うちのガラクタ

古びたモノが好きです。日常の捕って付けたようなモノ・コトの紹介です。

336 葉っぱかご





前回のブログでは、バスケタリー作家の関口千鶴さんの、シュロの葉をつかった作品を紹介しましたが。
世界には、植物の葉を利用した実用のかごも多くみられます。
以前、バスケタリー作家の高宮紀子さんに見せて頂いた、
Rossbach, Ed " The Nature of Basketry (Basket as Textile Art) "
という本には、自然素材を駆使した世界中のかごが紹介されていました。
竹製のかごと違い、葉製のかごでは、強度的にも弱く問題があるのでは・・・・・・・・・と、ついつい思ってしまいますが、
なかなかどうして。

本書では、実に様々なかたちの葉製のかごが掲載されておりました。
今回は、そのなかから葉っぱのかごを拾い出しました。


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 ● 自然素材の平面を折ってつくるかご。
 Rossbach,Ed " The Nature of Basketry (Basket as Textile Art) " Schiffer Publishing Ltd. 1973 より


笹の葉、竹の葉、蓮の葉など、植物の葉を利用した食品包みはよくみかけますが。
こちらは葉を容器にしたもの。
どのような植物の部材なのでしょうか、まるで笹舟をつくるようなかんじで、折り紙のようにかたちを上手くまとめています。
葉を編むのではなく、ある程度の強度と大きさの葉があれば、こんなふうに折ることもできる。
この方法ですと、上手くやると水を漏らさない容器がつくれます。
水汲みのようなものでしょうか、あるいは火にかけて鍋としても簡易ながら使えそうです。
横棒を刺して固定したりと、柄の付け方がいろいろあり面白いです。
木器や、やきもの、バケツなどの容器をわざわざ持参しなくても、このような葉が身近にあれば、簡単に手折って、出先で即席の水汲みがつくれます。

いずれもオーストラリア。


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 ● 魚の骨のような葉っぱの自然のかたちを組んでいく。
 Rossbach,Ed " The Nature of Basketry (Basket as Textile Art) " Schiffer Publishing Ltd. 1973 より

ヤシの葉のように大きな葉があれば、数枚合わせて、葉のそのままのかたちを上手く組むだけでかごをつくることが可能です。

葉の互いの部分を縫い合わせて、日除けや雨除けに使用、アンダマン諸島 (左上)
メキシコ (上中)
ペルー (上右、左中、中央)
屋根編みのサンプル、クック島 (下中)


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 ● ヤシの葉で編んだかご。 その1
 Rossbach,Ed " The Nature of Basketry (Basket as Textile Art) " Schiffer Publishing Ltd. 1973 より

底の部分を十字に合わせ立ち上げています。  ペルー。


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 ● ヤシの葉で編んだかご。 その2
 Rossbach,Ed " The Nature of Basketry (Basket as Textile Art) " Schiffer Publishing Ltd. 1973 より

葉をそのままのかたちでささっと組んだ、即席仕上げの目の粗い編みのもの。
葉を細かく裂いて丁寧に編み込んだもの。
よく似た形状のかごながら、かごの表情は様々です。

ミクロネシア (左上、右上はその拡大部分)
サモア (左中)
ハワイ (右中)
ミクロネシア(左下)
ニューヘブリディーズ島(右下)


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 ● ヤシのかご   パプアニューギニア     武蔵野美術大学美術館図書館・民俗資料室蔵。

本に紹介されていたサモアのかごと、ほぼ同じかたちのかごがありました。
葉先の部分をさらに細かくまとめ、最後になかに回し込んで固定しています。
葉を編んでから、最後に葉髄を真二つにぱっくり割れて口が開きます。
強度のある葉髄がそのまま持ち手となり、その場使いの簡易かごながらとても美しいかたちをしています。
本来は、切りたての青竹のような、鮮やかな色をしていたものでしょう。


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 ● クバの葉の様々な利用。

クバの水汲み、 石垣島 南島民俗資料館 (左上)
古見のクバ容器作り (右上)
クバの水汲み、柄杓、なべ、 武蔵野美術大学民俗資料室蔵 (左中、3点)
クバの笠  沖縄県立博物館 (右中)
クバの団扇、酒瓶包み (右下、2点)
タイの水汲み (右下、赤枠のもの)

沖縄には、クバ(ビロウヤシ)の葉を利用した民具が多くみられます。
クバの葉は、シュロと同じような掌形をしています。

葉先と、葉元の茎をまとめれば、そのまま水を汲める容器になります。
井戸の釣瓶として使う水汲みは、柄の端に珊瑚片などの錘を付けます。
井戸の水面にぽとんと落とした震動で、まずは水面にいたボウフラ(腐っていない生きた水にいる)が驚いて拡散し、浮いたままの状態の水汲みが、やがて錘のバランスで徐々に傾いていき、ボウフラを入れることなく容器に水を溜めることが出来るという優れものです。
古見の容器作りでは、葉の上に両足を乗せて葉先をまとめ容器のかたちをつくっています。
タイの民具の本にあった水汲みも、その素材は不詳ながら、クバの水汲みにとてもよく似たかたちをしています。

重しで押して平らにし、端を切り揃えればこんなかたちの団扇になります。

型に葉を当て成形し、竹籤を周わし縫い込んだ笠。
写真右手の富士形の笠は、横に回した輪骨の数も多く強度を増したつくりです。
風の強い与那国の笠です。
また同じ山形をした笠でも、海人(うみんちゅ)用の笠は風のあおりをより防ぐよう、農用の笠よりも鋭角な山形をしています。
ほかにもクバの葉で作る蓑があり。
長く保つように、水田に漬け”泥染め”(土中の鉄分を活用)して加工します。

近ごろは大型の酒販店などでも品揃えが増えている、沖縄の泡盛ですが。
泡盛の瓶包みも、ひとつひとつずつ丁寧に、クバの葉を手で包み仕上げたものです。


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 ● 沖縄の草の葉あそび。

クロツグとソテツを使った草の葉遊び。 竹富島 (左上、中下)
ソテツの葉の虫かご編みの工程。 西表島 (右上)
ソテツの葉製の虫かご。  「ぱいぬかじ」沖縄の民具展、武蔵野美術大学美術資料図書館・民俗資料室 カタログより。 (左下、右中、右下)


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 ● 葉っぱの団扇など。

オウギヤシの葉を切って仕上げた団扇。 (一段目、ともにミャンマー)
ヤシの葉を編んで仕上げた団扇。    (二段目、左;インド、右;産地不詳)
ヤシの葉を束ねた団扇。        (三段目、イラン)
ソテツの葉を束ねた箒。        (四段目、沖縄)

沖縄のソテツの箒は、御獄(うたき)での行事や墓参などの際に簡易的な掃き掃除に使います。
周囲に自製しているものを数枚手折り合わせただけのもの。

イランの団扇は、ケバブー屋で使われていました。


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 ● ヤシの葉団扇 2種。

左; フィリピン   幅300×370ミリ。
右; 産地不詳(パキスタンあたりのものか?) 190×455ミリ。

いずれも一枚の葉を余すことなく、緻密に編んでいます。


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 ● ハスの葉っぱ。

最後は、かごではありませんが葉っぱのおまけで。

もう10年ほども前のこと、蜂の巣状に穴のあいたハスの実が欲しくて、古代蓮の大賀蓮を手折ってきたことがありました。(写真上3枚、長野県富士見町の蓮池と採集当初の写真)

陰干しの際に自然と閉じてしまったハスの葉も、よく見たらこの空蝉状態がなんだか”かご”のように見えてしまいました。
結局捨てられず、一枚残したもの。(写真下3枚)



葉っぱのかごにも、いろいろなかたちがあって楽しいです!!  (^o^)   




  1. 2017/03/22(水) 21:38:39|
  2. 民具
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335 関口さんのかご






久しぶりに関口さんのバスケタリー作品を観てきました。(2017年3月15日)



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 ● 『 - 自然を飾る - 』 関口千鶴 Basketry 展  2017年3月14日-19日  ギャラリースペース パウゼ  東京都新宿区船河原町



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 ● 会場風景

関口さんといえば、なんといってもシュロの葉を余すことなく編んだ作品です。
今回の個展では、そんなシュロの葉の作品と、様々な素材と要素のかごが混在しており、とても賑やかで楽しい展示でした。



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 ● 「鳥の巣籠」など。

あたかも鳥が作ったような、様々な素材の草木の混合で編まれたかご。
「鳥の巣籠」 (写真下)の中には、鳥の卵に見立て、小石が納められていて、掌に丁度載るような大きさで、とても愛らしいもの。



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 ● 「鳥の巣籠」(左上)、「鳥の籠」(中)、「桜ビーズ」(下)

「鳥の籠」 は、シュロ葉を主骨にツヅラフジなどの別材を、もじり編みで編んだ作品。
かごの真ん中を膨らませ両端を締めることにより、かごのかたちもバイキングの船のように船形に反り上がります。
棕櫚の葉は掌形をしているので、葉先のほうだけ締めればよい。
茎髄は鳥の嘴や頭に見立て、葉先は末広がりの鳥の尾となります。
シュロの葉と、異なる素材の組み合わせにより、さまざまな表情の「鳥の籠」が並んでいます。
似たような編みのかごがアフリカにあるといいます。

「桜ビーズ」 はシュロの葉のかごの要所に、桜の小枝皮がビーズ状に通されたかご。
しなやかな桜皮は樺細工や、木製の曲物の綴じ皮として用いられます。
採集するのは、丁度桜の花の開花間近の水揚げの季節がよいらしい。
水分を多量に含んでいるので、小枝の芯を根気よく木槌で叩いていくと、芯の部分がするりと抜けて、外皮がそのまま管状に残り、桜ビーズが生まれます。
関口さんは、花の満開の季節は遠慮して、花が終わった後の材を使用しています。

小枝のかご (右上)<材は黄檗だったか?>は、小枝の皮の一部を剥ぎ組み合わせたものです。

樹木の剪定で、ゴミとして出された小枝なども、時に活用されて新たなかごが生まれていきます。



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 ● 人工物の廃材を素材として編んだかご。

昨年秋の山脇ギャラリーのバスケタリー展で、久しぶりに接した関口さんの作品は、流木や漂着ロープなどの素材が加味された一風かわったものでした。
ともかく植物自体の自然素材を活用したイメージが強い関口さんの作品にあって、今回の展示でも色鮮やかに結構目立っていたのが、人工素材の廃材をつかったこれらの作品です。

一見プラスチックウールの束子のように見えた作品「漂着端片」 (写真上)は、
よく観ると漁具に用いるナイロンロープの端片と確認できます。
波による自然の力で洗い流され、すっかり解きほぐされて絡み合った繊維はまるでフエルトのようです。
要所をちくちくと縫い合わせてまとめていますが、一本のロープを人為的にほぐした場合は、このような複雑な具合にはならないのだとか。

ところで、これらの人工素材はビーチコミングの対象としては認識されても、素材的にもいつまでも分解されることなく、微細なプラスチックビーズとなり恒久的に残存し、海洋の生態系の複合汚染を引き起こす迷惑な厄介ものです。
キャンディダ・ブラディ監督による『 TRASHED - ゴミ地球の代償 - 』 という環境ドキュメンタリー映画では、プラスチックスープの海が引き起こす絶望的なまでの自然破壊を、緊急問題として警告していましたが。
これらの人工素材を端迷惑なゴミとして吐唾するのではなく、自然がつくった(二次加工した)素材として再度見直している、関口さんのそんな視点が面白いと思いました。

今回の会場に演示的に置かれていた流木片などは、波の作用で独自の滑面が生まれ、確かに誰が見てもきれいに感じられるものの、これらのプラスチック片だけを完璧なゴミとして、ひと絡げに目の敵にしてしまうのは間違っているのかもしれません。

ロープも繊維を綯ってつくる織物と考えれば、この状態に変形した漂着片は、いわばかごの末路といえるものです。
関口さんの作品では、素材を綯ってから一度ばらし、その縒りがついた状態のかたちを活かし、再度組み直し編み込むといったプロセスもみられるので。
一見単純にみえながらも、この作品も再構築プロセスに連らなる一環した制作の流れといえそうです。


ラミネートパックの銀紙をコイリングした作品(写真下)は、藁かごや円座などの民具でもよくみかける巻き上げ編みです。
リングノートから取り去ったようなカラフルな針金を、端の部分ではコンビーフの缶開け金具でもって、更にくるくるとかしめ、仕上げています。
主素材をぐるぐると蜷巻きにする”渦巻きの”巻き  <形態> と、かしめ金具でもって”巻き上げる”巻き  <動作> が呼応していて、よく観ると結構面白いです。

リングノートの針金は、ゴミを分別出しするときの除去で、いつも難儀しており。
強く螺旋状の縒りが残ったままの針金を、再度伸ばして、資材としてわざわざ貯っておくことまではしません。
同様に、コンビーフの缶開け金具の場合も、一回きりの使い捨てで、いつももったいないと思いながらも、金具に巻き付いた缶材片を外し取り置くには、指を切るリスクがあり(実際に幾度か切った)いまはしていません。

食品保存の瓶詰めから、さらなる利便性を追求して誕生した缶詰ですが。
缶詰誕生のころは、専用の缶切りはまだなく、ナイフなどで無理矢理開けていたといいます。
コンビーフの缶開け式着想も、当時としては多大な発明だったわけですが、いまではリングプル式で、缶切りいらずの便利なタイプが広く流通しています。
しかしながらコンビーフ缶は現在でも、コンビーフの食品としての粘性のゆえか、台形の山形であり、例の缶の側面を切り開けて中身をとり出す方式を採用しています。
缶に付く巻き舌を、金具の穴に確実に差し込んで、竹の子巻きとならないように確実に巻き上げて開けるには、このサイズの使い捨ての金具が一番なのでしょうか?

イタリアで買った缶切りのおまけに付いていた、コンビーフ缶開けらしきものは、割りピン形で栓抜きも兼ねた特大のものでした。

**<ブログ№149 缶切り>
http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-149.html

これだと、巻き取られた片材を、後で引っ張ればすんなり除去出来るのでしょうが、頻度の問題でわざわざ試すことのないままです。


以前、浦和の埼玉近代美術館でアフリカのファイバー・アート作品展を観たことがありました。
巨大なテキスタイル作品は、遠目では布製のカーテンのように見えますが、近づくと総てが空き缶のリングプルや王冠を数珠繋ぎに仕上げられていて、度肝を抜かれました。
それはアートとして作られた作品でしたが、廃材の素材を転用して実用の生活道具に仕上げてしまう流れは、物資の枯渇した地域にあっては日常的にみられる現象といえます。
展覧会では、参考資料として ”みんぱく”(国立民族学博物館) 所蔵の、廃材や人工素材を上手く活用した、アフリカの現代の民具が同時に展示されていました。
かごの世界でも、本来自然素材が使われていたものが、後に新素材に移行してからも、もとのかたちを写す現象がときにみられます。
従来の製品のかたちを出来るだけ踏襲し再製しようとする現象は、同時に、もとからある道具を「大切にしたい」という人の敬意が込められているようで、観ていて実に面白いものです。


自分は、やはり自然素材のものが好みながらも、今回はこのような人工素材のリサイクルユーズを、改めて会場で拝見し面白く感じました。
関口さんの廃材再構成作品に触れ、話しがあらぬ方向に脱線してしまいましたが。
自然素材、人工素材の区別にとらわれることなく、かごの素材を追求し、真摯に向き合う関口さんの姿勢が素敵でした。

バスケタリー作家がとらえる”かごの世界”の発想の自由さと論理は、まずは第一に機能としての役割が足枷となる”実用のかご”とは異なり、かごの世界の可能性をさらに幅広いものとして捉えており、いつも感心させられます。



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 ● 「重なり」 棕櫚の葉5枚。

掌状のシュロの葉の形態を利用して余すことなく編んだ作品。
関口さんの作品というと、やはりこのようなシュロの葉をフルに活用したものが真っ先に思い浮かびます。
平らなままの葉ではなく、螺旋状に縒りをつけた葉を組んでいる。
編み目が安定し強度も増す構造で、自身が思い描くかたちとともに、葉の長さ、硬さなどのシュロの葉自体の特性が要因となり、最終的に作品としてのかたちがまとめられる。

関口さんは、最初から、このような縒りをつけた葉を利用して作品を作ろうと試みたのではなく。
あらかじめ葉を互いに綯っていたものを作っておき、そこからかたちを仕上げようと加工していたものが、ある時偶然解けてしまい。
そのとき残された、螺旋状に縒りがついたまま定着し、もう二度と元には戻らないそのかたちが発想となって、
この要素を利用した、螺旋状に縒りをつけた作品のシリーズが生まれたといいます。

今回の展示では、作品以外にも植物の種子や流木などの演示小物でさりげない演出がなされており、そちらにもつい目が入ってしまいましたが。
そんななかで置かれていた、 「フジの豆の莢」なんかは、花が終わって結実した若い莢は平たく真っ直ぐなかたちながら、終いには強く螺旋状に捻れていき、その変形に耐えきれなくなって、なかの種を外部へ弾き飛ばします。
強度を増す螺旋のかたちは、植物のなかにもしばし観察できます。

植物素材は、まったく同じ場所の同じ種類であっても、採集時期や保管条件によってまるで違ってきますから、バスケタリー制作でもそれぞれの部材のもつ特性を見極め、かたちに反映していくその工程が、とても興味深く感じます。



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 ● 「うごめく籠」など。

こちらも同じく、螺旋状に縒りをかけた葉を組んだ作品です。
一方には、細竹が輪状に留められています。


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 ● 「葉を組む」

近ごろでは、手の調子が芳しくないという関口さん。
今回の近作では、シュロの葉にあえて縒りをつける加工はせず、平たいままの状態で組んだものです。
シュロの生育状況や、若葉、古い葉など、それぞれの感触がまるで異なっているのだとか。
仕上げの最後、最終的な口(穴)のかたちは、それぞれの葉の特性により大きく左右されます。


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 ● 「葉を組む」

こちらもシュロの葉を平状のまま組んだ作品。
すっと立ち上がったかたちが美しいです。


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 ● 卓上にもかごが。

お茶を出すテーブルの上にも、さりげなくシュロで編まれたかごが置かれていました。
こちらのかごには、蜜柑や糸玉が入れられていたこともあってか、関口さんの作品というよりは、より実用性に依った親しみを覚えました。
同じシュロの葉のかたちを上手く使いながらも、その主軸の方向を変えて編むだけで、まるで異なったかたちに仕上げています。
蜜柑のほうのかごは、オーストラリアあたりによく似た編みの民具のかごがあるらしいです。
糸玉のほうのかごも、ニューギニアの、ヤシの葉を利用して編む簡易かごによく似ています。

シュロの鬼皮は箒にしたり、あるいは一部の地方ではそのまま幾枚も繋ぎ縫い、蓑にします。
鬼毛のほうは繊維を綯ってシュロ縄に加工します。
自分の住む武蔵野の農家の庭先には、シュロの木が植えられているをよく見かけます。
もともとはシュロ縄を得るための移植と聞きました。
鬼皮をほぐすと塵が落ちやすく、シュロ箒は一年ほど土間掃きで用い、後に塵落ちがおさまってから、ぬるま湯で洗い座敷用に下ろします。
沖縄ではシュロとよく似たクロツグの鬼毛(マーニ)で綯った縄を民具に用いていましたが、そちらは強靱ながらもともかく塵が落ちやすく、後伝の塵落ちのより少ないシュロ縄が、食品などを扱うメシカゴなどの吊り縄として定着していったという経緯があります。

利便性の高いシュロながら、葉の活用としては団扇や蠅叩きぐらいしか思いだせません。
蝿叩きは、シュロの葉元を数カ所、紐で締め合わせ仕上げるとても簡素なものですが。
三角形の茎髄をしたシュロの葉は、よくしなりながらも適度な強度があり、蝿叩きの柄としては最適な素材です。
誰もがシュロの葉を手折っただけで、簡単に作れてしまう蝿叩きは、シュロの葉を利用した最も原初的な加工品(かご)といえそうです。


最後に随分と脱線してしまいましたが。
関口さんのシュロの葉でつくる作品が魅力的なのは、シュロの葉のもつ素材の特性を、素直に十分に引き出している点だと思います。
自然界の造形は、実に揺るぎない完成されたかたちをしていますが、そこに更なる手技が加味されることによって、より美しいものとして生みだされた、今回の関口さんのバスケタリー作品でした。


 *<このブログでは民具のかごも一部紹介しています。 よろしければそちらも是非ご覧下さい。 「民具」か「うつわ」 のカテゴリーでブログ内検索して下さい。> 



かごのヒントはあちらこちらに観られます、関口さんのバスケタリー作品に触れた有意義な一日でした。 (^o^)   




  1. 2017/03/21(火) 20:43:49|
  2. うつわ
  3. | コメント:0

334 たば塩+




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 ● 先週に引きつづき、今回もたばこと塩の博物館へ行ってきました。(2017年3月18日)

今日は、展示に関連した講演会の日。
題目は、今回のコレクション展の丸山繁氏による『 絨緞にみる地域性と特徴 - 遊牧民絨緞と都市の絨緞 - 』


まずは都市の絨緞として、ペルシャ絨緞の5大産地(イスファハン、タブリーズ、カシャーン、ナイン、クム)について、それぞれ絨緞の特徴の説明がある。
シルクをもちいるクムの絨緞は、60~70年前の比較的新しいスタイル。
カシャーンの絨緞で使われるのは、マンチェスターキャシャーンとよばれる、英国のメリノール種の羊毛のコルクという胸毛をもちいる。
どこまでも終わりのない天空の世界、モスクの天井を意匠したナインの絨緞は、やはりペルシャ絨緞といえばこのデザインと、日本人には非常に好まれるが、欧米人には生理的に受け入れずまるで人気がない。
イスファハンの絨緞は、宮廷絨緞の流れを汲み、唐草の曲線性を活かした繊細で華麗なデザイン。
イスファハンレッド、セーラフィアンレッドとよばれる、余所ではまねできない独特な色合いで染められた深赤色が魅力となる。
ともかく日本人が思い浮かべるイランの絨緞は、ほぼ都市の絨緞で、おびただしい量の絨緞が日本に入ってくる。

ペルシャ絨緞の製作には立機を使用。
織り手は男性。
絨緞の織り進めに従い、座面も階段状にせり上がっていく構造の巨大なもの。
絨緞は単品で織ることはなく、失敗をしないようにペアを同時並行で織り上げる。
下絵には1ミリ単位の非常に繊細な図柄がデザインされ、使用されるのは1回きり。
こうして仕上げられる、一点ものの高級絨緞の下絵は、完成後に破棄されるが。
現代では古物として流れてアレンジされ、量産用の絨緞のデザインに流用されるケースもめずらしくない。
そうして作られた類似品の絨緞は、オリジナルの完璧さからかけ離れ、どこかちぐはぐとした別物のバランスの悪い製品となる。
下絵のデザイン、染め糸の調整、織りの細やかさ、そのいずれもが完璧なまでの職人芸の融合によって生みだされる、優美にして精緻を極めた美術工芸織物であるペルシャ絨緞。
絨緞のノットは結ぶというよりは、糸を絡めていく感じ。
一枚の絨緞の完成までに、どれほどの数の糸を刺すのだろうか。
その手数を想像すると、まさにカオス的な数値を連想させおそれいる。
クオリティーが、そのまま値段として直に反映しているのも頷けます。
織りの小道具は、刺し針、金櫛(糸詰め用)、鋏、ナイフで、いずれもが鋭く研がれている。


一方で、遊牧民族の絨緞は、女性によって織られる。
使われるのは地機(水平機)で、移動に際して組立る簡素な構造。
厳しい環境下、零細な農業を営んでいた人々や、家畜と共に遊牧生活を送っていた人たちが、自前の羊毛から独自の創作意匠や伝統文様を組み入れた、生活必需品としての自家用のもの。
下絵は用いず、個々の心に描き持つ思いを、一枚の布に自由奔放に織り込む。


写真(左下)は、黒羊の毛で平織物を織っているカシュガイ族の女性。
背後に見える黒テントは、濡れると目が詰まり雨漏りせず、乾燥すると通気性が増し100年は保つという。

ギャベ (毛足の長い絨緞、今回は展示されていない)は、もともとはカシュガイ族などの遊牧民の自前の織物であったが、現代では中国・インド・パキスターンなどで大量にコピーされ市場を拡散している。
(確かに、郷里の田舎町の量品店の絨緞コーナーにも、怪しげなギャベが普通に見られたりする。)
こうして生まれた様々な意匠がみられ、多様性を極めるようになったギャベながらも。
現在のミュージアム・アイテムとしては逆現象で、まったくもって素朴でいったいなんの文様が描かれているのか、これがほんとうに文様といえるのかどうかも判然としないようなものが、プロトタイプな希少品として蒐集の主軸に置かれているらしい。

かって見た『ギャベ』というイラン映画では、織り手がギャベにみる文様に、光、色、草花・・・・・・・・・と心象を綴るシーンがあり、文様にみる生活感に添った感性の豊かさと、遊牧という異文化の世界観に、とても共感したものだけれど。
物流のグローバル化が進んでいる現代では、デザインとしてすっかり形骸化してしまったいまある文様から、その本来が意味するところのものを、素直に汲み取ることはできないのかもしれない。


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 ● 絨緞にみる各種文様    「西アジア遊牧民の染色」展カタログより。

遊牧民の絨緞には、部族が異なっていても共通の文様がある。
それは、「部族文」とは違って生活風習に起因したものと考えられ、
祈りや願い、夢、希望を託す各種文様が織り込まれている。

左上; 絨緞 「南イラン カシュガイ・ルリ族」、
菱形部分の中央には、女性・地母神(幸福・豊穣・多産)。
それを取り囲む鉤状は、鳥頭(水の神)であり、さらに続く大きな鉤は羊の角(富の象徴)、ギュルの外側に狼の足跡・口・牙(防御)の文が散らされている。

左中; 絨緞 「南イラン カシュガイ族(ファース)」、生命の樹(豊穣祈願・成長・幸福)

左下; 絨緞 「南イラン カシュガイ族ハイアットダブデ」、孔雀(イラン神話・水の使者)。


遊牧の生活では、遊牧民の財産ともいえる羊との共生が中心となる。
テントから離れて眠る羊の、一番の脅威は狼であり、悪賢くも身ごもった牝羊を集団で襲うという。
そんな狼からの防御を意味し、遊牧民の絨緞のフィードル内には、尖った鏃のような狼の牙や、肉球のついた狼の足跡を象った幾何文様が散りばめられている。
また狼文様に囲まれた菱形の内には、羊の角文様(豊かさ)や地母神(多産・豊穣)などが配置されたデザインがある。
一枚の絨緞の意匠のなかに、遊牧民の生活空間が濃縮されている。



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 ● 菱形のかたちに籠められる様々な意匠。  「西アジア遊牧民の染色」展カタログより。

左上; 絨緞 南イラン カシュガイ族シェシボリューキ、
生命の樹(生長)、花紋(豊穣・幸福)

右上; 絨緞 南イラン カシュガイ族(ファース)、
生命の樹(生長)、鳥頭(水を神)、花(幸福・家内安全)

左下; キリム(平織物) 南イラン カシュガイ族(ファース)、
大きなメダリオンや、ボーダーの意匠も、すべて古代からの伝承文様で埋めつくされている。

右下; 絨緞 南イラン カシュガイ族(ファース)、
織物としての絨緞の最もオリジナルな原点といえる古い意匠。菱形文の周りの鍵形の錨文様は「鳥の頭」を意味する。その鳥は水を呼ぶ象徴であり、菱形内の無地色部分は水の源・水たまりを表す。乾燥砂漠地帯の厳しい風土、水と生命の尊さを物語る代表文様。


丸山氏がバイヤーとして、従来のオリジナルな価値にちなんだ遊牧民染織品の蒐集を開始しだした頃と、現在とでは、イラン政府による遊牧民族の定住化政策がすっかり定着してしまった。
遊牧民による遊牧という生活自体が極端に減少して、遊牧民族としての今後があやぶまれている。
同時に、町場と同じく現代的な生活へと、生活自体が遊牧から離れてしまったいま、実用品として生活の中で培われてきた、遊牧民独自の染織品も消滅の危機に瀕している。
今回のコレクション展で紹介しているような、オリジナルな古い染織製品は、既にイラン本国においてさえも入手困難な状況という。

ともかく地図を頼りに幾枚も使い果たし、オリジナルな遊牧民の染織を求め、これぞとポイントになる砂漠地帯の辺鄙な集落への車での移動は、運転手も思わず渋顔となるような、過酷以外の旅のなにものでもない。
丸山氏の、遊牧民の染織を巡る一環の行動に一切のぶれはなく、その根底には、常人には追従できない求道者としての強固な信念がうかがわれる。
ともかく丸山氏以外に、実際に自ら現地を訪ねた日本人はいないのかもしれない。
丸山氏は、実際に自分の足で遊牧民を訪ね、身銭を費やし、染めや繊維がどうのといった染色品の専門家以上に、遊牧民が生みだす染色品にみる造形に通じ、その世界観を理解している。
今回の講演会では、遊牧民の生活に充てた話しも多く、スライドに映されるそんな写真のなかに、かれらが織物に織り込む文様の世界への、ヒントになるようなものを感じさせられた。


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 ● 絨緞  西イラン  ルリ・バクティアリ族  1900年頃。   「西アジア遊牧民の染色」展カタログより。

三角形は遊牧民のテント。
その屋根には細長い蛇(多産・富)。
テントの裾から伸びる鉤形の腕は、羊を沢山持つ(力の象徴)。
菱形部分にはテントを守る動物などが描かれている。



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 ● 絨緞  南イラン  カシュガイ・ルリ族  1920年頃。   「西アジア遊牧民の染色」展カタログより。

よくみると、小さなひと形が3人描かれている。
これは織り手の家族である、ちいさな子ども達なのだろうか。
菱形部分の周囲を囲む鍵形の錨文は、鳥の頭(水を運ぶ使者)。
菱形部分の小さな点は、邪視除けの眼。


講演会では、参考資料として上等品とB級品の、ショールのような二枚の布が回された。
上等品の布は、地織り部分もしっかり紡錘された緻密な綾織りとなっており、軽くしなやかな手触りを感じるだけで、織りの製品としての完成度の高さが窺える。
一方のB級品の布は、使い込まれて色も褪せて、くたくたな状態ながら、実用とされた布としての親しみを覚える。
製品としての良し悪しは一目瞭然ながらも、自分としてはB級品がより魅力的に感じた。

本展カタログには、新たな鑑賞要素(アブラッシュ:色むら・グラデーション)として。天然染料の布は、含まれるその夾雑物により、長らく使われることにより、彩りが微妙に変化して、更に独特の艶感を醸し出す。
近年はそんな自然な色の経年変化を、ヴィンテージの要素として愛でる風潮もある。
<自分も、まずは展示されている絨緞の使用痕跡が一番に目に留まり、その珍しさに注視してしまった>

そんな講演会のはなしを頭の片隅に置いて、最後に展示会場にある作品を再観すると、一枚の染織品がまた別のものとして、ぐっと近しく見えてくる。
遊牧民絨緞は、宮廷文化の流れを汲む美術工芸品でもあるペルシャ絨緞とは、まったく別次元のもので。
実用の具としての親しみやさと、ペルシャ絨緞が見せる職人芸とは異なった、一枚一枚が織り手による一点もので様々な意匠がみられ、その独自性と共に、長らく使用されて伝えられてきたという物語性に満ち、手仕事の魅力にあふれている。

化学染料の伝搬により、安易で均一な着色効果は、優れた利便性と共に、またたくまに遊牧民の染色の世界にも浸透しだす。
現在では、昔ながらの自然染色が見直され、イラン各地に定住した元遊牧民の人たちによって再現される動きもあるという。
染織品として表層的なデザインでまったく同じ再現は可能ではあっても、やはり布として生みだされる、精神的な過程はまるで別物なのかもしれない。
自ら羊の毛を刈り、洗い、紡ぎ、身近にあった自然物を染料として活用し媒染して糸にしていた、織りと生活が同居していたあの頃には、もう二度ともどれない世界。

今回のコレクション展では、そんな遊牧民の生活が生みだした、自製の貴重な染色品が一堂に間近に観られる素晴らしい展覧会です。

最後に、講演会のなかでも触れられていた遊牧民の染色の変遷について、 「現代ではまるで見向きもされない、いまの物(化学染料染め)も、あと20年も経って遊牧の生活が完璧に世の中から消滅してしまったら、注視せざるをおえないアイテムになるかもしれない」 という丸山氏の話しが、今後の染色の世界のありかたを示唆しているようで印象的でした。



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 ● 錦糸町、清澄白河にて

さて、充実した内容の講演会も終わったところで。
墨東まで出てきたついでに、せっかくだから河岸を変え、お湿りタイムに移行することに。
知人と門前仲町で待ち合わせ。
錦糸町までちんたらと歩き、地下鉄は東京メトロから都営線に乗り換えることなく清澄白河で下りて、門前仲町へ向かってみた。
知らない町を無目的に歩くのは面白い。
小名木川など、名前だけは知っていた川に偶然出くわす。
こうしてみると、東京のこの辺りは完全に川の町なのだなぁ。
周囲に対してそこだけ取り残され、まるで時間が止まったままの、昭和のおボロい建物についつい目がいってしまう。
家の前の極小スペースに、めいいっぱい並べられた小さな鉢植えが、生活感まるだしでなんとも愛らしい。


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 ● 「魚三酒場」 不動前店     門前仲町 <営業は4時から10時まで>

場所は、深川不動堂を大通りに挟んだ真向い。
5時半に待ち合わせるも、店前には既に長蛇の列が連っている。
大人気の大衆酒場、結局小一時間待つことになりました。
カウンター担当の名物おばちゃんは、こまねずみのごとくせわしなく動き回り、一人で七面八臂の活躍ぶり。
周囲から一勢に飛び交う酔客の注文に(まるで逆回転寿司状態でカウンター内を周り)、返事なしで無愛想ながらも的確に処理していくその様は、まさしくカウンターの華、大衆酒場の鑑といえる給仕のプロ。
料理を頼んだ客が、どこか注文の仕方がまずかったのか!? おばちゃんに叱られ謝っている場面も度々みらる。
そんなおばちゃんと目がかち合うと、おもわず緊張してしまう。
食べたい肴は数あるけれど、おばちゃん相手にできるだけスムーズに、周囲を見てその間合いを計りながら、そつなく注文するのが結構むずかしい。
この日は土曜とあってか、誘い合わせてやって来た二人連れ客が多く、自分とおなじような一見さんだと、店での決まりごとも知らず、なにかととんちんかんな要求をしてヘマをする。
特にアベックがみせる、いちゃついた知ったかぶりにはご用心。

客; (酒をうかつにこぼし)「すみませ~ん、おしぼり!」

おばちゃん; 「うちにはありません! おしぼりを出すような高級な店ではないからね。必要なら余所の店へ行ってね・・・・・・・・・・。」
(と客に対して軽口のジャブを返しながらも、台拭きでもってささっと手が動き出す働き者。)


おばちゃんの写真にみえる、おばちゃんからみれば孫の世代のような若者が(幾度か飲みに通ったのか、親しみを込めて)「お姉さん」と注文の度に呼びかけていたけれど、
彼の世代での呼びかけでは、素直に問えばせいぜい「お母さん」でよいでしょう。
相手をおもんばかる敬称の遣いかたは微妙なもんで、若年者が目上の人を呼びかける、ちょっとした言葉遣いの場違いな場面も。
生娘の頃は、ひょっとしたら「○○小町」と異名を得たこともあったかもしれない”おばちゃん”ながら?
目の前にするおばちゃんは「おばちゃん」のまんまの呼称で十分で、ぴったりに感じる。
まずは人生の経験者であるおばちゃんに、一献としてコップの酒を飲み干す。
こうしておばちゃんの背を拝みながら、幾人かは、この店(不動前店)の不動な酔客として鍛えあげられていくのだろうか。
「いつまでも健勝に、カウンターを見守りつづけてやって下さい。」と、なぜか勝手にエールをおくってしまった。


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 ● コップ酒(神亀 190円)、シラウオ(260円)、鰊の刺身(380円)、貝ひも(340円)、生白子(430)。

品書きの多くは、500円でおつりがくるという設定となっている。
魚類はとくに種類も多く、刺身・焼き・揚げ物・煮物など調理のバリェーションも完璧でとても充実している。
早くも品切れとなった品書きも結構あり。
廉価ながらも、鮮度・量・味ともども満足で、大衆酒場のクオリティーにすっかり敬服させられる。
これだけ客が並ぶのも当然と頷けるのだった。
イカ下足揚げ・・・・・・、最後に熱々のアラ汁(100円)で終めてみる。
瓶ビール(アサヒ・スーパードライ大瓶 520円)×2、酒×6。
と、二人飲みして、一人頭2,000円強といった勘定。
隣り合わせたカップルからは、鰻肝の串を一本お裾分けいただきました。(ありがとう!)
ふれあいあふれる大衆酒場の醍醐味を味わいつつ、魚を肴に、ついついコップ酒が進すんでしまう至福のひとときです。


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 ● 豊富なメニュー、混み合う店内。

飲み助ごころを魅了する、驚くばかりの品書きの豊富さ。
伝票には、入店時刻と人数が記されている。
一階には、カウンターが二連並び。
平日ならぬ土曜日のこの時間帯(6時半)にして、既に立錐の余地がないほどの賑わいをみせる店内。
大衆酒場の活気あふれる雰囲気も抜群で、ついつい心地よく二時間余りとすっかり長居してしまった。
(小一時間でさらりと飲酒を済ますのが、ここでの流儀のようです。)



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 ● 裏路地にはさらにディープな飲屋街が展開している。  門前仲町。

小さな店がひしめきあった裏路地は、一度足を踏み込むと二度とこちら側の世界に戻れないような怪しげな雰囲気がある。
次回はこのあたりの未知なる世界を、是非開拓したいものです。




荒涼なる環境で質朴にくらす遊牧民に憧れながらも、最後はやはり世俗にまみれ放浪し、大衆酒場の浴酒で終えるという、だめだめなボヘミアンとなりました。 (^^;)  







 
  1. 2017/03/20(月) 16:32:13|
  2. ぬの
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333 イラン袋もん





前回のブログに引きつづき、今回も布ものです。

イランへ行ったのは一度きり、大手旅行会社主催の、イスファハーンやペルセポリスなどの遺跡を巡るツアーに参加しての、強行の一週間。
そのときに求めたのが、この絨緞本。
今回ひさしぶりに開いてみます。


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 ● ” Masterpieces of Fars Rugs ” Cyrus Parhaam 1996 Soroush Press Tehran.

遊牧民の製作する織物、パイルラグ(絨緞)、ギャベ、ギリム(キリム)が豊富な写真で紹介されています。
ペルシャ語と英語による2カ国語表記。
頁の割付が、左にペルシャ語(アラビア文字とおなじく右から左に向かって書くため)右に英語といった流れ。
しかも本の開きが英字とは逆(和本と同じ開き)のため、よくみると本の頁番号や見開きの章扉、奥付部分などがくい違っています。


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 ● 遊牧民部族分布図や、染織品の起源となる文様の解説。

分布図は、イラン南部のザグロス山脈周辺のエリア、シラーズを中心とした地域。
Qashqa'i, Arab nomad, Basseri, Bahaarlu, Ainaalu, nafar, Lors などの部族名が記されています。

文様解説では、土器の文様との関連性、イスラムの祈祷用の聖窟ミヒラーブや、「生命の樹」などが意匠化して、織物の文様として取り込まれていく流れがよく解り、大変興味深いです。


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 ● 素朴なものから華やかなものまで、様々な文様がみられる。     本書図版より。


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 ● ペルシャ絨緞博物館     テヘラン。

こちらはツアーで行った、テヘランの絨緞博物館。
博物館入り口には、イスラムの指導者であるホメイニの写真額が設置されています。
古いものから、パーレヴィー国王によって蒐められた贅を凝らした新しいものまで、豪華さの極み溢れる華やかなペルシャ絨緞の数々。
巨大なサイズの絨緞は、まさに富と権力の象徴。
一枚仕上げるまで、いったいどれだけの職人の手間と歳月が費やされたのだろうか、想うだけで気が遠くなります。
ペルシャ絨緞用の高機、製作道具、絨緞用下糸の染め工程なども紹介されています。


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 ● 絨緞店にて。    シラーズ。

ツアーで立ち寄った絨緞店。
絨緞織りのデモストレーションと、専門職人による、古い絨緞の修復をやっていました。
職人が、糸入れに使っていたのが、遊牧民のものと思われる独特な文様があしらわれた袋もの(写真両脇)。
豪華な絨緞よりも、どうもそちらが気になって写真を撮らせてもらいました。


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 ● 旅でもとめた袋ものなど。

ツアー旅行内での希少な自由時間。
スーク(バザール)や、町のしょぼけた雑貨店などを駆け足で巡ってみる。
一斗缶を潰して作られた、ド派手なトランクを見つけ、それに無造作に詰め込んで(右中)持ち帰った。


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 ● イランの袋ものなど。

実用品の類から、見るからに断片を仕立て合わせた土産用のものまでランダムに。

旅行に際しての、自分への旅土産は、紙・塩・茶の三柱と課していたこの頃。
この旅でも、岩塩はないかと市場を探してみたけど、うまく見つけられなかった。
結局見られたものが、ターコイズ・ブルーの陶片に大きな塩の結晶がついた魔除けのみでした(右下)。

スークのなかの、整然と並んだ店舗とは裏腹に、スークの裏手は、ごちゃまぜ的な露店がひしめいた世界です。
偶然見かけた鋳掛け屋では、ところ狭しと雑品の山で溢れており、目に付いたアーフ・ターベ(写真中上)と呼ばれる水注を、店の主人に交渉して譲ってもらいました。
この水注は、アッバース・キアロスタミ監督のイラン映画、「オリーブの林をぬけて」でも、田舎の民家を撮った映像のなかでちょこんと登場します。
実は下用で、厠での手洗いに用いるもの。
よくしたもので、軽く傾けるだけで、水が勢いよく飛び出し、お尻を見事に清めます。
いまや、ウォシュレット式にホースにシャワーがついたものが定番ですが。
このアーフ・ターベのかたちをそのまま型取った、プラスチック製の水注も結構見かけました。
素材や技術がいくら現代的に改善されても、昔からある道具を、依然としてかたちのなかで踏襲していく現象は、やはり見ていて面白く興味をそそられます。

町の土産物屋で買った袋もの。
織物の断片を無理矢理、袋に仕立てたようなものもありますが、塩袋(右上、右中)も二つあります。
塩袋の一つは、いかにも少数民族風な文様、そしてもう一方は、明らかに現代の化学染料の染め糸で織られた派手な色合いながらも、結構くたびれていたので実用とされたものと思います。

ツアー旅行の短い自由時間内で、戦利品をゲットして嬉々としたまではよかったのですが。
最後にやって来たのが、思わぬどんでん返し。

出国の際に、例のド派手な一斗缶トランクが、税関の係官に見咎められるという落ちがつきました。
(だって「絨緞を買われた方以外は、一切申請は不要ですから、荷物を置いてそのまま進んで下さい」って添乗員が言うんだもの。)
パッケージツアーのスーツケースの荷物の中、一斗缶製のトランクでは余りに悪目立ちします。

そんな中から現れたのが「厠で使う水注」とあっては、国辱以外のなにものでもなく。
「これと、これ」、しまいにはツアー客全員を前にしての見せしめで、「総て没収」という嫌がらせを受けました。
結局どうあがいても、つむじを曲げてしまった係員の前では埒があかず。
出国間際の忙しい時間の最中、独り別室に送られ取り調べを受けました。

黒いチャドルを被った女性審査官に没収されたのが、水注と袋ものが4点(左上、左中、中央、右上)。
その理由は「アンティーク」という一点張りでした。
自分としては、初めてのパッケージツアー・デビューに際し誓った「集団行動の規律を見出さない」という条項が、旅の最後にして反古にされ、没収品を前に泣き別れするはめになりました。
* <件の没収品は、異例ながらも、同ツアーの旅行会社の好意の交渉によって、二ヶ月後に無事に奪還されました。>

そんないわくつきなものながら、いまとなっては逆に物語性を与えてくれる懐かしい品々です。


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 ● 座布団に仕立て直した2点。

こうして持ち帰った厠の水注や塩袋は、さすがに実用として使うこともないままですが。
袋もののうち、2点はクッションに仕立直して、毎日お尻に敷いています。
長らく使用しているので、縫い取り刺繍の糸の擦り切れや、変色が随分と目立ってきて、すっかり経年変化した貫禄ある布となりました。
一枚の布裂が、極東の片隅でこのような末路を迎えることになるなんて、西アジアの遊牧民も、けっして想像しなかったに違いありません。

染色コレクションにあるような、100年以上も時を経たような貴重な織物は、いかに大切に受け継がれてきたか、うかがい知れます。
この数十年ですっかり減少してしまったという、西アジアの遊牧民。
織物に籠められた民族独自の文様の世界も、生活環境がすっかり変わってしまった現代。
その手技は、どのように次世代へ継承されていくのでしょうか。


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 ● 塩袋  645×480ミリ(左)、 小袋   350×300ミリ(右)

シラーズの町の土産物屋で求めた2点。
シラーズ近郊は、カシュガイ族が優勢な地域ですが、文様から察するに、これはどうやらイラン東部エリアの、バルーチ族のものに似ているようです。
塩袋の側面は、土産物として売るためかか、ミシンによる即席的な直しがあります。
ともに背面は文様なしの簡素な織りで。
身体に接する側の文様を略すのは、実用を考慮した仕上げなのか、ただ単に手間を省いただけなのか、気になります。
実際にこれらの袋の中を覗いてみると、緻密に織られた文様の裏糸が、内部ではかなりがさがさと、出っ張っています。
裏地を付けずに、これでは袋として使うには、あまりにも引っかかりが多く不都合があるようにも感じますが。
そもそも、こういった細かな点を、まるで気にとめないのが遊牧の民の性向なのかは、判然としません。

今回のたばこと塩の博物館の展示で観ていて、どこか気になったのが、塩袋など遊牧民の袋ものに付く房飾りです。
絨緞の裾につくフリンジのように、機織りの糸のほどけを止める製作上の処理加工というわけでもなく、あえて後付けしています。
それらの房は、単なる装飾的なものなのか、それとも虫除けや、落とした時のクッション的な役目も兼ねる実用としての機能なのか。
あるいは魔除けなどの意味合いも含むのか、その点が気になります。


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 ● 袋の文様部分の拡大図。

遊牧の民ではない自分たちが見て伺い知れる点は、たかが知れていますが。
文様に籠められた、その意味するところは正確に把握できないながらも、たとえ民族が異っても、文様が生みだす力強さは十分にこころに伝わり堪能できます。
一経ごとにかたちを増し、緻密に織り上がった精巧な幾何文ながらも、よくみると力尽きてかたちに乱れが生じた箇所もみられます。
やはり手仕事は、人それぞれ。
織り手の、その場の素直な心情が伝わってくるようで、そんなささいな点も含め、手仕事が生みだす製品を愉しでいます。



イランの旅から○○年、じっくり織物めぐりをしてみたいものです。  (^^) 



  1. 2017/03/14(火) 15:55:29|
  2. ぬの
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332 たば塩





「たば塩」 なんとも妙な略称ですが・・・・・・・・・・博物館側のリーフなどにも度々使用されています。


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 ● たばこと塩の博物館     東京都墨田区横川。

渋谷の公園通りにあったときはよく観にいきましたが、現在の東京スカイツリーのお膝元にリニューアル後は、今回が初来館です。

墨田倉庫、JT生産技術センターに隣した、この場所はもともとは専売公社の建物があった場所。
スウェーデンのたばこ屋が、看板として使用していた、入口のシンボルモニュメントは、渋谷時代からのもの。

ゆったりとした、新しいモダンな空間で現在開催中の特別展は 、『 丸山コレクション 西アジアの遊牧民の染色 - 塩袋と旅するじゅうたん - 』
絨緞ものの展示は、これまで他館でも幾度か観たことがあるけれど、今回は塩袋に魅せられて見に来ました。


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 ● 常設展示室「たばこの歴史と文化」 コーナー。

会場も広く明るくなって、細かな展示物も随分見やすくなりました。
江戸時代の刻みたばこの見世、昭和の街角のたばこ屋など、渋谷時代からつづくお馴染みのブースもありました。


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 ● 常設展示室「塩の世界」 コーナー。

目を惹いたのが、岩塩彫刻「聖キンガ像」(左上)。大きな塩の結晶を手にしています。

この日は運よく映画会の日で、 『ひとにぎりの塩』石井かほり監督 2011年 を鑑賞。
現在日本で随一おこなわれている、能登の珠洲の揚げ浜式製塩のドキュメンタリーでした。
この会場にも同じ再現ブースがあり、映画で事前知識を増し、俄然興味深く拝見しました。
大盥に海水を汲み、撒き手がその盥のなかに入って、周囲の砂場に均一に海水を撒き散らします。
そのとき用いる小桶が、ちょうど魚捕りの筌のように、極端に尻すぼみのかたちで。
桶の底を掌に当て、口縁部を持って、遠くへ近くへと自在に海水を飛ばすのに、とても理に適ったかたちをしていました。
また、塩を含んだ砂を集める木槽は、側面が取り外しできる解体式で。
下部のコンクリートの枠に側板を嵌め込んで、側板上部の出っ張りに縄掛けして、簡易に締めて固定するという優れものでした。
濃縮された海水から、塩の結晶を得るための「塩炊き」の加減が、塩づくりの要であり、しっかりとした旨味のある塩を得るのは至難の技だとか。
80分ほどと、かなり長めの映像でしたが、よくまとめられたドキュメントです。
映像からは、やはり博物館の演示物だけでは知り得ない細かな点がみえてきます。
映像のもつ情報量の力を、改めて感じさせられた瞬間でした。


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 ● ミュージアム・ショップでは、特別展にちなんだ遊牧民染色グッズのコーナーが目を惹きます。


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 ● 「西アジアの遊牧民の染色」展 カタログ。


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 ● 遊牧民の分布地図と、染色品にみる文様パターンなど。

カタログには、丸山コレクションの丸山 繁氏による総説「西アジア遊牧民の絨緞」があり。
主にペルシャ(イラン)を中心に、周辺の遊牧民の部族(カシュガイ、シャーサバン、バルーチ、バクティアリ、アフシャール、クルド、ルリ、トルクメンなど)の染色品が紹介されています。
鳥、狼、ラクダ、孔雀、花、果実、生命の木、星、さまざまな幾何文・・・・・・・・・。
遊牧民が生活の中で培った、それぞれの文様が意味するものを識ると、一枚の織物を通じてさらなる世界観が拡がります。
日々の生活での使用跡、経年変化を得て残された染織品は、時の流れを感じさせ、その美しさに魅了されるばかりです。


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 ● 「染織品としての塩袋」

「塩袋から広がる世界」、本館学芸員による解説も面白いです。
塩袋より、役割としての感心と、染色としての感心の二面性を見出し。
館蔵品の塩袋を、遊牧民の実用品としての”使用目的のもの”(左)と、遊牧民が使うというよりは工芸性を重視した”販売目的のもの”(右)に、分類しています。


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 ● 「さらなる塩袋との出会い」

また学芸員自身(塩担当)が、仕事の出先のポーランドの絨緞屋で偶然出会い、手に入れたという塩袋(写真のもの)より。
この塩袋より(館蔵品とは異なりなにせ私物ということで、職業倫理の枠から解き放され)、当人が自由気ままにいじって、染織品としての塩袋を考察しています。
コレクターの眼とは異なり、染色専門ではなくても、学者の世界観で一途に充てたマニアックさが妙に冴え、嬉々としたその状況がなんとも微笑ましい。
あそびながら何気なく接するような、そんなふとした瞬間に、新たにモノはみえてくるのだろうか。


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 ● カタログより一部をクローズ・アップ。

自分は、展覧会での展示物を好き勝手にみた場合、どうしてもモノのかたちにまどわされ、ビジュアル的にというか、感性で安易にみてしまう傾向にある。
観ること、触れること、使うこと・・・・・・・・・・といった互いの反復を繰り返し、さらなる”識ること”に辿り着きたいものです。

本展で展示された遊牧民の絨緞や袋類は、ただながめるだけでは飽きたらず、まず最初に触れてみたくなるような、どれもが素晴らしいものばかりでした。

会期は4月9日(日)まで。
3月18日(土)、25(土)は、午後2時から講演会があります。



「たば塩」おすすめです!!   (^o^)  





 
  1. 2017/03/14(火) 14:41:18|
  2. ぬの
  3. | コメント:0
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