。
いずれも馴染みのある民具だけれど、改めて細部を注視してみると意外と面白い。
骨董市でも売られていた織機の杼も、糸の出口や転がしの仕様など、ここのバッタン(織機)の上にのっていた杼とは若干異なっている。
糸引きの際、座繰に付くこの小さな繰り車に糸を通すことにより、撰りの効果が一層向上させる仕掛けとなっている。
道具の進化は、常にちょっとした工夫の蓄積の上に成り立っている。
農家単位の家内制の手工業とは別に、入間ではかって大規模なレース工場があり、よく見ると町の歴史のコーナーに、その時代のレース製品が資料としてちょこんと展示されていた。
次回の特別展 『石川組製糸ものがたり』(10月21日~12月30日)は、そんな資料を紹介する展示です。
展示内容が相変わらずの常設展示とはいえ、見学の度に毎回新たな発見があり侮れない。



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 ● 世界の茶文化

お茶の本場中国の茶文化、チベットのバター茶、インドのチャイ、ミャンマーの食べるお茶ラペッ、トルコのチャイ、ロシアのサモワール、英国のアフタヌーン・ティーなど、
お茶コーナーの展示の半分は、中国から派生して世界各地へ広まった独自の茶文化を紹介している。
写真パネル、実物の茶のサンプル、茶器、茶卓の再現など演示効果も高く、世界にはこんなに色々な茶の喫し方があるのかと、見ていてとても楽しい展示です。



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 ● 日本の茶文化

残りの半分が日本の茶文化の展示で、こちらも見所満載です。
まず、茶がいかにして大陸より日本に到来し、伝搬したか、様々な歴史資料を通じての紹介があり。

次いで、日本独自に発展を遂げた各地の名茶や、地方に見られる独自の茶習俗の紹介がある。
(左中);「蛭谷のバタバタ茶」、富山県旭町。
(右中);「白久保のお茶講」、群馬県吾妻郡中之条町白久保。
(左下);「山陰のボテボテ茶」、島根県松江市周辺及び、鳥取県境港市。
(右下);「那覇のブクブク茶」、沖縄県那覇市。

お茶講として茶で占いを立ててみたり。
濃茶じゃないけれど、茶筅でもって茶を泡立て喫す地域があることに驚かされる。
展示ではほかにも、九州地方では結納の品として「御知家」と目録に載った茶壺を構えた豪華な水引飾りが一対飾られていて目を惹く。
茶が良くそまる染料であることや移植のきかない木であるとの言い伝えより、嫁が夫の家の家風に染まり、家を出ることのないようにと願いを込めて、最も出来の悪い茶を壺や箱に入れて贈る習俗があるとされ。
茶が単なる嗜好品の枠に留まらず、茶が見せる社会観の影響力を強く感じさせられる慣習です。

また大成された茶道として、茶室が再現(右上)され、多くの銘器の展示されており、芸道として道具が示す好みや約束事が見れるのも魅力のひとつだ。
そして、最後は入間の地場産業としての茶業のあゆみと製茶道具(左上)の展示などがテーマとなった一画があり、最後に出口があるという流れとなる。



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 ● 狭山茶製茶用具

茶摘鋏、摘籠、平籠、竹筥、木手、蒸籠、釜、青葉蒸し器、焙炉、助炭、こくり板、茶篩、茶箕、茶甕、茶壺、茶箱。
狭山茶の製茶用具として、茶渋ですっかり飴色となった古びた手工業時代の民具が、各工程ごとに簡単に一点ずつ展示されていますが、そのキャプションには国登録の記載があった。
入間以外でも近在の資料館には、製茶道具として同じものを目にする機会はあるけれど。
入間の場合は、このような手工業時代の道具から現代の製造機械まで、幅広い年代にわたり、茶の栽培と加工の各工程で使う道具が網羅的に漏れなく残されている点が、やはり他の茶産地に先駆けて国登録(平成19年に、所蔵資料255点が「狭山茶の生産用具」として国の有形民俗文化財登録)となった決め手といえる。
茶畑に林立するプロペラの防霜ファンなどは、収穫前の遅霜除けとして、製茶の北限地帯に位置するこの土地ならではの用具だろうか。
会場に置かれていた、小冊子『狭山茶の歴史と現在』(館内販売品)には、展示されている手作業での製茶工程とともに機械製造の工程も併せ、現代の狭山茶製造の様子も分かり、とても参考となる。
また簡易綴じの『狭山茶いろは(入間市版)』(無料)は、市の広報の特集記事などの抜き刷り合本で、いろはかるた風に、入間の狭山茶を基礎知識から幅広く楽しく知ることが出来る。
博物館では年間スケジュールで、お茶の講座やイヴェントも盛んに行われており、茶に関連した事項を知るには、他館にない充実した施設といえる。



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 ● 「東京狭山茶」     瑞穂町郷土資料館 けやき館。

入間市博物館でお茶の展示を観てから、気分もすっかりお茶モード、ちゃっちゃと移動で、隣接する東京都瑞穂町の郷土資料館に来た。
ここに来たのも今回で2回目となる。
この館は、もと町の図書館に同室していた郷土資料室を近年移設オープンさせた新しい館で、民俗展示では「東京達磨」や「村山大島紬」などの他に、確か製茶のコーナーもあったはず。

芸能と祭事のコーナーの隣りに見つけました、製茶コーナー!
自治体も変わり、こちらでは「東京狭山茶」とある。
展示してある資料は、入間の製茶用具をさらに縮小させた分量ながら、入間の展示には見られなかった選別用の茶唐箕(*入間の国登録資料リストには茶唐箕も登録されている)が、大きさの面で目を惹く。
茶唐箕をいたずらに触れてしまわないように、手回しハンドル部分を紐で幾重にも固定して縛ってあり、よく見ると鋳物仕上げでとても美しい透かし模様です。



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 ● 「東京狭山茶」の製茶工程    瑞穂町郷土資料館。

パーテーションで囲った小さなコーナーで、余りにも簡潔といえば、そのままの展示ながら。
それでも図化された製茶工程の5枚の展示パネルは、一目瞭然でとても分かりやすくなかなか要領を得た優れものです。
また、展示コーナーの傍らに設置されている解説ファイル「東京狭山茶手揉み製造工程」は、各々の工程を秒・分単位で正確に記しており、こちらもつい見入ってしまう。
限られた、たったこれだけの分量ながらも、百科展示としてとても上手く納まっている。



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  ●  常設展示と特別展「殿ケ谷の神輿」  瑞穂町郷土資料館。

民俗の常設展示では、地場産業である「村山大島紬」(左上)や「東京達磨」(右上)などに重点が置かれている。

町の有形民俗文化財となっている「殿ケ谷の神輿」(慶應2年建造)も、この度の平成の大修理で在りし日の本来の姿に蘇り、完成したぴかぴかの神輿が資料館のエントランスに展示されている。

この特別展では、文化財保護法に則った厳格な修理の工程の様子を実物資料やパネル、VTRなどで分かりやすく解説している。
また、完成記念として冊子(非売品)が置かれており、頁をめくると、ひとつの神輿を構成する細かな部材の多さに驚かされるとともに、今回の大修理に際して実に多くの方々の労力に依っていることを知る。
国の補助金と町の文化財保存事業補助金以外にも、不足分は地区の住民および事業所からの寄付金も調達したとあり、文化財として後世にまで伝え残していくことの大変さが偲ばれる。

瑞穂夏祭は、これまで見たことがないけれど、来夏は是非この神輿が練歩く様子を見てみたいものです。



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 ● 本日の買物2点。 竹筒; 径50×高さ245ミリ、 箸置; 33×66×高さ24ミリ。 

自製らしき竹筒はいったい何に使ったものだろうか、水入れだろうか。
どうやらマダケの一節切らしく、割れがこないように皮タケ部分をあらかじめ削っている。
小さな節片を紐で繋ぎ根付けのようにしているから、腰に下げたものだろうか。
紐通しの箇所だけ僅かに飛び出させ、皮を残している。
越生の業者のガラクタのなかに混じっていたこの筒は、瑞穂からの出ものという。
いつも、どこかの誰かが何となく必要に際し自製したような道具に、ついつい惹かれてしまう。


この瓢箪の箸置きは、どうでもいいような100均のコーナーに転がっていた。
シンプルでありきたりといえば、そのまんまの瓢箪のかたちながら、手にとってみると思いのほか軽く、かちりと堅い材質だ。
底部分は黒漆でしっかり仕上げているから、バランスから考えて素材がプラスチックというわけにもいかない。
印材などに用いる柘材かとも思ったが、いくら子細に眺めても木目らしきものが見られない。
骨材でもないし、印材に用いる人工素材のレジンともやはり違う感じがする。
茎に繋がる口の部分やお尻の穴など、細部は実に細かく彫られているので(実際のサイズは、このクローズアップ写真より更に何分の一の小ささ)、その丁寧な仕上げは、どうやら型抜きの量産品とも若干異なる雰囲気だし、その表面は実物の瓢箪の表皮そのものの様にみえる。
ひょっとして根付職人の作!? その手のものは持っていないので調べようがないけれど。
今回求めた自製品の竹筒とは対極的な細かな仕事で面白い。



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 ● 2個ニコ200円。

相変わらずのガラクタ漁りだけど、秋になって季節柄なのか、それとも爺さん化してきたのか、小者ながらもすっかり枯れ味を増してきた今回の買物でした。
ああ寂寥感、並べた写真もどこか寒い雰囲気となってしまった。



ちゃちゃっと移動しての博物館見学、面白い一日でした。 (^^)   




   
  1. 2017/09/28(木) 23:06:48|
  2. うつわ
  3. | コメント:0

375 両手で






先日の連休(9月17日(日))は茅ヶ崎へ、知人の展覧会を観てきました。
八王子-茅ヶ崎を結ぶ、JR相模線の香川という初めて降りる駅。
会場は、酒造メーカーの、酒樽・桶の修繕倉庫を改装し、クラフトショップとギャラリーとして蘇らせたお洒落なスペースです。



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  ● ”okeba gallery & shop ”      神奈川県茅ヶ崎市香川7-10-7 熊澤酒造

むかしこの醸造所で実際に使われていた酒樽や桶、笊などの酒造用具、日本の古道具や、西洋家具のヴィンテージ品の古いもの、
絵本のブックコーナーと、陶器やガラス、テキスタイル、ファブリック、木工、アクセサリーなどの現代作家のクラフト作品がずらりと並んだ吹き抜けの大倉庫に生まれたこのショップとギャラリースペース。
ほかにも醸造所の敷地内にはブルストカフェやトラットリア、ベーカリー、蔵元料理などのお店があり、とても魅力的な一画です。

2011年に改装して出発したこのスペースは、再生する場所から発信する場所へ、常設作家の作品も完備して、いまもなお時代とともに形を変えながら受け継がれていく、人とモノを繋げる場所となっている。




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 ● 「籠屋と箒屋」展      9月30日(土)まで     okeba gallery & shop

竹籠;関田徹也、中津箒;吉田慎司、若手の職人二人によるコラボ展です。
展覧会のDMは、黒地に座敷箒と、盛り笊を配置したシックなデザインです。
箒の吉田くんとは、彼が箒をはじめる前からの知り合いですが、いつもDMを頂いておりながら、このところはすっかりご無沙汰したままでした。
竹細工の作家は、DMを見る限り、どういった方なのかは存知あげませんが、ともかくかっちりした仕事をなされているようです。

この日(17日)は丁度ギャラリートーク 「籠と箒のいまとこれから」 <定員10名、2時間、お茶付>の予定が組まれており、その「いまとこれから」の文言がなんとも気になり、うちからはかなり遠路の会場ながら、足を運んでみるきっかけとなったのでした。
予約をした時点では既に満席、立ち見ということでしたが。
それを承知で颱風の雨のなか訪れたこの日、トークに集った人は結局定員の倍の20名ほどでした。
若い世代から年配者まで、見るかぎり、こういったむかしながらの手仕事にとても興味を持たれているような方々ばかりです。

結局定席のパイプ椅子以外にも、お店の商品であるヴィンテージの椅子で増席されて。
自分が座った西洋アンティークの工場椅子は、背もたれの可動部分が上手く身体にフィットして、堅い座面具合も程よく、長時間座っていてもまったくもっての疲れ知らず。
さすが座り仕事専用の機能を持った椅子だけのことはあります。
定席のパイプ椅子じゃなくって、どこか得した気分です。

ギャラリートクでは、各々がこれまで歩んできた流れについての独り語りから、今回の発顔合わせで語られた現在の職人の現状とこれからに向けての展望へと、多岐に話が広がりました。
竹籠と箒とで、ジャンルはまるで違うけれど、現在に残る手仕事として共通の問題点を多く有したディスカッションは、現代の職人の在り方を問った、なかなか考えさせられた2時間となりました。



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 ● 中津箒;吉田慎司

吉田くんと箒との出会いについては、以前箒について書いてみた以下のブログで触れています。

ブログ№243 箒 その1 
ブログ№245 箒 その2 
ブログ№247 箒 その3 


あれから数年、居を東京から札幌へ移しパパとなった吉田くんは、相変わらず飄々とした雰囲気ながらも、それでもやはり一皮剥けて地に足が着いてきたというか、箒職人としてどこか落ち着いてきた感じがします。

当世風に常にSNSで発信し、個展をはじめ、グループ展やクラフトフェアーなどさまざまな場所で作品を発表し続けている。
箒のほうも、やはり天然素材に対するこだわりで、自然木の柄を使ってみたり、自染めの締め糸を用いるなど、自分の箒の基底の部分は揺るがず、一点一点箒を濃く作っていく姿勢。
初期の可愛らしいを狙った小物箒よりは、長柄箒、座敷箒、共柄箒、荒神箒と、昔から日本の家屋を掃き清めてきた伝統的な箒に主点が置かれ、軽さ、丈夫さ、機能性と、健全な職人仕事を伝承し、 「昔の箒に近づきたい」 と語る。
そして箒を使うくらしの豊かさを少しでも知って貰いたく、ネット販売は一切なしで、直接目に見えるかたちで相手に会って話し、互いに信用したなかで箒を求めて頂きたいという。
家の身近にある道具として、地域の”町の箒屋”が理想であり、良い製品を適正価格で提供し、互いの信頼関係を結んだコミュニケーションを計りたいという。

北海道では、先住の民であるアイヌなど、最近は民俗的な面にも特に関心が深まっている吉田くんでした。



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 ● 竹籠;関田徹也

関田さんとは、昨年のKEIANと、以前近江八幡で開催した「廣島一夫」展のギャラリートークで同席していたらしく、この春偶然に居合わせたときに彼が竹細工をしていると知りました。
ただそのときは名前も問わず他に話しをしなかったので、隣町の東村山にこんな若手の竹細工の方がいるのかと思っただけでした。
そうか、あの時の彼の作品がこれなんだなぁ。

今回の展示で初めて見たその製品は、農作業や山仕事などで用いられてきた実用品の青物細工で、いずれもかちりと形がきまった、とてもしっかりした仕事の美しい籠ばかりです。
籠は、ある層には根強いブームが続いており、若手作家の多くは別府の職業訓練校か、茶器として京都などで学び、現代のくらしに合うように、卓上使いができるようクラフト的要素を加味した製品が、いまの人気の主流といえますが。
彼のように若手の青物細工の職人は、現時点では両手に納まる少数派です。

しかも、籠作りの最初は中一のときに本を見ながら自製したということ、職人として弟子入りするのではなく、これまで独りで学び歩み続けてきたということで、さらに驚かされます。
彼の父の郷の群馬では、身近に手仕事の現場が見られ、彼をものづくりへ誘ったきっかけといえますが、中学生のその頃からタウンページなどで各地の現役の竹細工の職人さんを見つけ探しては、話しを伺いに訪れていたということですから、驚きです。
訪ねた当時にして、既にその半分ほどは仕入れた物を扱うだけといった状態だったらしく、彼の齢の割りには、或る時期の竹細工職人の現状を正確に把握していて、まったくもって感心させられることばかりです。

教えを乞うたのが、埼玉の秩父、越生、そして茨木の古河の3方(うち大正生まれの2方は既に故人)で、昔ながらの竹細工職人として歩んでこられた方に就いています。

農家や山仕事など、生活道具としての竹細工であっても、西と東では、竹の性質も異なるし技術も異なる。
そのための道具も違うので、それに併せた身体の使い方が異なるとういう。
それぞれの土地の竹細工(関東、桐生、武州など)を残すこと、その技術を残すことに注目している。

使うのはマダケ(親骨の箇所に一部孟宗竹も使用)で、竹材として売られている竹を使わず、自ら竹細工に向いた竹の採れる竹林を探し選んで伐採している。
また、同じ山で毎年伐るとどうしても使える竹が減っていってしまうので、一昨年からなるべく伐る山を変えていくようにしているという。


身体を酷使した重労働ながらも、その疲労感は心地よく自分に見合っているという。

養蚕などで大物の籠を多く使っていた時代のように、籠屋が出仕事(出張)で、その土地の竹林を使うことがなくなり。
現在では、すっかり手入れがされなくなり放置された竹林は、荒廃し、山間部の空き家と獣害が増している。

自然素材の竹籠は、若い世代にはプラスチック製品に比べ秀でていて完璧なものであると、どこか妄信的な認識も持たれやすいが、笊などは使用後の乾燥が悪いと直ぐにカビてしまう。
作り手が使い手にたいしてへんに迎合し、妙に媚びた製品をつくるような風潮、そんななめた態度にもどこか「ものたりなさ」を感じるという。
道具として、がんがん使う人がいて、それに対して応えられるような職人でありたい。

むかしを知る職人世代は、もう誰もが80代以上と高年齢となってしまい、手仕事がとだえてしまう端境期である昨今、籠に限らず、柘植櫛、捏ね鉢、藁細工、鍛冶など年配の職人を訪ねることを果していると、いずれの世界にも通じる繋がりを感じさせられるという。
役に立つかどうかは分からないが、縁あって続けている、現時点で聞いておかないと手仕事の伝承もゼロになるという。

関田さんは、ご自分の鞄のなかから水嚢 (すいのう、網杓子;左上写真)を取り出して、これは自分がやっている竹細工とまるで異なった技術で作られると解説する。
埼玉の小川町の夫婦が作ったこの水嚢は、竈を用いて鍋に大量に湯を沸かしていた時代、茹でた食材を掬うのに、なくてはならない必要な道具だった。
夫がエゴノキを蒸して曲げて枠を作り、その枠に妻が篠竹(アズマネザサ)で編んだ網を取りつけて仕上げるという共同作業によって仕上げられる。
最後の人がいなくなっても、繋げられる可能性を信じたいという。

楕円形の扁平な山仕事の籠(左下写真左隅)は、道具ばかりでもなく薪などの重量物も運ぶため、ゴザ目編の籠と、六ツ目編の籠を合併した「ツクリコミ」の籠となっている。
その際、ゴザ目籠の底部が真四角の網代底ではなくて、(中心部が)長方形の網代底として立ち上げていく箇所が難しいという。
また口に箍輪を周した、一見特殊な背負籠(左下写真、机の右端)なども、秩父一帯でよく見かけるかたちだという。
このような農具の籠も、機械の入らない山間部だからこそ、現代でも昔ながらに細々と用いられ残されており、そういった需要がある。

桐生の鍛冶屋で誂えたという竹割り鉈は、教えを受けた場所によって形が異なっている。
とくに切っ先が尖った「トバ」と呼ばれる鉈(右下写真、上)は、編の際の目詰めや、目のこじ開け具合の調整で、尖った切っ先部分を刺して使うなど特定の地域にしか見られない鉈で、とても珍しい。
現在では丸竹を切るのに、糸鋸のようなかたちの弓鋸の竹切りが使われることが多いが、関田さんは弓鋸以外にも昔ながらのかたちの鋸(右下写真、下)も使っており、現代ではこの形式の竹挽鋸をつくる鋸鍛冶もごくわずかになってしまったという。

トークの後も、関田さんに話しを伺っていると、泉のように言葉が湧いてきて絶えなることを知りません。
販売されていた籠は、盛り笊の一番小さなもので5000円ほどで、この値段で買っていただいても、まだ採算的には厳しいくらいだと云われ、
値段の面で手間に見合う収入がなかなか得られないことの本質的な原因は、輸入品の竹製品が普及することで「竹製品は安いもの」というイメージが広く浸透してしまったことにあるという。

確かに、職人の正当な仕事に対する適正な報酬、価格破壊で見た目に同じような100均の籠も巷にはびこってしまっている現在、使い手も手仕事のその価値を正しく理解し支え合える真摯な視点を持ちたいものです。


今回は、竹細工と箒の二人の若い職人、ゲーム世代でもある彼らのなかに、職人としての手仕事を通じ、未来の展望ともなるべき可能性を信じたく思いました。
示唆深く有意義な一時を有り難うございました。

* 尚、関田さんの記事の箇所に一部誤記があり修正しました 失礼いたしました。<9月25日>


** 各地の背負籠については

ブログ№304 背負籠づくし で一部触れています。

背負うという同じ目的の道具ながら、地域ごとに実に形が異なっているのが分かります。
ついでながらアジアの背負籠として、こちらでは随分変わった背負い方がみられます。

ブログ№306 よっこらせ その1
ブログ№308 よっこらせ その2
ブログ№311 よっこらせ その3 





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 ● 久しぶりの3人飲み

展覧会で、遠路茅ヶ崎くんだりまで出たついでに、帰りは久しぶりに稲村ヶ崎のMちゃん宅へ遊びに寄せていただきました。
颱風の影響で濡れ鼠となりながらMちゃん宅に到着すると、熱々のオデンで迎えてくれました。
まずはビールでお湿りをと、乾杯の音頭をとろうとジョッキを持ち上げた絶妙のタイミングで、突然ながらかかってきた電話の主がSちゃんで、昨年訪れた猿島以来一年ぶりに合流し3人飲みすることになりました。



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 ● 詩人のMちゃん宅、卓上に置かれている本や本棚のなかをつい見入ってしまう。

Mちゃんが近ごろ美術館で観たという、アイヌの彫刻家の砂澤ビッキ展。
思えば、自分が通っていた高校のすぐ裏手にアイヌ記念館があったけど、アイヌとの接点はもちろん皆目なし。
そんな高校生当時、田舎の画廊に偶然入って観た木彫展が砂澤ビッキ展でした。
ビッキ(かえる)とは似つかない、髭面で熊のように豪傑なビッキのその風貌にアイヌを初めて感じた瞬間でした。
ビッキとも交流があったというカナダのインディアンの人々。
そんなカナダ・インディアンの方の著書も最近訳してみたというMちゃん。(左上)
話しは、おもわぬ接点で融合し盛り上がっていくのでした。



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 ● 合流したSちゃんのやっているフォト・ブログより。

学生時代より、写真が上手かったSちゃんのブログでは、切り取られたカットも秀逸です。
彼の住む、三浦半島をテーマにした風景写真、廃墟の写真、遊び心豊かにミニロボットを景色に合わせ撮ってみたり、自然物や人工物のなかに顔を発見する「顔道」など、複数のブログを持っている。
近ごろでは、鎌倉の芸能を撮った写真がコンテストで入賞するなどの活躍ぶりとのこと。
つい3人で飲みながら写真の話しとなって彼のブログを覗いてみる。
廃墟写真がやはり、なんとも良い持ち味を醸しだしています。



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 ● 台風一過の翌日は、ピーカン晴れ。     鎌倉緑地公園にて。

颱風のその晩は、ついつい3人で深酒してしまった。
翌朝は、二日酔いをスキッと晴らすほどの見事な晴天です。
これまでの夏場の湿度も幾分抜けて、強い日差しの中にもやはりどこか秋の気配が感じられる季節となりました。
近所にある、自然をほどよく保った緑地公園を散策します。
紅にまじり白いヒガンバナが綺麗です。



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 ● なんとなく目についた虫たち。        鎌倉緑地公園にて。

セセリ、ツマグロヨコバイ、カメムシ、アブラゼミ、ジョロウグモ・・・・・・・・・・。
よくみると身近な場所でも結構見かける虫たち。
小さなカメムシだけど模様がどこか人面風だったり、ジョロウグモの雄と雌とでは驚くほど大きさが異なっていたりと、面白い発見もいろいろです。



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 ● 夏の名残の腰越海岸。

緑地公園を後に、海岸まで出ます。
この季節、何といっても刻々と変化する海の表情を見ながら、砂浜に座って飲む缶ビールは最高です。
陽も徐々に暮れてゆき、サーフィンに興じる人の姿が逆光となってとても綺麗です。
この夏の海も、これが最後の見納めでしょうか。




秋の連休、楽しめました!!  (^O^) 




  1. 2017/09/23(土) 07:59:20|
  2. 民具
  3. | コメント:1

374 こないだの その2





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 ● 実家の庭の花

トルコギキョウ、鉄泉、菊、そして満開の紫色の花をつけた木蓮は、春とともにこの夏の季節に二度咲きするというのだから、まったくもって驚かされる。

実は、つい6月に帰省したばかりだけれど、帰京して直ぐに、実家のほうが水害で家の修繕をすることになった。
昨年貼り換えたたばかりの壁紙も貼り直し、今回は更に屋根や天井を付けたりと大事になっているようで、その手伝いで再び8月に帰省することになる。
いわば濡れてしまった布団などの物品を運び出してのサポート、乾し要員なのだけど、北海道も今年の夏は天候が一向に安定せず、からりと晴れた日が少なかった。
作業のほうは、お日様の具合に影響される毎日で、まるではかどらなかったけれど。
ただ、ちょうど盆を挟んでの帰省だったので、計らずしも墓参をしたり、久しぶりに旧友とも会うことができた。



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 ● 甥とも久しぶりに再会

すっかり社会人となった甥は盆休み、内地から岡越えで車でやってきた。
なんとも変わったタイプのハーフトラックと思いきや、運転席を覗くとハンドルが左についている。
スバルが米国へ輸出向につくった特別車で、窓ガラスには1987年のアメリカの認票が残されていた。
アクセル、ブレーキの配置は日本車と同じ配置だけど、ウィンカーやワイパーの配列は逆となっているので、道を曲がろうとしたらうっかりワイパーを出してしまったりしたりと、甥が笑っていた。
ルーフウィンドウより、身体を突っ込み逆立ちさせた脚をばたつかせるその様子は、どうやら犬神家の一族のスケキヨを真似たおとぼけらしい。



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 ● 墓参など。

お盆の8月15日は、聖母マリアの被昇天の祝日にあたり、神居の共同墓地や納骨堂に墓参してきた。
ミサに預かるのも久しぶりで、かってお世話になった神父や修道士は、どなたもすっかり高齢となられていた。
また既になくなられた方も多く、センターの墓標には歴代の名前が刻まれていた。
現代は日本教区としてすっかり統一されているが、ミュンヘン近郊の中世からつづく宗教都市フルダ出身の、フランシスコ会のドイツ人神父が多い地区だった。
盆の翌週に催された地区の共同ミサでは、札幌から司教が来られ堅信式があった。
初期の教会の成り立ちや地区での活動など、昔の様子を紹介した写真パネルが目を惹いた。
ドミニコ神父は、戦争中は少年兵として戦車に乗っていたという話しを最近聞いた。
そういえば、むかし教会の公教要理の勉強のさいに、爆撃を逃れるために防空壕に避難したはなしなど、神父の子供の時代の戦争体験のはなしを聞いたことがあった。
どんな体験が彼らを聖職者として歩まさせたのであろうか、そして本国を遙か離れた日本が彼らにとっての終焉の地となっている。



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 ● JR旭川四条駅

かっては路面電車のステーションがあった場所が、現在の高架となった旭川四条駅。
ワンマン列車の1両車両が運行する。
次のJR旭川駅までは、おそらく2キロの距離もない近さだけど、車両調整のため途中で停止しながらも数分かけてちんたらと運行する。
実家から街へ出るには自転車のほうがはるかに便利で一切利用することもない、今回は折角だからローカルごっこを楽しむ時間潰しで乗ってみた。
料金はバスの初乗りより安い170円。



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 ● お盆が過ぎたら秋風が。

盆までは予約が満員だったけど、盆が開けてから気を利かせD君がネット予約してくれたOKUNOビルの屋上仮設ビアホール。
ジンギスカン+海鮮+ドリンク飲み放題、七厘焼きのセルフ方式 3000円(90分)
蛸のぶつ切り、コマイの干物、鶏肉味付き、ジンギスカン、漬け物いずれもプラスチックに入ったものを人数分冷蔵庫から出して用意してくれる。
客は盛り上がりをみせる若者が数名の1グループ以外<じつは後で、この店のバイト店員の宴会と判明>、D君夫妻と自分との3人だけで誰もいない。
ビアホールのビの字も感じさせない盛り上がりのなさ、荒涼とした寂寞感に場末の悲しみで打ちひしがされる。
おまけにポツポツと雨も降り出して、しかも幌なしなので、半袖半ズボンというお気軽な格好で来てしまったのが仇となり、すっかり寒さに耐える格好での飲み会となってしまった。
北海道は盆が過ぎれば、もう秋風が吹く地なのを忘れていました。
七厘でおにぎりを焼くも、冷蔵庫に長らく入れられていた内部はコメがα化せず、ぼそんぼそしたまんま。
「ああ地ビール館のクラフトビールが良かったのに・・・・・・・・・・・」と、今回もD君と別な面で記憶に焼きつく苦笑しながらも印象深いビアホール体験となってしまった。


高校時代の美術部のメンバーの数名で集まる、いつもの焼肉店のあと、二次会はI君がザッハトルテが絶品なバー(!?、下写真)があるというので行ってみる。
マスターはカクテルチャンピオンのバーテンダーでも有名いうことながら、この日は生憎の不在。
店を切り盛りしていた女性バーテンダーが、各人に合わせ自分に出してくれたのが、ボンベイサファイアをベースにグレープフルーツの絞り汁でスクィズした甘めのカクテル。
ちょっと気分じゃないということで、酒棚で目に付いたペルノー(アブサン)や、ピート香の強いアルヴェイクなど癖の強い酒を、水チェイサーと共にちびちび飲む。
ザッハトルテは、スウィートとビターの2種類があるけど、自分としてはやはりビターが好みかな。
確かに、ウィスキーとチョコレートの組み合わせは悪くはない。
レトロなジュークボックスからはアメリカンな曲が流れ、今回神居に酒の肴の総菜屋もオープンさせたということで、燻煙したウズラの卵などのつまみも美味だった。
その後I君と二人、彼の馴染みの店に替えながら明け方まで飲み明かす。
I君にはすっかりご馳走になってしまい恐縮ながら、このような深酒も年齢的に少しきつくなってしまったことに気付かされる。
それでもこのような痛飲は、地元の友達とならではの楽しみだ。
皆の心遣いに感謝します。



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 ● 市内の川で

旭川は、石狩川、忠別川、牛朱別川、美瑛川などの川に囲まれた川の町だ。
実家からも自転車でわずか10分ほどで忠別川の釣りが楽しめて、とても便利な立地だ。
6月の時に較べて、川はすっかり干上がっていて中州が現れるなど流れもポイントも随分と変化している。
忠別川に掛かる鉄橋付近の蛇籠は、どうやら河岸に新しく作った池のある公園の吸水管の押さえの重石となっているようで、その箇所に若干ながらニジマスやヤマメが潜んでいる。
ポイントを攻めるも、度々蛇籠の網に鉤を奪われて悪戦する。
この季節ウグイも肥えたものが多く、釣り上げると精子を放出させるものはよく見かけたけれど。
今回はメスの個体で排卵させたものもあった、初めて見たウグイの卵は直径が2ミリ程度でとても粘性に富んだ塊だった。
自分のような、ぼんくら釣りではどうしてもウグイばかりが多く掛かるが、ウグイも泳がせ釣りする分には引きも結構あり、それなりに楽しめる。
家にある普通の長靴を引っ掛けて、朝な夕なに近場で釣りをしていたが、それでは次第に飽きてしまい自転車で少し走りポイントを探しに赴く。
足さえあれば、本格的な渓流釣りでイワナやアメマス、オショロコマの棲む地点まで行けるのだろうけど、それも適わぬために、ママチャリで小1時間圏内の場所を設定とする。
釣り人を見かける場所や装備、藪を踏みつけた形跡、落ちていたりひかかっている仕掛けより考察して学ぶ点も大きい。
相変わらず短竿で素人の提灯釣りながら、父の遺した股下までのウェーダー(釣り長)でじゃぶじゃぶと川に入りポイントに近づく、渓流魚籠もはじめて使ってみて、魚の取り込みにとても便利だった。

結局ツィンハープ近辺の側流、ポン川筋、動物園に近い倉沼川の水門付近、米飯川、愛宕新川など、いずれも清流だけれど、ニジマスやヤマメがいる場所があるようだ。
朝4時過ぎに起きて庭で餌のミミズをほじくり準備して、釣り場には5時頃の朝まずめに到着できるように調整する。
なんだか早起きに度がかかり、すっかり老人力が高まってしまった。



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 ● 日々、ぼんくら釣果が蓄積されていく。

釣りはやはり、釣れぬより釣れたほうが俄然楽しい。
逃がした魚は大きいというごとく、幾度かバラした大物(のつもり?)もあったけれど。
記録としては、結局は尺欠け(32㎝)のニジマスどまり。
仕掛けはいろいろだったけど、このときは軽装備でヤマメ鉤7号、ハリス0.8号、ミチイト1.5号、錘はガンダマ2B一個だったので、結構な引きが楽しめた。
餌はミミズじゃ駄目だよ、イタドリやブドウ虫、イクラなどじゃないとというはなしだったけど、ミミズでも案外釣れたりする。
20㎝ほどのニジマスを釣り上げてみたら、シラウオのように白化した5㎝ほどのフクドジョウを丸飲みしていた。
地形や流れで想像する水中の様子、天気状況や微妙な時間帯での変化。
昨日は釣れても、今日はまるで駄目だったりもするから面白い。
雨に打たれたれ震えたり、川の流れに足をとられ怯えたり、川の流れの音に耳をすませてみたりと、そんな生活も普段していないことばかりだから、逆に結構新鮮に癒されて面白い。
ぼんくらながらも、釣りの醍醐味は、ただの偶然的な運ばかりじゃなく考察による点も多いから、我流ながらもそんな自然考察が持てる時間が得れてとても嬉しい。
これじゃ「釣りキチ三平」を愛読していた中坊の頃とまるで変わっていなく、まったくもっての子供返りだ。
しかも今回使った竿なんかもその頃に買ったもの<グラスファイバー・ロッド>だから笑える。
先に帰省したときに、カーボン・ロッドの渓流竿も買っておいたのに、そのまま使わず終いのまんま。
少量ながらも蓄積されて、冷蔵庫のチルドケース内は日に日に魚が増えていく。
そのため母との二人で囲む食卓には、すっかり魚が定番となってしまった。
失う鉤代だけで、釣餌など経費が一切かからないお気軽な釣りのため、どうやらその支出状況もトントンの範囲内に上手く納まっているようだ。



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 ● ときにはこんな生きものも。

アメリカミンク<写真は動物園で撮ったもの>は、本来毛皮用としての飼育で逃げたものがすっかり野生化して定着しているらしく、釣りをしていて度々見かけた。
藪や、テトラの下穴に巣を作り、キキキキキと鳴く黒い姿が克明に見られた。
人里に下りてきたキツネほどじゃないものの、釣った魚をそちらへ放つと、距離間を見合わせて餌として食わえて去っていく。
岸から突然現れ悠々と川を渡る様子や、番で睦み合いカップリングする姿もみかけて、現れるとついつい釣りをそっち抜けで見入ってしまう。

食いの下がった雨の日の釣りで、よく見ると水中の小石に褐色に同化した生きものがいる。
「あれれザリガニじゃない」結構な大きさがあるけれど、大きなハサミは平たくしかもアメリカザリガニのように赤くもなくギザギザしたトゲもみられないし、これまでこの地域にアメリカザリガニが自生している様子を見かけたことがない。
むかしはヤマトザリガニは居たけど、こんな清流の川の流れには生息しないし、それに余りに大型すぎる。
こんなものもいるのかと、水中より取りあげてみたら、ハサミの裏側は赤と青の対比が派手でまったく違った種類のザリガニのようだ。
この日の釣果はボウズだったので、家に持ち帰って図鑑で調べてみることにした。
図鑑「北海道の淡水魚」北海道新聞社刊にはウチダザリガニ(写真中央)として、しっかり紹介されていた。
ウチダザリガニ(Pacifastacus trorebridgii)は、1926年(大正15年)アメリカから食用として移植されたのが始まりで、1930年に摩周湖に500尾、翌年には475尾が放流されたとある。
摩周湖では自然繁殖し、摩周湖から阿寒湖や屈斜路湖へ持ち込まれ、釧路川をはじめ流出河川域に生息域を広げているという。
原産地は米オレゴン州のコロンビア川。
この川から滋賀県淡海池に移植されたタンカイザリガニがいるが両者の区別は難しいという。
それにしても道東のものが、いったいどういった経緯で流入したものか。
ザリガニなど、手に取ってしげしげと見つめたのは子供の時以来のことだ、腹の形状からみてどうやらメスの個体のようだ。
夜行性で雑食性、気性が荒く大型のハサミを後方まで振ることができるとあり。
確かにその記述通り、なかなか激しい動きをみせるウチダザリガニ。
こんな大きなハサミで指を挟まれたら、ひとたまりもない激痛となるに違いない
子供のようにすっかり家飼いしてみたい気を興させはしたが、数日観察して採集した場所にそっと放してみた。
無事難を避けて元気に育ってくれや!

環境の変化は、植物ばかりじゃなく動物にも様々な影響を及ぼしているようだ。



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 ● やはり食すにはこのサイズのヤマメが一番。

小さなヤマメは、腸をとってみるとこんな大きさであっても立派な白子を持ったオスがほとんどで驚かされる。
よく天ぷらにして食べるのが一番というが、フライパンに油を敷かず低温でこんがり焼いてみても、そのまま頭から丸かじりできて実に美味だ。
川魚特有の野趣に富んだ独特の匂いも感じられ、朝釣り上げたばかりの新鮮なものがそのまま食卓の一品として並ぶなんて、なんて贅沢なことだろうか。
既にこの段階で酒の肴として一杯飲みたい自分がいるが、母の目が戒めているのでじっと我慢する。



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 ● カリンズ(赤スグリ)のジャム。

子供のころの野外遊びでおやつとして摘んだ、オンコ(イチイ)やグスベリ(グース・ベリー)、カリンズなどは、いまとなっては何だかとても懐かしく、そして素朴で希少な自然の味だ。
庭にあったグスベリの木はすっかり枯れてしまったけれど、カリンズの一株はどうにか健在で、母に、丁度小瓶一杯ほどのジャムを作ってもらった。
カリンズの酸味を楽しむにはやはり生で摘むのが一番だけど、ワイルドベリーに近い種類なのかカリンズの種は粗く、ジャムにするさいの種取り作業にすっかり手を煩わさせてしまった。
グスベリのジャムは大好きだけど、カリンズのジャムは種を取って作るのが、いちいち面倒くさいのか市販のものは見かけたことがない。

キッチンウェアの新しもの買いが好きな母だったが、もう随分と昔、自分が子供の頃に購入したアメリカ製のオスターライザーのジューサーは、いまでは仕舞い込まれておりほとんど使われていないようだ。
このミニ容器は、コーヒー豆などを挽くミル容器としてのアタッチメントで、容量が200cc(80×100×高さ95ミリ)、ガラス製ではなくABS樹脂製のものだ。
黄色い蓋に描かれたイラストも、どことなくある時代のアメリカ製品の雰囲気を漂わせており、懐かしいのでこの瓶にジャムを詰めてもらうことにした。
これからしばしの間、カリンズジャムの酸味が、北海道の実家での思い出となって食卓に潤いを与えてくれることだろう。

釣りの藪漕ぎのさいに服にひっかかったトゲトゲの草は、赤い実をつけた木イチゴで、気づくと夢中になって採集してしまった。
食卓に並べたこのイチゴを見た義兄は「実が上を向いて成っていただろ」と、一発でそれが木イチゴじゃなくてヘビイチゴであると見当てた。
確かにカリンズのように粗い種が口に残るが、義兄も自分同様に、このようなワイルドベリー系のもつ独特の酸味がまんざら嫌いじゃないらしく、口に含みながらもそんな早とちりに笑ってくれた。

実家に戻ってみても特にやることのない、中途半端な田舎町だけれど。
三つ児の魂百までも、それでも子供の時以来培ってきたことや体験した遊びが、既に現在の自分の基幹的な部分形成にしっかりと影響しているようで、改めて子供っぽい自然遊びが面白いとおもうのだった。



今月末には、そろそろマス類の遡上もみられる季節です、あああ、帰ってきたばかりだけど早くもまた釣りに帰省したい気分となりいけません!   (^^)  




  1. 2017/09/10(日) 10:31:26|
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373 こないだの その1





またしても、ブログとしてはまるでタイムリーでない先月帰省した北海道日記ですみません。
ちょこっとだけど、小樽と札幌の紹介です。
今回は、月寒に住む高校時代の友人が車を出してくれたので、お任せで観光気分で小樽にいってみました。
ここんところ小樽なんかは、博物館を観にしか寄っていなかったから、メインの堺町の観光通りはこんなにも人でごった返し、凄いことになっていたのかと驚くばかり。
それにしても、小金を持った中国人などのアジアの観光客のなんとも多いことか。



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 ● 小樽オルゴール堂本館     小樽市

お昼を食べたレストランの裏手にあったのがこのオルゴール館。
北一硝子のように、市内に数店舗の支店を有する大店。
この本館は明治45年に北海道有数の米殻商が本社家屋として建てたもので、木骨軸煉瓦造りの威風堂々とした洋風建築です。
シックなその外見に似合わず、扉を開けて一歩踏み込むと、そこに出現するのは観光客でごった返した余りにもファンシーな世界でした。
そのメルヘンチックさに、一瞬くらくらと目眩をおこしそうになりながらも、よく見ると西洋アンティークの小物もアクセント的に結構置かれていて、そちらのほうはなかなか面白い。
オルゴールの金属弁が紡ぎだすその音色は、やはり愛らしく相乗的にファンタジーの世界に誘うけど、歴史的な逸品や高級品は格調も高く、メカとしての精度も素晴らしい。
それにしても全てがオルゴール一色で、常に流れているスーパーマーケット・ソングが耳につくように、ここで働く店員は音害できつくないのかと、ついつい余計なことを考えてしまう。
なかには”握り寿司”のオルゴールなどと、かなり珍奇なものもあるけれど、25,000点もあるというオルゴールのどれか1点ぐらいは、あなたのハートを掴む製品もあるかも知れません。
可愛すぎるその世界、自分独りではまず寄りつかないような空間を満喫できて面白かったです。



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 ● 北一硝子      小樽市

明治時代にランプの火屋や、漁業用の浮き玉製造から出発した北一硝子の前身の浅原硝子。
現代ではその製品の多くはテーブルウェアとなっている。
北一硝子には、切り子のグラスなどの和のイメージを一切持っていなかったのだけど、今回見ていて面白いと思ったのがこの和物ガラスのコーナー。
切り子ガラスのカットの具合によって、万華鏡のようにコップの底に花火や花模様が浮かび上がって見える製品や。
透明の素地ではなく、あらかじめ黄色の素地に色付きガラスを上着せして仕上げた切り子のシリーズなど、好みはどうかは別としてアイディアの面白い製品に興味を惹かれます。
冷たい飲み物や熱い飲み物、淹れる液体の温度によって色味が変幻自在に変わるガラスのコップなども実演販売されており、中国人の観光客などが熱心に商品に見入っています。
北一硝子三号館の倉庫として改装した当時、オープンしたてのレストランで飲んだクラフトビールが実に味わい深かく、贅沢な一時を感じた思い出があります。
しかしここでも、人・人・人でガラスを手に取り向き合うような雰囲気も失せてしまい、天井から吊られたシャンデリアのランプの火屋に、随一北一硝子らしい安心感を覚えます。



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 ● ドライブで市街地散策も    小樽市

喧噪とした市内より岬方向へ車で少し走ると、そこで一変して静かな自然の情景が迎えてくれる。
灯台の裏手の丘に建った豪邸はかっての鰊御殿(左下)、小さな入り江の海水浴場(右上)は、どうやら近在の人が訪れる格好のスポットになっています。
海の色も、磯の匂いも関東辺りとはまるで異なっている北国の海。
そんな海の様子をただ漠然と眺めているだけで、心もなごみ癒された気分となります。



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 ● 「札幌農学校第2農場」    北海道大学 札幌市

6月に帰省の際は、北大植物園へ行ってきましたが、今回はキャンパスの北側に接する、旧農場の建物を見てきました。
陽に灼かれ銀化した木肌が美しい木造舎には赤いトタン屋根が映えます。
大型の牧牛舎、種牛舎、穀物庫(コーンバーン)、耕馬舎、秤量場、釜場、製乳所、などいずれも風格のある明治時代の建物の内部は、その一分が改装されて資料展示がなされています。



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 ● 「札幌農学校第2農場」、内部の展示の様子。

明治時代の開拓とともに、一気に西洋的な近代農業を取り入れた北海道では、ここでも資料として並んだ農具にも、馬耕などによる大型のものが多いです。
旧式のトラクターがずらりと並んでいたりもしていて、それらの車に付いたエンブレムなども、新しい時代の農業を背負う花形として凝った意匠で美しいです。
日本の農具などでは、ほとんど道具として加飾されていませんが、このような機械農具にみるちょっとした商標の意匠や銘々など(たとえば足踏み脱穀機に琺瑯製の看板が付いているなど)注視してみるのも面白いです。

北海道特有の蛸脚型播種機(左下)も変わっています。
またブログで書いた手回し型洗濯機以来どこか気になっていた、樽型のバター製造器(左上)もここで展示されており、その蓋部分の閉じ金具の凝った作りにおもわず注視してしまいました。



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 ● 埋葬文化財調査センターでみた皮鞣し具   北海道大学

土器などの考古遺物が展示されているこの部屋の一室に、木柄に石器が装着された掻器をみつけました。
過去の考古資料としての掻器の使用対象や操作方法を明らかにするために、使用痕分析の比較推定資料としてのサンプルのようです。
桶屋が用いる銑(セン)のようなかたちの道具ですが、これはカムチャッカ半島のトナカイ遊牧民が使う道具らしく、日本のように手前に器体を引き寄せて使うのとは真逆に、押し出して掻き出しているようです。
写真では、金属製の刃を付けたものが確認できます。
まったく同じ内容の作業でも、身に慣れた身体の動きが道具の分化にまで繋がり、両者の関係性を踏まえて道具を見ていくのは面白いかぎりです。



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 ● 百合が原公園      札幌市

太美にいる姉と一緒に、丘珠空港にほど近い百合が原公園へ行ってみました。
ポプラやモミの林に囲まれた広大な敷地をもつこの公園は、1986年の「さっぽろ花と緑の博覧会」会場となった場所で、北区歴史と文化の八十八選となっています。
花博の名残か、ポートランドガーデン(バラ園)、ムンヒェナーガルテン(沈床式庭園)、瀋芳園(中国式の自然山水庭園)、日本庭園(池泉回遊式庭園)など、世界の庭園や温室、リリー・トレインなど有料コーナーもありますが、その他のスペースは無料で開放。
園には湿地があったり、あまり花壇花壇化しておらず、節度を保ち自然とうまく調和した雰囲気のこの公園は多くの市民の憩いの場となっています。



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 ● 様々な種類の百合の花が      札幌市、百合が原公園

百合が原の名前のごとく「世界の百合の広場」には、こんなにもいろいろな種類の百合があるのかと見応え感満載です。
それでもやはりお気に入りは清楚な白百合でしょうか。
白いギボシの群生も美しかったです。



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 ● 彩りにあふれた公園     札幌市、百合が原公園

以前花屋に勤めていたこともある姉と、公園の花に触れながら散策。
お互い渋目の花好みだったり、葉が起毛していたり、ふわふわした綿毛に覆われた草を見て、盛り上がる。
近場にこれだけの公園があるとは、なんとも羨ましいかぎりです。



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 ● ガラスのコップ2種 <左;コップ、径75×奥行95×高さ90ミリ。 右;北一硝子のコップ、径72×高さ98ミリ。>

今回は散策した小樽にあやかり、家にある小樽のコップです。
いずれも手吹きの硝子のコップ、底部にはボッチの跡がみられます。
左の手付きのコップは厚さ2ミリほど、それに対して右のコップは厚さも5ミリ弱ととても厚く寸胴でずっしりと重い、下部は氷結仕上げとなっています。
右のコップは、はるかむかし札幌に住んでいた予備校時代に知人から誕生日祝いに頂いたものです。
ただ手に余る大きさなので、薄手のコップが好みとなっている現在ではほとんど使うことがないです。
左のコップは、同じ時代に小樽のレストランでウェイトレスのバイトをしていたAちゃんから、難あり品を貰ったものです。
店では数種類の大きさのコップを使い分けていて、確かこのコップは小樽のグラススタジオ製で特注品だったはずです。
繊細なコップなので、皿洗い時にちょっとぶつけるとヒビが入ってしまう。
このコップも持ち手部分にニュウがあるのと、後にできたホツはパテ埋めして直し、使っています。
いずれも質朴といえるようなコップだけど、近年の北一硝子などでの商品の流行は、どこか観光客を意識した余計に凝りすぎた加飾があるものが多く、お土産としてはまったく求める気にはなりません。
アウトレット品にも、廉価でお得感があるような製品がみられません。
ランプの火屋や、硝子の浮き球を量産していた当時の、素っ気なくも当たり前の意匠の素朴なたたずまいのコップがあれば、是非求めてみたいものだけど、どうしてなのかなぁ。




わずかに数日の滞在でしたが、札幌近辺も楽しかったでした。 (~o~)  



  1. 2017/09/09(土) 15:19:59|
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